第7幕:「言葉・前編」
第7幕豆知識
【ダリーシュ子爵】…ゴルモ・ダリーシュ。メイヤーナ王国の地方貴族で南部諸侯連合に参加する諸侯の一人。蛮王のごとき威容だが話は通じる。
【ブノンズ】…ブノンズ・ダリーシュ。ダリーシュ家の傍系の出でゴルモの副官。狡猾そうな顔つきをしているが優しい。
【森林兵】…ダリーシュ家の私兵の俗称。領地がほぼ森のメルヴ地方独特の兵たちで、斧と弓を得意とする屈強な歩兵。獣衣を好む。
第7幕:「言葉・前編」
◇新生王国暦5年 陽光季74日
昨日からの強行軍、しかも日が暮れてなお速度を落とさず夜通しでの移動であったにも関わらず、その男も付き従う者たちもほんのひと時の休憩で息を整え終えた。
急造の焚き火に鍋をかけ、各々腰にぶら下げていた獲物を捌き放り込む。
これに砕いた岩塩と数種類の野草、そして干したきのこなども加えれば美味しそうな匂いが風に乗り、野獣のような鋭い眼光が途端に優しさを帯びる。
食事が人を笑顔にするのはこの男たちにも例外では無く、仕留めた獲物とそれを育む母なる森へ感謝の祈りを捧げ、その後は鍋底の残りの奪い合いになるまで、短くも和やかな時間が訪れた。
俺はゴルモ。
メイヤーナ王国のメルヴ地方を任されている【ダリーシュ子爵】家の長だ。
予定ではもう少し村へと近づいてから小休憩を挟むつもりだったが、日が昇り始めた頃に道脇に倒れていた少女を発見した事で一度腹ごしらえをすることにした。
せっかく助けた少女は一度目を開けたが、すぐにまた気を失ってしまった、そうとう疲弊していたようだ。
部下たちには俺と少女の分を取り分けて、後は好きにしろと言ってある。
いつもどおりのどんちゃん騒ぎが始まったが、場合によってはこの後に一戦交える可能性があるから、良い士気高揚になるだろう。
革袋からの水で布を湿らせ、そっと少女の顔を拭い、額に乗せてやると薄っすらと目を開いた。
「あ、熊」
「そうだ」
「しゃべる、熊」
「そんなものはいない」
「熊、みたいな人間?」
「よく言われる」
「私、食べられちゃった?」
「おまえの分も取ってある」
コトリ、と良い匂いのする木皿を顔の近くに置いてやると、少女は驚いたように皿と俺を見比べ、起き上がろうとして呻き倒れた。
だが意識ははっきりとしたようで、周りを見渡し、改めて俺の顔を見てこう言った。
「熊の頭を肩に乗っけた熊みたいな人?」
「ゴルモだ」
「…優しい熊のゴルモさん、助けていただいてありがとうございます、私はアルダガ村のテリンといいます」
「村は俺の物だ、助けるのは当然だ」
「確かに村を守っているのは熊の旗印だから、ゴルモさんの物なのかも、あはははは」
本当に俺の物なのだが。
まあいい、今必要なのは村の情報だ、この少女は村の異変から逃れて来たのだろうか。
「テリン、アルダガ村はどうなっている、辺境伯軍の占領下にあるのか」
「私が意識を失っていたのがどのくらいか分からないけど、私が村を出たのは村の近くに野営している辺境伯軍に手紙を届けるためだったんです」
「その手紙は?辺境伯軍に届けたのか?」
「いいえ、届ける前にその…狼に襲われた人を見てしまって、鳴き声も聞こえて怖くなってとにかく走って逃げて…」
そう言って胸元から取り出したのはくしゃくしゃになり、汗でインクが滲んだアルダガ村の村長による手紙、質問状だった。
これまでの村での経緯を聞きながら、ざっと目を通し俺は安堵する。
少なくとも村が襲われた訳では無いようだ、だがこれでは俺も状況が分からない、今すぐ辺境伯にこの手紙と同じことを問い詰めたい、であれば。
「おい、【ブノンズ】!」
「へい、お頭!」
簡易天幕の外に控えていた副官が入ってくると「吊り目の狐のブノンズさん…」とつぶやくのが聞こえた、なるほどその通りだ。
「どうやら村は無事だ、だがどうにもややこしい状況の様だ、辺境伯の行動が解せん」
「こっちは自分らの領地なんですから、堂々と乗り込めばいいんじゃないですか?」
「なるほど確かにその通りだ、すぐに食い終わるから外のバカ共に支度をさせとけ」
そう言って立ち上がると、横で慌てたようにスープを口に運び出した少女を見て、俺は慌てた。
「おい待てブノンズ、出発は陽が真上に来た頃にする!」
「へ、へいお頭!とにかく支度だけはさせときます」
「おい村の…テリン、ゆっくり食べろ、それから馬は無いから歩くことになる、もう少しここで休め」
どんな事態にも対応できるように訓練してきた俺たちは、どんな姿勢や場所でも食事を手早く済ませられる。
だが可能であれば食事の時間は感謝の祈りと共にゆっくりと自由に過ごすようにしている。
森では全てが流動的で、常に周囲に気を配っていないといけない分、休むとなればしっかりと休む、それが代々伝わる俺の家の方針だ。
それに、こんな年端もいかぬ少女に無理をさせられないだろう?
