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7:モニカの事情(3/4)<モニカ・フォン・ラインセル視点>

 つい勢いでお父様に「グラハム様と結婚したい」と伝えてしまったのですが、正直に言いますと両親に対して自分の意志と言うのを見せたのがこの時が生まれて初めてで、貴族の婦女子としては結婚相手だろうと何だろうと、両親の言う事を粛々と聞いておくべきだという事はわかっていました。


 怒られるかもしれないとドキドキしたのですが、それでも反対されてはたまらないと、思いが通じるように巌のような難しいお顔で考え込まれているお父様を見つめていると……まるでお父様が根負けしたというように「そうか」とおっしゃいました。


「それもいいかもしれないな」

 何が良いのかその時はよく分かっていなかったのですが、そんな些細な言葉の意味より、お父様から了承の言葉が聞けた事に舞い上がってしまって、わたくしは深く考える事を放棄してしまいました。


 その時の話はそれで終わり、わたくしは盗賊が出たため帰国の遅れたお母様の代わりに式典に出席し……そこでわたくしの結婚が決まりました。


 ちょっと早すぎません?と思いはしたのですが、もともと今回のローザンデリア教国行がわたくしの結婚相手探しでしたので、ある程度準備(根回し)されていたのでしょう。

 少なからずこの時はそれくらいの気持ちで受け取っていて、色々な方から「思い切った事をするものだ」とか「流石ブルクハルト卿は手が早い」とか囁かれている事には気付いていたのですが、それより多くの「おめでとう」の言葉に埋もれ、わたくしは幸福の絶頂期でした。


 式典に出席していたラインセル辺境伯、グラハム様のお父様であるランドルフ・フォン・ラインセル様とも改めて顔を合わせ、挨拶をする事になりました。


 なんでも奥様は早くに亡くなられ、後妻も娶られていないとの事で1人で式典に参加されていたのですが、このフットワークの軽さが盗賊退治を嬉々としておこなっていたグラハム様と重なり、同じ血筋なのだという事を強く感じます。


「ほっほ、まさかうちの野猿にこんな綺麗なお嬢さんが来てくれるとは思わなかったよ、ブルクハルトからするとラインセルは田舎だが、それでよければ是非」

 ランドルフ様は優しそうな方で、顔の造りは流石親子と言うくらいグラハム様と似ているのですが、常に柔和な笑みを浮かべているので印象は大きく違いました。


 説明されなければこの人が魔物や盗賊が跳梁跋扈する辺境を収めている人とわからないくらい優しい空気を纏っている人で、王都での式典の間に色々とラインセル領での面白い話などを話してくれました。


 家に帰れば「良かったですね」と我が事のように喜ぶエレン達の言葉と、バタバタとした結婚式に向けての準備が進んでいます。

 とはいえアイゼンブルグ王国でも有数の侯爵家と辺境伯家の婚姻となると今日明日という訳にもいかなかったのですが、お父様はまるで何か急ぐように婚姻を纏めると、わたくしはラインセル領に向かう事となり……グラハム様と再会しました。


「グラハム・フォン・ラインセルだ…あー…来てくれて、嬉しく思う」

 どこか他人行儀でたどたどしい挨拶は、降って湧いたような婚姻に戸惑っているようで、ラインセルもラインセルで大変だったという事が滲み出ています。


 それに顔を隠していたとはいえ、グラハム様はあの時会った女性を本気で商家の娘だと信じきっているようで、わたくしの事にはまったく気付いていなかったのですが、それが少し可笑しくて笑ってしまいました。


「モニカ・フォン・ブルクハルトです、これからよろしくお願いいたしますわ」

 わたくしが嫁いできたという立場なので、結婚式はラインセル領の教会で行われたのですが……勿論王都の大聖堂や、ブルクハルトの教会と比べるとこぢんまりしており、田舎(辺境)だと言われるだけの事はあるのですが、その代わり長年大事に使われているような温かみがある素敵な教会でした。


 端々に見える調度品の数々や、町や村の様子はブルクハルトより発展していないのですが、それは逆にわたくしとグラハム様でこれから盛り立てていければいいと熱意を燃やしたものです。


 旦那様を支えるのが妻の務めとわたくしが密かに決意を固めていたのですが、嫁いできた時の館の使用人の様子や、結婚式の時に見た領民の様子がどこかよそよそしい態度だったのが少し引っ掛かります。


