第51幕:「魂器」
第51幕豆知識
【砦の魔女】…かつてのシーサック王国王女。死後にソウルキーパーとなる。砦の家族の笑顔と平穏を願って長い日々を過ごし、永い眠りを求めた。
【砦の聖女】…かつてのシーサック王国王女。英雄に嫁ぎベリュークとなる。砦の家族の笑顔と平穏を願って長い日々を過ごし、今も戦い続けている。
第51幕:「魂器」
◇新生王国暦5年 陽光季99日
冷厳。
一言で表すならばそれしかないとデノンは思った。
その空気を切り裂き有無を言わせぬ発言は、先程までの王女ファイルの持つ威厳はそのままに、しかし話を聞く気など毛頭ないと言う宣告であった。
頭の中では女って怒らせると怖えぇなどと不謹慎な事を考えてはいるものの、それをおどけて表に出す勇気も余裕も無い。
どうするべきか次の行動についての考えがまとまる前に壁掛けの魂芯灯が一瞬強い光を放って砕け散った。
後に残るのは暗闇だが、幸いにも、いや幸いかどうかは判断に悩むところだがファイルの場所は良く分かる、胸元の首飾りが放電する様に弱いながら光を放っているからだ。
真っ暗になった事で同様にファレーザも体の至る所から放電している事が分かる、きっと警戒している状態なのだろう。
「流石に暗すぎやしねぇか」
「ちょっと眩しすぎるねー」
正反対な事を言った2人が顔を見合わせる、ファレーザには聖堂内の状況が良く見えている様だ。
それが竜の目の特徴なのか、ソウルキーパーとしての特性なのか、はたまた何かの力を発揮しているのかは分からなかったが今はそんな事はどうでも良かった。
怪訝な顔をしてデノンが続ける。
「いやいや、あんな弱い光じゃ夜中に森の中を飛んでる虫みたいなもんじゃないすか」
「は?部屋中真っ白に見えるくらいにピッカピカじゃんファイル…あそっか見えないんだっけ人間の凡人て奴には」
「あ?一応俺だってそこそこエキル様に評価されてる騎士…」
突然デノンの目の前に突き出された拳は雷光を帯びてビリビリと鈍く嫌な音を発している。
だがそれがファレーザによる脅しや攻撃では無い事は流石に分かった、自分を助けてくれたのだと。
「お黙りなさい?」
雷光を放ったのはファイル、大きな声を出したデノンに向けて放たれたそれを寸での所で打ち払ったが、暗闇に浮かび上がるファレーザの顔には一切の余裕が無かった。
明確な殺意を持った雷光はこれまでの比では無い位に瞬間的で爆発的に迸って空間を焼き、何に当たらずとも漂う微細な埃などを滅して人間の鼻に焦げた臭いを届ける。
ここは、この聖堂は文字通りファイルの聖域、彼女の住処であると言うだけでは無く今や聖堂全体を覆い尽くす程の魂の輝きの奔流によってこの場を支配する存在となっている。
それはファレーザが雷雲の中を泳ぐように飛んでいる時と同じで、ファイルの力を最大限に引き出すだろう。
死を免れたデノンは一歩二歩と後退りし、ぎこちなく笑って見せた。
「…やっぱりこの岩山ごと壊しちゃわない?」
「ファイルとファヴァル様との約束を破るつもりですかファレーザ」
「なんか突然距離を縮めて来るじゃん」
「ふふ、だって私達姉妹みたいなものなのでしょう?」
「畏れ多いって言葉知らない?」
「今の私に怖い物など何もありません」
ファイルを刺激しない様に小声で、そしてゆっくりとした動作でどうだとばかりに胸を張るアローネに黒雲の竜の娘は見事にその牙を抜かれた。
そもそもファレーザは人間など虫けら扱い出来る力を持ってはいるが、別に人間を食べる訳でも交流を避けたい訳でも無い。
驚かせて蜘蛛の子を追い散らす様に逃げ惑わせるのは楽しいが、どちらかと言えば興味の方が強く話をするのも好きなのだ。
黒雲の竜を友として接していたシーサック王家の人間はほとんど居なくなってしまった。
だからファルタ王以外で、恐れるでも、畏まるでも、敬うでも、敵意を向けるでも無く、かと言ってただ馴れ馴れしいだけでもない、対等な形で話が出来る人間は貴重な存在で。
「嫌いじゃないよ、そういうの」
ファイルの前に立ちはだかってニヤッと笑い、ああ王女だったファイルもこんな気持ちだったのかなと、ふと思った。
今対峙している相手はファイルであってファイルでは無い、ついさっきその意識を手放したのは、静かな眠りを願っていた砦の魔女。
その魔女が去った今、そこに在るのは怨念とでも呼ぶべき存在だろうか、自らの死を、家族の死を、砦の終わりを認められぬ過去の魔女、在りし日の砦の聖女。
その願いはとてもシンプルでとても純粋で、とても重い。
魔女の枷から解放された聖女は、ただ自らの信じる幸せの形を守る為に持てる力の全てを振るうのだ、異物を排除する為に。
「しかし聖女さんに後を任せられやしたけどありゃあどうするんでやすか、ファレーザ様に守ってもらわないと何も出来そうにありやせんぜ」
「守れる限りはそうするけど、勝手な事したら私、自分を犠牲にしてまで守ろうとか思わないからね」
「ももも勿論守って頂けるだけでありがたい話で…きちんと方針を決めて動きやしょうや、ねファヴァル様」
「アア、ウン、ソウダネ、ソウダンッテダイジダヨネ」
敵を騙すにはまず味方から、誰も予想しない様な行動を取って雷光を誘発しそれをファレーザさんの瞬発力で対応して貰って、その隙にアローネさん達に接近戦に持ち込んで雷鱗の首飾りを破壊して貰う作戦だったんだ、どう?完璧な戦術だったでしょ!
