第2幕:「号令」
第2幕豆知識
【ラグン地方】…メイヤーナ王国最南部の山岳及び森林地帯。帝国戦争時にシーサック王国から奪取したが、その後領主不在となっていた。
【スホータム】…かつてのシーサック王国スホータム砦。北の砦とも呼ばれ、シーサックの最精鋭が駐屯していた。現在は廃砦。
【辺境伯軍】…敵地または僻地等の掌握を任された辺境伯の軍。本編ではファヴァルの軍を指す。
【エグレン】…エグレン・レギエン。ファヴァルの叔父でエキルの弟。メイヤーナ王国上級騎士。歴戦の古強者で性格も戦い方も豪快だが、兄と同じく切れ者。
【デノン】…デノン・オルトーラ。ファヴァルの副官。メイヤーナ王国騎士で元はエキル直属。エキル曰く若いが有能、口が軽いのが玉に瑕。
第2幕:「号令」
◇新生王国暦5年 陽光季55日
この日、メイヤーナ王国の王都オウベリンは久々の活気に包まれた。
古くから強者が好まれたこの王国では、戦士たちの旅立ち、騎士たちの出陣といった隊列が通る際、
城下の人々は大通りの両側を埋め尽くし、その雄姿を称え見送ったのだ。
最後にその隊列が通ったのは6年前、涙還王の連合王国軍を迎撃するべく、メイヤーナ王とその騎士たちが大通りを行進し、
そして帰って来なかった。
以来、王国民たちはその牙を抜かれ、武勇の民である誇りを失っていた。
壁を砕くための鎚は工具に、敵を貫く槍先は農具に、射手が狙うのは動物に、その姿を変えたのだ。
新たな女王のもと、他国との協調を第一とした政策は当初こそ難色を示す国民が多かった。
再びメイヤーナの国旗を掲げて軍を強化し、雪辱を晴らすべく再起を図ろう、と。
しかし数少ない軍人の生き残りであるエキル将軍が女王を支持したため、次第にこの声は小さくなっていった。
それから5年、国民は平和な世を謳歌している。
牙大臣となったエキルは王の騎士団を再興したが、その名を「衛国騎士団」とした。
また女王の名の下、闘技会を定期的に開催する事で、国民の血の気をうまくコントロールしていた。
だが今日は違う、街中に響き渡る歓声は熱気を帯び、石畳を叩く靴は心地よいリズムを刻んでいる。
「出陣だ!メイヤーナの騎士団が通るぞ!」
「辺境伯軍に勝利を!メイヤーナに勝利を!」
そう、今日は辺境伯軍の出陣式。新たな辺境伯、ファヴァル率いる騎士団が大通りを行進するのだ。
行先は南の【ラグン地方】、決して豊かとは言えない山と森の広がる領土。
山村を3つ擁し、中心には【スホータム】の廃砦がある。
元々はシーサック王国の領土であり、帝国戦争において両国間で激戦が繰り広げられた地だ。
「集合!集合!出発するぞー!」
騎士の大声、そして兵たちの駆け足の音。
王城の重厚な門が金属の擦れる音を発しながら、ゆっくりと開かれていく。
徐々に街の風景を解放していく門を見ながら、馬上のファヴァルは深く息を吸い込み、そして。
「(ああ、落ち着け、練習した通りにだ)総員整列、隊列を組め!」
「おいファヴァル」
「(大丈夫、うまくやれる、父上に恥はかかせられないぞ)これよりラグン地方へ向けて出発する!」
「なあおい、ファヴァルってば」
「(あ、女王陛下だ…今日もお美しい)女王陛下に敬礼!」
「いや、陛下が美しいのは間違いないんだが」
「ん?ああ、美しいな?おいみんなどうした!?もっと胸を張って陛下に顔を見せないか!」
「…く、……うくくく」
顔を上げた兵士たちは一様に必死の形相をしていて、ファヴァルは困惑する。
このままでは陛下への不敬を問われるのでは、これは自分の責任になるのでは、いやそれ以前に兵たちの掌握も出来ないのかと叙任解消すらあり得るのでは。
そうだ、自分は牙大臣の息子というだけでいきなり辺境伯などという大任を、しかも兵たちのほうがよほど大人で経験もあるんだからなめられてたっておかしくないぞ、と。
人生初の大舞台でただでさえ極度の緊張状態にあったファヴァルは、最早自分が何を考えているのか、どうすればいいのか分からず混乱する。
そう、彼は緊張していた。だから自分が何を言っているのか理解出来ていなかったのだ。
「だからファヴァル、さっきから心の声らしきものが駄々漏れだ」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
失敗した!いきなり失敗した!辺境伯としての威厳が!
「なあ、ファヴァル。みんなおまえのおっちょこちょいな所は知ってるんだ」
「わ、笑うなよ?」
「大丈夫だ、ほら見てみろ。女王陛下も兵たちも笑ってくれてるぞ」
「無理、もう無理、だーーーはっはっはっはっは!」
「あー、もうね、あーお腹痛いわぁ」
「いやぁ俺にもあんな頃あったな~!」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
死にたい、重装冑があったら被りたい、陛下にも笑われた、死にたい。あ、父上が頭を抱えてる。
今日は格好良く決めて、陛下や父上に褒めてほしかったのに。
最初が大事って言うから、兵たちにも若輩者だと侮られないように威厳を見せたかったのに。
「あー、ん!ん!」
兵たちが整列し直し、場が静まり返る。…顔は笑いを堪えるので必死そうだけど。
いいのだ、これから僕のすごい所を沢山見せて行けば!
