第五十二話:君を心配するのは、誰よりも大事だから
ゆっくりとした時間の中、清は灯と一緒に家の庭で雲一つない青い空を見上げている。
現実世界に行く願い、常和と心寧が要注意危険人物になったなど、この数日間で今まで止まっていた過去は未来へと動き出した。
灯との恋愛距離も縮まればな、と思うのは欲張りなのだろうか。
(少しでも手を伸ばせば届く距離……もどかしいな)
ふと視線を灯の方に向ければ、空から差し込んだ光で、灯の透き通る水色の髪は輝いている。
「……清くん。どうかしましたか?」
「え、あ、いや……灯が現実世界に忘れたものって何かな、と」
灯に見惚れていた、なんて口が裂けても言えないため、清はふと思ったことをいつの間にか口にしていた。
灯がジロリと見てきているあたり、清が焦り口調で誤魔化したことにより、動揺している理由でも探っているのだろうか。
灯は「ふふふ」と可愛らしい声を小さく漏らした後、ゆっくりと口を開いた。
「それは見てからのお楽しみ、という……え?」
「……灯、どうした?」
灯は水色の瞳を見開き、一か所を見たまま驚いたような顔で言葉を止めている。
灯の視線を辿るようにそちらを見れば、転送魔法陣は歪みながら動き出していた。
そして歪みが収まるとともに現れたのは……黒いフードと仮面に身を隠す人物、管理者だ。
『おや? もしかして、お取り込み中のところだったかね?』
「管理者。空を見ていただけだ」
「ツクヨ……あなたが来たという事は、日付が決まったってこと?」
灯から冷たく発せられた言葉に、管理者は何も言わずにうなずいた。
立ち話だと悪いと思った清が動こうとしたところ、管理者が呼び止めてくる。
『黒井君、変に気遣わなくても大丈夫だよ。私はこの場でも問題ないからね。それに、二人の憩いの空間にお邪魔したい、と思う程の野暮ではないからね』
余計な言葉を添え、ましてや灯の方を見ながら言われても、と清は思ってしまう。
『そして話したい事だが、二つあるのだよ』
「二つも? 一つは現実世界についてだとしても、二つ目は何を言う気なの?」
灯が警戒しているところを見るに、管理者の発言は予定外の言葉、と見て取れる。
清は灯をなだめつつ、ゆっくりと管理者の方に視線を戻した。
『前置きを省いて答えから言わせてもらうとね、現実世界には二十八日に君らで行けることになった』
「二十八日に? それは何故ですか?」
『……ああ、そういうことか。君の親が家にいる日だから、とでも言えばわかるかね』
清は管理者に対して、現実世界に何をしに行く、と言ったことは無かったがお見通しだったのだろうか。
管理者に理由を見抜かれているのは腑に落ちない。それでも、今は感謝しておくしかないだろう。
「細やかなお気遣い、ご丁寧にありがとうございます」
『お礼なら美咲君のお父さんに言いたまえ』
「え、心寧さんのお父さんに?」
『そうだね』
管理者はその一言だけで、後は何も言おうとしなかった。
心寧のお父さんには記憶の本でお世話になっているが、現実世界に行く予定でもお世話になるとは、思ってもいないことだった。
清が首を少し傾けたところで、灯は服の袖を優しく引っ張ってくる。そして耳の近くに口を近づけてくる。
「清くん、私としては腑に落ちませんが……今はツクヨの話に集中しましょ」
灯から小さく囁かれた言葉に清はうなずき、改めて管理者へと視線を戻した。
『話は終わったみたいだね。二つ目の話だけど、これは休み明けまでは他言無用で頼むよ』
他言無用という言葉を残した管理者は、軽く呼吸をした後、ゆっくりと言葉を口にした。
『君達に先に伝えておくとね、春休みとかの長期休暇をあの学校に定めさせてもらったのだよ』
「え! 私達の通っている学校に?」
『星名君、そうだと言っているだろ。彼の前で子供らしい反応を見せるのはどうかと思うよ?』
灯は動揺したのか、頬は赤みを帯び始めていた。そして、チラリとこちらの方を恥ずかしそうに見てくる。
清としては灯のどんな表情や仕草、行動であろうと気にしようとは思っていない。むしろ、ちょっとした子供らしさがあって安心している方だ。
別に気にしていないよ、という清の言葉に灯は落ち着いたのか、管理者の方を向きなおして口を開いた。
「ところで、なんで長期休暇をいきなり定めたの?」
灯の言葉に管理者は小さく笑いをこぼしたあと、真剣な様子で言葉を紡いだ。