とは、ファヴァルが頭の中で思い描いていた決め台詞の一つである、他にもいくつかのパターンを準備していたが全てお蔵入りになった様だ。
無言で項垂れるファヴァルを見て色々と察したデノンは、とりあえず蹴り飛ばしたいのをグッと我慢してその作戦を聞く事にした、何だかんだエキル仕込みの戦術家で、その蔵書である指南書の類も読み込んでいたからその発想力は侮れないのだ、その発想に限っては、応用力は別として、実戦で使えるかも別として。
「んで、何をどうするつもりだったんだ」
「えっとね…」
「嫌だよ守らないよ面倒だし」
「例え注意を逸らしても、私の力でファイルに肉薄してあれを破壊するまでは無理だと思います」
「っぐ、でもアローネさん早いし剣速なんて見えない位だし、届かない?」
「アホ、いくら早いったって足で走って鋭く突くのと、ピカピカバシーンとどっちが早いよ」
「そもそもあの雷鱗で出来た首飾りは剣で壊せる物なんでやすかね」
「不確定事項が多すぎる故、その案は却下とする、異議はあるまいなー?」
「っぐぐぐ、なんですかそれ」
「ん?お城でよく聞いたバーレットの言葉だよ、これでお終いって意味でしょ?」
一同揃って、あの顔あの声でそう言われたらそれはお終いだろうなと思いつつ、新たな策を考える。
ファレーザが矢面に立って睨み合いをしてくれているからこそこんないつも通りのやりとりを出来ているが、その実既に人間が百人単位で黒焦げになっていてもおかしくない量の雷光が打ち出されては掻き消されていた。
乱れ飛んだ雷光は壁や床をも焼き、転がっている金属で出来た調度品を繰り返し撃ち抜いて文字通り粉々にしていく、とてもじゃないがその背から離れたいとは思えない状況である。
「まずはこのピカピカバシーンをどうにかしないと、どうにもならないだろこれ」
「だからアローネさんの剣でグサッと」
「無理だって言ってんでしょバカ。あっ」
ついにアローネにまでバカと言われたファヴァルは深く傷ついたが何故か少しだけ嬉しそうでもある。
その気安いバカ呼ばわりはもし成長した姉が居たならばこんな感じだったかもしれないと思えたからだ。
手を叩き地面を転げまわって笑いたいのを我慢するデノンもブノンズも本気の罵倒だとは思っていないだろう。
そんなやり取りを背中に聞きながらファレーザは呆れて笑う、人間とは本当にバカな生き物だと。
そして、そんなやり取りがファイルに見えていないはずも無い。
「私の家を滅茶苦茶にして、よくもそんなにもヘラヘラと…痴れ者め!」
その怒りには、砦に攻め寄せたメイヤーナ軍への怒りと、強大な力を持っていながら思い通りにならないもどかしさと、目の前の楽しそうな光景への腹いせもあったかもしれない。
誰よりもこの場所の笑顔を求め、しかし今は目の前の笑顔に悔しさと憎悪を向けて冷酷な一撃を放つ、果たして今の聖女がその矛盾に気付いているかも分からない、長い間あの魔女もそうであった様に。
しばし人間が手出しなど出来ない様な雷光と破砕音のハーモニーが続いたが、ふと収まった攻防の跡を見ればその激しさは一目瞭然であった。
穿たれた壁は崩れ床には穴が開き、ファイルのすぐ側にあった石の王座の片方は背もたれ部分が綺麗に無くなっている。
その王座の横に悠然と立ちファヴァル達に向けて片手を真っすぐに伸ばすファイルは、破壊の中にあってもやはり美しかった。
撃てども撃てどもその身に届かぬファレーザを狙うのを諦め、ファイルは一度大きく深呼吸をすると両手を振り上げ頭上へと向けて特大の雷光を放つ。
聖堂の高い天井までの空間を一瞬で貫いたそれは、設置されていた巨大なシャンデリアに吸い込まれる様に消えると、次の瞬間には光と共に爆発四散させた。
薄暗闇に先程まで天井であった石粒がパラパラザーっと音を立てて降り注ぎ、混ざって帯電した金属片が不規則な軌道を描いて舞い落ちる様は幻想的だ。
「伏せろ!」
その幻想を打ち砕く様に飛んだ声に一早く反応したのはアローネで、見惚れるファヴァルを床に引き倒しその上に覆い被さる。
直後、幾筋もの雷光が頭上を乱れ飛んだ。
「うひぃ、あっぶねぇ!」
「何でやすか何でやすか何なんでやすか!」
「ファヴァル様お怪我は?」
「大丈夫、元々怪我だらけだし」
「それは良かった」
バーレットみたいな返しをするアローネが至って真面目なのがより一層ファヴァルの哀愁を強化するが、今はそれどころでは無い。
恐る恐る顔を上げて周囲を確認する一同の足下には、未だ微かに発光するシャンデリアであった金属片が散らばっていた。
一見無作為にまるで空間を包み込む様に迸った光が、苦々しくも楽しそうな顔のファレーザと悠然と冷たく微笑むファイルとを見れば意図された攻撃であった事は明白だ。
「こんなの初めて見たよ、やっぱりファイルは凄いね、でも二度目は効かないし私にも真似出来そう」
「強がっていないで素直に負けを認め退去して頂きたいものです」
「はっ、冗談」
もう何度目か分からぬ火花を散らせ、互いに発光する両者の存在感は圧倒的であった。
だからその影に隠れてコソコソと計略を巡らすファヴァルにとっては非常に好都合で、本当は正々堂々と戦うあっち側がいいなとは思いつつも着々と準備を進めている。
床に散らばるつい今しがたまで発光していた金属片をしげしげと見つめうーんと唸るその顔は、もう何年かしたら雰囲気に相応しい貫禄も出て来るのだろう。
やれば出来る子ファヴァルの本領が発揮され始めたのを、デノン達も敏感に感じ取っていた。
「それで、何か分かったのか、何か思いついたんなら言えよ」
「何でも言って下さいや、何もしなくったっていつ死んでもおかしくない様な状況でやすし」
このまだ若く調子が良さそうで軽口の止まらない副官も、一見すると狡猾そうで粗野な雰囲気を持つ副官も、経験豊富で優しく優秀な頼りになる存在で。
