八十:過去と魔法、今の幸せ
「君は自分の本当の魔法……いや、星の魔石の力で得た、魔法を覚えているのかい?」
月夜の問いは、清の胸の内を静かに打つ。
魔法について教わる前まで、完全に忘れていたのは確かだ。だが、不確かな記憶を元に、今は思い出している。
本当の魔法という名の、星の魔石を手に入れたい際に目覚めた魔法の力を。
記憶を思い出す方法は、と灯に聞きながらも、自分で目を背けていたのだから。
「星夜の魔法……今持つ星の魔石に本来あるはずの、灯と同じく言うなら主属性――星夜」
清は以前から思い出してはいたのだ。それでも、本当は怖かった。
俺は変わらない、と灯に対して清は発言していたが、過去の出来事故に自分を見たくなかったが正しいだろう。
本来の魔法なのにも関わらず、過去の嫌なことから目を背け、魔法で苦しむ自分を見て見ぬふりをしていた。
(本当に俺は……情けない奴だ)
月夜は、星夜という言葉に驚いた顔をしていた。
「……清君、いつから星夜の魔法であると思い出していたんだい?」
「灯とこの世界で、初めて一緒に星空を見た時……この世界の模造品だと思っていたあの星空に、微かな違和感を覚えた時から、思い出していたのに俺は目を背けていたんだと思います」
「なるほど、あの時か。それで、星夜であると確信を持ったのはいつからだい?」
月夜は目を逸らさず、透き通るようなブラウン色の瞳で真剣にこちらを見てくる。
「月夜さんから神秘の力の話を聞いた後、灯が自身の魔法について触れていた時……確信を持てたんです」
「……そこまで思い出していたんだね。この後は私が触れるべきことではなく、娘と清くん自身が切り開く時だよ」
「えっと、あの」
「どうしたんだい?」
月夜は表情一つ変えず、柔らかい口調で不思議そうに首をかしげた。
月夜がこの後どうするべきなのかを教えてくれたのはわかるが、清が気になったのはそこではない。また、自分の魔法が星夜であるのは間違っていない、というのは本人である清が一番理解できている。
清は月夜を信じつつ、息を軽く吐いて気持ちを落ちつかせる。
「どうして灯は、俺の魔法について深く触れられなかったのでしょうか?」
「ああ、簡単なことだよ。上からの制限さ。流石に魔法を打ち消せる私でも、彼ら――管理者全員を敵に回すほどの武力行使はしたくないからね」
淡々とした様子で言う月夜は、この件に関してはあまり触れたくないのだろう。
灯が魔法もとい記憶に触れられなかったのは、月夜の圧が原因で無かったのがわかっただけでも、清としてはありがたかった。
もしも、月夜が子である灯に圧をかけていたのだとすれば、今すぐにでも怒っていただろう。
最悪な事態による規制でなかった以上、星夜の魔法について深堀する気も、他に気になる事も清にはない。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
月夜が安心した表情をしながら紅茶を啜るのを見てから、清もそっと紅茶を口にした。
暖炉の火が小さく弾ける音を立てる。
一時の間を生んだ時、月夜のカップと受け皿が音を響かせた。
「清君、君は心から笑えて、本気で幸せだと思えたことがないのでは?」
清は急に聞かれた驚くべき言葉に、持っていたカップを落としかけた。
声を出そうとしても、言葉が詰まり、考えが滞ってしまう。
月夜が言っていることは、心の中にもう一つしまいこんでいる、正しい事実なのだから。
「君にfragment of memoryをかけた際に『何を願い、憎み、恨む』と私は問うたはずだよ」
月夜は一呼吸置き、ゆっくりと話を続ける。
「君は思い出した時、自分の家族を憎んだり恨んだりせず、しっかりと向き合った。それは正当に評価しているよ。でもね、その後の君は娘に何を思った?」
「……ずっと一緒に居たい」
「それは見ていればわかるよ。私も一人の親であり、愛を知っているからね。ただ、君は娘と一緒に居て、幸せと思った時もあったかもしれない……だけど、幸せを普段から感じようとしていたかい?」
幸せを感じようとしていたかと言われれば、否だ。清が心の内側で、自分が壊れないようにと停止を脳に流しているのだから。
家族と居た頃、あの過去の恐怖を思い出したくないから。それは、今居る灯との環境を考えれば、言い訳に過ぎないだろう。
(家族と決別し、過去の恐れはなくしたはずだったのに……)
清の表情には、段々と雲がかかってきていた。
迷いからくる悩み、というもののせいだろう。
月夜から指摘される前に、悩みを打ち明ける手段はあったはずだ。灯に相談して頼るなり、常和や心寧に悩みを打ち明けて楽になる、考えなくともわかるくらい手段はある。
解決できないにしても、あの三人なら親身になって寄り添ってくれただろう。
清の沈黙が長かったせいか、月夜は軽くため息をついた。
「多分君は、幸せと思ってはいけない……そう思って、心にブレーキをかけているのだよ」
「なんで、俺の考えを」
「それくらい、見ればわかるものだよ。あまり貶すような言い草はしたくなかったが、少しだけ遠回りをしようか」
月夜は一息つき、言葉を綴る。
「幸せと思ってはいけない、という名の呪縛に君は囚われているのだよ。本気で幸せと思わないことによって、君は自我を抑制している……間違っているかね?」
「……間違って、いません」
「君の家族関係に首を突っ込む気は無いが、言えることはある。君の家族は正直、どう見ても異端だからね」
「なんで家族関連が原因って……わかるんですか」
「……勘だよ」
月夜の透き通るようなブラウン色の瞳は、暖炉の明かりを反射し、嘘偽りがないように思わせてくる。また、心の中を見通したような物言いが、小さな確信を与えてくる。