『君達は学生であり、恋愛や青春の真っただ中に置かれた成長過程の子供だ。ゆっくりとした時間を過ごして、伸び伸びとした学校生活という青春。そして休みの間、魔法世界だと数少ない、友達との付き合いを大事にしてほしいと思っているからね。……子供には伸び伸びと成長してほしい、それが私の教育方針だからね』
管理者の理由に、清は感心や尊敬という気持ちが込み上げていた。
清からしてみれば管理者という存在は、魔法世界が何よりも大事で、慈悲の欠片もない連中の集まりという認識だ。しかし、今ここに居る管理者の発言はどこかが違う。
おかしな点は自ら行動で示して取り除き、他人である自分達をまるで我が子のように扱う。管理者……またの名をツクヨという人間、他の管理者と同じと思ってはいけなかったのだろう。
灯も何かを感じ取ったのか、管理者をまじまじとした様子でただ茫然と見つめていた。
清はひとつの疑問を思い出し、管理者に聞くため口を開く。
「管理者……いえ、ツクヨさん。話は戻りますが、どうやって現実世界に行けばいいのでしょうか?」
『黒井君からも名で呼ばれるようになるとは……おっと、すまないね。現実世界に行く方法だったね』
ツクヨ、という名呼びをしたのは、他の管理者とは同じにしておきたくないと思っただけであり、他意は一切ない。
ツクヨは清の質問に対しフードの中を探り、あるものを取り出した。――見たことのない形をした魔石だ。
それを取り出したツクヨは、有無も言わずに灯の方へと、魔石を持っている手を向けた。
様子を見ていた灯もすぐさま警戒する姿勢を見せたが、突如として灯の周りに魔法陣が輪のように展開された。
「ツクヨ、一体どういうつもり?」
ツクヨは灯の疑問に答えようとせず、魔法を唱え始めていた。
『表裏一体。物換星移。ふたつの星は繋がり、世界を渡る魔法となりて』
ツクヨが唱え終わると、灯の周りに展開された魔法陣は輝きだし、光の粒が灯を包み込んでいた。
光の粒の輝きは、清が思うよりも早く収まり、灯の姿を見せた。
「灯、大丈夫か?」
「清くん、心配しなくとも大丈夫ですよ」
「馬鹿。誰よりも灯を大事に思っているからこそ……心配してんだよ」
清が誰よりも灯を大事に思っているのは事実で、清の本心から出た声を聞いた灯は「ごめんなさい」と言い、視線を下に向けた。
流石にここまで言うつもりではなかった為、清はどうしようかと悩みつつも、優しく灯の手を握る。
灯は下にしていた視線を清の方に戻し、ありがとう、と小さく声を漏らした。
『君達は本当に仲がいいようだね。黒井君、彼女が言っている通り、本当に心配は無用だよ。星名君から以前打ち消した、世界を行き来する力……それを二十八日の一日だけ、使えるようにしただけだからね』
「清くん、信用しても大丈夫ですよ」
灯から小さく呟かれた言葉に、清は小さくうなずいた。
『二十八日、君達の行きたい時に行けばいい。転送先も以前と変わっていない筈だ。それじゃあ、私はこれ以上長居する気はないから帰らせてもらうよ』
「ツクヨさん、今日はありがとうございました」
「ツクヨ……ありがとう」
清と灯の言葉を聞いたツクヨは、背を向けたまま左腕を上げ、その場を後にした。
ツクヨが帰った後、清は灯をもう一度心配していた。
「清くん、本当に大丈夫ですよ」
灯はそう言いながら透き通る水色の瞳をパチクリとさせ、手を優しく包み込んでくる。
「でも……心配してもらえて嬉しいです」
小悪魔っぽく微笑みながら言う灯に、清は頬を赤くした。
灯に気づかれない程度に軽く一呼吸置きながら、前髪をサイドに避け、清は考えていたことを言葉として口にした。
「春休みの二十七日に、ある場所に行きたいんだけど……一緒に行かないか?」
二十七日という現実世界に行く前日、清は灯を連れてどうしても行きたい場所があったのだ。
何も言わずに灯の頬は赤みを帯び始め、もどかしさというよりも、気恥しそうな目線で清を見ている。
清が決意表明の為に前髪を避けたのが、灯の好きな清の姿として刺さってしまったのだろう。
「わかりました。清くんと行けるところなら……嬉しいですから」
灯が嬉しそうに微笑んだ瞬間、優しく吹いた風は透き通る水色の髪をなびかせ、輝く美しい川のように見せてくる。
自然から送られる魔法のような瞬間は、この二人だからこそ思えるのだろう。
この度は、数ある小説の中から、私の小説をお読みいただきありがとうございました。
次の五十三話で、第一章の第三部は最終話となります。
そして現実世界に行く話は、一テン八章という形になります。五十三話の後書きでも再度説明させていただきますが、よろしくお願いします!




