第五話:君の優しさに気づけば甘えている
「黒井さん、朝ですよ。起きてください」
「……ほ、星名さん。おはよう」
重い瞼をあげれば、寝室では本来見るはずのない灯の姿が見えた。
「何を寝ぼけているのですか。昨日、朝から勉強すると約束したじゃないですか」
思い返せば、昨日の光景がぼんやりと浮かんでくる。
灯に勉強を教えてもらうため、お互いに予定が空いている本日を決行の日にした約束を。
寝ぼけた様子の清を見た灯は、呆れたようにため息一つこぼしていた。
清は寝起きでぼやける目をこすり、しっかりと灯を見る。
「ごめん、うっかりしてた。すぐ準備する」
「もう。……朝ご飯出来ていますからね」
灯はそう言い残して、部屋を後にした。
灯は、清が着替えると察して部屋を出たのだろう。
異性の着替えを徹底して避けるあたり、灯も女の子なんだな、と清はふと思った。
お互いに朝食を食べ終えてから、ローテーブルの方へと移動した。
ローテーブルにこれでもかと本が積まれている辺り、灯の用意周到さや、本事情は恐ろしいのだろう。
勉強の内容を決めていない自分の落ち度を補える灯に対して、頭が上がらなくなりそうだ。そもそも、灯に料理を作ってもらっている時点で、上がる頭はとっくに無いのだろう。
ふと気づけば、灯は隣に座るなり、どれを勉強するか選んでいる。
「勉強の内容なのですが、この世界の事と、魔法のことでよろしいでしょうか?」
「星名さんの隣にいる以上、選んでもらったことに反対する気はないから」
灯の頬が少し赤く染まったように見えた。
灯がなぜ照れているのか理解できないが、深く考える必要はないのだろう。考えたところで、理解できる気がしないのだから。
そっと呼吸をした灯は、古びた本を手に取っていた。その本は、何年も前に作られたと思えるほど表紙が色あせている。
「まずはこの世界……魔法世界のことについてですよ」
「本日はよろしくお願いします」
教えてもらう側なので、灯に改めて敬意を示しても問題ないだろう。
清の真面目な姿勢が面白かったのか、クスッと笑った灯は、本を開いてページを見せてきた。
異性と隣同士で座っているため、普段より距離が近いことに困惑していたが、勉強の始まりと共にその雑念は消えていた。
灯は何とも思っていないのか、凛とした様子で本に目をやっている。
「まず、この魔法世界が現実世界に似ている理由は理解されていますよね?」
「それは有名な話だし大体理解しているから安心しろ」
灯はホッとした表情を見せた。
この世界、魔法世界は清が暮らしていた現実世界に一番近いものとなっている。また、主に魔法を使える者が平和に暮らしている世界だ。
清は、灯が本のページで触れないであろう箇所を横目で見た。
お互いの為にも避けたい内容である『魔法論理法』という、魔法世界に存在する法だ。主に、現実世界で魔法を発動してしまい、予期せぬ事態で一般人を傷つけてしまった者に適用される法の名である。
清的には触れたくない言葉――魔法世界への隔離。
現実世界を安全に保ち、恐怖に包ませたくない政府が魔法世界側と手を組んだことで、現実世界で密かに適用されてしまったのだ。
要注意危険人物である清はこの法を適用されたため、灯が触れないことに内心で感謝した。
「黒井さん、顔色が悪そうですけど大丈夫ですか……」
法を考えたのもあり、不安な気持ちが表情に出ていたのだろうか。
「大丈夫だ。少し考え事をしていただけだから」
「本当に無理な時は私を頼ってくださいね」
「ありがとう、今でも頼りきっているけどな」
心配してくれる灯に感謝しつつ、大きく呼吸をして心を落ち着かせた。
様子を見ていた灯が微笑ましい顔で見てくるため、清は顔を薄っすらと赤くさせてしまう。
ふと気づけば、灯は次の本へと手を伸ばしていた。その本には『魔法』という率直なタイトルが書かれている。
魔法を普段使わない清的に、教えてもらえるのはありがたい限りだ。
「魔法についてですが、まずは一般魔法使いをザックリと説明しますね」
ザックリと説明すると灯が言ったのは、お互いの魔法が一般とは違うため、省略するつもりがあるからだろう。
必要以上のことを取り入れないことで、効率よく勉強を進めようとする灯の手際の良さに思わず感心した。
「普通の魔石は通常一つの属性魔法しか扱えないのです」
魔法を使う時、意識せずとも別属性の魔法を使えていたのもあり、清は驚きだった。
今思うと、常和が一つの属性しか使っていなかったため、その時点で気づくべきだったのだろう。
「また、合成魔法はその主属性に対して別の属性を混ぜるのが基本なのです」
主属性は、元から持つ一つの属性魔法のことを指している、と清は理解した。
合成魔法がからっきし使えない清からすれば、これ以上ないほど嬉しい情報だ。
感心していると、灯は息切れしたのか、小さく呼吸をしている。
「それとですね、合成魔法は魔力消費の関係で、二つ以上の属性を混ぜることができないのです。……例外を除いてですけど」
合成魔法を何も知らなかったと、清は感じ取れた。
今まで魔力消費を考慮していなかったため、合成魔法を上手く扱えなかったのだろう。また、聞いたからできる、とは限らないのも事実だ
本から目を離して灯を見ると、ちょうど灯も目を離したらしく、目と目が合ったことに清は動揺を隠しきれなかった。
なぜか灯が少し可愛らしく笑っているため、清としては心臓に悪かった。
「それでは本題に移りますよ」
「ああ、よろしく頼む」
本題に移ると言った次の瞬間、灯は小さな魔法陣を片手に展開し始めた。
灯がチラリと見てアイコンタクトをしてきたので、清はおとなしく魔法陣を見る。
