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ソウルディア戦記 ~魂歌の響く大地~(砦の魔女編)  作者: 槍の人。


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第34幕:「役目」


第34幕:「役目」


◇新生王国暦5年 陽光季99日



魂の抜けた遺骸の如く、深くベッドに腰を下ろし聖女への祈りを捧げたまま、ベルニオンの異変にもバーレットの訴えにも動じなかったグノッサリオだが、この聞いた事の無いしかし聞き覚えのある声に動揺を見せた。

目を閉じ祈るその先に見えたのは聖女ファイルの姿であり、その口から語り掛ける様に紡がれた歌声に身も心も魂も委ねようとしていた彼の世界に、その声は鋭く響いたのだ。




グノッサリオが初めてドノヴァーに出会ったのは彼がまだ駆け出しの剣闘士だった頃だ。


王都の比較的裕福な鍛冶職人の次男として生まれた彼には、大きな夢も家業を継ぐ権利も無かったが、幼少期から鍛冶場の隅っこで父や職人たちを見て育ち、その真似をしてハンマーを握り鉄を叩いた。

それ故、屈強で熱に鈍感な肉体を手に入れたが、長らくその長所を活かせず漫然と鉄を叩き酒を飲む生活を送っていた。

転機が訪れたのは既に彼が婚期を逃した頃、跡継ぎの長男には必死で嫁探しをした父が自分には何もしてくれず、不貞腐れて酒場に入り浸っては飲み歌い時に喧嘩をして娼婦の夜を買っていた頃。

腕っぷしの強さと酒に呑まれぬ体質で喧嘩に負けたことが無かった彼が、酒場の隅でちびちびと飲み食いしていた田舎者に絡みあっさりと負けたのだ。

ルダンと名乗ったその田舎者は巧みに掴みかかる彼の手を弾き、襲い来る彼の拳を逸らして見せ、蹴り上げた足を掴みそのまま投げ飛ばした。

景色が一瞬にして上下逆さまになったグノッサリオは自分に何が起きたのか全く把握出来ていなかった。

だから初めて酒に酔い足でももつれたのかと思い、おもむろに立ち上がると再度平静を崩さぬ田舎者に掴みかかり、木の床板のささくれで頬に一筋の赤い化粧をした。

痛みと共に投げられたと理解した彼は、大きく足を踏み鳴らして再び立ち上がり猛然と田舎者に襲い掛かろうとして店主の振り抜いたフライパンの一撃に昏倒した。


窓から差し込む朝日で目覚めた彼が居たのは大きな宿舎の一角で、粗末な藁のベッドに寝かされていた。

頬に手を当てればかさぶたの出来た傷がピリリと痛んだが、それ以上に頭に巻かれた包帯が煩わしかった。

近くにあった水桶で顔を洗おうとして、そこに映った自分の姿に急に情けなくなる。

これまで大きな怪我も病気もした事が無かった彼には包帯など無縁で、頭にぐるぐると巻かれたそれは今の自分をとても哀れに見せた。

そう思うと頬の傷も、無精髭も、充血した目も、そして酒が抜けていないのか長年の熱風によるものなのか分からぬ赤ら顔も、全てが情けなく感じられた。

ばつの悪い顔を誤魔化すように水桶を蹴飛ばして、むさくるしい声の聞こえる外へと出てみれば、そこは多くの男たちが威勢の良い声を上げ訓練に励む訓練所だった。

なるほど酒場で暴れた末に気を失って、街の兵士たちに回収されその宿舎へと放り込まれていたのかと思ったが、それにしては誰も見慣れた兵士たちの格好をしておらず武器も防具もばらばらだ。

何より鍛冶職人の目線で見れば遠目でも一目瞭然なほどにその質は低く、手入れも十分にされていないのが分かる。

そこで初めて、この男たちが王の名の下に城下の治安を維持する兵士では無く、闘技会や剣奴試合などに出場する様な者たちだと悟った。


もしや自分は酒に酔い重罪を犯して捕らえられ、剣奴として売られたのだろうか。

しかし仮にそうだとしても余りにも話が早すぎる、何より行きつけの酒場に居たはずでもし自分が酒に酔い暴れた時には容赦無く止めてくれて構わないと店主には言ってあったはずだ。

それが間に合わなかったとしても、身元のはっきりしている自分が翌日には兵士たちによる尋問も家族との面会も無く剣奴に堕とされるだろうか?

