二百七:始まる、パワハラ上等のホワイト職場
その日の放課後、清は真奈のお店に来ていた。
清は早々にサイン書を渡したため、間違いが無いか真奈は確認している。
今日の真奈の服装もあってか、どこか雰囲気が違うように清は感じた。それは、昨日の穏やかな服装とは違い、青灰色のつなぎを作業着として着ているからだろう。
(……常和は何ですぐに出て行ったんだ?)
一緒に来た常和に関しては、逃げるようにお店を後にしたため、行方が分からなくなっている。
真奈曰く、素材を集めたら戻ってくる、と言っていたので心配はないだろう。
気づけば、真奈はサイン書に目を通し終わったのか、こちらを真剣に見てきていた。
真奈と二人だけの空間になると思っておらず、清は僅かな気後れをしていたものの、真奈の目を真剣に見る。
そんな清の意思を汲み取ってか、真奈はそっと口角を上げた。
「まこちゃん、記載で抜けているところは無かったから、今日からこのお店の手伝いを正式に出来るわよ」
「あ、ありがとうございます!」
「私は何もしていないわ。まこちゃんの頑張りがあってのものよ」
見ていたサイン書をテーブルに置いている真奈に、清は思わず息を吐き出していた。
不備が無い確認はしていたものの、指摘されたらどうしよう、といった不安があったからだろう。
安心したのも束の間、真奈はつなぎのチャックをしっかりと締めていた。
「それじゃあ、面接は昨日やったから、今日から仕事を見て学んでもらいましょうかね」
「……え、面接はやってないはずじゃ?」
「まこちゃん、面接の形なんて、人が人を見分ける目があるかないかに過ぎないわ」
これを正論と思って納得した方がよいのだろう。また、真奈の面接の形を理解していない以上、深入り出来ないのだから。
ふと気づけば、真奈は壁際にある作業台の方に移動して手招きをしていた。
後を追うように作業台の方へ移動すれば、台の上には綺麗な素材が置かれている。
「昨日ときちゃんが持ってきた素材よ」
(……あれ、真奈さんの声が変わった?)
先ほどまでの穏やかな声は上の空の様に、渋みがあるようで険しいような声色が頭角を現してきているようだ。
車に乗ったら人格が変わる人、好きな人には人格が変わる人が居るように、真奈もきっとそのうちの一人なのだろう。
清が考察していれば、真奈は気にした様子を見せずに素材の説明をしていた。
常和が持ってきていた素材は、魔法の庭に生えている草花や、湖の水が入っている小瓶だ。
真奈はこれを見ただけでも形を理解しているらしく、うんうん、と嬉しそうにうなずいている。
うなずいていたのも束の間、真剣な視線が清に刺さっていた。
「何ぼさっと見てんだい。この素材を鍋に早く運ぶんだよ」
「……何も言われていなかったのですが」
「あの子が逃げた理由を言ってなかったね。ここではパワハラ上等だからだよ」
と言われて、清は思わず息を呑んだ。
(てか、常和は本当に逃げたのか)
心寧が言っていた『生還してね』というのは、真奈の人格を知っていた上での発言だったのだろう。
これくらいで折れている時間は残されていないため、清はそそくさと素材を集めて持ち上げた。
小さな吐息一粒すら見逃さないような真奈の仕事姿勢は、灯に最高の指輪を送りたいと思っている清からしてみれば願ってもないことだ。
あたふたして素材を運ぶのが遅れそうになったが、真奈はそれくらいなら見逃してくれた。だが、次は無いらしい。
「集めた素材はここに入れるんだよ」
清が中央に置かれた大きな黒い鍋に指定された素材をトレイで持っていけば、真奈は次々と鍋の中に素材を放り込んでいく。
鍋に入れられた素材は水に包み込まれるような音を立て、次々に姿を消していった。
清的には、大きな黒い鍋の説明をしてほしいと思っている。
黒い鍋は御伽話で出てくるような魔女の鍋と似た形をしており、下には魔法の木が数本くべられていた。
よくある鍋と違う所と言えば、鍋の側面に排出口みたいなでっぱりがあるくらいだろう。
真奈が素材を入れている際、鍋を観察している清の姿を真奈は静かに見ていた。
素材が全て水に浸かった後、真奈はどこからともなく木製の長いスプーンを取り出していた。
黒い鍋が目線より少し高いのもあり、人並み以上に長いスプーンで無いと鍋を混ぜられないのだろう。
清は真奈よりも身長が低く、その真奈よりも長いスプーンが真奈の横に並んでいても違和感が無いのは、真奈の仕事姿勢ありきと言える。
「……これで混ぜるんだよ」
真奈は木製スツールの上に立ち、鍋の中を長いスプーンで混ぜ始めていた。
くべられた木から炎が弾ける音を立て、かき混ぜられている水は静かに音を鳴らし始めていた。ゆっくりで力強い、心地よい音色を同じ感覚で刻んでいる。
今回が研修なのを考えれば、真奈は最初に工程を見てもらい、本番という名の練習から説明をするタイプなのだろう。
行動でてきぱきと示してくる真奈に、清は気づけば輝きの視線を向けていた。
仕事姿の真奈は、毛嫌いする人もいるような雰囲気を醸し出しているが、清からすれば離れる気や折れる気の問題にすら入らない。
常和から、真奈は古くからの伝統工芸家だと聞いていたのもあり、夢を叶えられるという安心感があるからだろう。
「見ているだけじゃ暇かい」
気づけば、真奈は混ぜる手を止めずにこちらを見てきていた。
「いえ、暇じゃないです」
「暇かい、じゃあ話そうかね」
(……俺が間違っているのか?)
