百四十三:引き継がれゆく幸せ
「長旅で疲労が取れていないと思うのに、手伝わせちゃってごめんなさいね」
「いえ……少しくらい役に立ちたいですから、これくらいは平気ですよ」
窓から暖色の光が差し込む時、清は満星から夜ご飯の手伝いで呼ばれ、キッチンに立っていた。
満星は返答に安心したのか、笑みをこぼしながら「これもお願いね」とまな板に野菜を置いてきている。
清は料理が出来ない、という訳では無いが、満星の手伝いだけ、という形で野菜を切っている最中だ。
灯が夜ご飯は作る、と申し出ていたが、満星に疲労回復を推し進められて権利を取れなかったのだ。
そのため、料理の手伝いに呼ばれるのは予想しない出来事だった。
急な手伝いであっても、灯の手伝いを日頃からしていたのもあり、清は包丁の扱いを満星に褒められている。
大人から褒められる、という経験が清は少ないのもあってか、褒められる幸せが心の奥底から溢れてくるようだ。
清が丁寧に一つ一つの野菜を切っていれば、横で鍋の仕込みをしていた満星が口を開いた。
「ねえねえ、清くん? 魔法世界での灯との様子はどんな感じなの?」
「どんな感じ、と言われても……お昼に答えた通りとしか……」
「ふふ、清くんの口からちゃんと聞きたいのよ?」
「俺の、口からですか?」
鍋の味見をしていた満星は、清の問いににこやかな笑みでうなずいている。
清からしてみれば、灯と自分のどっちが答えようと意味は変わらない、と思っていた。
しかし今の清の目に映る満星の姿は、ちゃんと接してくれる大人のように見えている。
それは、一日にも満たない時間の中で、満星が本当の家族のように接してくれたからかもしれない。
カーテンの開いた窓から差し込む温かな光は、小皿を持つ満星の姿を優しく見せてくる。
「そうよ……私からしてみれば、灯と付き合っているのなら、清くんはもう家族同然みたいなものなのよ? だからね、娘の灯の様子を家族としての清くんから聞きたいの」
満星のその言葉は、清からしてみれば一番温かく、嬉しい言葉だった。
自分が家族の愛情を知らないからこそ、満星に気を使わせているのかもしれない。それでも、家族として迎え入れてもらっている、という面と向かっての言葉は心に染み行くものがあるだろう。
清に接しているのではなく、満星は家族として接してくれているのだから。
どんなに小さな事実でも、心温まる世界の意味合いに、希望という名の羽はあるだろう。
清は心の中で感謝し、笑みを携えながら、家族に言葉を出すための産声をあげた。
「灯は、手料理をいつも振舞ってくれて、魔法世界での生活で困ったことがあれば手を貸してくれる……俺には居なくちゃいけない存在です。でも……たまに驚く行動をされますが、それも灯らしいのかな、って思っています」
「驚く行動は気になるけど、二人が仲睦まじいようで何よりだわ」
「言葉には上手くできないですが、灯には数えきれないくらいの幸せをもらって、お世話になっています」
「清くん、いいのよそれで。生活の細かいことまで知っていたらどうしようか、ってお母さんなっちゃうわよ」
穏やかながらも、口角をあげて嬉しそうにする満星は、こちらから見た灯の様子が知れて嬉しかったのだろう。
話の流れから、下手すれば鎌をかけられていたかもしれないが、灯と一定の進み方をしているのが功を奏したと言える。
そっと心の中で安心していれば、満星は汁の入った小皿をこちらへと差し出してきていた。
清は思わず困惑して、満星の目を見る。
「心配しなくとも大丈夫よ? 口に合うか、家族の意見を聞きたいのよ」
「えっと……いただきます」
清は満星の手から小皿を受け取り、そのまま口へと運ぶ。
汁を口にすれば、それはいつも灯が作ってくれる味と似ており、慣れ親しんだような味ながらも不思議な温かさが存在している。
清は小皿を口からそっと離し、満星の目をしっかりと見た。
「灯がいつも作ってくれる味に似ていて、俺的には大丈夫です」
「月夜さんから私に、私から灯に引き継いでいる味だから、変化が無かったかしらね?」
「え、あ、いえ……その、温かいなって」
「ふふ、灯が清くんを好きになる理由、分かった気がするわ」
心を読まれたような発言に、思わず素直に返してしまったが、満星に対してはそれが逆効果だったのだろうか。
灯に余計な被害がいかなければいいな、と清は思ってしまう。
灯が自分を好きになった理由が理解できていなくとも、満星には分かるようなので、親子としての共通点があるといった所だろう。
清は、家族で受け継いできた味を振舞ってもらえていると知り、どうしても感謝を述べたいと思い始めていた。
「あの……」
「どうしたの?」
「幸せを分けてもらえて、俺は嬉しいです」
「清くんの事情を知っている月夜さんも、きっと同じことをするわよ。世界の垣根を越えて、灯に好かれる清くんが特別なの」
月夜……ツクヨとしての今を知っていそうな満星を、清は不思議に思えてしまう。
灯の前では月夜の名前を出さず、清の前では名前を隠さずに出しているのだから。
偶然が重なれば必然とも言うが、満星と月夜の関わりを深く知らない以上、口出しできないのもまた事実だ。
清がふと止まっていた手を動かそうとした時、階段の方から小さな足音が聞こえてくる。
そしてリビングに、透き通る水色の髪を揺らして少女が姿を見せる。
「お母さん、清見て、な、い……え?」
自分の所在を尋ねる為に下りてきた灯と目と目が合い、清は気まずい空気に息を呑んだ。
満星に手伝いで呼ばれた際、灯には内緒でね、という条件が加えられていたせいだろう。
灯を仲間外れにしたわけではなくとも、話の輪から外している状態だったのだから。
「灯、奪ったわけじゃないわよ、話していただけよ」
「……清くん、黙っていなくならないでください」
「ご、ごめん。俺は灯しか見てないから」
「……それなら良いです」
灯は焼きもちを焼いたように拗ねており、むっとした表情で清を見てきている。
灯は二人きりの時は甘えてくるが、満星が居ると甘えられないため、それが不服なのだろう。灯と一緒に居る時間が多くなってきてから、灯が甘えたい時、清はちょっとの仕草からでも理解できるようになったのだ。
「お母さん、私もてつだう……」
「ふふ、清くんと一緒に居たいなら、素直にそうと言ったらいいじゃない」
「……あの、清くん」
「灯、どうした?」
「今日は寝る前に、少しだけ頭を撫でてください」
「……それくらい構わない」
「仲睦まじいわね」
灯を手伝いに加えて、小さな約束を交えつつも、夜ご飯の準備は着々と進んでいくのだった。