ならば何故ここにいるのか、何故こんなことになっているのか、痛む頭を押さえながら悩むが答えは出なかった。


しばらく出ない答えと頭痛と格闘しながら戦士たちの訓練を眺めていると、鈍い鐘の音が響いた。

一緒に軋みまで聞こえてくるような恐らく錆びついた碌に整備もされていない粗製の鐘の音だった。

戦士たちが一斉に武器を放り投げ楽し気に言葉を交わしながら隣の建物へと移動を始める、先程から良い匂いが漂い始めていたから朝食の合図だったのだろう。

さて自分はどうしたものか、そもそも自分の今の身分はどうなっているのか、何も分からないが宿舎にも訓練所にも人影が無くなり途方に暮れていると、戦士たちが吸い込まれていった建物の木窓の扉が開き誰かと目が合った。

「早くしないと無くなりますよ」と言われればとりあえず行ってみるしかない、素朴な石造りの建物の中は大勢の戦士と大鍋の熱気で溢れていたが、それ以上にその活気が心地よかった。

入り口でグノッサリオを待っていたのは周囲に比べれば身なりの良い、だが上流とも言えず戦士にも見えない何とも中途半端な男だった。

「あれ、見ない顔ですね…新入りの方ですか?」そう聞かれれば「いや、聞きたいのはこっちの方だ、朝目を覚ましたらここにいた」と返すしかなかった。

お互いに首を傾げていると、豪快に朝食を頬張る戦士たちの奥、部屋の隅っこで黙々とスープとパンを口に運んでいた男が立ち上がり手招きをしている。

「ああルダンさんが連れて来た人ですか」そう言うと睨めっこをしていた相手は興味を無くした様に去って行った。


ルダンと呼ばれた男には薄っすらと見覚えがあった、昨日酒場で絡んだ田舎者が格好こそ違うがこいつだった気がする。

昨夜はしっかりと着込んでいたから気付かなかったが、なるほど腕を出し薄着の上に革鎧を身に付けている姿はなかなかの戦士に見える。

「俺を投げ飛ばしてここまで連れて来たのはおまえか」「流石に酒場からここまであんたを放り投げるのは無理だって」

こいつ分かってて言ってやがる、ニヤニヤしながら答えたルダンへの印象は、“田舎者”から“お調子者”に変わった。

「それで俺をどうするつもりだ」「どうも、まあ飯くらい食って帰ったらどうだ、鍛冶屋の次男坊」

帰りに酒場の店主は殴っておこう。

しかしそれだけでは昨日の鬱憤もこの訳の分からない状況へのイライラも収まりそうにない、ならば。

「飯は貰っておこう、その後で俺と勝負しないか、拳闘でも武器を使った真剣勝負でもいい」

そう言うと、片眉を上げたルダン以上に周りの戦士たちが盛り上がった、いいぞやっちまえと。

頼んでもいないのに大盛りのスープと大きな硬いパンがテーブルに並べられ、口の悪い応援の声や最後の飯を味わって食えなど言いたい放題だ。

互いに睨み合いながらガツガツと食べ咀嚼し、最後に水を一気に飲み干すと、戦士たちを引き連れ訓練所へと出陣するのだった。


二人を取り囲んだ人垣が闘技場を成し、気付けば先ほどの中途半端な男が賭けを始めていた、どうやらルダンの方が優位と見られている様だ、気に入らない。

しかしルダンをよく知る戦士たちが彼を優位と見ているのであれば、やはりそこそこ強い男なのだろうとは想像が付く。

何しろ酔って田舎者と油断していたとは言え、自分を二度も投げ飛ばした男だ。

勝負は木剣と木盾という標準的な装備で行われる事になった、革紐で無理矢理に柄を固定した粗いにも程がある補修剣と、板の継ぎ目が変色し痛みの激しい盾で、要するにいつ壊れてもいい廃棄前の品なのだろう。

