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第13幕:「帰還」

第13幕豆知識

【トゥリス】…ディオニ村の狩人。ソルクスの娘。幼くして両親を失い強く鋭く成長したその弓の腕は父にも母にも引けを取らない。


第13幕:「帰還」


◇新生王国暦5年 陽光季93日



腹を満たし、笑顔を満たし、出発の条件を満たした辺境伯軍は、再び森林兵の先導のもと先を急いでいた。

既に人の手で伐採された木の切り株や、小動物を捕まえる為の罠など、村人の生活の痕跡は発見している。

目指すディオニ村へは昼過ぎには行き着けるだろうと報告を受けたファヴァルは、何度も転びそうになりながら紙面とにらめっこをしていた。


「うーん、このロドバン将軍って誰だっけ?この名前に見覚えはあるんだけど」

「ロドバンは兄貴の前の牙大臣だ、前メイヤーナ王の腹心でとんでもない怪力の持ち主だったが、軍の統率者としては微妙だったな」

「ねえ、なんでそんな人が軍全体をまとめる牙大臣に任命されてたの?」

「王と馬の合うメイヤーナらしい武人だったからだ、戦争が終わる頃までは兄貴みたいなのがむしろ珍しかったんだからな」

「前王時代は、エキル様はだいぶ異端扱いされてましたからね、将軍としての資質を疑う声は多かったのです、今となっては逆ですが」

「だが兄貴は軍の食糧を担ってたからな、それに実際に戦えば勝つんだ、メイヤーナらしくない戦い方だとしてもな、文句は挙がっても解任はされなかったさ」

「へー、それでそのロドバン将軍ってその後どうなったの?」

「スホータム攻めで大敗を喫し、それを取り戻すべくケルストウ王国の村を焼いて回って奪った地の領主になったが、その後押し寄せた涙還王の連合王国軍との戦いで真っ先に戦死した将軍はあいつだったな」

「いやはや、ロドバン将軍がディオニ村に立ち寄っていなかったのは幸いですね」

「そうだね…そんな人に襲われてたら村が無くなってるか、残っててもきっと仲良くなれないよね、そういえば叔父上たちは村に寄って行かなかったの?」

「兄貴はラグン地方を攻め取った後の統治の事も考えてたからな、軍自体は村を逸れて、行きも帰りも特使として誰かを送ってたみたいだが友好的とは言えなかったみたいだぞ」

「困ったなあ、村で最後の補給と情報を仕入れたかったんだけどなあ、僕たちも村へ行くのは諦めて誰かに対応を任せた方がいいかな?」

「いや、あの時はまだここがシーサック領だったが、今は交流こそ無くともれっきとしたメイヤーナ領だ、今後領主として向き合わねばならぬのだから堂々と行くほうが良かろう」


「でも」や「けど」や「だって」を重ねるファヴァルをエグレンが窘めランバレアが煽て、同じような会話を繰り返す間に辺りの景色は変化しつつあった。

誰の目にも明らかなほど整備された森は、いつ視界が開けても、いつ村人が目の前に現れても不思議ではない。

枝打ちされた木、刈り取られた雑草、敢えて残されている可憐な花、そして踏み固められた土道。

森林兵でなくとも分かるほどに濃さを増した人の生活の気配は、緊張と同時に安堵ももたらした、やはり人の住む場所というのは落ち着くものなのだ。

やがて木々の隙間から木造の家々が見えたところで一行は停止した、そこにあったのは30戸ほどの小さな集落、人口は辺境伯軍の半数にも満たないだろう。

そして村の人々は家を出て寄り集まり、進軍を停止した辺境伯軍の方を見ている、いや、待っていると言う方が正しいか。

明らかに自分たちの到来を予期していた村人の様子に、ファヴァル達が驚きつつも冷静に対応できたのは何だかんだ散々村の事を考えながらここまで来たからだろう。

ファヴァルとエグレン、ランバレアが歩を進めると、村人たちの中からも数人が歩み出た、壮年から老境の域の者ばかりで村の代表と一目で分かる。

お互い数歩の距離まで近づくと立ち止まり、ファヴァルがいつもの距離を感じさせぬ挨拶をしようとすると…


「お待ちしておりました領主様」


一番老齢であろう杖を突いた村人がそう言い頭を垂れれば、他の村人も一斉に片膝をついて頭を下げる。

その流れるような挨拶に、どう切り出そうか、何を話そうか考えていた頭は真っ白になり、身を乗り出したまま立ち尽くすファヴァル。

エグレンもランバレアも、村と自然との境界線で待機していた辺境伯軍も、何が起こっているのかと驚き見つめる。


「合図も旗印もあの頃とは少々違うようですが、あの印、駆ける馬の絵柄は忘れようもございません、我ら草原の民の古い守り駒と同じあの印」


ファヴァルは蔓で吊るされていた馬の飾りを思い出す、背後でランバレアが持っているソルクスの鞄に付いていたアレだ。

鞄の話を先にしようか、悩むファヴァルをよそに、静かに涙を流す老人は切々と語り続けた。


「我らシーサックの民は常に王家に心を寄せておりました、王都陥落の後も、砦陥落の後も、我らの忠誠が揺らいだことは一度たりともございませぬ。

そんな我らにメイヤーナのエキル・レギエンと名乗った将は、必ずこの地に相応しい領主を立てると約束して下さいました、我らに王家への忠誠を棄てさせるような者ではなく、新たに忠誠を誓いたくなるような者を、と」

