百六十九:魔法世界に存在する自然の美しさ
次の日、清は太陽が昇っていない薄暗い早朝から、ランニングをするため家の外に出ていた。
常和に作ってもらっていた練習メニューは、灯の許可が下りた次の日からやる事になったため、指定された時間に外に出ている形だ。
常和曰く、学校が始まっても負荷無く継続して続けられる予定で組んだ、とのことなので清は感謝しかなかった。
怪我をしないよう柔軟にストレッチをし、走り出そうとした時だった。
「清、おはよう!」
「常和、おはよう」
声がした方向を振り向けば常和が来ており、朝の挨拶を軽く交わす。
常和も清と同じくトレーニングウェアの上にジャージを着ているらしく、早朝前からランニングしていたのだろうか。
清は、トレーニングウェアを昨日買ったばかりで着られている感がある。だが、常和はクールに着こなしているため、目標という見習うべき終着点とも言えるだろう。
「一緒に走ろうぜ! 一人よりも楽しくやろうぜ」
「……ありがとう。練習メニューにしろ、何から何まですまないな」
「はは、いいってことよ! とりま、俺についてきてルートを覚えろよー」
常和を先頭にし、最初はゆっくりと走り始める。
一定のペースで走っているのもあってか、二つの足音は街中に音を響かせ、河川敷の方角へと進んでいく。
常和のペースは乱れることなく一定の為、普段から体を鍛えるのに慣れているのだろうか。
清自身、紡との勝負に勝利をする為に鍛え始めたのもある。だが、心の奥底では灯の隣で男らしく立っていたい、という小さな欲望ありきだ。
灯を守りたい……そんな小さな願いが、清の今を生み出す動力源でもあるのだから。
常和の後をついて走っている最中、清は息をどうにか整えつつ、ふと思った疑問を口にする。
「あのさ、常和。どうしてこのルートで走っているんだ?」
清が疑問を浮かべていれば、常和は足音を響かせながら背で語る。
「それはだな、走りながら日々に隠れた自然を清に感じてもらうためだ」
「てことは、九月二日まで全部ランニングにされているのも同じ理由か?」
「いや、違うぞ? 清は脚力から生み出される体力の安定が無いのと、命の魔法は近接が主だからだな」
常和の説明は的を射るため、清は静かに納得しておく。
清は出来る限り一定のペースで腕を振り、足を上げ、常和の後に続いた。
常和は清の頑張りに鼓舞されてか、少しだけペースを上げていく。
(……負けてられないな)
足音だけが街中をこだまし続けていれば、河川敷の丘上の道へと出る。
早朝なのもあってか、河川敷に人影は見当たらず、木々や川が世界の音色を響かせていた。
清はふと、常和が言っていた『自然を感じる』という言葉を自ずと理解できた気がした。
普段から自然に耳を傾けている清であっても、全身で感じることはなかったのだから。しかし、今は運動をしていることにより、全神経が集中しているおかげで感じているのだろう。
そんなことを思っていれば、輝かしい光の線が視界に差し込み始めていた。
ふと常和より前に視線を向ければ、河川敷の間にかかった橋から現れるように、太陽がゆっくりと昇り始めているようだ。
昇り始めた太陽は、夜が明ける暗い世界に光を差し、世界の美しさを改めて証明してきている。闇の中や、普段見る光の中では見えない、陰と陽が混ざりし花咲く世界を。
「……きれいだな」
清は走りながら、思わず言葉をこぼしていた。
常和はそんな清を微笑ましく思ったのか、小さく笑いをこぼしている。
「魔力を今よりも扱えるようになれば、清の今見ている世界は更に輝きの向こう側を届けにくるからな」
「輝きの更なる向こう側……常和、そこを目指して頑張るよ! 助けられてばかりじゃない、助けるために!」
「清、その調子だ! まずは、俺のペースに置いて行かれるなよ?」
常和の言葉に鼓舞され、清は徐々にペースを上げていく。気づけば常和を追い抜くほどに。
走る音は今を踏みしめ、包み込む風が背を押してきているように清は感じていた。
「清、初手から無理しすぎるなよ?」
清は上げたペースを落とさず、出来る限り保ち続ける。