「留め金も付いてないし補強の鋲も打ってない、せめて縁に簡単にでも金枠を施せばもっとずっと長持ちするだろうに」

なんだ鍛冶屋じゃなくて鑑定屋だったのかと煽られれば猛然と打ちかかった、半端男がまだ賭けが終わってないとか叫んでるが気にする事はない、ルダンさえ打ち負かせればそれでいいのだから。


なるほど改めて相対してみて分かったが、このルダンという男は確かに大した奴だ。

体格こそ筋骨隆々という訳では無いが足さばきが細かく軽く、フェイントを多用した攻撃は鋭く嵐の様だ。

だが武具の使い方ってものを分かっていないと思った、基本的に武具の特性を活用しきれておらずその使い方も荒い、これではすぐに痛んでしまいそうで武具がかわいそうだ。

修理してもあそこまでボロボロではもう長くは使えないだろう、ならば。


一度大きく後ろに飛んだグノッサリオが大きく息を吸い込むのを見て、ルダンもここが勝負とばかり気合を入れる。

そして一気に距離を詰める両者の間で二回大きな打撃音が響き、共に後ろへ弾け飛んでグノッサリオは腰を、ルダンは背中を強かに打ちつけた。

呻く二人に観客からは歓声と野次が上がるが、半端男だけは引き分けはやめてくれと嘆いている、あいつも帰る前に一発殴っておこう。

「よう、あんたの武器は無くなったがまだ続けるか」「ったく馬鹿力な、でもまだこうして握ってるよ、戦場でも武器を無くしたらそれは死…」

ルダンが掲げて見せた木剣は柄を結び付けていた革紐が切れグラグラと揺れており、木盾は取っ手を残して砕け散っていた。

「そんな間に合わせの補修じゃそこを繰り返し打てば簡単に綻びるし、金枠の無い木盾なんて継ぎ目を突けば脆いもんだ、戦場で武器を無くしたら死んだも同然なんだろう?俺の勝ちだな!」

半端男が勝者は鍛冶屋だと宣言すれば場が沸いた、それは喧嘩で勝っても得られた事の無い不思議な勝利の高揚感であった。


改めて名乗り合い、グノッサリオはここが剣闘士の養成所兼フリーの傭兵たちの宿舎であると知った。

傭兵団は基本的に団体行動で仕事を探し様々な領地を転々としているが、フリーの傭兵は国や各地の領主、名のある騎士などが発布する募兵に応じて参戦し、それ以外は剣闘士や商隊の護衛などで稼ぎ気ままに暮らしているらしい。

団体行動のメリットはお互いが助け合う事で生存確率が上がり大口の依頼も舞い込みやすい事、フリーのメリットはとにかく自由で剣闘士など兼業が出来る事なのだそうだ。

ルダンは王都の北にある小さな漁村の出身で、数年前に友人と共に王都へと出稼ぎに来てそのまま定住しているらしい、剣闘士としても活躍しており上位に食い込む事も珍しく無いのだとか。

確かにあの足さばきや身のこなしならばとは思うが勿体ないとも思えた、体の動きに反して武器や盾の使い方は荒く、剣を持っても斧を持っても槌を持っても同じ様に振りかぶって振り下ろす様なイメージとでも言えばいいだろうか。

鍛冶屋は武器の長さや重さによる違いや重心の異なる剣と斧などの扱い方の違いなど、様々な知識を持ちその長所と短所も熟知しているし、修理依頼の品を見れば持ち主の戦い方も想像出来たりする、言わば武具のスペシャリストなのだ。

だからこそ壊れた武具を見てあっさりと負けを認めたルダンに好印象を持ち、その弱点と武器の扱い方について簡単に教えたのだが、そのまま観客たちからも質問攻めに合う羽目になった、彼らにしてみれば戦場での生存率の向上と闘技会での賞金アップに直結するのだから当然と言えば当然か。

そして逆に指摘された事もあった、それはグノッサリオの戦い方が重装歩兵向きであること、しかしそれは重装と呼ばれるだけの防具を整えられないと成立しない事だ。

「あんたはどっしり構えて待ち構えてりゃその体躯と膂力で敵を弾き返せるだろうし、カウンターで正確な一撃も放てるだろうけどさ、現状だと弓の餌食だし囲まれたら終わりだがな」

