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第5幕:「交錯」

第5幕豆知識

【ブアン】…辺境伯軍所属の古参兵士。アルダガの村で知り合った娘と恋に落ちるがとにかく間が悪い男。

【テリン】…アルダガ村に住む娘。器量は良いが美人とは言えない、同年代の男が少ない村での生活から抜け出したいと思っている。


【ビューネ】…ビューネ・カッサルト。辺境伯軍所属の女騎士。元エキル軍の古参で参謀格の一人。上級騎士に最も近い騎士とも。

【ランバレア】…ランバレア・カッサルト。辺境伯軍所属の騎士。元エキル軍の古参で並外れた膂力を持つ。奏楽と詩歌に通じ吟遊騎士とも。


第5幕:「交錯」


◇新生王国暦5年 陽光季72日



雨の中、辺境伯軍の討伐隊が二手に分かれて森へと分け入った翌日。

空を覆っていた黒雲は西の丸飲み湾から吹き上げられた風に乗って、東のバーネルス海へと綺麗に流れ去った。

雲一つない晴天とはこのことで、昨日の雨で至る所に出来た水溜まりや、木々の葉を重そうにしな垂れさせている水滴が陽光を浴び、まるで宝石を散らしたかのように光り輝いている。

一見すると田舎の村にありふれた、それでいて何事にも代えがたい平穏な一日が訪れたように見えた。


アルダガ村の家は周囲の森から伐り出されたしなやかな木材を主とする木造の平屋建てがほとんどである。

またある程度中央に密集して建てられているものの、広い果樹園や畑、森仕事へのアクセスなどを考えて村の外周部にも散見される。

住居から少し離れた場所に木こり小屋や炭焼き小屋なども存在するため、自然との境界線は曖昧だ。

そんな村の中央、密集する家のひとつに今、多くの村人がざわめきと共に集まり始めた。


その不運な兵士は武装した村人たちに槍や斧を突き付けられ、粗末なベッドの上でひたすらに謝罪の言葉を繰り返していた。

兵士の横では同じく裸体を晒した村の娘が涙を流している。


「お、おまえたちは村を占拠するつもりなのか!それとも宝石に目が眩んだのか!もう村の女を自分たちのものだとでも思っているのか!」

「お父さんやめて!【ブアン】さんはそんな事しないわ!」

「おまえは黙っていなさい!わしの娘に手を出してただで済むと思うな!」

「決して、決して軽い気持ちで夜を共に過ごした訳では…どうか、どうかお許しを!」

「どこまで知っている!宝石の事をどこまで知っているのだ!おまえたちの本隊はいつ村に戻ってくるのだ!」

「お父さん私ブアンさんと結婚するから!!」

「ほ、本当かい!?その言葉信じていいんだね!」

「黙れ若造!どうして村を襲う者に大切な娘をやれると言うのだ!」

「そんな、村を襲うなんてとんでもない!なぜそのような…」

「ああ…ブアンさん、ブアン、私をこの村から連れ出して」

「貴様ぁよくも俺の【テリン】をたぶらかしやがったな!」

「なにが俺の、よ!私はあんたなんか大っ嫌いよ!」

「待て!待て待て待て待て待て!とにかく一度全員黙らんかーーー!」


…。

狭く簡素な造りの家に大勢の村人が詰めかけ、それぞれが怒号を上げる混沌とした密集空間にやっと静寂が戻る。

テリンの父親の後ろで絶望の表情をしていた村の若者も加わり、もはや何についての言い争いなのか、誰が誰に何を言い何を聞きたいのか、収拾がつかなくなりかけたところで村長が到着した。


「とにかく皆落ち着きなさい、テリンは早く服を着なさい、…そしておまえはそのままだ」

「村長殿!いったい何がどうなっているのかさっぱり分かりません、確かに私たちは出会って間もない間柄ですが、それでもお互いに好きあっています」

「そうです村長、ブアンさんが何をしたと言うのです!私は私の意志で彼をこの家に招き入れたのです!」


村長の背後で話を聞いていた先ほどの若者が嗚咽と共に走り去っていったが、恐らく日頃からテリンの気を引けていなかったであろうその若者を、誰も追いかけはしなかった…。


改めて狭い家の中に、裸の兵士ブアンといそいそとチュニックを身に着けたテリン、対峙する村長とテリンの父親など武装した村人たちの構図が出来上がる。

しかし、話を再開する前から両者は互いに怪訝な顔をしており、既に話が噛み合っていない状況は飲み込みつつあった。


「さて兵士よ、ブアンと言ったか、まずは村のテリンと一夜を共にした事については私がどうこう言うものではない」

「村長!しかし娘が!」

「あー、わかったわかった、ではテリンよ、おまえはこの男を気に入っている、この先も共に在りたいと思っているという認識で間違いは無いのだな」

「はい、村長。私はこのブアンと共にこの先の人生を歩みたいと思います。村を出る事になるかと思いますがお許しください」

「テリン!私のテリーン!」


うああぁぁぁ、と泣き崩れる父親をまわりの村人たちが何とも言えない表情で支え家の外へと連れ出していく。

直後に外からは「めでたい話なのに何やってるんだい!」と威勢のいい声に続き、頭や背中を引っ叩く音が立て続けに響いた。


(しかしよぉ、テリンがよその男に取られちまうんだぞ、村を出て行っちまうかもしれないんだぞ)