 流石に敵意と言う程ではないのですが、困惑しているような、迷惑がっているような様子で、それはグラハム様からも時々感じました。

 調べようにもわたくしが連れて来た身の回りの世話をしてくれる使用人は10人にも満たず、気心が知れたエレンが来てくれたのは心強いのですが「ブルクハルトの使用人は使えない」なんて嫁ぎ先で思われたら大変ですからね、エレン達も新しい仕事を覚えるのが優先で、情報収集には数日を要してしまいました。そしてエレンが聞き込みをしてくれた結果なのですが……。


「鉱山の利権と引き換えにわたくしが嫁いできた事になっている、ですって!?」

 正確には鉱山の開発の費用や人員を事実上の家族となったブルクハルトが半分持つという事なのですが、すでにお父様は鉱山に人をやっているようで、現地住人との間に軋轢が起き始めているとの事でした。


「そんなの、ただの政略結婚ではありませんか!?」

 なんでもこの鉱山は十数年前にアイゼンブグル王より下賜された土地……と言えば聞こえが良いのですが、実際は魔物の被害で滅んだ子爵家の土地を分けた物で、危険な場所をラインセルに押し付けたと言われていた山岳地帯(厄介な場所)だったようです。


「まあ折角の貰い物だ、皆、めげずに頑張っていこう」

 下賜された当初ランドルフ様はそう言ったそうで、領民一丸諦めず、湧き出る魔物を倒し、犠牲者を出しながら山々の開拓と開発を進め、十数年かけて何とか良質な鉄を、数々の鉱石を採掘可能なところまでこぎつけたそうです。

 そしてこれからやっと本格的な採掘が始まるという所にやって来たのがわたくしで、ブルクハルトでした。


 十数年間心血を注いだ鉱山に対していきなり手を出されたとなると領民からすると面白くない話ですし、その困惑した態度にも納得です。


 お父様からすればわたくしの一世一代の告白が意味のないただの戯言で、一片の愛情すらない駒扱いと言う仕打ちにも驚きですし、グルグルと思考が回って気持ち悪くなってしまいました。


 「それもいいかもしれないな」とお父様が言っていたように、この結婚はお父様からすれば立場硬めの政略結婚で、軍政面、主に兵站を担い王国の武器庫であるブルクハルトと剣であるラインセルが手を組めば色々と得だろうという感覚なのでしょう。

 それにラインセル辺境伯領はローザンデリア教国と面していますし、お父様からすれば足掛かりにするには丁度いい場所だったという訳です。


 巷ではそんな噂が渦巻いているようで、ブルクハルトへの悪感情が全てわたしに向けられているような状態だという事です。


「お嬢様、お気を確かに…大丈夫です、このような状況がずっと続く訳ではありません。鉱山の開発が軌道に乗れば領民の方々にもわかっていただける筈ですし、それに……グラハム様を信じましょう」


「そ、そうね……エレンの言う通りだわ」

 良くも悪くもブルクハルトは侯爵家の中でも有数の力を持っています。採掘が本格的に始まり、ブルクハルトが領民のために力を貸している存在だという事がわかれば、いつか領民達の誤解もとける筈です。


 そう思う事にして、ラインセルの事情を知らない者が下手に何かすると余計にややこしくなりそうですので、とにかく事の推移が一段落するまでは大人しくしていようとエレンと話し合ったところで、その件は一度心の中に仕舞う事になりました。


 正直に言いますとあまり放置していられる問題ではなかったのですが、幾ら淑女教育を受けているとはいえ17の小娘に対応できる問題ではないですし、現実的な問題として、侯爵家の次女と辺境伯家の嫡子の結婚となればアイゼンブルグ王や諸侯とも色々と関係してきており、結婚の報告やら色々な式典やパーティーに出席しなければならず、わたくし達は一か月ほどかけて王都に向かわなければなりません。

 そのような状態で打てる妙案なんていうものがすぐに浮かぶ筈もなく、不安な気持ちを抱いたまま、わたくしはグラハム様とともに王都に向かう事となりました。


 そんな状態での旅だったので移動中の空気は重く、グラハム様はもともとパーティーや式典などはあまり得意でないとの事で、窮屈そうに礼服を着ながら苦笑いをしていたのですが……グラハム様の様子がおかしいと確信したのは、この頃からです。


 流石に初対面の時ならともかく、結婚式を挙げてからもう何日もたっています。それなのに手を握る事はおろか、夫婦なのに部屋を分けようとしたり、馬車での移動も「馬の方が楽だから」という理由でご一緒されません。