灯の展開した魔法陣は、形を変えずにゆっくりと色だけを変え、様々な色を巡っているだけだ。
「……もしかして、魔法陣の属性だけを変えているのか?」
思ったことをつい口にすれば、灯は魔法陣を消してみせる。そして、ゆっくりと視線を向けてきていた。
「そうです。これが星の魔石を持つ者ができる、制限のない属性変化です」
「あれだよな、魔力の源を感じ取ることで他の属性を扱うことが出来るやつだよな」
灯が小さくうなずいたので、間違ってはいないのだろう。
意識をすれば多少の属性を清も扱うことが出来るため、灯が細かな説明をしなくとも理解はしているつもりだ。
「魔法勝負については話さなくとも理解できていますよね?」
「それは理解しているから安心してくれ」
灯と魔法勝負をしているため、清としては十分に理解しているつもりだ。
魔力シールドを先に破壊されたら負け、というシンプルなルールを理解できない方が問題になりかねないのだから。
「わかっているのなら、これ以上の説明は要らなそうですね」
「そうだな。すごくわかりやすくて助かったよ、ありがとうな」
灯にお礼を言って、清が立ち上がろうとした、その時だった。
灯は清が立ち上がるのを防ぐかのように、小さな手で服の袖を掴んできていたのだ。
灯の意思を表情から読み取れなくとも、清は静かに座りなおす。
前髪を軽く避ける仕草を灯はして、視線をしっかりとむけてきた。それは、何かを伝えたい、と言わんばかりの圧を感じるくらいに。
灯は落ちつくためなのか、小さく呼吸をした。
「私の魔法を見て、何か思い出したことはありませんか?」
唐突に灯から聞かれたのは、清の記憶に関係することだった。
灯にそれを聞かれた清は、そっと自身の記憶を思い出そうとする。しかし、忘れた記憶を思い出すのは不可能に近いだろう。
無理に思い出すのをやめて、清は灯の問いに答えようとした。
次の瞬間――清の脳裏に知らない光景が浮かび上がる。
幼い男の子が、透き通る金髪を持ったロングヘア―の女の子と、草原で一緒に星を見ている光景だ。
(あの男の子、もしかして小学生の時の俺か?)
その時、星を見ていた二人の近くに星が落ちてきた。それは、今の清が持っている星の魔石そのものだ。
(やっぱり俺なのか。じゃあ、あの女の子は一体?)
星の魔石らしきものを拾うところで、記憶は形を保てずにぼやけて、白い世界へと包まれていく。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
重い瞼をあげて理解できたのは、いつの間にか眠っていたという事だ。
かけられていたブランケットが視界に映りこんだ時、階段の方から小さく足音が聞こえた。
足音が近くなると同時に、透き通るような水色の髪がリビングを覗く。
「……いきなり倒れたから心配したんですよ。どこか具合の悪いところはありませんか?」
灯は起き上がろうとしていた清を見るなり、焦ったように駆けよってきた。
灯に心配をかけさせてしまい、清は後悔してもしきれないでいる。
他人に迷惑だけはかけたくない、というエゴもあるが、灯の悲しそうな顔だけは見たくなかったのだから。灯とは最近知り合った他人であるはずなのに、どこか埋まらない傷跡があるように。
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
灯は落ちついたのか、そっと胸を撫で下ろしていた。
「そう言えば……さっき、夢の中で思い出したんだ」
「はい。教えてくださるのですね」
灯の言葉にうなずき、先ほど思い出した光景を清はありのままに話した。
「……二人と星の魔石ですか。それすらも忘れていたのですね」
灯はその場を後にするように、辛そうな表情をして自室へと戻ってしまった。
灯が最後に残した『それすらも忘れていた』という言葉に、清は違和感がある。
ふと時計の方に目をやると、丁度お昼を軽く過ぎていたのもあり、清は灯を心配しつつもご飯を食べることにした。
夜になってリビングでくつろいでいると、階段を下りてくる足音が聞こえた。
音がした方を見れば、灯がポニーテール姿で下りてきたのもあり、清は思わず言葉を失った。家に居る時の灯は髪をおろしている事が多いため、見慣れない髪型となっているのだ。
「先ほどは無言で戻ってすいません」
「いや、気にすんな。俺が気に触れるようなことを言ってしまったと思うし」
謝りながらも近くの椅子に腰をかける灯を見て、清は軽く安心した。
「……あのさ、星名さん――君は一体、俺の忘れた過去をどこまで知っているんだ?」
真実を得られなくとも、灯の今の心境を知っておきたい好奇心が、清の中では湧き上がっていた。
「あなたのことは私が誰よりも守ろうとしている。これだけは覚えていてください」
灯からの返答はそれだけで、それ以上は一切教える気がないように見える。
灯に無理やり聞く気はないため、先ほどの言葉だけで満足だ。また、灯に守る宣言をされてしまったのもあり、心配させないように頑張ろうと、清は静かに誓っておく。
「今日は勉強を教えてくれてありがとうな」
「いえいえ、私は黒井さんが頑張ろうとしていたのを手伝っただけですから」
ふんわりとした声と可愛らしい表情を見せた灯は、今の清にとって愛おしく甘えたくなってしまいそうだった。
「よければ、今日は一緒に夜ご飯を作りませんか?」
「え、あ、手伝うくらいしかできないぞ」
構いません、と嬉しそうに言った灯の後に続いて、清は動揺を隠しつつキッチンの方に向かった。
どれだけ過去を忘れていても、灯と一緒に居るこの時が、消えている過去のカケラを埋めていくようだ。