「陛下、申し訳ありません…」
「いいえ、顔はとても凛々しくて良いではありませんか。ふふふ、美しい、ですって」
(あのバカ息子め、ここぞと言う時に舞い上がりおって。ああ、頼むぞデノン、お前たちが頼りだ)
表向きは急遽新設された、【辺境伯軍】。
その構成はエキルの直属から数名と、王国の正規軍から約半数、残りは志願兵であった。
騎士20名、騎兵100名、歩兵300名、射手30名。合計450名。
山岳や森林の多い辺境伯領での活動を想定し、主力は歩兵で構成された。
ファヴァルの副官を務めるのは、歴戦の上級騎士でエキルの弟、つまりファヴァルの叔父にあたる【エグレン】。
そしてもう一人、エキルの直属であったファヴァルと歳の近い騎士、【デノン】。
「失敗は失敗。取り返す事に執着せず、次に活かす事を考えるがよい」
「さて、我らが辺境伯殿、ご命令を?」
「お、おう、わかってる」
さぁ、今度こそ落ち着いて、しっかりと。僕の演説で士気を盛り上げ、格好良く決めて行進開始だ!
大丈夫、叔父上も付いていてくれる、デノンも付い…気にするな!挫けるな僕!
「我らはこれより、ラグン地方へ向けて出発する!最終的にはスホータム砦の邪悪なる…」
「なぁデノンよ。俺は今回の女王様と兄貴の選択に感謝してる」
「エキル様とエグレン様には、ラグン地方はいろいろと因縁の地ですからね」
「ああ、敵将ドノヴァーは名将と呼ばれるに相応しい男だった。その妻ファイルも、聖女の名は決して大げさではなかった」
「俺はまだほんの子供でしたが、山奥の田舎砦かと思いきや、メイヤーナの将軍が何人も部隊を失って逃げ帰ったとか」
「難攻不落のスホータム、名将の守りに聖女の癒し、配下の兵は精鋭揃い、死してなおその地を守護せり、か」
あの強者どもが、揃いもそろってソウルキーパーだと?
しかも、斥候の報告じゃ14年も経って数が減った気配は無いときてやがる。
ソウルキーパーになるだけでも珍しいってのに、砦まるごとソウルキーパーだらけ、しかも霧散せずに留まり続けてるってのは、
いったいどれだけの信念、どれだけの忠誠、どれだけの覚悟があったのか。
「ですが、結果的にエキル様やエグレン様の手によって、砦は陥ちたのでしょう?それも味方の被害は3割を超えなかったとか、不利な攻め手でその内容であれば完勝と言っても差支えないのでは?」
「違う。それまでの戦いにおいて俺たちの軍は被害らしい被害を出したことは無かったんだぞ、それが3割近い兵を失ったんだ、気持ちの上では大敗だ」
「で、ですが…戦いの中で魂が失われないことなどあり得ません、むしろ勝利に貢献した勇敢な魂たちを悼み、そして誇ってもよいのでは」
「メイヤーナの軍人としては正しい、だがエキル軍の騎士としては失格だな。兄貴が許さん、俺も納得せん」
っと、いかんいかん、これではまた若いもんに嫌われちまうか?
どうにも俺は思ったことを率直に言いすぎるらしいからな、実際の戦場を経験したことのある奴らにゃ理解されるが、戦争後に仕官した奴らにゃ理解し難いか。
信念やら信条ってのを言葉にするのはどうしてこうも難しいんだ、全く、あー酒が飲みてぇ!
