8:モニカの事情(4/4)<モニカ・フォン・ラインセル視点>
教会の鐘の音が聞こえてきます。今日は魔物のスタンピードで亡くなられた人の合同葬儀の日で、もう合同で行わなければならない程、沢山の人が亡くなられました。
その亡くなられた人の中には陣頭指揮にあたっていたランドルフ様も含まれており、その死に対して領民の悲しみは見ていられない程でした。
そもそもこのスタンピードはブルクハルト側が原因だそうで、ラインセルに断りを入れず試し掘りした坑道から魔物が溢れ、対応が後手に回った事で被害が拡大してしまったそうです。
そこまでやったのならブルクハルトも最後まで面倒をみればいいものを、「ラインセルは難治である」という判断のもとあっさりと引き上げていったようで、残ったのはスタンピードの被害で荒れ果てた鉱山と、死者の山。
領主の奥方であるわたくしに直接危害を加えようとしてくる人物はいなかったのですが、その怨嗟は深く、領民のわたくしを見る虚ろな目はまるで「疫病神」と責めているようで、顔を上げる事ができませんでした。
グラハム様は「ラインセルはこういう土地なので仕方がない」と慰めてくれたのですが、辺境伯を引き継いだグラハム様の忙しさは尋常ではなく、もともと少人数で回していた領地の経営がさらに難しくなったようです。
土地を管理する役人にも多数の死者が出ており、代替わりした領政はガタガタで、グラハム様達が直接現地を回り指示を出さなければいけない状態で、館でゆっくりと出来る日は少なく、こうなるともうまともに顔を合わせる機会すらなくなりました。
それは仕方がない事と諦めはつくのですが、すれ違いの日々を過ごしている内に、お互いもうどう接していいのかすらわからなくなっていきます。
グラハム様のいない館は針のむしろのようで、わたくしが「何とかしたい」「グラハム様の力になりたい」と思っていても、ラインセルの人達からすると「もう何もしないでくれ」と言いたいのでしょう、緩やかな拒絶にあうだけで、お互いの間に不信感だけが募っていきます。
そう思われても仕方がないのですが、荒れたラインセルを何とかしたいとわたくしはブルクハルトにも復興の手伝いをしてくれないかと手紙を出したりはしたのですが音沙汰がなく、時折長男からの代筆が届くだけです。
もうどうすればいいのかわからないような生活が2年、3年と続き、その間もグラハム様達は荒れた領地を何とかするために奮闘していました。
わたくしもとうとう20を越えるのですが、普通の貴族の価値観で考えるともうそろそろ子供を儲けないといけない時期になっているのですが、館に戻って来ても疲れ果てたように眠るグラハム様に無理を言う事は出来ません。
アイゼンブルグ王国の貴族は平均16の頃から結婚をして、それから寝室を共にするのですが……流石に出産に適した時期を考え、1年2年は様子を見てから20までに子供を産むというのが通例でした。
20を過ぎると周囲から「どうしたのだろう?」とか囁かれるようになり、「何か問題があるのでは?」と囁かれるようになるのですが、わたくしもとうとうその時期に差し掛かったという訳です。
あちこちから「御子はまだか?」とか「2人の仲はそれほど悪いのか?」と囁かれ始めていたのですが、グラハム様はそれでも頑なに寝室を共にしようとはせず、これでわたくしとグラハム様の間が不仲であるという事が決定づけられたようです。
「どちらかが不能なのではないか?」という貴族からすると最大級の侮蔑の言葉すら出てくる始末なのですが、何より私を苦しめたのが「グラハルト様には心に決めた人がいて、無理やり引き裂いたわたくしの事を嫌っているのではないか?」という噂話でした。
その話をしていた使用人は別に人に聞かせようと思ったという訳ではなく、ただ同僚と軽口という感じで、本当にたまたま聞いてしまったというだけで真偽すら不明の与太話なのですが……それが事実だとすればすべて腑に落ちる内容で、その言葉がどうしても頭の中に残り、わたくしの精神は徐々に蝕まれていきました。
ここまでくるとわたくしは時々体調を崩すようになり、寝込む事が多くなりました。
滋養を取ろうにも、豊かなブルクハルトとくらべるとラインセルの土地は痩せており、大半を森林地帯や山岳地帯が占めているので農耕地はあまりありません。
その希少な農地ですら今は荒れ果ててしまっている状況で、領民達はその辺りの雑草や木の根、外皮すら食べている有様では、わたくしだけがブルクハルトから滋養のある高価な食事を取り寄せて食べる訳にもいきません。
もうどうすればいいのかすらわからないまま月日だけが流れていき、とうとうわたくしが嫁いで来てから5~6年くらいたった頃、流石に「御子はまだか?」という声が大きくなっていき、グラハム様もその声を無視できなくなってきたようです。
ランドルフ様は魔物のスタンピードで亡くなられ、その奥方様はかなり早い時期に流行り病で亡くなられています。
唯一の嫡子であるグラハム様の御子が求められるのは当然の事で、逃げ回っていたグラハム様もとうとう観念したようで、覚悟を決めたようでした。
この頃になるとグラハム様のそのような態度を冷めた目で眺めていたのですが、わたくしにも一縷の望みがありました。
もうグラハム様がわたくしの事を嫌うのは仕方がないとしても、自分の御子なら愛してくれるのではないか?という愚かな考えです。
わたくしがグラハム様に愛されるのは諦めました。ただわたくし達の子を愛してくれて、そして少しでもわたくしの事を見てくれたらいいと願い、強く子供を望むようになっていました。