その少し苦笑気味だが真剣な顔は、もう何年か、いや何十年かしたら、溶けて消えた極めて優秀だった副官にも負けない貫禄が出る…かもしれないがその壁は高そうだ。
「さっきの強いよりも上手いって感じのピカピカバシーンだけど、あれは雷光を受けて光るこのシャンデリアの破片が落ちて来た所に、更に雷光を放った事でそれが破片同士を繋ぐ形で網の様に広がったんだと思う、だからファレーザさんを迂回してこの辺り一帯を…」
デノン、ブノンズ、そしてアローネもニコニコしながら首を傾げているのが微笑ましい。
副官の2人は何とか理解しようと頭を働かせているのに対し、アローネは考えるのを放棄し凛々しいファヴァルの顔を眺めて和んでいるだけだが。
「えっとね、つまりあのピカピカバシーンはある程度金属に向かって飛ぶ性質があるから、それをこっちも利用出来ないかなって」
「なる、ほど。そしたらこの破片を拾い集めて投げ付けてみるとかか?」
「そうすればアレを散らして肉薄できるかもしれやせんね」
「いや、これだけ飛び散ってるの集めるの大変だし、そんな事してたら母さんに目を付けられちゃうでしょ」
既に3つほど破片を拾い集めていたアローネがそっと後ろ手にそれを捨てたのは内緒である。
「あっ。じゃ、じゃあどうするのかな」
「コレを使う時が来たのだよ諸君、こんなこともあろうかと、ふっふっふ」
そう言ってファヴァルは腰のベルトに下げていた袋の一つをポンポンと叩いて見せる、中から金属の擦れるカチャカチャと鈍い音がした。
それは携帯用の腰袋としては大きく、布地の余った部分は無理矢理ズボンの中に押し込まれている様だ。
縛っていた紐を解いてファイルを背に地面に広げると、それは黒雲の竜が描かれたシーサック王国の旗と、その中に包まれていたシーサックの硬貨であった。
一部に汚れがあるのを見てデノンは溜め息と共に顔を覆う、ブノンズも気付いた様で小さくアッと声を出し旗とファヴァルの顔を交互に指差す。
地面に広げられたのは武器庫で汚れた顔を拭き、バーレットに洗って戻せと怒られた旧シーサック王国の将旗であった。
「おいこらてめぇ、旗はともかくこの硬貨は何だよ」
「あそこから盗んで来たんでやすか?はあぁぁぁぁガッカリでやすよ」
「違っ、違くて、いや違うから、これはね………違うよ!?」
どう考えても違わないのだがどうしても違う事にしたいファヴァルの無駄なあがきは続き、助けを求めた先で止めを刺された。
「違うんだってば、何て言うかこれは軍資金で、そう今後を見据えて確保した大事な資金でだね」
「うるっせ、だったら堂々と持って来いそもそもここの領主になったらお前の物になるんだから持って来る必要無いだろアホう」
「わざわざ重くてかさ張る物を持って来て何が今後を見据えてでやすか本当に状況を理解してやすか」
「うわ、違、うわぁぁこれは高度な戦術で、ね!アローネさんなら分かって…」
「ファヴァル?これはドノヴァー様の旗よ?とっっても大切な物なの、その黒ずみもテラテラしたのも硬貨の跡もしっかり落として毎日祈りを捧げなさい?」
「ふひゃい」
ファイルに負けない位の冷厳な視線を浴びせファヴァルを黙らせたアローネは、しかしその一方で旗を優しく撫でている。
恐らくとても久しぶりに見たであろうそれをじっくりと見つめ、懐かしさだけでは無い何かと共にうっすらと涙を浮かべている。
アローネにとってそれはとてもとても大切な、思い出の中でドノヴァーの顔と共にある旗であった。
「…そっか、将旗って将軍の旗だもんね、今までベリューク軍と言えば母さんのイメージが強くて勘違いしてたけど、この旗はシーサック王国の将軍だったドノヴァーさんの、父さんを示す旗なんだ」
この旗はただの軍旗では無く、少なくともこの砦には一つしか存在しない将旗で、ドノヴァーを示すそれを養女であるアローネはとても大切に思っている。
ならば妻であるファイルにとってもこの旗は特別であるはずで、それは聖女に対する不可侵の盾足り得るのでは無いだろうか。
とは言え聖女が扱う魂歌はあくまでも魂から生まれる祈りと願いの力、連発している雷光はその胸元の雷鱗から発せられる無尽蔵とも思える光を増幅させ撃ち出しているのであって、そこに火種があれば燃え盛る炎を、そこに水があれば渦巻く流れを、そして空気さえあれば突風程度は起こせる、ファイルの技量と力量があれば局地的とは言え様々な事象を巻き起こし操れるだろう。
旗そのものは攻撃出来ないかもしれない、だがそれならば風なり何なりを使って旗を目の前から排除してしまうかもしれない。
使えるのは意表を突いて一度きり、それでも人間が偉大なる者に挑む切り札になり得るかもしれない。
一つ増えたピースを組み合わせ流れを形作る、二度目は無い、失敗すればそもそも命が無いだろう。
そして聖女の笑わぬ仮面はより固く厚く、その美しい顔を覆い隠して剥がれなくなってしまう。
「確認だけどあの雷鱗の首飾りって、魂器って事でいいんだよね?」
「正確には違うけど、そうだよ。本来は肉体を失った魂が空へ還るのを良しとせずに自らの体の代わりになり得る物に宿る…まあしがみついて地上に残ってるって感じかなー」
毒と鋼に倒れた黒雲の竜ズィードの魂はそのお腹の中に居たファレーザに宿った、だがそのファレーザもじきに肉体を失った為、不安定な状態のまま地底湖に在った魂はその一部が最後の友であった王子と王女の許へと飛んだ。
現在の涙還王と、砦の聖女の所へと。
そこでそれぞれが持っていた雷鱗に宿り、今なお友としてその意識の一部を残している。
「じゃあさ、例えばこの旗って父さんの魂器になったりする?」
「無理」
「…く、詳しく…」
「あ゛ー。その旗自体はもしかしたらその可能性はあったかもしれないけどね、あーでもそんなフニャフニャじゃやっぱり無理かも、そもそも魂ってのは体が無ければどんどん散って行っちゃうの、ソウルキーパーなんてのがそこら中に居ないのはそういう事、だから今更そこに昔の魂が宿る事は無いかな。まあ散った魂の輝きを集められるような力の使い方を知ってる子なら王様1人分くらい昔の魂を集められるかもしれないけど」