だいぶ怖い思いもしたようだし、美味い飯を味わう時間と休息を与えたい、こんな事なら驢馬の一頭でも連れてくるんだったか。
そうだ、話し相手に誰か寄こそうか、そうだそれがいい、俺の部下には女も多い、きっと女同士の方が安心出来るだろう。
「おい、ブノンズ!」
「へい、お頭!」
「何人か手の空いてる女を連れてこい、相手をさせる」
それを聞いた途端にテリンが視線を彷徨わせ始めたがどうしたのか。
もぞもぞと落ち着きが無くなり、胸元や服の裾を押さえて…そうか、走りどおしで胸や足が痛いのだな?
可哀そうに、ここには薬の持ち合わせは無いが、森で生きる知恵はある、そう薬草だ!
「おい、ブノンズ!」
「へい、お頭!」
「酒とアレを持ってこい、良く効くあの葉っぱだ、わかるな」
ブノンズが心得ましたとばかりにニヤリとし、テリンに向けて片目をつぶって見せる。
テリンの口からは「ぁ…ぁぁぁ…」と微かに声が漏れているが、大丈夫だ安心しろ、アレは痛くも苦くもない。
しかしどうにも怯えてしまっていて、見てて居たたまれない。
もしかしたら、薬草では無く他の何かに怯えて…そうか、狼の食事跡を思い出して怖くなったのだな?
俺はテリンを安心させるため、ガクガクと震える彼女の肩に手を置いて、その瞳をしっかりと見つめて力強く言う。
「俺たちは獣だ」
ひときわビクりと揺れたその体を優しく抱き寄せ、頭を撫でてやる。
俺がまだ小さい頃、静まり返った夜の森での野営で、初めて狼の遠吠えを聞いた時に母がこうしてくれた。
体の震えはそれで嘘のように治まり、その胸の中で確かな安心感を得たのを今でも覚えているからだ。
それから母に教わった森で生きる者としての心構えを今でも実践している。
「俺たちは獣だ、森の獣たちは気高く雄々しく、しかし狡猾で強暴だ、それは生きるため、群を守り育むため。
だから俺たちも生きるため家族を守るため、力強くあり、同時に優しくあらねばならぬと思っている。
ダリーシュの【森林兵】は野蛮と言われることがある、確かに俺たちは獰猛な狩人であり獣衣を身に纏っているが、それは森に生き森の獣に勝るとも劣らぬという気概から。
だから安心して身を任せるといい、俺たちがおまえも村も守ってやる」
簡易天幕に酒の入った革袋と薬草の詰まった布袋を担いで入って来た女たちにボコボコにされたのはそのすぐ後だった。
テリンは三度気を失っていたらしいが、解せぬ。
その後、再び行軍を再開したダリーシュ子爵軍。
顔を腫らしてムスッとし、より獣じみた容貌のゴルモを先頭に辺境伯軍の野営地へと向かった一行は、対峙する軍と村人たちに遭遇する。
顔を険しくする辺境伯軍、動揺を隠せぬ村人たち、そして野営地から抜き身の矛先を向けられたことで、子爵の軍もまた臨戦態勢となった。
その少し前、野営地のすぐ近くまで来た村人たちは、武器を手に待ち構えている兵たちを見て歩みを止めていた。
こちらを警戒しているのは明白だが、自分たちも武装して来たのだから予想の範囲内である。
村長が一人緊張した面持ちで歩み出て、野営地へと声を掛けた。
「聞こえるか辺境伯軍!テリンを返して貰いたい、代わりに私がそちらに行こうではないか!」
しばしの緊迫した静寂の後、野営地からは騎士が一人出て来た、確か一人だけいたあの女の騎士だ。
「要件をもう一度伺いたい!誰を返して欲しいと言うのだ?」
「テリンだ!村の娘で昨日そちらに手紙を持って行ったはずだ!」
「確認する、しばし待たれよ」
それからしばらくして返って来た内容に村長は困惑する。
村からそう離れていないこの野営地に向かったテリンが、途中で失踪する可能性はほぼ無いと思っていたからだ。
だからテリンが帰って来ない理由は、野営地に留め置かれているか、考えたくは無いがその凶刃に倒れたかのいずれかだろうと。
だが女騎士は、そのような娘は野営地に来ておらず、手紙も届いてはいないと言うではないか。
真実を隠しているのか、はたまた兵の誰かが密かに蛮行に及んだのか。