そんな戦い方の話や、闘技会のルールや雰囲気、彼らの生活っぷりを聞いているうちにグノッサリオは思った、どうせこのままうだつの上がらない鍛冶屋の補欠を続けるくらいならいっそ自分もこの世界に飛び込んでみるかと。

幸いにも自分には恵まれた体格と痛みに強い肌、何より武具の知識がある、これらはどれも役に立つだろうし、武具の修理なんかも請け負えれば仕事にも困らないだろうと踏んだのだ。


ルダンに話すと歓迎され、他の戦士たちにも喜ばれた、武具の扱いや管理に関しては特に詳しい者が居なかったそうだ。

そして定期的に開かれる闘技会の規模や開催日程、傭兵の募集とその依頼主の評判など、情報を売り物として戦うまとめ役の一人だというのが例の半端男だった。

元々は旅商人で今は半剣闘士で半情報収集係だったやっぱり半端男のベルニオンとも、武具の取り扱いや修理依頼を持ち込む先として協力関係を結ぶ事が出来た。


こうして剣闘士で修理屋という生活を始めてすぐにグノッサリオは頭角を現した。

体躯は他の剣闘士を凌駕し、打ち合う膂力でも圧倒し、武具の扱いも巧みとなれば当然と言えた。

小さな大会に出てすぐに上位に入賞するようになり、武具の扱いについて教えを乞う仲間や、自分を兄貴分のように慕う剣闘士も現れ始めた。

彼のアドバイスで戦績が上がった者、訓練相手として鍛えられた者、武具の修理で命が助かったと言う者。

だからちょっとばかし調子に乗っていたのだろう、その勢いで傭兵の仕事にも手を出し、その初戦で彼の顔面は蒼白になっていた。

どんなに戦士として優れた能力を持っていたとしても、鍛冶屋として生まれ育った彼は街の外での常識や戦場の空気というものを全く理解していなかったのだ。

揺れる地面、魂の篭った雄叫びや悲鳴、肉を断つ感触と返り血の生々しさ、倒れ動かなくなるさっきまで仲間だったモノ。

勢いのままに一人目の相手を豪快に斬り殺しそこで動けなくなったグノッサリオだったが、その体躯を恐れたのか敵は打ちかかっては来なかった。

だがその敵がならず者が集まった賊などでは無く、正規の兵士や騎士、大金と栄光を求める傭兵であったならむしろその首を狙われていたことだろう。


このまま味方が勝てばいい、早く終わって欲しい、震える手を見ながらぼんやりとそう思い立ち尽くしていたが、状況は決して良いとは言えなかった。

寄せ集めの賊が相手の小戦闘に騎士は数える程しか参戦しておらず、正規の兵士の姿もまばらで、戦っているのはそのほとんどが傭兵であった。

命あっての物種な傭兵たちは風向きに敏感だ、敵が勢いを盛り返したと見るやすぐに後方へと下がろうとする者も珍しくは無い。

前線は常に前後し周囲の確認を怠った者から動かなくなっていく、先程まで前方で戦っていた味方が今や自分の隣に居て自らを奮い立たせるために雄叫びを上げている。

眼前に敵が迫って来ているのにどこか現実味が無く、これはまずいなと心のどこかで思いながらも自慢の鍛え上げられた体は全く動かない。


「ああ、やっぱり俺には鍛冶屋が向いてたのかな」


目を閉じ祈るその先に見えたのは父の姿であり、その口から怒鳴る様に発せられた言葉は厳しかったがそれが彼を鍛え上げた。

もしやり直せるならもっと身を入れて働こう、期待に応えて見せよう、親孝行もしよう、走馬灯の様な思い出に身も心も魂も委ねようとしていた彼の世界に、その声は鋭く響いたのだ。


「役目を果たせ、グノッサリオ・ランザーク、おまえの度胸はその程度か」


ふいに横から聞こえたその声に目を開けた、雄叫びを上げていた男だ、そう言えば宿舎で見かけた事があっただろうか、身長も体躯も雰囲気もこれと言って特徴の無い凡庸な男だが今はその声が頼もしい。