「それはファレーザさんも使えたりする?」
「無理無理、私の知る限りそんな事出来るのは小さな巨大魚のヒュライラーくらいだもん」
ダメかぁぁと盛大に溜め息をつくファヴァルだが出来たらいいなくらいの気持ちではあったのでショックは少なそうだ。
もし父であり夫であるドノヴァーの魂をこの場に呼べたなら、きっとファイルを説得してくれると思ったのだが。
「この手札でやるしかないか、きっとズィードさんもここぞと言う所で力を貸してくれるはず!アローネさん、やっぱりあの首飾りへの対処をお願いしたいです、なんとしてもその隙は作るので」
「剣の腕で何とかなるのなら、何とかして見せるけど」
「ファレーザさん、さっき真似出来そうって言いましたよね、出来ますか」
「あったりまえでしょ」
「ブノンズさん、武器庫から回収してきたあのお宝、持って来てますよね」
「何だかその言い方はさっきの硬貨の件をうやむやにしようとしてるみたいで釈然としやせんが、まあここに」
「…はは。えっとデノンはコレを持って、それでブノンズさんと挟撃して欲しいんだ」
「おいおい責任重大だな、ま、やるしかねぇんだけどよ」
ファヴァルは作戦に必要なピースを一つ一つ確認し、その実現性を計算する。
綿密に準備し、その振れ幅の確認を行い、実行するに足るかを計算し、戦いに挑む。
エキルに教わった心得をしっかりと思い出して行けるかどうかの決断を下す。
「成功の可能性は有ると思う、でも決して高くない、それでも行くしかないけど正直もう一つか二つくらい決定打が欲しい、けれど現状でこれ以上の準備は期待出来そうにないんだ」
「それは作戦としてどうなんだよ?問題点は」
「一番のネックは初動のデノンとブノンズさんなんだよね、母さんに対処する時間を与えずに皆で波状攻撃を仕掛けて欲しいんだけど、デノン達が先頭で矢面に立つのは無理があるし、かと言ってアローネさん達の後ろだと足の速さが違いすぎて」
「何だかまたしても釈然としない言い方でやすが、確かにあの剣士さんと比べたら身軽さは雲泥の差でしょうや」
「ま、いきなり足が速くなるなんてことは無いにしても、少し休めたからかな?だいぶ調子はいいぞ」
「そういえばここに来るまで歩くだけでも体が重く感じやしたが、酒が回る前とかぶっ倒れる前みたいな妙な高揚感が…」
軽くその場で足を上げたり腕を回したりして感覚を確かめる2人の様子は、軍議室でへばっていた時とは比べ物にならない位に元気そうであった。
おお?っと思い自らも体を動かしてみると“普通に”動いた。
重傷を負い早めの治療が必要と言われていた状態から、聖女のベリュークを鼓舞する歌声に包まれ動ける程度には回復していたが、それにしてもこんなにも復調していただろうか。
軽々と動く腕を不思議そうに見つめるファヴァルに、今度はファレーザが不思議そうな顔をする。
「甥っ子君は何でそんなに驚いてるのかな?さっきファイルが君と君の仲間達に宛てた詩を歌ってたじゃない」
ハッとしてファレーザとの睨み合いと散発的な撃ち合いを続けるファイルを見る、そこに居るのは先程歌った魔女では無いが、聖女ファイルの伝承で最も有名な仲間を癒し鼓舞する歌声は確かに自分達に届いていたのだ、今度は敵と認識されなくなったデノン達も含める形で。
消えた魔女の最後の歌声は、自分自身を見つめるような、もう一人の自分に言い聞かせる様な、別れを悲しいものとしない為の詩の様で、そして何よりも“託す”詩であった。
体中の水分を失ってしまうのではないかという位に昨日から泣きっぱなしだなぁと思って、自分の涙脆さ、泣き虫っぷりがちょっと恥ずかしくなる。
それでも、涙は流れ続けていても、笑顔だけは忘れない。
その笑顔こそが託されたものだから。
「ありがとう母さん、行ってきます」
虚空を見上げ感動に浸っていたファヴァルのすぐ横を烈風と共に調度品が吹き抜けて、その一つがデノンを直撃した。
もしかしたら以前にデノンがファイルに投げつけた物だったかもしれないと思うと、随分と楽しくて根に持たれた仕返しだが流石に考え過ぎだろうか。
「どわっ、っっと、とと、だぁ!痛ってぇぇぇ!!」
「荒れ狂う怒りなんて表現は詩の中だけにして欲しいもんでやすね!」
「ファヴァル様、ファイルが戦い方を工夫してどんどん厄介になってます、急がないと!」
先程の金属片を使った辺り一帯を覆う雷光と言い、風で巻き上げた調度品を飛ばしてくるこの手法と言い、確かに戦い方が上手くなって来ている。
王女で聖女のファイルは自ら剣を手に斬り込む様な戦い方をしていた訳では無いが、常に兵達と共に戦場に在りその戦いを見て助けていた。
だから少なくとも戦いを怖がるような事は無いし、武器を扱う技量は無くとも戦い方というものは知っている。
そんな素晴らしい経験と才能をここにきて開花させなくてもいいじゃないかと内心毒づきつつ、決着を付ける為に全てが動き出した。
「母さんの魂を還して、あの首飾りも壊せば祈りも守りも無くなるんだよね!」
「そうだねー!壊すか今ならファイルと首飾りを引き離せればズィードが何とか出来るかもねー!」
風に負けぬ様にしっかりと踏ん張り、時折り奇襲してくる物体を後ろへと受け流し、全員がいつでも走り出せる体勢になる。
「アローネさん!それじゃあ狙い通りお願いします!」
「かしこまりました!…お姉さんに任せなさい!」
何かを仕掛けて来そうだとこちらの動きを察し、再び頭上へと撃ち出された雷光によって天井だった岩の破片が降り注ぐが今更この程度では動じる事も無い。
「デノン!左!ブノンズさん!右!」
「もう死んだ気で行くぜぇ!」
「まだ死にたくは無いですぜ!」
ちぐはぐな様で息はぴったりと合っている副官達は偉大なる戦場に足を踏み入れた、古来その戦場から生きて帰った人間は数少ないが全く存在しない訳では無い。