考えがまとまらず、次に何を問いかければよいのか思案している間、辺境伯軍にも動きは無かった。
この村長の呼びかけの意図が見えず、困惑していたのは彼らも同様だったからだ。
「どう思う?」
「隣り合う天幕同士でお互いの中を確認させた、娘が居たような形跡は見当たらなかったみたいだよ」
「少なくとも兵を処刑する事態は起こっていないということか」
「ひとつ可能性がある、狼は天幕から兵を引きずり出すほど獰猛で腹を空かせている」
「娘がここまで辿り着く前に襲われたと?」
「であれば今の状況に合点が行く…そもそも村長の言う話が本当であれば、だが」
「困った事に村長が嘘をついている可能性を否定出来ない、ダリーシュ子爵の軍が来るまでの何らかの時間稼ぎの線だ」
「そういえば、明け方に炊事の煙が見えて以降、動きが遅くなっているみたいだね」
「何か企みがあって、それに合わせての行動だとしたらやっかいだ」
「カマをかけてみるか?」
「やってみる価値はあるだろう」
再び歩み出て来た女の騎士、村長と村人に緊張が走る。
「村長、どうにも話が噛み合わぬ、そのテリンという娘だが行き先を“間違えた”のではないか」
「ここは村の外とは言え、村の者なら日頃から森の恵みを得る為に歩き回る範囲です、迷うことなど…」
「そもそも手紙とやらの届け先が我々ではなく、そなた等の主に宛てた物だったのでは?」
「あ、主?恐れながら何を…」
「領主であるダリーシュ子爵と連絡を取り、何か企んでいるのではないかと聞いている」
後ろで待機している村人たちは何を言っているんだと騒ぎ立てているが、村長は顔面蒼白となっていた。
(も、もしや森の宝石の件を知られていたのか?それを調べるために村に軍を残したのか?)
アルダガ村の特産品は一般的な森の恵みが中心だ、だがダリーシュ子爵の指示の下、密かに森の希少な恵み“森の宝石”も出荷している。
その希少性と美しさから貴族に人気だが、採れる数に限りがあり多くの注文には対応出来ないため、紹介制での販売のみ行っている。
だがもっと欲しいと言い出す者、利権を狙って採取地を探そうとする者も現れたため、出荷元については緘口令が敷かれていた。
そんな宝石の件で先日、子爵へ宛てて狼被害への救援を願う手紙を送ったばかりであった村長は、それに気付かれたのでないかと焦った。
村長として立派に村を運営しているが、根っからの田舎の民である、対して相手は歴戦の騎士で貴族。
テリンの一件で頭に血が上り、辺境伯軍に問い正さんと強気な言葉を使ったが女の騎士とのやり取りで頭が冷え、逆にその女の騎士から疑惑を投げ掛けられたことで心理的な立場は完全に逆転し、
思考の許容量を超えた村長のその姿は、誰から見ても一目瞭然なほど挙動不審でいっそ哀れですらあった。
「ダ、ダリーシュ子爵とは定期的に手紙のやり取りを行っております、領主様への近況報告は昔からの伝説で何らおかしいくはございません」
ややあってそう返した村長を見る女の騎士の眉間には皺が寄り、村長の思考を更なる混沌へと澱ませる。
意気揚々とやって来た村人たちも村長の狼狽ぶりと騎士の強気の態度に気圧され、先ほどまでの威勢は失われつつあった。
「つまり村が送り出したテリンとやらは行方不明で、おまえたちはその娘を探しており、村と子爵とのやり取りは定期的な物のみ、という事だな」
「その通りです、あとはなぜ辺境伯軍が突然村から…」
村人たちに怪しい動きが無いか、樹上の見張りがそこに気を奪われていたのは仕方のないことだろう。
だがそのせいで別の方向への警戒が甘くなっていたのは彼の落ち度かもしれない。
木々の密度が濃い場所から獲物を付け狙う狼のようにのっそりと姿を現したのは、旗を掲げた獣衣の集団だった。
(おい、いつでも迎え撃てるように隊列を整えておけ)
後ろで伴侶の騎士が兵たちに指示を出しているのを確認し、女騎士は獣衣の集団、突如姿を現したダリーシュ子爵軍へと向き直る。
子爵の昨日からの急接近とこの場に現れた意図を聞かねばならない。
女騎士は冷静であった、が、果たしてどう声をかけたものか?