見れば物凄い量の返り血を浴びていて顔の半分が真っ赤に染まっている、息を切らしながらも落ち着いていて、迫り来る敵をしっかりと見据えていた。

グノッサリオの返答を待たず次々と声を掛け浮足立った味方を鼓舞し、その男の指示で自分を含めた横一列の陣が形成されていく。

男の奥にルダンが見えた、剣は血に濡れているがそれに反して顔も防具もほとんど汚れていない、きっといつもの身のこなしで巧く戦っていたのだろう。

反対側を見ればベルニオンが居た、やる気に満ちた戦士の顔をしていて街中での商人面が嘘の様だ、どうやら“半端男”だったのは自分の方だったようだ。

男の声掛けと見慣れた顔ぶれに自分を取り戻したグノッサリオは、敵も味方も驚くほどの大声で空へと吠えると横を向いてこう言った。


「何の、まだまだこれからだ、期待してもらっていいぜ!」




「何の、まだまだこれから、ご期待に応えてみせましょう」


ベッドに腰掛け目を閉じ祈りを捧げていた男はゆっくりと立ち上がると、その洗練された所作と言葉使いとは裏腹に、豪快に胸を叩きニヤッと笑って見せた。


「グノッサリオさん!」

「話はひとまず。バーレット殿私は何をすれば良い、何を成せば良い」

「遅いぞ、貴卿らしくもない」

「すまぬ」

「ベルニオンもファイル様の祈りから解き放つ、昔の思い出や今の現実を突き付け魂を揺さぶれ」

「語り掛ければ良いのだな、“半端男”のベルニオンに」

「…“半端男”?」

「ふふ、昔の話よ。それよりこのまま続ければ魂は空へと還るのではないか」

「我らと同じであれば護り竜の加護が守って下さる、我らの魂は二重に守られておるのだ、そしてそれこそが呪いの正体だ」

「過ぎたる祝福は毒となる、か」


懸命にベルニオンに語り掛ける二人の上級騎士の背中はとても頼もしかった。

そしてその背中を肴に冷たい紅茶をすするファヴァルは「いいぞ祝福をぶっ壊せ!」とか言い始めてデノンに拳骨を落とされていた。

この主の変わり様にブノンズも兵士もすっかり慣れてしまい、その輪の更に外側から生温かく見守るように紅茶で喉を潤すのだった。


「 …サリオ様、何故そのよ… …武器庫の隠し通… …武器ぶ武器武器武器修理を… 」

「ベルニオンよ、わが友よ、思い出せ我らの誓いを、ドノヴァー様が空で待っておる、奥方様と我らを待っておるのだ」

「ベルニオン、貴卿の役目は近衛を率いてこの砦を、ファイル様とドノヴァー様を守る事だったであろう、ならば“今”成すべきは何か己が頭で考えよ」


混乱し、混濁し、やがて奇声を上げるベルニオンの声は聞こえなくなった。

今も目の前で天井に向けて何事か叫んでいるがその声は響いて来ない、頭をかきむしる様な仕草も、何かを求めて伸ばされた手も、その形を失っていく。

溶けるように、散り行くように、その存在は薄れて最早そこに人がいるようには見えない。


やがてあんなにも心に訴えかけていた歌声はかすれ、嗚咽の様な響きを最後に聞こえなくなった。

それはベルニオンを“救えなかった”聖女の嘆きだったのかもしれない。


「 …ヴァー… …… 」


「眠れ、ベルニオン、そして早く起きろ、ベルニオン」

「魂が還る…バーレット殿本当にこれで?」



姿を失った友を前にグノッサリオは焦りを感じ始める、今も顔を合わせる知人の中で一番付き合いが古いのがベルニオンとルダンなのだ。

(友よ、最後まで様付けのままで逝くなど許さぬからな)

今こそ奇跡を聖女に祈りたかったが、それではダメだと分かっている、自分が黒雲の竜に祈った事が結果的に呪いの一因になっているのだから。

聖女に祈れぬ、黒雲の竜にも祈れぬ、同じ運命を辿ったドノヴァーや他の顔見知りに祈るのも違うだろう、その存在を噂でしか知らない他の“偉大なる者”など以ての外。

祈りの行き場を失ってふと背後にいる男を思い出した、バーレットと共に来た客人で先程の鋭い声の主、その声とその姿に懐かしさのようなものを覚える不思議な存在。

(バーレット殿も信頼しておるようだしこれも何かの縁か)