「今貴女の許へ行きますから!」
「戯言を!!」
床岩が穿たれ弾け飛んだ石が風に乗り礫となってファヴァルを襲う、その鋭さは彼の目元に一条の赤を引いた。
それでも不敵な笑みは絶やさず、しっかりと目を見開き聖女を見据えジンジンと痛む傷の感覚を戦いの燃料として滾らせる。
「そんな表情、母さんには似合わないよ」言うとまた怒られそうなその言葉は腹の奥底へと飲み込んで。
「今日ここで!この地に笑顔を取り戻す!さあメイヤーナとベリュークの精鋭達よ、今こ…」
「メイヤーナでもベリュークでも無いから先行くねー…っすぅぅヴァァァァァァァアァァァァ!!」
一歩踏み出し大きく息を吸い込むと、ファレーザは特大の咆哮を発した。
その衝撃は聖堂に巻き起こっていた風を吹き飛ばし転がっていた岩や物を壁際に追いやる。
予定通りの開幕だがやっぱり予定通りには行かないもんだなあと、この局面に至っても形から入ろうとしたファヴァルは内心でガックリと項垂れる。
しかしもう幕は上がってしまったのだから、後は終演まで駆け抜けるのみだ。
操っていた風の流れを失い、手駒たる小物も聖堂の隅へと遠ざけられてしまったファイルは風を捨て再び雷を発しようとして怯んだ。
咆哮に続いてファレーザがその手から放ったのは、本来の自分と同じ顔、シーサックの護り竜である黒雲の竜の顔が彫られた硬貨。
旧シーサック王国で当たり前の様に流通していたが、続く西帝国時代に“何故か”皇帝によって廃されたデザインの今は使えぬアンティークコイン。
その硬貨がファイルに向かってばら撒かれたのだ。
「言ったよね、私にも真似出来そうってさ」
直後、ファレーザから放たれた雷光は身を守ろうとするファイルの意識を掻い潜り、硬貨を伝って乱れ弾けてその視界と動きを封じる。
その隙は俊足を誇るアローネにとって十分なものであった。
「ファイルゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
石の王座の周囲に散らばり帯電して光を放つ硬貨はまるで舞台上を照らし出す照明の様で、浮かび上がる聖女の姿はその雰囲気も相まって幽玄とでも言うべきか。
一直線に駆け出したアローネはその手を真っ直ぐに伸ばし、その剣先はしっかりとファイルの胸元を捉えている。
同時にドタドタと、アローネの様に軽やかでは無いが力強く走り出したデノンとブノンズはそれぞれファイルの左右の腕を押さえようと必死に後を追うが、同じスタートラインに立っていたはずなのに既に背中と後ろ髪しか見えない程にアローネが速かった。
そのまま勢いを殺さずに駆け抜けた英雄の剣は胸元で光を発する雷鱗の首飾りに届き。
刹那、交錯する視線と表情は対照的で、射貫き圧倒しようとする怒りに、迎え受け入れようとする笑顔が勝った。
アローネの剣先は首飾りの表面で溶け、白い霧となり霧散する。
雷鱗の硬度は鋼を再現した剣を受け付けずそれを防いで見せた、だが構わずにアローネは腕を伸ばし剣を溶かしながら貫く。
そのままの勢いで強く、ファイルを抱き締めた。
刀身を失った剣の柄と、鎖を切断された首飾りが宙を舞う。
「どうしてそんなにも笑っているの」
「ファイルがここに居るから」
だが、共に涙を流す2人の距離はこんなにも近いのに。
「どうして私の邪魔をするの」
「ファイル!」
聖女が伸ばした手は鎖の端を掴んでいた。
「…!!…!!…!!!」
体を覆う様に発現した雷撃は額が密着するほど“そこ”に居たアローネの姿を一瞬で掻き消し、消滅させた。
その人間離れした破壊力と所業は、紛れもなく偉大なる者と呼ばれるに足るもので、偉大なる戦場に足を踏み入れた者の末路として描かれる伝承の一幕そのものであった。
だがだからと言って、既に全力でそこへと走り出した足を止める事など出来はしない、目の前で起こった出来事など何かの冗談だと自分を誤魔化して石の王座へと突き進むのだ。
後戻りなど出来ない事はデノンもブノンズも、続いて走り出していたファヴァルも分かっている。
その涙が恐怖からなのか悲しみからなのかも分からないが、雄叫びを上げてがむしゃらに走った。
「出て行きなさい!」
左右から緩く弧を描く様に迫っていた2人を雷光が襲う、人間を消し去れる綺麗で恐ろしい光が。
だがそれは2人の体に当たって服や鎧を破壊し悲鳴を上げさせたものの、吸い込まれる様にして消えその体を打ち砕くでも消し炭にするでも無い。
「怖ぇ!怖ぇ!怖ぇぇぇ!うわぁあぁぁ痛ぇぇぇ!」
「うぉぉ!うわぁぁ!うぉぉおおわぁぁ!?」
感情ぐしゃぐしゃで泣き笑いファヴァルが喜びそうな悲鳴を提供する副官達の胸では、雷光を吸収した雷鱗が光を放っていた。
一つはファヴァルがグノッサリオの遺骸から借りた物、もう一つは軍議の際に保管されていた武器庫から回収されていた物だ。
皮膚を焼き髪の毛を燃やしたが、一瞬で人間を消し去る程の雷光を受けて生きて走って悲鳴を上げられているのだから儲けものとしか言いようが無い。
そのまま肉薄しつつあったデノンとブノンズに向けて再度雷光が放たれるも、やはり上質な悲鳴を提供するに留まった。
目の前に迫る男達の悲鳴と怒声と涙と鼻水と笑顔と血走る瞳に、さしものファイルも釣られて悲鳴を上げる。
いや、単純に絵面が怖すぎただけかもしれない。
その恐怖を振り払う様に、迫る男達を拒絶する様に、身を守る様に雷撃の殻を纏おうとして、眼前に現れた黒雲の竜に目を奪われた。
「母さん!!」
広げられた旗には友であるズィードが、黒雲の竜の姿が描かれ、囲う金の刺繍は見慣れたドノヴァーの将旗で。
傷つける訳にも燃やす訳にもいかぬそれに聖女は怯み、アローネを消滅させた雷撃を発する事無く旗ごと飛び付いて来た男に抱き締められた。
「ぶ、無礼な…!」