(それがどうしたってんだい、娘はいつか嫁に行くもんだろ!そもそも男手の少ないこの村に居たっていつになったら結婚出来るか分からないんだ、いい話じゃないか)

(だってよぉ、テリンによぉ、私のテリンに会えなく、会え…ぐす…うわああぁぁ痛ってぇっ)


「うむ。おまえのところは仲が良いな、うむ」

「はい…良い家族に恵まれて幸せです…」

「ではブアンよテリンを幸せにするように、と言いたいところだがそうもいかぬ」

「絶対に幸せにしてみせます!が、いったい先ほどから何事ですか、宝石だの本隊がどうのって」

「ふむ、まずはこの村の宝石についてだな、おまえたちはどこまで知っている」

「正直に申し上げて、そもそも何の話だか全くわかりかねます」


嘘をつくな!など取り囲む村人から声が上がるが、村長が片手を上げそれを制した。

どうやらアルダガ村の村長は老境と言うにはまだまだ早い壮年といった風体だが、しっかりと村長としての発言力を持っているようだ。

そんな村長は厳しい顔をしてブアンを見つめている、この男の言動をひとつたりとて見逃すまいぞと。


「では質問を変えよう、おまえの所属している辺境伯軍だが、昨夜のうちに村に残っていた者たちが皆いなくなっておるがどのような理由か」


それを聞いてブアンの表情がさっと青ざめる、ただこの変化はやましい事によるものではなく、テリンと一夜を過ごしている間に軍が何らかの行動を起こしており、自分が置いて行かれてしまったと思ったからだ。

しかし村長はその変化を見てより表情を硬くしてしまう。


「軍が、いなくなっているのですか?少なくとも昨夜の時点では移動の予定は無く引き続き村に滞在して訓練と警備を行うはずだったのですが…」

「ではおまえは何も知らぬと言うのだな、本当に?」

「知りません!テリンに誓って本当です!」

「まぁ!村長、本当に決まってます!」

「…テリンよ、そう簡単に男を信じるものではない、眩しさに目が眩み色々な事を見落と…」

「村長うちのお父さんみたい」

「な…ぐ、ぬぅ…」


…。

先ほどまでよりよほど厳しい顔をして村長は黙り込んでしまった。

ブアンは目を逸らし、テリンはしまったと口元を手で覆い、村人たちは同情の目を村長に向ける。

とても、とても気まずい雰囲気を打ち破ったのは新たに駆け込んできた村の女だった。


「村長、兵隊さんたちの居場所が分かりましたよ、村から北に二、三刻くらい進んだ辺りに野営を張ってるって」

「なんでまたそんな所に、こちらに何の話も無くわざわざ村から出て野営を張るなんてどう考えてもおかしいじゃねえか!」


そうだそうだ!と、再び村人たちの射るような視線がブアンに集中する、だがブアンもただただ驚くしかなかった。

テリンはブアンに寄り添い、混乱とそして、ドアを開け放たれたままで流石に冷えてきた室内で震え始めた彼の体を包み込みように抱きしめた。

村長はため息と共に服を着るよう手で促し、しばし黙考の末、言いにくそうにその口を開いた。


「テリンよ、おまえを危険な目に合わせたくは無いが、村とその男のどちらも信じると言うのであれば」



難しい顔をして考え込む頬に一筋の古傷を負った女騎士と、その横顔に名工による美女彫刻でも見るかのように見惚れる騎士。


…、そしてその二人の空間に割って入るのを躊躇い朝の定時報告の声を掛けられずに佇む兵士。

無為な時間が流れる。


兵士がそろそろ気付いて下さいよとばかりにカチャカチャと手甲をいじり、女騎士が顔を上げるのと同時に別の兵士が天幕の中へと駆け込んで来た。


「報告!夜中に狼の襲撃あり!天幕の一つが引き裂かれ1名が行方不明、食料の一部も奪われました!」


それまで蕩けた表情を隠さなかった騎士が瞬時に精悍な顔つきに戻り、女騎士と頷きあって天幕を後にする。

報告を終えた兵士もそれに続き、すぐさま号令と兵士たちの慌ただしい足音が聞こえてきた。


辺境伯軍のアルダガ村残留組を率いているのは、元エギル軍所属の古参騎士夫婦であった。

女騎士【ビューネ】は妻であり、多くの古傷を自らの勲章だと誇る歴戦の戦士であり、エギル軍の参謀格でもあった知恵者で、上級騎士に最も近い騎士とも呼ばれている。


“その横顔はメイヤーナのコインに彫られた歴代のメイヤーナ王女にも勝り、

その瞳は戦場で見上げた夜空に輝く満天の星達よりも美しく瞬き、

その口が紡ぐ魂歌の如き言の葉は如何なる吟遊詩人よりも雄弁で、

その姿を見た見た全てのメイヤーナの民は皆心にその雄姿を焼き付けるだろう。”


