第二十話:君はズルいよ
吹く風は、冷たく肌を撫で、二人の間を通りぬけている。
数分経ち、灯は静かに呼吸をして話を始めた。
「清君……聞いてくれますか」
「灯の話なら何でも聞いてやる」
消えるのかと思えるほど暗く冷えた声は、今までの灯からは想像できない。
隣で受け止めて、背負う覚悟はできている。後は、灯次第だ。
「ありがとうございます。話しますね……清君との本当の出会い、いえ、過去の関係と起きた出来事を」
「……やっぱり、過去でも一緒だったんだな」
灯は小さくうなずき、髪を縛っていたヘアゴムを外し、風に水色の髪をなびかせた。それは、過去の記憶が開示されることを意味しているようだ。
ここまで来たのだ。もう、何を言われても怖くないし、逃げない。
灯が小さく呼吸をした後、口を小さく開き始めたのが見えた。
「私と清君は、現実世界で幼いころから、一緒に遊んで、夜には星を見るほど仲が良かったのです。幼い日に見た、あの星を見るまでは」
「……幼い日の星って」
「星の魔石が近くに降ってきて、手に入れてから……私たちの日常は変わっていってしまった」
星の魔石を手にしたのを思い出してはいるが、そこから先の事は何も知らない。それと、幼いころから一緒だったのには驚きだ。
幼いころの記憶すらないのは、魔法が関係していたからなのだろうか。
疑問はいくつもあるが、今は灯の話に集中した。
「同じ学校に通って、家も近くに住んでいて、会わない日が無いほどだったのです。でも、魔法の存在に気づいてしまった。本当の意味で世間が変わったと言えます」
灯は前々から、魔法を嫌がるそぶりを見せていたので、どことなく納得がいく。
「中学生の頃に、私たちは魔法に気づき、詳しく知ろうとしました。魔法を使うのは簡単にできたけれども、上手く力を制御できなかったのです」
「制御できなかったって……」
「魔法の力を制御できないなら、魔法なんか使わなければいい。だから、私は清君と約束したのです。魔法を使わないって」
灯とは今までも魔法を極力使わない約束をしてきた。だが、約束の裏には重い決意があるとは知らなかった。いや、忘れていたが正しいのだろう。
ましてや、魔法の存在は現実世界だと、よっぽどの事が無い限り知るなんて不可能だ。
現実世界で魔法を知っていたなんて、事情を何も知らない清が知れば困惑したし、下手したら灯を嫌いになっていたかもしれない。
灯は全ての事情を考慮して、お互いの過去を黙っていてくれたのだろう。
今の精密に調整された灯の合成魔法は、制御できない魔法を並みならぬ努力をして得た結果である、と理解した。
「私たちは魔法の存在を隠し、普通の日常を過ごしていました。あの事件が起きるまでは……」
喋っている灯の表情には、さらに、暗い影が迫っているように見えた。
このままだと、闇に飲まれて消えていくのか、と心配になる。
「中学三年のころ、クラスメイトの数人に清君は呼び出されました。星の魔石を持っている事が、ばれてしまったのです。もちろん、聞きつけた私もすぐに向かいました」
「……数人に呼び出され、灯も向かったって」
「はい。清君も察したと思いますが、前に思い出した記憶そのままの事件が起きました」
薄々感づいてはいたが、図書室で思い出した事件を指しているのは間違いなさそうだ。
あの事件が本当にあったのだと言うのなら、今ここに自分が居るのにも納得がいく。
最初のころ、力で物事を解決しようとした時に、全力で止めていたのは、同じ過ちを繰り返させない為だったのだろう。
「細かい事情は省きますが、私はその後から清君に……会えなくなりました。そして、清君にまた会うため調べていくうちに、恐ろしい事実を目の当たりにしたのです……記憶障害」
なぜ会えなくなったのか、と思い聞きたかったが、今の灯は話そうとはしないだろう。
考えたくもない答えとして、知らないが正しいのだろうか。それは、灯の見ていないとこで行われ、灯の知らない自分だけの知る記憶なのでは、と思われる。
知っていれば、嘘偽りなく素直に答えているはずだ。この期に及んで、灯が濁すような真似はしない。
だがしかし、これらよりも一番驚くのは、記憶障害だ。記憶障害が起こったのが、どこで、どのタイミングなのかはわからない。
わかるとすれば、魔法世界へ来る前には発症しており、世界に入る前に記憶障害で消えた記憶を消された、と推測できる。
それよりも不可解なことがあるとすれば、今までの話の中で、灯は灯自身の事を一切話していないのだ。
灯が避けている、というよりも、過去の関係を知ってもらうのを優先したせいだろう。