旗を挟んで密着する無礼でぐしゃぐしゃな顔の気持ち悪い男を引き剥がそうとするが、いざ雷も風も使えないとなると一般的な成人女性の腕力では全く振り解けず恐怖が加速する。
必死にもがく中でその意識は混乱し、冷静さは失われ、大きな隙を生んだ。
「い、いや、離しなさ…やだ!離して!やめて!!」
「デノンさん今ですぜ!」
「おっしゃぁぁぁぁぁ!」
副官達によって聖女の手から奪い取られた雷鱗の首飾りは狩りでの最高の獲物とばかりに高く高く掲げられる、そこへファレーザが走り込んだ。
「構えて!鱗全部!」
慌てて3枚の雷鱗を一纏めに重ねて持ち、デノンとブノンズがそれをファレーザに向けて突き出すと、風を纏った破壊が襲った。
「ダメ!返して!ダメーーーーーー!!」
それこそ雷光の様な蹴りを受けた雷鱗は重ねられた事で衝撃を逃がせず、綺麗に砕けて光と破片を撒き散らした、悲愴を浮かべる聖女の前で。
と、同時に一緒になって吹き飛ばされた副官達も綺麗に宙を舞い、落ち、転がり、壁にぶつかって動かなくなるが時折り呻き声は聞こえているので死んではいない様だ。
得意気に胸を張っているファレーザはきっとデノンとブノンズの事までは考えていなかっただろう。
やがて静かになった聖堂には、か細いすすり泣く声が響き始めた。
ファレーザ達の邪魔はさせまいと、これ以上何もさせまいと、旗で包み込むようにしっかりと抱き締めるファヴァルを振り払えず、物理的に抗う事を諦めた聖女は堰を切ったように涙を溢れさせる。
周囲に広がる凄絶な破壊の跡など嘘の様に、そこに居るのは1人の悲しみに暮れる女性であった。
「母さん、あのね」
まだショックと現実に抗う聖女はイヤイヤとばかりに首を振り、話を聞こうとはしない。
だがその拒絶も弱々しく、抱き締めるその体はファヴァルと背丈は変わらないのにとても小さく思えた。
その身にベリュークの行く末を背負い、多くの魂達を統べるには小さすぎると。
「もう戦わなくていいんだよ、母さんも、僕も、ベリュークのみんなも」
「私には責任があります」
「そんなもの無いよ」
「いいえ、簡単に放棄する事など出来はしません」
すぐ目の前にある悔しそうな顔は本気でそう思っているのだろう、自分には果たさねばならない責任があると。
その強過ぎる責任感こそが、笑顔の絶えない平和な日常を願った聖女のもう一つの顔、王女としての顔なのだろうか。
ならばその重責から解放して上げたい、それは同時に笑顔を取り戻す事にも繋がるはずなのだ。
「誰も母さんに責任を取って欲しいなんて思ってないし、責任を感じて欲しいとも思ってないんだ」
「敵である貴方に何が分かると言うの?」
(嗚呼ダメだ、魔女(母さん)と繋がれた魂はまだ聖女(母さん)とは繋がっていない)
懸命に切り口を探すがどんな言葉も表面的でその魂に刺さるとは思えなかった。
こんな時にバーレットが居たら何と言うだろうか、アローネが居たらどう伝えるだろうか。
ファヴァルには血の繋がりはあっても共に過ごした時間の長さと育まれた絆の深さが圧倒的に足りていないのだ。
既に去った魂の大きさと輝きの強さを、その存在感を改めて実感する。
「ファレーザさん、バーレットさんとかアローネさんの魂を、その…」
「還った魂は元には戻らないよ、あの2人の魂器になるような物もここには存在しない」
尽くすべき言葉が見つからず、示すべき光も見出せず、ただただその心を救いたくてギュッと抱き締め続ける事しか出来ない。
その悲しみを覗き込み、その深さを計るにはファヴァルはまだ幼過ぎた。
「魂器…還った魂を…」
ふと思い付いた様に呟いた聖女の瞳がスッと細められた。
自分を包む旗を傷つけたくないと思うからこそ、彼女はファレーザをも震撼させ得る力を使っていないだけで、例え雷鱗の首飾りを失ってもその魂の輝きが失われた訳では無い。
この物理的な拘束を解くにはどうすればいいのか、物理的に自分が強くなればいいだけの話ではないかと。
「力を貸してズィード、私の友達、私の許へ、私と共に!」
力強い言葉に比例するように、ファイルを抱き締める腕が内側からの大きな力によって押し返される。
その力は必死に抑え込もうとするファヴァルにまるで嵐をその腕で抱き止めようとしているかの如き錯覚を覚えさせる程だ。
涙を浮かべたまま不敵な笑みをも浮かべるファイルの顔は、まるで物語に登場する悪い魔女の様ではないか。
「うわー、なるほど、これは予想してなかったなー」
「ファレーザさん手伝って下さい!これは一体どうなってるんですか!」
「ファイルってばさっき散ったズィードの魂の宿主になったよ」
「はあぁぁぁぁああ?」
砕けた雷鱗の首飾りには一部とは言え黒雲の竜ズィードの魂が宿っていた、その魂器を失った魂の欠片を今度は自らの身を魂の宿主として招き宿らせたと言うのか。
偉大なる者の魂に耐え得るファイル自身の魂の強さと、両者の絆の強さ故に成し得る力技だ。
そんな事が出来るなどファレーザでも予想し得ない想定を超えた事態であったが、想定外の幸運とも言えた。
何故ならば。
「ファレーザさん落ち着いてないで助けて!無理!腕千切れる!」
「大丈夫大丈夫」
「ぎゃー痛い死ぬもうダメあーーーーー!!」
大丈夫と言う割にファヴァルの腕は塞がっていた裂傷が再び裂けて出血しているが、死ぬ程では無いから大丈夫という事らしい。
実際に腕が千切れるには至らずに止まったので命には別状は無いだろう。
流れ出た血は大事な旗を赤黒く染めてしまっているが、またバーレットやアローネに怒られてしまうだろうか。
とにかくこのままでは大惨事になると思ったファヴァルはまだ生きていて、感覚の無くなりつつある腕は未だに旗と聖女を包み込んでいる。
「なんで…なんで…助けてよ…」
雷を帯びたかの様にその輝きを取り戻していた瞳は、再び涙に濡れ光と希望を失ってしまっていた。
「貴方までそんな事を言うなんて、これまでだってずっと…」
嘆く聖女には友の声が聞こえているのだろうと察し、改めて母親の大きくて小さな背中に力を込める。