 グラハム様は「女性が苦手だから」と説明されていたのですが、流石に度が過ぎているような気がいたします。

 それに本当に女性が苦手なのなら多少は理解できるのですが、領民や使用人の女性には普通に接していますし、「勝手がわからない」みたいなよそよそしい態度になるのはブルクハルトからやって来た人間に限られるようでした。


 確かにお父様のやり方は強引すぎますし、隔意を抱くのは仕方がないとしても、それならそうとおっしゃってくださればいいものをとモヤモヤした気持ちが膨らんでいってしまうのですが、当人(グラハム様)に直接言う(文句を言う)訳にもいきませんし、エレン(ブルクハルトの人間)に話しても愚痴になるだけなので、わたくしはこの違和感を誰にも相談する事が出来ずにモヤモヤしてしまいます。


 参加した式典は式典で問題で、普通夫婦揃っての式典となると旦那様に手を引いてもらうのが当たり前なのですが、グラハム様は頑なにわたくしの手を握ろうとはせず、曖昧に誤魔化していらっしゃいました。


 やはりグラハム様もブルクハルトの所業にお怒りなのでしょうか?


 ラインセル領内であればどのような振る舞いをしていても良いかもしれませんが、流石に王へのお目通りという公式の場ではちゃんとマナーに見合った行動をとるべきだと思ったのですが、ブルクハルトの行いに対して引け目があったわたくしは、旦那様であるグラハム様のやり方に立てつく勇気がなく、口をつぐんでしまいました。


 いつ「手すら繋がないとは、あの夫婦は不仲なのか?」と言われないかとヒヤヒヤする謁見を終え、こちらの方が整っているからという理由で滞在する事になったブルクハルトの支邸に戻ってくると、やっと人心地つけた気持ちになります。


 そこでもグラハム様は当然のように別の部屋で休まれるようで、王都滞在中もずっとモヤモヤだけが積み重なっていきます。


 別にこれは(ねや)を共にしたいとか、わたくしがはしたないという問題ではなく、貴族は普通血筋を残す事が優先で、とくにグラハム様に至ってはラインセル辺境伯家の唯一の嫡子です。

 子供を産ませるのが何よりの義務であり勤めにもなる筈なのですが、その気配が全くありません。


 それ程内心ではわたくしの事を嫌ってらっしゃるのでしょうか?そんな思いだけが膨らんでいき、だんだんと気持ちが塞ぎ込んでいってしまいます。

 それでも何とかラインセルのために、グラハム様のために幾つかの式典やパーティーに出席していると、ある日ラインセルから早馬がやってきました。


 その馬を駆る兵士の様子は尋常でなく、その時わたくし達が滞在していたブルクハルトの支邸も騒然とした空気に包まれます。そしてその兵士は息も絶え絶えという様子で、グラハム様にこう報告しておりました。


「ラインセル領内にて大規模なスタンピード(魔物の大暴走)が発生しました。現在ランドルフ様が対応に当たっておりますが事態は急を要します、グラハム様におかれましては直ちに戻られたしとの事です!」

※徐々にきな臭くなっていきます。


※王都までの距離での補足ですが、この世界は徒歩移動が基準になっています。馬車の替えや伝令用に余剰に馬を連れている場合はありますが、対魔物の観点で全員騎兵という例はあまりなく、よほどの事が無ければ魔物の襲撃に備えた徒歩の兵士や護衛との混合編成となるので移動速度はあがりません。

 そして天候不順での立ち往生、魔物が出たという噂があれば数日様子を見たり、休憩や準備はしっかりするので結構サバが読まれている事が多く、日数は切り上げて計算されています。


 勿論、積めた筈の荷物を犠牲にして護衛を馬車に詰め込んで一緒に移動したり、少数の騎馬隊や単騎駆け、そういうのをすべて無視した豪華な騎馬編成という色々なパターンが存在し、そういう編成をした場合は予定の日数よりかなり早く到着する事が可能です。

 ですが軍事行動をしている訳ではない平時の場合、商人なら出来るだけ荷物を多く運ぶ事が第一ですし、貴族の場合は利便性(速度を出す事による乗り心地の悪化など)を考えると混合編成でいいやってなっています。


※誤字報告ありがとうございます、何か名前を盛大に間違えていましたが、(3/9)に修正しました。

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