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君と過ごせる魔法のような日常  作者: 菜乃音
第二章

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七十:君はズルいよ3

 帰宅後、リビングには針の音が小さく響きわたっている。

 ご褒美という言葉が脳内で駆け巡るのを落ちつけつつ、清は灯が下りてくるのをソファで静かに待っていた。

 数十分ほど過ぎたころ、床を踏みしめる軽い音が小さく反響して聞こえてくる。


 音が聞こえる方を振り向けば、透き通る水色の髪と瞳を持つ少女――灯の姿が目に映りこむ。

 灯は白を基調とした長袖ブラウスに、薄水色の優しい色を主としたロングスカートという、今まで見たことがない服装を着合わせている。


 清は服装にどうこう言う気はなく、本人が好きな服を好きなように着てくれるのが好きな方だ。だからこそ、全く見ないと言ってもいいスカートを着用した灯の姿に、内心驚きを隠せないでいる。

 普段お目にかかることのない服装である為か、新鮮味があり、気づけば目を引かれてしまう。


(……すごく灯に似合っているし、かわいい)


 清は自分自身が服に疎いのもあり、服装を褒める、という直接的な発言はしない。だが、灯の服装はいつも内心で褒め称えている。


 無言の時間が場を包んでいた中、灯が清の隣にふわりと腰を下ろす。

 そして、何かを言ってほしそうな目でこちらを見つめてくる。

 灯の透き通る水色の瞳は思っていることに正直で、偽りがないと思わせてくる。


「……灯、ご褒美って何をくれるんだ?」

「……私をたくさん抱きしめてもいいですよ……」

「え?」


 清は灯の言葉に驚きすぎて、脳が答えを拒む感覚に襲われていた。

 予想外のことには驚くしかないだろう。それも、想いを伝えたい人に『たくさん抱きしめてもいい』と言われれば、混乱するに決まっている。


 直感本能に任せた男なら、これ見逃しに突撃していく者もいるだろう。だが、清は違うと言い切れる自信がある。

 灯を誰よりも大事にしたいと思っているからこそ、自分の欲望で染めたいと思えないのだ。


「なんで抱きしめることがご褒美なんだ?」

「清くん……私が保健室で寝ちゃった時、抱きしめてきたじゃないですか」

「何でその事を!?」

「抱きしめますか?」


 灯は誤魔化す気も隠す気もないのか、普通の表情でこちらの発言を無視して聞いてくる。

 灯を抱きしめたのは事実だ。あの時は、目元に輝きが見えたから抱きしめたため、仕方のないことだろう。

 それでも、灯の細く整った体をたくさん抱きしめたい、という男心がくすぐられているのも事実だ。


「本当にいいのか?」

「嫌なら言わないですよ?」


 灯が言っていることは、限りない正論だ。灯がなんでも許してくれるわけがない、というのは清も理解している。


(灯に甘えるのは、ほどほどにしないと――)