月夜という人物は、清の今の悩みを救おうとしているのだろう。
管理者のツクヨが静観する為の仮染めの姿であるのなら、月夜は静かに手を差し伸べてくれる存在と言える。
(月夜さんなら、信用してもいいよな)
清は焦っていた心の空気を、目を閉じて口から吐き出した。
その様子を見ていた月夜は、覚悟が決まったようだね、と小さく言って微笑みを見せた後、話の続きをする。
「幸せになってはいけないと思うたび、それで本当に幸せで、楽しいのかい? 傍から見れば、君は自分を偽った偽善者……にしか私には見えないね」
心を探るような言葉だが、今の清に動揺はない。
自分を偽った偽善者であったかもしれないが、楽しくなかったは違うと言い切れる。
初めて心を許せる相手である常和に出会い、新しいことに仲間を引っ張る心寧、いつも近くで支えてくれる灯が居たのだから。四人での一つ一つの思い出を楽しいと思い、清はこうして魔法世界を生きてきた。
「もし、それを娘が知ってしまったら……娘は、灯は本当に幸せな状態で過ごしてくれるかい?」
「月夜さん、俺は灯と居られた今までの瞬間に、幸せでないと感じたことは一度もありません。灯がずっと傍に居てくれたから――俺はこうして清という自分らしく生きています」
清は静かに呼吸をし、月夜の目をしっかりと見た。
「確かに自分自身は過去の恐怖に怯え、弱いままです。でも、最後の記憶を取り戻せる今、悔いなく過去と向き合えます」
清は、灯や家族との記憶を取り戻した。でも、最後の足りないピースがもしかしたら、と思い怯えていた節もある。
魔法を忘れていたのは、自分の過去の過ちと向き合いたくないから、と知った今とでは意味が違うだろう。
月夜は手を軽く叩き、音を鳴らした。
「自分を庇うだけでなく、他者に目を向けながらも……自分自身と向き合う時間が必要なのは、言うまでもない感じかな?」
「はい。自分自身が一番理解しています」
「そうか、なら良かったよ。遠回りした回があったというものだ。本当に、清君は一人でよく頑張ってきたよ……お疲れ様」
月夜のその言葉を聞いた瞬間、清の視界は滲んで歪みだし、頬には雫が流れ落ちていた。
清は、自分は頑張っても見てもらえないとばかり思っていた。だからこそ、月夜のお疲れ様、という労わりの一言が、乾燥しきった気持ちの内側を潤したのだろう。
灯を抱きしめて満たされた心の渇きとは違う、頑張る自分を見てくれる大人はいないという気持ちの乾燥。
(何で、悲しくないのに泣いているんだよ……俺)
受け止めていた手を見れば、頬から落ちた水により、小さな水たまりを作っていた。
「清君、泣けとは言わないが、君は泣くことを我慢しすぎない方がいい。悲しみも、苦しみも、幸せや楽しさも、分かち合える仲間が今はいるのだろ? 君はもっと、自分を抱きしめて労わってあげたらどうだい」
清はうなずき、残った涙の後を手で拭った。
ふと気づけば、月夜の柔らかな表情は一変し、真剣な眼差しで清を見てきていた。
「これで最後にしようか。今の君は娘を――灯をどう思っているんだい?」
月夜の発言は、清が灯を好きかどうか本当なのかを確認するためだろう。
迷いのない言葉を、灯に対して思っていることを、灯の父親である月夜に素直に伝えればいい。今の清としてはそれが一番の最適解で、嘘偽りのない真実の証明だから。
「灯から優しさや愛情、幸せや色々なものを貰って今も一緒に居ます。だからこそ、灯を幸せにしたいし、心から一番好きです」
「……古村君達が鈍感と呆れていたのが納得できた気がするよ」
月夜はそう言って、表情には柔らかな笑みが戻っていた。
「清君の覚悟が聞けて、父親として嬉しく思うよ。君の本音を試すような真似をして悪かった。今後も娘を頼むよ」
「ええ、灯は俺が絶対に守って、幸せにします」
「……清君が娘にどう想いを伝えるのか、管理者としてではなく、親として見守っていたかったものだね」
ここでの話は他言無用で頼むよ、と清は月夜に念を押された。
清としても他者に話すつもりもなければ、心の中に留めておく気だ。
また月夜に追加で話された内容によると、管理者の上層部は月夜が牽制しており、四人に直接絡んでくることはないらしい。
月夜曰く、その為に四人のクラス担任も引き受けた、とのことだ。
月夜との話が終わり、清はソファから立ち上がった。
一礼してからドアに手をかけた時、月夜は口を開いた。
「清君、君の魔法が完全に戻った時、娘との魔法勝負……私も楽しみにしているよ」
「ありがとうございます。最高の魔法勝負にしてみせます」
清はそう言って、部屋を後にした。
魔法の木でふさがれたかと思った通り道は、内側からはすり抜けて出られるようだ。
秘密の階段を抜けた瞬間、ある人物が目に入った。
薄暗い廊下でもわかる、特徴的なビーズの髪飾りをつけた彼女――心寧だ。
「清。星名月夜……との話は無事に終わったみたいだね」
「え、なんでそれを」
「詮索は禁止。それよりも今は、食堂で今も尚清の帰りを待っている――灯の所に行ってあげたら?」
「心寧、ありがとう。行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい。うちらはお風呂とか済ませてるから、後は何しようがご自由にどうぞ」
「……別になんかやましいことをするつもりはない」
「――顔つき、変わったね。早く行ってあげな」
「ああ」
清は心寧の後押しもあり、廊下に走る音を置き去りにしながら、灯の居る食堂へと駆ける。
それと同時に、階段の踊り場から眺めていたもう一人が下りてきたことに、清はついぞ気づかなかった。