今は無理でも、灯自身についても知る必要がありそうだ。
「これが私の知っている、清君との過去の記憶です」
清との、と言っているあたり間違いはなさそうだ。
話終わった灯の表情は、とても悲しそうで、今にも泣きそうなほど辛いように見えた。
「清君を過去の事で悲しませないように隠していたけど、馬鹿らしいですよね」
「いや、そんなこと――」
「だって! 実際は私自身が傷つきたくない……そんなエゴで隠していたのですから」
――強く言い放たれた言葉で、灯がなぜ一人で努力をし、ずっと一緒に居て助けてくれたのかを、理解できた気がした。
本当は一人が嫌で、寂しがりや、ましてや他人に甘える方法を知らない。そんな中、ずっと隣に居てくれたのだ。
甘えてきた時もあったが本心からの、救ってほしい、という意味だったのかもしれない。
素直に話せば嫌われる。だからと言って、話さなすぎても嫌われる、という不安定が混ざってしまったのだろう。
灯をここまで追いつめてしまっていたのは……清の忘れた記憶。つまり、清にも原因はあるのだ。たとえ、灯が思っていなくとも、少なからずあることに変わりはない。
(早く気持ちに気づいてあげれば、こんなことにはならなかった……)
なんで今まで理解できなかった、と内心泣きそうな程に悲鳴をあげたかった。だが、今一番つらいのは、灯だ。
――気づけば、灯に手を伸ばし、手繰り寄せ、抱きしめていた。
灯を抱きしめたまま、ゆっくり優しく、声をかけた。
「灯、ありがとう。ずっと守ってくれて、ありがとう。だけど、もういいんだ。灯と居られる今が一番幸せだから」
「なんで……なんで、そんな事を軽々しく言えるのですか。今の清君は私の事を何も知らないのに……」
「軽くなんかない。それに、知らないよ。だけど、たとえ記憶を思い出しても、俺は今の俺のまま変わらない」
そうだ、記憶を思い出しても、変わる必要は無い。
記憶を取り戻しても、今の自分を好きだと言ってくれる人がここに居るから。
「俺が変わらなくても、灯は隣に居てくれるんだろ」
「……当たり前ですよ。そうじゃなきゃ、私の今までは全て無意味に――」
「無意味になんかさせない。だからさ、もう、一人で無理するなよ。泣いて楽になれるなら、無理してないで泣いてくれ」
灯が泣くほど悲しくなる事実は、できれば二度と起こしたくなかった。
けれども、ずっと見て見ぬフリをして、灯が壊れていくのだけは見たくない。
隣に居る灯がずっと笑顔であってほしい、悲しい悲劇が起こらないでほしい。それが、ただのエゴでもいい。
今だけは、灯に泣いてもらいたい。今の自分を見てもらうためにも。
過去の戒めから救われて、普通に笑っている灯を見ていたいから。
一人で抱え込んでいるのなら、一緒に背負わせてほしい。一人で無理しているのなら、頼ってほしい。そんな思いが、次から次へと溢れてくる。
たとえ、どれだけ人としての感性がずれていてもいい。彼女――灯を救えるのなら。
「一人で無理していた、ズルい君を……俺に救わせてくれ」
「清君……なら、少しだけ頼らせてください」
何も言わずに、ただ静かにうなずいた。
灯に掴まれた服は強く握られ、清の胸に顔を押し付けてきた。
少しすると、小さく嗚咽が聞こえ始めた。
ずっと無理していたのだろう。前に泣いたのは演技だったのか、と思えるほどに、今は優しくも重かった。
泣いている姿を魔法で隠すなんて真似はしなかった。魔法という、都合のいい言葉は飾りに過ぎないのだから。
だけども、羽織っていたパーカーで、静かに灯を覆い隠した。これが、清に今できる最善で精一杯の気遣いだ。
灯は数分くらいで泣き止んだ。本当なら、疲れて眠るくらい泣いていてほしかった。
自己防衛本能である脳の機能が、それを許さなかったのなら仕方ないだろう。
清の胸元で黙ったままの灯は、静かに服から手を離し、灯を抱きしめていた腕に触れ、優しく手を握ってきた。
とても温かく優しい。
――次の瞬間、繋いだ手から光が溢れだし、手の平よりも小さい扇状のカケラが現れた。
透き通る黄色で、希望を示しているかのようだ。
「……記憶のカケラ」
顔をあげた灯が小さく呟いた。どうやら、これが記憶のカケラのようだ。
導かれるままに、手を伸ばした。カケラに触れた瞬間、光の粒になり、清の手に溶け込んでいった。
全ての光が溶けて落ち着くと、今まで忘れていた記憶が脳を駆け回った。
灯に話された過去がそのままに、清の脳に戻ってきたのだ。それも、嘘偽りのない、真実の記憶だと断言できるほどだ。
(でも……全ての記憶を取り戻せていない?)
