婚約破棄(BL)
「クリフ、ただ今をもって、お前との婚約を破棄する!」
「――!」
華やかな夜会の最中。
僕の婚約者であり、我が国の第二王子殿下でもあらせられるトリスタン様が、にわかにそう言い放った。
炎を彷彿とさせる深紅の瞳が、妖しく揺れる。
そ、そんな!?
「どういうことですかトリスタン様! 理由をご説明ください!」
僕は今まであなた様の夫となるべく、厳しい花婿修業にも耐え続けてきました。
それもこれも、あなた様を生涯お側で支えられる男になるため――。
だというのに、何故……!
「フン、みなまで言わせるな煩わしい。――オレはもう、自分の心に正直に生きると決めたのだ」
「……え」
それは、どういう……。
「――テリー、オレの夫となってくれるか?」
「はいトリスタン様! 喜んで! ボク今、最高に幸せです!」
「――!!」
男爵令息のテリーが、トリスタン様に甘えるように抱きつく。
少女のように可愛らしい容姿のテリーがそうすると、まるで男女のカップルのようだ……。
「……トリスタン様」
「見ての通りだクリフ。オレは今後は、テリーと共に真実の愛に生きる」
「えへへー、そういうことですクリフ様!」
「……」
仲睦まじくじゃれ合う二人の間には、僕の入る隙間は一分も見当たらない。
そうか。
そういうことだったのか……。
トリスタン様の心は、初めから僕には微塵も向けられていなかったのだ。
でもそれも、無理もないことなのかもしれない……。
所詮僕とトリスタン様は、政略結婚で結ばれた間柄。
心と心で結ばれている二人には、敵うはずがないじゃないか――。
「――だからクリフ、今後はお前も、自分の心に正直に生きろ」
「そうですよクリフ様」
「――!?」
な、何を……!?
「あなた様も同様です、兄上――」
「――!!」
トリスタン様が視線を向けた先には、トリスタン様の実兄にして、我が国の王太子殿下であらせられるヴィンセント様の凛々しいお姿が。
トリスタン様の深紅の瞳とは対照的な、透き通る紺碧の瞳が僕を見つめている。
ヴィンセント様と目が合った瞬間、僕の心臓がドクンと大きく跳ねた。
えっ!? えっ!? ええぇっ!?!?
「……すまないなトリスタン。お前にばかり、損な役回りをさせて」
「いえいえ、オレは物語じゃヒールが一番カッケェと思ってるんで、むしろ役得ですよ」
「えへへー、ボクもそんなトリスタン様が大好きです!」
人目も憚らず蜂蜜色の空気を撒き散らしている二人に頬を緩めながら、ヴィンセント様は僕の目の前まで颯爽と歩み寄ると、恭しく片膝をつき右手を差し出された。
ヴィンセント様!?
「――クリフ、これだけお膳立てされるまで自分の気持ちをお前に伝えられなかった俺を、どうか許してほしい」
「……」
……ヴィンセント様。
僕の脳裏に、ヴィンセント様と出逢ったあの日の光景が蘇る。
「よく来てくれたね。歓迎するよ」
あれは僕が七歳の時。
公爵令息として初めて王城に父と挨拶に訪れた際、僕のことを出迎えてくれた少し年上の少年。
晴れ渡る空のように美しい瞳をしたその少年に、僕は一目で心を奪われた。
彼がこの国の王太子殿下だと知ったのは、その少し後。
僕と大して年が変わらないにもかかわらず、彼の発する言葉や所作からは、深い教養が感じられた。
それだけでなく、対峙する者全てを圧倒するかのようなカリスマ性も兼ね備えており、この方こそがこの国を背負って立つお方なのだと、この時確信した。
――いつか僕が、このお方を一番側でお支えしたい。
この日以来僕は、今まで以上に勉学に励んだ。
ヴィンセント様の隣に、立つ資格がある男になるために――。
「クリフ、今日はプリンを作ってみたんだ。一緒に食べないか?」
「はい! いただきます、ヴィンセント様!」
王城を訪れるたびに向けられるヴィンセント様の優しい笑顔は、いつしか僕にとっての生き甲斐になっていた。
――そして月日は流れ、今から三年前。
「クリフ、喜べ、遂にお前の婚約者が決まったぞ」
「っ! そ、それは本当ですか父上!?」
父上から告げられたその一言に、僕は天にも昇る心地になる。
遂に……!