話が見事にかみ合わないことに、清は疑問を覚えそうだった。だが、自分が鈍感だからか、という考えで納得がいっている。
「そうだね……なんでこの世界が税率百パーセントなのか知ってるかい?」
「……知らない、です」
「もしかしてあんた、外、現実世界から来た子かい?」
うなずけば、やはりそうかい、といったように真奈は鍋を見ていた。
鍋を混ぜる手を止めずに、真奈は険しいながらの語り口調で言葉を口にした。
「この世界だとね、芸術や創作物に置いては、魔法よりも技が重宝されるんだよ」
「そうなんですか?」
「知らないのも無理ないね。魔法だけは形を保つのがやっとで、魔法を使った本人が亡くなれば魔力は粒となって消えるんだよ」
清は、思わず息を呑んだ。
真奈曰く、さも当然のように使っていた食器やテーブルなどは、魔法だけで形が保たれているわけではなかったらしい。
魔法を利用しない技を利用しているからこそ、当の本人が亡くなっても後世に残っているとの事だ。
「だからね、その税率のお金はね……魔法では残せない技を引き継がせるのに使い、住人の手が届きやすいように使われているんだよ」
「あれ? それだと、買えば買うほど買い手が有利になるんじゃ?」
「馬鹿言ってんじゃないよ。こういう引き継げる人が居なきゃね、今ごろ町はとっくの昔に消えているんだよ」
寂しそうな表情は一転し、どこか輝いたような表情を真奈はしていた。
買い手目線で考えるというのは、魔法世界だと間違いではないが間違いなのだろう。
明確に見えていた答えではあるが、清自身も自分の家を魔法で創っており、管理者は愚か、町で家を創っていた職人の技を見て盗んだのだから。
魔法だけで創っていたとなれば、自身の魔力が無くなった時点で、家は何度も姿かたちを消していただろう。
改めて思うと、魔法だけの性質ではない、形ある創成をしていなければ不味かったと言える。
ふと気づけば、真奈は全ての素材を溶かし終えたらしく、でっぱりから木製バケツに液体を移していた。
(そのためのものだったのか)
ここからの真奈の行動はてきぱきとしており、移し替えたかと思いきや、すぐさま作業台に移動したのだ。
この間、一分にも満たない早業と言える。
清が近づく頃には、真奈はとっくに作業台の上にあったトレイに液体を広げていた。
「ここからが重要だよ」
「わかりました」
「……良い顔つきじゃない」
液体は魔力で溶けているらしく、主に魔法が関与していないと見て取れる。というよりも、真奈が魔法を使う瞬間をこの目で確認していない。
魔法を使ったのなら、魔法分析が反応しているはずだ。
真奈から説明をされれば、この疑問が全て解けると信じて、清は真剣に仕事の光景を目に焼きつけた。
(……これが、仕事にかける真奈さんの情熱)
真奈も清が真剣に見ていると理解してか、何も言わずに小道具を手に取っていた。
素材の形が残っていない液体は、どのような原理なのかは不明だが、真奈の手により徐々に固形物質へと光を生み出して形を変えていく。
息を呑む時間すらも勿体ないと思うほど、清は見入っていた。
数十分後、光は静かに収まり、真奈は固形となった液体の形を整えている。
創り終わったのか、真奈がそっと手を離せば、そこには見覚えのある特徴的なビーズの髪飾りが生み出されていた。
真奈はこちらに振り向き、険しい顔つきで見てきている。
「今回は簡単なのを創ったけど、指輪となればこうもいかないからね」
険しい声色であるものの、清からすれば鼓舞されているようなものだ。
それは、真奈に教えてもらっているからこそ、自分の理想に近づけると思えたからだろう。
「はい」
「ふん、返事だけは一丁前だね」
真奈が鼻で笑ってきているため、清は肩を落としてしまった。
真奈から見れば、清は生まれたばかりのひよこだろう。しかし、やる前から折れるような志で灯に指輪を送ろうと思っていない。
声色に気圧されているが、清の中では火が灯っているままだ。
「……えっ」
気づけば、真奈はそっと頭を撫でてきていた。
灯やツクヨとは違う、何処か温かく、強さのあるような手で。
「あんたなら、彼女ちゃんの気に入るものを創れるさ。心配はいらないよ、十二月中には創れるように専属であたしが見てやるんだから」
「真奈さん、ありがとうございます」
「出来てもないのに感謝してんじゃないよ。大変なのはこっからだよ」
はい、と返事をすれば、真奈はべしべしと背を叩いてくる。
たくさんの人から支えられているこの感情を実現する為にも、清は更なる一歩を歩める気がした。
励ましの言葉というのは、とても温かいものだろう。
清が自分の手を見て握り締めれば、見ていた真奈は口角をあげていた。
改めて決心を固めていた時、静かにドアが開いた。
「……げ、なんでまだその状態なんだよ」
常和は素材を集め終えたらしく、手に紙袋を抱えて戻ってきたのだ。
ただし、真奈の状態が戻っている想定だったのか、常和は一歩足を引いている。
苦笑気味の常和に、真奈はこれでもかと距離を詰めていた。
「あんた、何お友達を置いて逃げてんだい? こんなにも真面目な子を一人にするなんてね」
「……清、助けてくれないか?」
助けを求められたとしても、流石に首を横に振るしかないだろう。
清が首を横に振ったのもあり、常和は希望を失ったように血の気が引いた表情をしている。
清は、常和が真奈に説教される姿を静かに見るのだった。




