第三話:君と始まる日常
10月9日、読みやすくするための改稿しました
「……ここが黒井さんのご自宅なのですね。とても綺麗で尊敬します」
清は普段から家の清潔さを保てるよう、努力を怠るような真似はしていない。そのため、急な来客を招くのは問題なかった。
灯が軽く驚いた表情をしているのを見るに、綺麗であるのは予想外だったのだろうか。
きょろきょろしながら家中を見ている灯を横に、清は灯の部屋をどうしようか悩んだ。
清の家は二階建てであるため、二階にある部屋を使ってもらう予定でいた。しかし、清の寝室が二階にあることを考慮していなかったのだ。
異性と部屋が近くなのはどうかと思いつつも、決まらないことには話が進まないだろう。
清は小さく息を吐き、決意を固めた。
「星名さんの部屋なんだけど、二階にある俺の隣の部屋でいいか?」
「住まわせてもらう身ですから文句の一つもありませんよ」
「……そうか。ならよかった、部屋に案内する」
凛とした様子で返答した灯は、清の事を信頼しきっているようにすら見える。また、灯とは前から出会ったことがあるのかと不思議になるほどだ。
嫌なそぶりや文句の一つでも灯に言われる、と清は思っていた。
心の中で灯に感謝しつつ、清は動揺を隠すように部屋の方へ歩きだす。
二階に上がり数歩進んだ扉の前で止まった後、清は灯の方に体を向ける。
「ここが今日から星名さんの部屋だ。掃除はしっかりしてあるから安心してくれ」
「そ、そこは別に心配してないのですが……」
灯はためらった様子でもじもじしており、何故か目が泳いでいる。
灯の今の様子は考えても理解できないため、直接聞くのが早いだろう。
「どうかしたのか?」
「え、えっと、話は変わるのですが……黒井さん、普段食事はどうしているのですか?」
灯はためらいつつも、首をかしげている。
清は普段インスタント類しか食べていない人間だ。
食事のことは頭から抜けていた為、そのことを言われ、清は頭を抱えた。
夜ご飯をどうするか決めていなかったことに悩みつつも、灯に返答を優先する考えに至った。
「……インスタント類しか食べてないです」
渋々と答えた清に呆れたのか、灯は軽くため息をこぼした。
家に誘ったと身として、夜ご飯を考えていないのは申し訳ないと思えてしまう。
灯は少し深呼吸をすると、真剣な目で見てくる。
「あなたの食事を私に作らせてください」
それは突然の申し出だった。
料理ができない清からしてみれば、この上なく嬉しいことだ。しかし、好きでもない人間に料理を振舞うことを疑問に思えてしまう。
仮に灯が料理を作ることが決まったとしても、困らない程度に食材は用意してあるため問題はない筈だ。しかし、後先のことを優先して考えてしまうため、清は気持ちが落ちつかなくなる。
「それは嬉しいんだけど、星名さんにメリットが無さすぎだと思うんだが?」
他人の恋愛ごとに口をはさむと、余計な亀裂が起きることを清は理解しているつもりだ。
気づけばできるだけ遠回しかつ、純粋な答えが返ってくる質問を投げかけていた。
灯は不思議そうに首を傾げた。それでも、綺麗で凛とした佇まいなのは流石としか言いようがないだろう。
「私は家にいさせてもらうわけです。ですから、これくらいのことはさせてほしいだけなのですが?」
「まあ。星名さんがいいなら……それでいいんだけどさ」
「私が勝手にやるだけですので、あなたが気に病むことはありませんよ」
笑顔で言い切る灯に、清はうなずくことしかできなかった。また、灯に考えが読まれているようで、妙に恥ずかしさがある。
一階のリビングで落ち合うことにし、その場は一時解散となった。
先にリビングへと降りた清は、改めて冷蔵庫の中身と調理器具の確認をしていた。
清は普段料理をしないため、調理器具に不備はないだろう。また、料理をしない割には食材が揃っている為、清は自分の事なのに不思議に思えてしまう。
そうこうしているうちに、階段の方から足音が小さく聞こえてくる。
そして、灯がリビングに姿を見せた。
「お待たせしてすいません」
「……いや、全然待ってないから気にするな」
気づけば、清は下りてきた灯に見とれていた。
灯は学校では普段ポニーテール姿だが、今は髪を綺麗に流し、ストレートヘアーとなっている。また、透き通るような水色の髪はなめらかに整っており、神秘的な美しさを感じさてくる。
ふと我に返ると、灯がキッチンの方へと目をやっていた。
少しでも灯が使いやすいようにと、調理器具などを手が届きやすそうな位置に移動したのが気になったのだろうか。
「もしかして、余計だったか?」
「い、いえ、とても嬉しいです。……ありがとうございます」
灯は照れた様子を見せつつ、髪を一つにまとめている。
清は感謝をもらうために調理器具などを移動したわけではなく、灯の負担を減らしたいから勝手にしただけだ。
好意的にではないにしろ、感謝されるのはどことなくむず痒さがある。
ふと気づけば、灯は見慣れたポニーテール姿になっており、こちらに視線を向けていた。
「ご飯の準備をしますので、黒井さんはくつろぐなりなんなりしていてください」
「わかった、そうするよ。ありがとう」
灯の発言は、こちらが料理をまともにできないのを見抜いての事だろう。
清はおとなしく近くの椅子に腰を掛けた。
灯が何を作るのかわからない以上、料理をできない人間が手伝うことはない、という合理的な判断の上で灯の手際を清は観察することにした。