明らかに足りていない、と一人で疑問に思っていたら、心配そうに見ていた灯の視線に気づいた。
記憶のカケラだとはわかっていたみたいだが、得体の知れないものに触れば心配になるだろう。
「灯の言っていた事を全て思い出しただけだ。心配するな」
「わかりました。今はそうしておきます」
何か言いたかっただろうが、今は灯との縮まった距離を大事にしたかった。
「清君、あと少しで夜になりそうですし……一緒に星を見ませんか?」
「ああ、そうするか」
承諾すれば、泣いていた灯の顔を覆っていた雲は消え、切なくも優しい本来の笑顔を見せてくれた。今ならわかる、最高の笑顔だ。
星を見たい、と灯から言われたなら断る理由なんてない。
過去も、今も、未来も、君の隣で星を見ていたいのだから。
「……星、とても綺麗ですね」
夜になり、黒い空に輝く星が広がっていた。
星に手を伸ばせば届きそうなのに、届くこともなくただ遠い。
「あの、清君」
「どうした?」
「私はこれから、どうしたらいいのでしょうか……」
小さく呟かれた言葉からは、魂が抜けた人形のように感じた。
「もう、清君を救うために振舞っていた私は必要ないのですから。それに、人間関係をおろそかにした私を、誰も必要にしませんよね」
これが、何も偽らないでいる灯の本音なのだろうか。
言葉から無数に生えた棘は、誰も近寄らせようとしない、一人で消えてしまいそうに思えた。
他人に甘え、頼るのを知らない、教えてくれる人がいなかったのだろう。
救いたい、と思いながら、人差し指で灯の額を優しく弾いた。
灯は驚いたようで、恥ずかしがるように額に手を当てていた。
「暗く考えすぎだ。俺が一番、灯を必要にしているだろ」
「え、清君……」
「あ、ほら、常和と心寧だってさ! 灯と本気で仲良くしたいと思っているんだ!」
告白まがいの発言をしてしまい、動揺から慌ててしまったが、必要としているのは本当だ。
今も昔も、ずっと灯と一緒に居たのだ。記憶を忘れていたのにも関わらず、隣に居て、支え続けてくれた灯が必要ないのはありえない。
今度は清が支えて、頼られる立場になるのだから。恩を仇で返すなんて、無下な真似はしない。
「それにさ、灯の事は誰よりも、俺が大切に思っているから」
……また、灯は静かに涙を流し始めた。
「清君、一つだけお願いを聞いてください」
「なんだ」
「ずっと隣に居て、離れないで、私の希望になってください」
「生きている限りは、隣に居るし、離れないでやる。一人でも欠けていい存在なんて、居ないんだからさ」
灯は小さくうなずき、優しく抱きついてきた。今だけは甘えたいのだろう。
包み込むように、腕を灯の身体の後ろに回し、離さないように、強く優しく抱きしめた。
温かく優しい灯の体温は、清の腕の中に収まり、ずっとこうしていたいと思えるほどだ。
灯と清の関係はあくまで、幼馴染であり、一緒に居たいだけの関係だ。逆に言えば、それ以上は望みすぎ、と清は思っている。
……月明かりの差し込む星空に照らされながら、二人は手を繋ぎ、星を見ていた。
清はこの世界の嫌いだった星空を、この瞬間は好きになれた気がした。
空を見上げている灯の方を見て、聞こえないように、小さく言葉をこぼした。
「本当に、君はズルいよ」
聞こえていたのか、とても優しい笑顔を返された。
「そろそろ帰りましょうか」
うなずきながら「そうだな」と言いつつ、灯の手を握り、月明かりの帰り道を辿った。
数ある小説の中から、私の小説をお読みいただきありがとうございます。
これにて、第一章の『清と灯の過去の関係』は終わりです。※第一章はまだ続きます
たとえ記憶を忘れていても、そばに居てあげることには変わりないのです。
言い忘れていましたが、オマケを後ほど投稿させていただきたく思っております。
次回からは第一章の第二部に突入です!応援していただけたらなと思っております!
最後になりますが、二十話は第一部の集大成なので、感想等を頂けたら嬉しいです。
二十話をお読みいただきありがとうございました!