 突然の出来事に、清は目を疑った。

 灯が小さな手で服を引っ張ってきたと思えば、強く抱きしめてきたのだ。


「……なんで」

「清くんはなんでもかんでも我慢しすぎです。……馬鹿」


 灯はそう言って、清の頭の後ろに左手を静かに回す。


「清が自分を抑えて、ずっと我慢してきたのは知っています。でも、今だけは全てを吐き出して……楽になってください」

「あか、り……」


 気づけば灯を強く抱きしめて、清は声をあげずに涙を少しずつ流していた。

 灯はそんな清の背中を軽く撫で、頭を優しく撫でてくる。それは、清が家族から唯一与えてもらえなかった――包み込む愛情そのものだ。


 家族が自分を見てくれるように弱音を吐いてはいけない、無理をしてでも頑張らないといけない、という苦しみがどこかに消えていくようだった。

 清は今まで、ほんの少しでも欲しかった、優しい温もりを。この瞬間、灯はそれを実現してくれている。


 清は抱きしめたまま灯の肩にそっと頭を乗せ、静かに温かさを味わった。

 そして、清の気持ちと涙が落ちついてきたころ、灯はゆっくりと口を開いた。


「清くんは以前言いましたよね『俺は今の俺のまま変わらない』って。あの時の私は否定しませんでした。だけど……今はします」


 灯はゆっくりと一呼吸置き、言葉を綴る。


「清くんは変わっていいのです。清くんらしく、魔法のようにある幸せや楽しい、たくさんの優しさや愛を受け止めて、清くんのままに変わっていっていいんですからね」


 ――自分は変わらないと言ってきた。だが、それは小さな過ちの一つだったのだろう。


 時と共に人は変わり、いずれは小さな羽を大きく羽ばたかせ、自分らしい存在として生まれ変わってゆくのだから。

 それでも、支えてくれる人や頼れる人、切っても切れない絆は変わらないままだ。


 成長過程という名の鳥籠から、一歩一歩、仲間と共に未来に向かって羽ばたいているのだ。


 清は、自分という一人の存在を抱きしめてあげることは出来ていない。だけど、優しい愛情を受け止め、目の前で支えてくれている少女――灯をこの手で抱きしめることはできる。

 清は目を閉じ、灯を更に優しく、気持ちのままに抱きしめた。



 灯を抱きしめてから数分が過ぎたころ、清は抱きしめていた手を離した。


「清くん、今回は長く抱きしめていましたね」


 灯はそう言って、優しく微笑んでくる。

 灯の言葉に気持ちが小さく刺激されるかのように、清は恥ずかしさが込み上げてきていた。


 灯の細く整った体にある優しい温かさを、心から堪能したのも事実だ。だが、(よこしま)な気持ちや、更なる欲求が湧くことはなかった。

 湧かなかったというよりも、心の渇きが満たされたからだろう。

 清は気持ちが落ちついた後、小さなわがままを口にした。


「その……もう一度、灯を抱きしめてもいいか……」


 灯はその言葉を聞いた瞬間、驚く表情を見せた。だが、すぐに微笑みが表情に宿る。


「……いいですよ。私から清くんにあげた、ご褒美ですから」


 灯はそう言いながら、両手を広げてくる。

 灯の両手の下に清は手を回し、灯をただ優しく抱きしめ、温かさを堪能する。

 そして、灯は再度頭を撫でてきた。小さな手で優しく、包むように。


「清くん、私も私らしく少しずつ変わっていくつもりです。だから、清くんも我慢しないで、私にわがままくらいは言ってもいいのですよ」

「……灯にわがままは、もう十二分に言っているよ」


 灯という存在を抱きしめる、それだけが今の清が言える最高のわがままだから。

 清の本当のわがままは、わがままでは収まらない、心からの願いといえる灯に伝えたい愛の言葉だ。

 灯との日常が始まって芽生えた、近いのに遠くて、嘘偽りのない愛を。


「灯……本当に、君はズルいよ」


 清が灯の耳元で小さく呟けば、灯の体はピクリと震えた。

 灯は恥ずかしそうに「ズルいですよ」、と言ってくる。

 清は小さく笑いながら目を閉じ、灯を手放さないように強く抱きしめ、灯という大切な存在を心から感じた。


 灯はそんな清に微笑みながら、両手でしっかりと清を包む込み……目を閉じた。

この度は数多ある小説の中から、私の小説をお読みいただきありがとうございました。

※灯のセリフ内で一か所だけ「くん」が無い箇所がありますが、脱字ではございません。


君はズルいよ3がまさかの実現となりました! 本当に、いつも支えてくれる読者様のお陰です。心より感謝いたしております。

今後も頑張って「君と過ごせる魔法のような日常」と共に、精進して羽ばたいていきます! 清くんと灯の近くて遠いような二人を、これからもよろしくお願いします!

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