その背をさすってポンポンと励ましを贈りたかったが、実際にそう出来ているのか分からなかった。
だが包みを振り解こうと、ファヴァルから離れようとしていた体から嵐の様な力は失われ、元々持っていた力すらも失ってしまったかの様にその体はファヴァルに預けられている。
支える母の重みに、痛みに勝る安堵を覚えた。
「でも、私には…この責は王族として絶対に…人間では無い貴方には分からなあっ、違う、違うの!お願い…お願いだから…ズィード…うう…」
ファヴァルは心が折れてしまったのであろう母を見て、折りたかったのはその責任感だけだったのになと思う。
そもそもが無謀な賭けであり、偉大なる戦場にあってこの状況に落ち着いたのは奇跡と言える。
だがこれは笑顔を取り戻す為の戦いであったはずで、この結末に妥協する事など出来はしない。
出来はしないが、どうすればいいのか分からない自分がもどかしくて自然と腕に力が籠る。
政の経験も、戦いの経験も、人生経験そのものも浅い事をこんなにも突き付けられるとは思っていなかっただろうし、それは他の誰もが同じだろう。
「は?嫌だよ面倒だし、私はやらないよ」
「そか、ファレーザさんにはズィードさんの声が聞こえてるんだよね、何て言ってるの」
「ズィードがさー、ってそうだよ甥っ子君が適任じゃんね」
「…はい?」
詳しい説明をする気など端から無いのだろうが、ファヴァルの質問には答えずにぼそぼそとやり取りを続けるファレーザ。
その顔が再びファヴァルへ向き、ニタァっと笑った時点で逃げ出したかったが当然ながらそうも行かなかった。
「じゃ、よろしく!」
「え、な、何?何なの!?ファレーザファーーー?」
良い笑顔でファヴァルに歩み寄ったファレーザは、そのまま背後を取るとファヴァルごとファイルを抱き締める。
訳が分からないし訳も分からないし訳が知りたいし、色々と感情がグチャグチャになって元々纏まらなかった言葉が更にこんがらがって奇声しか出てこない。
混乱しながらも同じ様な作りの顔と髪に挟まれ少しだけ鼓動が早くなるファヴァルに新たな声が聞こえて来た。
“我が友ノ末ノ娘ノ子よ”
「!! はいっ!…ズィードさん、ですよね」
“イカニも。王族ノ責務トやらにツイテ、最早不要ト説ケ”
「…そうしたいんですけど、僕は王族として育てられていないので分からないんです」
“使えヌ”
重厚かつ圧倒される様な存在感から発せられた最小限で最大限の罵倒はファヴァルの心を鋭く抉った。
何が起こるかも知らされず心の準備も無しに偉大なる者から使えない認定された事は、彼の記憶に一生残るトラウマだろう。
しかし相手が揃って黒雲の竜である時点で、事前に何かしらの準備をしていたとしても結果は同じだったかもしれない、ファヴァルが勝手に傷を負っただけで竜達からすればどうして傷付いたのかすら理解していないだろうから。
「ゴメンナサイ…ゴメンナサイ…。やっぱりファレーザさんの方が王妹なんだから詳しいんじゃ」
「王妹って事になってるってだけで人間の責任がどうとか知らないし知りたくもない私人間じゃないし」
「ゴモットモ…。でもそしたらもうファルタ王でも呼んで来るしかないんじゃあ」
「甥っ子君今から呼んで来る?別に待っててもいいけど、あ私は嫌だからね面倒だし」
「あのいや一応まだ対外的にはメイヤーナ王国の辺境伯なんでシーサックの王城まで行けるか分からないしそもそも何日かかるかも分からないし…」
「使えない」
“使えヌ”
精神的には何度死んだか分からないが、ファイルとファレーザに挟まれていた為肉体は崩れ落ちずに済んだ。
しかし残酷な位に自分には出来る事が無いと悟りいっそ意識も肉体の感覚も手放したくなる、そう出来たらどんなに楽だろうかと。
「僕も母さんみたいにバーレットさん達の魂の宿主になれたら良かったのに…そしたら思考も体も全部任せて説明して貰って…」
「だから無理だってば、君にはそんな輝きは無いし魂の繋がりも散った魂を呼び集める力も無いし」
素晴らしく的確で鋭い刃を耳元から直接脳に放り込まれて、ボロボロになりながらファヴァルはふと思った。
バーレットやアローネとは打ち解け絆は芽生えていたと思うが、確かに魂の繋がりがあるとまでは言えなかっただろう。
では自分と魂の繋がりがあると言える様な人は居るのだろうかと。
養父エキルであればその可能性があると思うが、エキルの魂は今も肉体と共にある。
それ以外の家族ではどうか、エグレンは良い叔父で頼りになるが共に居た時間が長い訳では無い、そもそも今も外で戦っているはずだ。
母ファイルは目の前に自我を持って存在しており、姉ファノアは幼くして亡くなっていてファイルの祈りでもその小さな魂を留められなかった。
それでは実父のドノヴァーはどうか。
「ねえファレーザさん、前にヒュライラーなら王様1人分くらい昔の魂でもその輝きを集められるって言ってたよね」
「そうだねー、私には無理だよ?あんな面倒な魂の使い方よく出来るなって思うよあいつは」
「それ、母さんなら出来ると思う…?」
ファレーザにしては珍しく驚いた様な顔をして、キョトンとしたままファヴァル越しにすぐそこにあるファイルの顔を見る。
度々黒雲の竜を焦らせ感心させた、細やかで複雑な魂の使い方をする聖女の放心した顔を。
まるで時間が止まってしまったかの様に支えられるがままにただそこに立っていて、輝きを失った瞳から滔々と流れる涙だけが生きている証と言えるだろうか。
いや、そもそも時間は止まっているのだからその涙こそがあってはならない生への執着なのかもしれない。
「やり方を母さんに…」
「どうやってるかなんて分からないよ、そもそもああ言うのは思い描いた力だから言葉で説明するなんて無理だし、明確な手順も無いし」
“フム、小さき黒雲ヨ、こうして共ニ在ル今なら分かタレタ我が記憶モ取り戻セよう”