やはりというか、料理を作り始めた灯からは無駄のない動きを見て取れる。自分自身にない、料理の才能というものだろうか。
灯は見ていたことに気づいたのか、こちらをチラッと見てくる。また、こちらを見てくる表情はどこか懐かしさを感じるところがあった。
「……あなたはやはり覚えていないのでしょうか?」
どこか寂しげな灯から不意に聞かれた清は、言葉の意味を理解できなかった。
前にも覚えていないのか聞かれたが、どうしても思い出すことが出来ない。というよりも、灯との関係性がわからないが正しいだろう。
こちらからしてみれば、灯とは昨日から関わり始めたようなものだ。
「過去の記憶を無くしているからわからないんだ。すまん」
灯の気持ちを傷つけないように言えるのは、過去の記憶開示をする、という結論だけだ。
嘘をつくのが苦手な清からしてみれば、これが一番最適解で、灯が模索できないようにする答えにもなる。
「そうなのですね。……私の方こそごめんなさい、覚えていないのならそれでいいのです」
「教えてはくれないのか?」
「いずれその時が来るまではこのままでいいのです。このままで」
灯はそういうと、黙々と料理作りを再開していた。
こちらが先に模索を避けさせたのもあり、これ以上深く聞くのは野暮というものだろう。
清は先ほどの言葉を思い返しつつも、食器の準備くらいはとその場を立ち上がる。
少し経つと、テーブルの上にはご飯とみそ汁、野菜炒め、卵焼きが並べられた。また、少ない食材からでも栄養が偏らないように考慮しているのは、灯の小さな気遣いだろう。
準備が終わり、お互いに相向かいで席に着いた。
「……すごいおいしそうだ」
「ありがとうございます。冷めないうちに食べましょうか」
食材へと感謝をし、清は味噌汁を手に取って啜る。
その瞬間、ふんわりとくる味噌の風味に上品な美味しさは、心の芯から温かくしてくる。
「すごくおいしい」
「そうですか。ありがとうございます」
口に合うか心配していたのか、軽く息をこぼした灯の表情はどこか和らいだように見える。
清は次に、卵焼きへと手を付けた。
卵焼きを口に入れた時、卵本来の甘みと、控えめにされた味付けは清の好みそのものだった。それは、口の中で手と手を取り合う世界そのもの、と感じ取れる幸せとすらいえる。
灯の作った料理のどれもが好みの味で、感情が貧しい清から自然と笑顔が溢れていた。
「……食べている時、幸せそうなあなたは変わっていなくてよかった」
小さく呟くように言った灯の言葉を、清はしっかりと聞き取ることが出来なかった。
食事を終えた後、清は後片づけを率先していた。灯に料理を作ってもらい、後片付けも全てされるのは、男としてどうかと感じたからだ。
当の本人である灯は、清の隣で食器を綺麗に拭いている。灯曰く、何もしないのは嫌ですから、ということらしい。
「……星名さんが嫌でなければ、この家に住んでもいいからな。俺だけだとこの広さは持て余して、寂しいから」
「……ありがとうございます。可愛い一面をサラッというのは黒井さんらしいですね」
ふと気づけば、灯は微笑ましいような目でこちらを見てきていた。
清は気恥ずかしくなり、灯から目を逸らす。
食器を洗い終わり、お互いに近くの椅子へと腰を掛けた。
軽く距離があっても同じ空間にいる存在に、清は内心嬉しさを感じる。
その時、灯がマグカップに入れた紅茶を静かに差し出してきた。
灯を見れば、温かくて落ちつきますよ、と言葉を添えてくる。
灯に感謝しつつ受け取り、清は紅茶を啜ってから軽く一息ついた。
「星名さんは俺と一緒にいるのは嫌じゃないのか?」
「嫌だったらこの場にいませんよ?」
あっさりとした灯の答えは的を射抜いている。
お互いの距離感はどこか不思議な感じではあるが、拒む理由がどこにもないのは安心出来るものだろう。
「あの、もしよければ今後も食事を私に作らせてください。ただ住まわせてもらうのは嫌なので」
「わかった、ありがとう。これからよろしくな」
灯は小さく笑みをつくり、静かにうなずいた。
これから一つ屋根の下で暮らすことになった仲間に、清は心の中で感謝をした。それは、孤独だった自分への別れも意味している。
清はふと思い出し、普段使わない魔法を使ってある物を創り出す。
「これ、合鍵。渡しておくから自由に出入りしてくれ」
清はそっけないような仕草で灯に鍵を渡した。それでも、灯からは嬉しそうな笑みがこぼれている。
「……ありがとうございます、無くさないよう大事にします」
いつもなら嬉しくないと思える感謝の言葉、この時の清は温かく嬉しいと思えた。
それからしばらく経ち、お互いの住みやすい条件を話した後、その場は解散となった。
お風呂から上がり自室へと戻った清は、ベッドに身を預けている。
食事もそうだが、日常生活に加わることになった灯という魔法のような存在について、清はゆっくりと考えていた。
「君と過ごすことになった、この日の瞬間は記憶として忘れたくないな」
清は過去を忘れているからこそ、深い覚悟とすらいえる。
小さく呟いた瞬間、睡魔という悪魔が眠気を誘ってきていた。この一日で起きた多大な出来事に、体が疲れていたのだろう。
静かに目をつむると、カーテンの隙間から差し込んだ月明かりにいざなわれるよう、意識は眠りへと沈み込んだ。
ドアの外から小さく響いた足音に、清は気づくこともなかった。