そう思ってグノッサリオはその男に祈る事にした、我が友を救うために力を貸してくれと。


自分が祈りの対象になっていることなど露知らず、だが当のファヴァルもその消え逝く様に心を乱していた。

その姿にふと泣き虫の少女騎士を重ねてしまい、鼓動が早くなっていたのだ。

霧を固めた様な姿とは言えソウルキーパーは明確に人の形をしていて、しかも意志がある事も中には明確な知能を残す者もいる事を知ってしまったのだ。

ファヴァルにとって今や彼らは獣でも怪物でも無機物でも幻でも無い、そこに確かに在る者として認識されている。

それが苦しむ姿も、消えて逝く姿も、見たいとは思わなかった、思えなくなった。

そんな中、その苦しみを乗り越えて再び目の前に平然と現れたバーレットの存在は希望であり救いとなっている。

(ベルニオンさん戻って来て、バーレットさんみたいに!じゃないとグノッサリオさんが悲しむよ!)


バーレットには確信があった。

あのファイル様が家族と呼んでいた砦の者たちに祈りの贔屓をするだろうか?いや無い。

シーサックの護り竜が人を選んでその加護を加減するだろうか?いやファイル様以外は同じであろう。

ならば祈りと加護の影響は等しく砦の皆にある、あとはそれを受けた個々の魂の強さ次第なのだ。

で、あれば、ベルニオンは必ず帰って来る、私とグノッサリオがこうしてここに在るのだから。

(帰って来いベルニオン、貴卿の魂はその程度では無かろう、さあ早く!)



嘆き、もがき、霧散し、失われた存在はその場に静寂をもたらした。

場を照らす魂芯灯はまるで泣いているかの様に明滅を繰り返している。

松明の燃える微かな音がやけに綺麗に聞こえる。

誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

ギシりと鎧が擦れる音がすれば位置まで分かる。

靴音、そしてテーブルの硬質な音、誰かがよろめきテーブルに手を着いたか。



ヒリヒリとした時間の流れの中に、ふと温かさの様なものを感じ、ファヴァルは顔を上げた。

バーレットの時は涙で視界が滲み下を向いていた、だが今度はしっかりとその瞳に映っている。


まるで局地的な霧が発生する様だった。

その霧は一気に膨れ上がると背景の壁が見えなくなる程にその濃さを増し青白い光を纏って渦巻く。

それは嵐の日に見上げた空の様で、きっと黒雲を間近で見たらこんな感じなのだろうと思えた。

やがて膨れ上がった霧は吸収されるように収縮すると、そこには見慣れた人影が立っていた。


「遅いぞ、貴卿もらしくない」

「申し訳ありません、バーレット様」

「ベルニオン、私が分かるな?ここがどこだか分かるな?」

「勿論ですとも、我が友グノッサリオ“様”」


再会した途端に説教と喧嘩を始めた三人の騎士を、ファヴァルと兵士は笑い、デノンとブノンズは呆れて見守るのであった。



庭、それは幼き日の遊び場、若き日の鍛錬場、猛き日の宴会場、老いし日の微睡、過ぎし日の面影。

帰ろうあの庭へ、若き騎士が待っている、猛き騎士が待っている、老いし騎士が待っている、過ぎし顔たちが待っている、そして幼き主が待っている。



「ところでそこのお客人ですが、もしやファヴァル様では」



◎続く◎


久しぶりに少し文字密度の高い、会話少な目の回になりました。

ベリュークさん家の近衛騎士隊長なグノッサリオさんの過去の物語。

元鍛冶屋の上級騎士、元漁村民の騎士、元旅商人で情報屋の騎士、ベリュークさん家は賑やかですな。

そしてベルニオンさんも覚醒したのでそろそろ一度バーレットさんが起き上がり状況をまとめたがるようにこちらを見ている…!

ので次回はそんな回になる予定です。

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