気づけば今より先にある世界、成長して灯の隣に立っている未来の自分が楽しみになっているのだから。
常和とのランニングを終え、清は家に戻ってきていた。
初手からペースを上げ過ぎたのが原因で、呼吸の仕方を忘れて帰ってきたのもあり、キッチンから出てきた灯に心配される形となったのだ。
灯から軽いお説教を受けた後、灯と一緒に朝食を食べている。
体は栄養を欲していたのか、灯の作る料理はいつも美味しいが、その数倍も美味しく感じさせてきているようだ。
食べるのに夢中になってしまい、ふと視線を灯に移せば、灯は箸を止めて楽しそうな笑みを宿してこちらを見てきていた。
「清くん、走ってみてどうでしたか?」
「今までなら感じていなかった朝の景色を見て、良かったなって」
「ふふ、青春していますね」
灯はそう言いつつ「私の朝はいつもそんな光景を見ているのですよ」と言っている辺り、普段早く起きてしまっているのだろう。
灯の心配をする気持ちがあっても、今の清に対処できるようなものでは無いため「無理はするなよ」とだけ返しておく。
寝たり起きたりする人間の生活サークルは他人ではどうしようもないため、それ以外で灯を労いたい、と清は心の内で思っている。
清は灯が安心して眠れる、そんな日常を過ごさせてあげたいのだから。
小さな悩みで表情に雲が掛かりそうになるのを防ぐため、清はふと思ったことを口にする。
「そういや、俺の為に朝ご飯の献立を変えてもらってすまないな」
灯は清が次の日から運動すると理解してか、朝食をちゃっかりと清の運動量に合わせ、適切な食材に変えたらしい。
清としては、灯にそこまで気を回してもらうつもりが無かったため、突っかかるような気持ちがあったのだ。
灯は清に笑みを向け、箸を進める手を止め、柔らかな口調で言葉を口にする。
「清くんが美味しそうに食べる笑みを見られるのなら、作り手としては嬉しいですし、感無量ですよ」
「……そうか、ありがとう。今日の朝ごはんも美味しいよ」
「ふふ、見ていればわかりますよ」
灯が小さく微笑みながら言ってくるため、清は気恥ずかしさに押しつぶされそうだった。それは、運動後のこの時間に、愛しき微笑みを見たせいだろう。
清は灯から目を逸らし、ありがたく思いながらゆっくりと箸を進めていく。
灯はそんな清を、微笑ましそうに柔らかな表情で見ていた。
朝ご飯を食べ終え、清は食器洗いを手伝っていた。
灯に全てしてもらうのは流石に気が引けるため、清が率先して灯に申し出たのだ。前々から食器洗いや、軽い料理を灯監視のもとやったりしていたが、最近は灯から拒否されていた。
灯はそれでも頼み込む清に折れてか、食器を拭く係に回っている。
清としては、灯のきれいな手を大事にしたいため休んでいてもらいたいが、灯が折れなかったため受け入れている形だ。
「そう言えば清くん、今まで作ってきた私の料理で何が好きですか?」
「うーん……灯の料理なら何でも好きだけど?」
返答が不味かったのか、灯は頬を膨らませ、むすっとしたような表情でこちらを見てきている。
「強いて、言えば何が好きですか?」
「何で怒っているんだよ」
「……怒ってないです。で、何が好きですか?」
今にでも詰め寄ってきそうな灯に、清は苦笑するしかなかった。
視線を逸らそうにも灯の圧がひしひしとしているため、清は食器を洗う手を止め、悩んで見せる。
灯が怒る、ということは自分を捨てるような真似をしない限りはないだろうが、女の子を基本的に怒らせたくない清は考えるしか道が無かった。
「強いて言うなら、おにぎりを抜いたら、和食料理かな……灯がよく作ってくれて食べなれているのもあるけど、卵焼きとか魚の煮つけの味付けが俺は好きだし……」
清はそう言って、恐る恐る灯の方に目をやる。
灯は清の謎の恐怖心とは裏腹に、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
清は思わず息を吐きだし、灯の機嫌を損ねなかっただけ嬉しく思えてしまう。
「ふふ……良いことを聞きました」
小さく灯が呟いた時、清は食器洗いを再開していた為、ついぞ気づくことは無かった。