嫁いできて6年、この時が初夜というのは貴族としてはありえない事ではあったのですが、わたくしは希望と不安を胸にグラハム様と夜を共にして……話に聞いていた何倍もの苦痛を味わう事となりました。
勿論こういう事は初めてなのですが、まるでわたくしの腕をへし折ろうとしているように強く握られた場所が酷く腫れあがり、数か月は引かないというのは普通の事ではないようです。
「流石にこの仕打ちはあんまりです!奥様がどれほど耐え忍びラインセルの為を思っているのか、旦那様はわかっているのですか!!」
今まではわたくしの為に、ブルクハルトとラインセルの為にと両者の橋渡しをしようと息まいていたエレンも、グラハム様のこの夜の出来事での仕打ちは同じ女として許しがたかったようで、反ラインセル趣旨替えしたようです。こうなるともうわたくしにはどうしようもありません。
日に日に悪化していくラインセルでの暮らしにわたくしは体調を崩し、食事は受け付けず吐くようになり、体調不良がずっと続いているのでだんだんと怒りっぽくなっていきました。そしてとうとうお医者様に言われた言葉が……。
「妊娠していますな。ただ、母体の状態が状態なので、奥方様の命を考えると堕胎も視野に入れた方が良いかもしれません」
そんな一言でした。
この時のわたくしの困惑と喜びと気持ち悪さで眩暈がしたのですが、たった一回、そう、グラハム様がわたくしを抱いてくださったのは初夜の時の一回だけで、それだけで赤子が生まれる事に、まるで神の采配を感じるような出来事でした。
「産みます、絶対に産みます、何があっても」
たとえわたくしの命が亡くなったとしても、この子は産まねばなりません。もう脅迫概念ともいえる様なわたくしの強い願いが聞き入れられ、出産に備える事になり、わたくしはまた地獄を見る事となるのですが……それでも日に日に大きくなるお腹や、不安定になる精神や色々なモノがごちゃごちゃと混ぜ合わさったような日々が過ぎていきました。
奥方の妊娠。近年まれにみる吉事にラインセルにも少しだけ笑顔が戻り、今までは「ブルクハルトからやって来た厄介者」というわたくしの評価も「ラインセルの御子を産んだ女」くらいは持ち直してくれたようです。
いえ、そんな評価よりも、これでグラハム様はご自分の子を見てくださる、わたくしの事を見てくださるのではという最後の望みをかけて、わたくしは出産に挑みました。
そして難産の果てに我が子を出産し……生まれて来た赤子がグラハム様譲りの赤毛であった事に神に感謝し、安堵しました。
どうやらエレンは隠そうとしていたのですが「一度しか夜を共にしていないのに」とか「不貞の子ではないのか?」という事が噂されているのを王都からの友人の手紙でわたくしは知っていました。
そんな噂の中生まれて来た我が子はグラハム様の子であるという事を証明するラインセルの色を継いでくれており、本当に神様からのプレゼントなのではと天に感謝しました。これならグラハム様も自分の御子だと認めてくれる筈です。
女の子であった事に少しガッカリはしたのですが、もう我が子にしか縋れない愚かなわたくしは、これで少しだけでも、形だけでもグラハム様と家族になれるかもしれないと無邪気にはしゃぎ……我が子を抱き上げたグラハム様が、まるで得体の知れないモノを見るような目をして赤子を見ている事に気づき、もう何をしても無駄なのだと悟りました。
後々思い返すとよくこれだけ体力が落ちていたのに暴れられたものだと笑ってしまうのですが、そのあまりに淑女にふさわしくない振る舞いに、我に返ったわたくしは余計に落ち込みました。
「一度ブルクハルトに戻られてはどうでしょう?」
体調を崩し始めた辺りからそういう話は出ていたのですが、わたくしの思いを知っていたエレンは一度も実家に戻る事を提案しなかったのですが……産後の肥立ちも悪く、食事が喉を通らず日に日に痩せ細っていくわたくしに対し、とうとう本当に不味いと思ったのでしょう、エレンはそんな事を言ってきました。
そのエレンの提案になんて返したのかすら憶えていませんが、確かその時は「そうですわね」とか何とか、同意するような、引き延ばしをすような返事をしていたような気がします。
粛々と実家に戻る準備だけが進められていく中、たぶんもう色々と精神に限界がきていた私は、とうとう可笑しな事を考えてしまいました。
もしわたくしが実家に帰ると言えば、グラハム様は引き留めてくれるでしょうか?それも我が子を連れて帰ると言えば……?
もうそういう事でしかグラハム様の気持ちを確かめる術がないわたくしは、気が付けば我が子の部屋に押し入っていました。
バタバタと付きまとうエレン達が何か言っているのですが、それより今はグラハム様の御子です。
流石に我が子を連れ去られるかもしれないという事態に焦ったのでしょう、グラハム様が血相を変えた様子でやってきて……わたくしの考えが正しかった事を理解し、底知れない安堵を覚えました。
まだグラハム様はわたくし達の事を考えてくださっている。
まだわたくし達に興味を持ってくださっている。
「……体調がすぐれないので、実家に帰らせてもらおうと思います」
引き留めてください、そうしたらまだわたくしは頑張れます。
そう願いながら呟いた言葉なのですが、こんな頭のおかしくなった女などとうの昔にいらなかったのでしょう、グラハム様は何か言いかけたように口を開きかけ……ため息を吐きました。
それは長く長い、愚かな女に失望したような溜息でした。
「わかった、そうした方がいいと思う」
「勝手に好きな所に行け」そう言われたような気がして、わたくしの記憶はそこからありません。
※そして主人公の時代に戻ります。
※誤字報告ありがとうございます(4/23)修正しました。