「えー、この旅の思い出はお気に入りなんだけどな…でも、ズィードの物だもんね」
残念そうに、それはそれは残念そうに、とってもとっても残念そうに、未練たっっぷりに承諾し、抱き締めるファイルの体を通じてそこに宿るズィードに思い出を解放する。
外の世界に憧れて、しかし実際にその目で見る事無く胎内で肉体を失ったファレーザの為に、自身の魂の大半を思い出と共に託したズィード。
数百年を生きた黒雲の竜が見た風景や経験した出来事は、人が数百冊の本を読むに勝る知識の宝庫だ。
そして言葉では説明するのが難しい内容も、その周囲の景色と共に思い出の中の映像として“観る”事が出来れば、言葉の比では無い理解を得られるだろう。
今、魂の宿主としてズィードと共に在るファイルには、そのいつか見た光景を見せてあげられるのだ。
“ お願いヒュライラー もう一度あの人に会いたいんだ ”
“ 空に還った魂はそれがあるべき姿なのですよ そのお願いは聞けないわ ”
“ 分かってる それでもお願い どうしても聞かなければならない事があるんだ ”
“ 他ならぬ貴女の頼みだけれども でも ”
“ 我ガ願いでもカ あの奇跡ノ様ナ光 もう一度見テみたいモノダ ”
“ 黒い 竜? ヒュライラー逃げて! 水底へ! ”
“ ソノ様な矢でハ 我ガ鱗は貫けぬゾ 小娘 ”
“ はっそれはどうかな このヒュライラーの弓なら 例え竜だって撃ち落として見せる! ”
“ ナルホド 仮初めノ魂器カ ヒュライラーが小娘に力ヲ貸すトハ ”
“ 小娘じゃない! 私はフレンデッタ この地の族長の一人娘 ”
“ 知らヌ 一人娘モ小娘モ 何が違うのダ だがソノ魂ノ輝きは気に入ったゾ 小娘 ”
“ 生意気な竜だ 私は気に入らないぞ でも戦う気が無いならヒュライラーの説得を手伝って 黒い 何と呼べばいい ”
“ 名ナド無い ヒュライラーよ この湖ニ雷ヲ落とす前にヤレ ”
“ 貴方の様な者を 人使いが荒い と言うそうですよ ”
“ 人デハ無イ ”
“ 貴方はそういう竜よね それでは雷を落とされる前に フレンの涙に応えましょう ”
「すごい…綺麗、湖が…」
“水ノ中ヲ光ガ渦巻き舞い踊リ、やがて水面カラあの小娘ノ伴侶が姿ヲ現した、コノ力が解るカ”
「生み出すイメージ、水で体を作って、生きていた頃の姿を焼き付け、そこに魂があると信じる…信じて呼びかけそこに散ったはずの魂を招く」
“出来ルか”
「簡単では無いけれども、ヒュライラーの願いは良く分かる、綺麗な鱗と綺麗な心を持った、信じる事を諦めない方ね」
“ナラば出来るナ、君と同じダ”
そんなつもりで言ったのでは無かった、だから唐突に褒められてファイルは驚くと同時に素直に喜びを感じた。
“最近は”ずっと褒めてくれなかった友達が久しぶりに自分を褒めてくれたのだ。
砦を守る聖女ファイルとして、こんな会話をしたのはいつぶりだっただろうか。
綺麗な景色を見て心が浮かれるのは、こんなにも心地良かっただろうか。
「私の幸せは今ここにあります」いつか自分で言った台詞が頭をよぎった。
ファヴァルとファレーザの目の前には、光る湖面の様に輝く瞳があり、魔女が帰って来たのかと錯覚する様な笑顔があった。
いや…聖女が、聖女も、帰って来たのかもしれない。
「あの…母さん?お願いがあるんだけど…」
「…、聞きましょう」
「父さんと話をして欲しい、きっと心配して近くに居ると思うんだ」
「ドノヴァー、と?」
少し首を傾げ不思議そうな顔をして、何かを考えている様な、思い出している様なファイルを中心に静かに風が舞い始める。
その風はまるで砂金でも振り撒いたかの様にキラキラとした輝きを含んでいて、とても不思議な光景で。
「ドノヴァーは…外に…薪の蓄えが少し心許なくなって…だから」
「違うんだ母さん、落ち着いて聞いて欲しい、父さんは」
「そう…ファノアが泣いてしまうから…早く…」
聖女の顔はとても優しく落ち着いていた、一見するとまた魂が揺れ動いているのかとも思えたのだがそうでは無かった。
うわ言の様にブツブツと呟くのでは無く、しっかりとファヴァルを見つめ、とても穏やかな表情でその瞳を合わせその髪を撫でている、何も心配はいらないと言わんばかりに。
3人と1匹を取り巻く風は次第に大きく聖堂の隅々まで広がりを見せ、まるでその空間全体が輝いていると思わせる程に巨大な光の渦を描く。
だがその渦は荒れ狂う聖女の怒りでは無く、とても静かで、とても穏やかで、とてもゆっくりと流れ全てを優しく包み込んでゆく、フワリと揺れ浮かぶ髪や袖の様子はまるで聖堂が水没してしまったみたいだ。
ファレーザにはある意味で見慣れた、ファヴァルには初めて見る、そしてズィードには懐かしい、強く美しい魂の輝きであった。
「ファヴァルも泣いてしまうから、ね?早く帰って来て、ドノヴァー」
終幕、それは静かな時間か、鳴り止まぬ喝采か。
静かな涙に見送られる演者がいる、止まぬ拍手に再び開く幕もある、そして語り継がれる物語が残る。
「ただいま、ファイル。長い間留守にしてすまない」
◎続く◎
2幕に分割しようとして出来ず久しぶりに長めの幕になりました。
最終決戦、と言うには戦いらしい戦いの描写は少なく、あくまでも最後の説得へ至る過程を描かせていただきました。
魔女も聖女も、家に帰る時間が来たようです…
ここまで細々と書かせていただき、いやはや脳内の設定や映像的に想定しているシーンを文字として書き起こす事の難しさを実感している次第であります。
やっぱり小説家さんて凄いなぁと。(小説家さんにも色々な方がいますが
さて、お話はもう少しだけ続きます、新たな事件は起こりませんがその後をもう少しだけ。
あ、事ここに至って新たな名前が出て来てますが、安心してください、絡みませんw(砦の魔女では
次回は少しでも展開に驚いて貰えるといいなぁと妄想しつつ、納得出来る内容をなるべく早くお届け出来ればと思います。(出来るとは言ってな