「とにかくだな、デノンよ。俺が言いたいのは何というか、戦いに勝っても一緒に勝鬨を挙げられる奴が横にいないとこう、ダメだろう?」
「確かにその通りです、ですが勇敢な仲間の屍を乗り越えた先に待つ栄光や、最後に戦場に一人立ち勝利の雄叫びを挙げる、というのもよく語られる美談では」
それを聞いた瞬間、一気に心が冷えるのを感じた。この若者は何も間違っちゃいないが何も分かってもいない、今ここで言わなきゃ絶対に後悔する。
こいつが言ったのはメイヤーナでよくある騎士物語や英雄譚の最後で、この国の子供なら誰もが知っているような類の話だ。
俺もそうだ、いつか物語の主人公になるような華々しい勝利を、歴史に残るような見事な最期を戦場で、そう夢見て育ったんだからな。
だが兄貴は違った、戦いの物語に限らずありとあらゆる話を吟遊詩人にねだり、書物を読める機会があればどんな物でも読んだ。
そして他国や海を越えた先の大陸と比べた時、メイヤーナの武勇の気風は雄々しいが荒々しく、勝利の数と同じくらい散る魂も多く、仲間意識の強さに比例するように排他的であると学んだ。
有体に言って、メイヤーナは確かに強いが世界の中で浮いた存在であったのだ。
「デノン、戦いは物語の中で起こっているんじゃない、現実なんだ。そして美談は生き残った者を褒め称え散った者を悼むが、散ってしまった魂は二度と戻らない」
「それでは、いけないのでしょうか」
「…、勝者を称えるのは正しい、死者を悼むのも正しい、だが、勇敢に戦った皆で勝鬨を挙げ、皆で勝利の美酒に酔い、皆が笑顔で家路につき、皆が家族に温かく迎えられる、それこそが最も正しい」
「エキル様も以前に同じ様な事を言っていました、勝利は大事だが皆と勝利を味わえる事こそ大事だと」
「おーおー、兄貴らしいな見事に一言でまとめやがって」
「お考えは理解出来ます、ですが戦う前から勝った後の事を考えていては、それこそ被害が大きくなったりしませんか」
「おまえは本当に小賢しいな!」
「恐縮です!」
「褒めとらん!ま、だから指揮官はその被害を抑える方法を考える事に頭を使えってこった、メイヤーナの兵は何も言わなくても無謀なくらい勇敢なんだからな、釣り合いが取れて丁度いい」
「なるほど、今のお言葉は納得です」
「今の“は”かよ、ったく。…それにな、戦いが終わって興奮が治まって来た頃、ふと横を見るとあいつがいねぇ、帰還の隊列を見ると顔馴染みの部下が見あたらねぇ、酒盛りをしても昨日杯をぶつけあった奴がこねぇ」
「…。」
「ふと寂しくなるんだよ、でもってそいつの事を忘れないようにと、家族が誇れるようにと、いかに頑張ったかを伝えてやるんだ」
「ご家族はメイヤーナの英雄を忘れないでしょうね…」
「ああ、忘れねぇ、忘れられねぇ、だから俺にこう言うんだ。息子に英雄となる場を与えてくれてありがとう、伝え残せる雄姿を語ってくれてありがとう、ってな」
「エグレン様直々にそのように言っていただけたのならきっとそのご家族はさぞお喜び…」
「それで、扉を閉めた後に泣いてやがるんだ、なぜ帰って来なかったんだ、なぜ還したんだ、ってな」
「その、エグレン様…」
「かまわん、お前がこれまで学んできた事は間違っとらん。間違っとらんが覚えておけ、それが戦場、それが戦争だ」
部下を看取って、兄貴に諭され、俺は考えを改めた。
周りから臆病だと言われる優しすぎる兄だと思っていたが、誰よりも強い信念を持った兄だとその頃から思い始めた。
それから戦場の見方が変わって、戦いの風向きも変わって、笑顔は増えて酒もより美味くなった。
そんな美味い酒の味を知ってしまったら、もう昔の“そこそこ”美味い酒になんか戻りたくないだろう?
だから俺が率いるのは、メイヤーナで一番被害が少ない軍の一番被害が少ない部隊になったってなもんよ。
「とは言え、これからは俺もおまえもエキル軍じゃなくて辺境伯軍だ、軍の方針は新辺境伯殿次第ってな、うはははは」
「あの坊ちゃん辺境伯の心根と度量次第ですか、ま悪いようにはならないでしょう」
「心の底ではどう思ってるかなんて分らんぞ、それに人は権力に溺れるもんだ、案外略奪よし強姦よし死体からの戦利品回収よしなんて…」
「エーグーレーンー様!!」
「ぐはははははははは!」
「…では総員剣を抜け!天高く、我らが女王陛下と、メイヤーナの勝利と、守るべき家族の笑顔に、その剣を捧げよ!」
「なぁデノンよ。俺は今回の女王様と兄貴の選択に、本当に感謝してるんだ」
「はい、我々で全力で支えましょう、それがエキル様へのご恩返しにもなります」
エグレンの脳裏にはあの日の戦いが鮮明に焼き付き、そして同時に長年のしこりとなっていた。
勝ったには勝った、だがメイヤーナの武人として納得のいく結末では無かった。
「奴と再び戦える機会が訪れるならば、今度こそお互い万全の状態で、堂々と…!」
「新たなる辺境伯とその軍に、祝福を」
門を抜け、国民たちからも祝福を受けながら大通りを征く小さな背中。
それを見送る女王の胸中は複雑であった。
女王として、〝母〟として、そして真実を明かさぬ残酷な女として。
「たとえ私の心がどうなろうとも、あの子の行く末が幸せでありますように」
「あれは自慢の息子です。メイヤーナの将軍エキルが授かった宝物、そう簡単に曇りも濁りも、ましてや砕けるような事もありますまい」
辺境伯軍が外門を抜け、街道の先へと姿を消すまで、〝母〟と父は、その後ろ姿を見守り続けた。
旅立ち、それは万人に訪れる物語の始まり。
ある者は親と別れ、ある者は住みなれた土地を後にし、またある者は大空へと還り行く。
「ラグン地方まで20日、そこからスホータム砦まで更に10日、その後は一気に砦を攻め落とし陽光期のうちに領地を掌握するぞ!」
◎続く◎