とは、現在の夫である騎士が求婚の際に述べた口上の抜粋である。

王城での酒宴の折に突如始まった長大で熱烈な求婚に、居合わせた貴婦人たちは黄色い声を上げたが、当の本人は素晴らしく冷静にこう返したという。


「おまえなら背中を預けられる。分かった。」


そうして夫婦となった二人はその後もエギル軍の一翼を担う人材として活躍を続け、妻はエギルの相談相手として、夫はエグレンの稽古相手として信頼を勝ち取り、

現在はファヴァルを見守る良い先輩といったところか。

エグレンの豪快な性格とは正反対とも思える詩人肌の夫【ランバレア】も、その膂力で一目を置かれており、戦場では頼りになる存在である。

騎士としては武骨で実直、しかし戦場を離れれば戦記から貴人の恋まで何でも歌う宴の主役になる。

そんな彼が次々と発する命令によって、アルダガ村残留組は慌ただしくも規則正しく、戦闘準備を整えつつあった。


「報告!この辺りは狼たちの縄張りのようです、周囲の森の至る所で足跡や狩りの痕跡が発見されています」

「ほ、報告!数頭の狼を視認、こちらの様子を探っている模様」

「皆、慌てる必要は無い、狼は集団で確実な狩りを行う動物だ、こちらがまとまり隙を見せない限りそう簡単には襲ってこないだろう」

「夜中に移動したのがまずかったでしょうか、十分な下見をしないまま野営地とした場所が狼の住処とは…」

「仕方あるまい、理由の分からぬ村人たちの行動こそ差し迫った脅威だったのだから」


村の男たちが武装して集まっている、そんな報告を受けた騎士夫婦は、他の騎士たちとも相談して軍の移動を優先した。

村に居る限り地の利は村人たちにあり、素知らぬ顔で過ごせば食事や飲み物に何か細工をされる可能性もある。

大々的に問いただせば角が立ち、疑ったまま距離を取った対応をしてもいずれ関係に亀裂が走るだろう。

そう考え一度村を出る事にしたのだが、今度は狼である。


女騎士は様々な可能性を考えた末、狼煙を上げる事にした。赤い染料を混ぜ燃やした救援要請の狼煙だ。

そもそもアルダガ村を訪れたのは村からのソウルキーパー討伐要請を受けた為である。

しかし事ここに至って思い返せばいくつか不可解な点があった事に気付いた。

ソウルキーパーは稀な存在、そして長期に渡り存在し続けるのは更に稀な例だ。

それが消えるどころか活性化し、村に近づいてくる事など本当にあるのだろうか。

はなからソウルキーパーなど存在しなかった場合…その可能性に辿り着いてしまった女騎士の頭の中で、嫌なシナリオが次々と湧き上がる。


わざわざ村から数日かかる街道まで村長たちが出向いて来ていたこと

エグレン様の言を借りれば王宮にも勝るとも劣らない豪勢な歓待を受けたこと

先行した偵察の兵が戻らないこと

そして村人たちの不審な行動


村、そして森という辺境伯軍にとってアウェイとなる土地で、軍が分散してしまっているのは非常にまずいのではないのか。

もしここで仮想の敵に更なる一手があるとしたら。

女騎士の頬を、勲章に沿ってじっとりと汗が伝う。

とにかく、とにかく早く討伐隊と合流しよう、何か事が起こってしまう前に…。



狼煙を上げた翌日、夜中にあった狼たちの散発的な出没によって眠れぬまま朝を迎えたアルダガ村残留組は、その疲れを癒せぬまま新たな問題を突き付けられる形となった。


「西方より軍旗を掲げた一団が急速に近づきつつあり!数は100を下らぬ模様!旗印は大樹と熊!」


声をからさんばかりの大声で樹上から報告を行った物見の兵士は、自分が疲労のあまり声が出ていないのかと疑った、それくらい見下ろす野営地に反応が無かったからだ。

ここには接近する者たちの倍近い200人以上の兵士がいるが、慣れぬ土地と連日の緊張・不眠によって体力は限界を迎えつつあり、

その士気は騎士たちの鼓舞によって何とか保たれている状態であった。

そして今兵士たちの目に映ったのは、動揺を隠せぬまま立ち尽くす騎士たちの姿であった。



芽生え、それは陽光に照らされ息吹く新たな存在。

抑えきれぬ慕情、湧き上がる恐怖、形は違えど踏み出す勇気こそが進む標か。



「ダリーシュ子爵、どうしてこの様な、いったい何をお考えなのか…」



◎続く◎


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