そもそもここはダリーシュ子爵の治めるメルヴの地であり、どうしてここにいるのかと問うのはおかしい。
辺境伯軍の寄り道の話を聞きつけ、共にソウルキーパー討伐をしに来たとでも言うのだろうか。
(おい、いつでもご挨拶出来るように整列しておけ)
後ろに向かって声を潜めてそう指示を出した村長は、村人たちが慌てて衣佇まいを正すのを確認してダリーシュ子爵に頭を垂れた。
突然の来訪に驚いたが、もしかしたら辺境伯軍の動きについて子爵が何か知っているのではないかと期待をして。
村長は自分の頭が追い付かない状況に匙を投げ、後は辺境伯と子爵とで話をしてもらい、自分はテリンの無事だけを考えよう、そう思った。
そもそもここはダリーシュ子爵の治めるメルヴの地であり、領主が直々に出て来た以上、自分の出番は終わりだ、そうに違いない、いや絶対そうだと自らに言い聞かせ。
しかし、子爵はしばらく遠出をすると言っていたはずだが、なぜここに来たのだろうか。
(おい、いつでも応戦出来るように武器は構えておけ)
後ろに続く部下たちに命令を下し、ゴルモ自身も斧を肩に担いでゆっくりと歩を進める。
とりあえずの前情報で村が襲われた訳では無い事が分かっている、だが目の前の状況はどうだ?
野営地の辺境伯軍と対峙する武装した村人たちの関係は、明らかに友好的には見えない。
そして村長の怯えた、そして自分たちを見て安心したような様子を見れば、まずは村の者たちを安心させてやらねばなるまい。
そう考えゴルモが合図を送ると、後ろの集団から出て来たのはテリンであった。
「辺境伯軍の騎士よ、初めてお目にかかる。そして村長、久しいな。俺はゴルモ・ダリーシュ、大樹と熊を掲げこの地を預かるダリーシュ子爵だ」
異様の領主の登場に村人たちは歓声を上げ、辺境伯軍は対応に迷う。
このまま三者が歩み寄り、穏便な会談となっていれば事態は収束に向かっただろう。
だが普段は口数の少ないゴルモの悪い癖は、自分が何とかしなければと思うと、妙に、いや無駄に饒舌になることだった。
「村長よ、安心しろ。村の少女テリンはここにいる。話は聞いている。おまえの救援を乞う手紙も把握している。俺たちが来たからもう大丈夫だ。今までよくやってくれているな」
「村長!貴様やはり子爵と連携して何か企んでいたな!?貴様が心配する振りをしていたテリンは子爵への伝令役を立派に果たしたようだな!ハッ!!」
「な、そ、んな、ああいえ、私は何も、お待ちを、お待ちください!」
女騎士の冷徹な声に反応して、辺境伯軍は武器を抜き盾を構え、矢尻が子爵軍と村人たちへと向けられる。
当然のように子爵軍も手に持っていた武器を構えなおして腰を低くし、いつでもその牙と爪で躍りかかれる体制を作る。
その様子を上から見ていた見張りが緊急事態を告げる角笛を空高く吹き鳴らせば、最早そこは戦場のそれであった。
すれ違い、それは孤独な旅の彩り、孤独を生む憤り。
久方の出会いは笑顔と言の葉を紡ぎ、出方次第では笑顔と言の葉を切り裂く。
「狼煙に続いてあの角笛、最早一刻の猶予も無いか!走れ走れ、雄叫びを上げろ!俺たちの到着を味方に知らせてやれ!」
◎続く◎