遂に僕の積年の想いが通じたのだ……!
「そ、それで、お相手は」
「ああ、聞いて驚け、何と第二王子殿下のトリスタン様だ」
「――!!」
この瞬間の足場が崩れ去っていくかのような感覚を、僕は今でも鮮明に覚えている。
相手は、ヴィンセント様じゃ、ない……?
……ハハ、何を浮かれてたんだろう、僕は。
どれだけ僕がヴィンセント様に相応しい男になるよう努力しても、婚約者を決めるのは僕ではない。
僕は所詮、公爵令息という名の駒の一つに過ぎないのだから――。
「どうしたクリフ、そんな顔をして? 嬉しくはないのか?」
「――いえ、身に余る光栄に存じます父上。公爵令息としての務め、しかと果たしてご覧に入れましょう」
僕は父上に、深く頭を下げる。
「うむ、それでこそ私の息子だ。しっかり頼んだぞ」
「――はい」
――この気持ちは墓場まで持っていく。
生涯誰にも悟られぬよう閉じ込めて、心の奥底に封印しなくては。
――そう自分に言い聞かせて、今日まで生きてきたというのに。
「クリフ」
「……ヴィンセント様」
今僕の目の前には、片膝をついて右手を差し出されたヴィンセント様の姿が――。
「――もう二度と俺は、自分に嘘はつかない。――俺はお前のことが、ずっと前から好きだった。俺と結婚してくれ、クリフ」
「――!!」
僕のことを真っ直ぐに見つめるヴィンセント様の紺碧の瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
全身の細胞が一瞬で沸き立ち、耳が痛いくらい顔に血が集まる。
そ、そんな……!?
ヴィンセント様が、僕のことを……!?
――許されないと思っていた。
僕の婚約者はあくまでトリスタン様。
だからこそヴィンセント様に対するこの想いは、決して許されるものではないと心を殺してきたというのに。
――僕は、自分に正直に生きてもよろしいのですか?
「ホラ、あんま兄上を待たせんじゃねーよクリフ。さっさと返事してやれって」
「そうですよクリフ様! 男は度胸と愛嬌! ですよ!」
ヴィンセント様からの告白に感極まっていた僕を、トリスタン様とテリーが囃す。
あれだけ誰にも悟られないよう隠してきたというのに、お二人には僕の気持ちはバレバレだったのですね。
――ありがとうございます、トリスタン様、テリー。
僕はヴィンセント様の紺碧の瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「僕も一目お会いしたあの日から、ずっとあなた様のことをお慕いいたしておりました。――どうか僕を、あなた様のお側に置いてください」
差し出されたヴィンセント様の右手に、自らの左手をそっと重ねる。
――その瞬間。
「ああ、もう一生離さない」
「っ!? ヴィンセント様!?」
ヴィンセント様にグイと引き寄せられ、強く抱きしめられた。
深い海に沈み込んでいくかのような感覚に、頭がぼーっとなる。
嗚呼、ヴィンセント様……。
「ふふ、ヴィンセント様の心臓、凄くドキドキしてます」
「それはお互い様だ、クリフ」
僕とヴィンセント様は暫し見つめ合い、どちらからともなく堪えきれず吹き出した。
「やれやれ、お安くないぜ」
「えへへー、ホントですよねー」
お二人にだけは言われたくないです。
――こうして七歳の時に抱いた一人の公爵令息の夢は、この日叶ったのでした。
めでたしめでたし
この国はどうやって子孫を残してるんだろう?