「(兄貴め、特使を送るって自分で直接行きやがったな!兄貴らしくて清々しいほどもやもやするぜ!)」

「あの旗印はかの将の縁者なのでしょう?あの馬を掲げ貴方が現れたのであれば、我らは粛々と従うのみでございます、もとより我らに歯向かうだけの力は無く、あの言葉は過分な配慮であったのですから…」


深い皺が刻まれたその顔を滔々と溢れ出る涙が伝い、滴り落ちた雫は杖を持つ手の甲を濡らす。

それは古い約束が守られた事への喜びの涙であり、同時に古い仕来りが終わる事への悲しみの涙であった。

ラグン地方は戦争によってシーサックを離れメイヤーナの領土となり、その後帝国が滅びて涙還王による新生シーサック王国が興った後も、返還されることなく今に至る。

その間領主不在であったため、政治的には空白、メイヤーナ領でありながら国の色が反映されない無色の時代が続いた。

そのためラグン地方の民はシーサックの、草原の民の起源を忘れてはいないが、反発する領主も、忠誠を示す領主も無く、感情を露にする機会を失ったまま長い時間を過ごしていたのだ。

この男は旧主を奪ったメイヤーナの人間と言えるかもしれない、だが自分たちが忘れかけていた忠誠心という誇りを思い出させてくれる素晴らしい領主かもしれない。

そんな複雑な想いが絡み合い、感情のままに流れる涙はとめどなく、すすり泣く声に満たされた空間で、ファヴァルはただただ立ち尽くすしかなかった。


涙と共に過去への未練も流した老人は、その間ずっと目の前で、何も言わずに自分たちを見守っていた男へと再び口を開く。


「領主様に我らの忠誠を捧げます、どうか我らにご慈悲を、そしてどうか、どうか我らの旧主にもご慈悲を」


そう言って老人は背後の、村の建物の先、深い森の奥、老いた目の届くその先に在る、いつか見た荘厳な岩砦を仰ぎ見る。


「ファイル様にも、ドノヴァー様にも、そのお子様にも、そしてベリュークに仕えた者たちにも、安らかに眠って頂きたいのです」


ベリュークに安らぎを、祖先の住まう空への帰還を、次々と上がる村人たちの声を聞いてファヴァルも涙が止まらなくなっていた。

かの英雄たちはこんなにも民に愛されていたのかと、死してなおこんなにも想われているのかと。

領主としてどうあるべきか、父に早くから教え込まれ、その言葉を聞き逃すまいと必死に学んだ日々を思い出す。

良く治めるための様々な統治の形や富み栄えさせる方策を学んできたが、それ以上に心の奥に刻まれ眠っていた言葉があった。

それは父の言葉ではなく、名も無き民たちの言葉、幼き日の自分は単純にすごいと喜ぶばかりでその真価を理解出来ていなかった言葉。

こんなにも民に慕われる、ベリュークにも負けない素晴らしい領主を自分は知っているではないか、と。


「我らの想いはレギエンと共に、我らの祈りは今は亡きベリュークと共に」

 「我らの想いはレギエンと共に、我らの祈りは今は無きモルグナと共に」


遠く王都で政務に励む小さな背中と共に、これまで自分の成長を見守ってくれていた様々な顔が思い起こされた。

領主になる、誰かの主になるという事はどういうことなのか、果たして自分は付いて来てくれた辺境伯軍や森林兵たちにとって良き主であれたか、これから自分が主となる民たちにとって忠誠を捧げるに値する主となれるのか。

考えていた以上に自分に求められているもの、自分が果たすべき責任、自分が示すべき未来が重く大きいことに気付かされ、ファヴァルは短いながら自分なりに懸命に生きてきたこれまでの人生でも感じた事の無いプレッシャーに襲われる。


だが。


「良い民を得たな、ファヴァルよ」

その左肩に置かれた手は大きく力強く。


「この期待に応えねばなりませんね」

その右肩に置かれた手は大きく真摯で。


「こんなの見せられちゃ頑張るっきゃないよなぁ」

その背中に聞こえた声は大きく不敵で。


「私たちの手で終わらせましょう、過去への苦悩も後悔も」

その未来に示された光は大きく明るく。


「やりやしょう、そして作ってくださいや、あのお頭でも気軽に来れるような場所を」

その歴史に託された夢は大きく優しい。


皆の視線をその小さな体に一身に浴びて、しかし感じていたプレッシャーは湧き上がる使命感に塗り替えられた。

滲む視界を袖で擦り、じわりと痛む鼻を啜り上げ、噛みしめ歯型の付いた唇を開き、決然と空を見上げ少しだけ情けない雄叫びを上げれば、取り囲む全ての人々がそれに応えた。

「夢であったものが現実に代わり、歴史は真実を語り出した、国王としての自覚はまだ無くとも、その覚悟はこの時に決まったのであろう」

これもまた、後にこの光景を見ていた吟遊騎士が書き記した、王国史の序章の抜粋である。




ファヴァルが能天気に語っていた歓迎の宴は、まさかの形で実現していた。

ディオニ村の村人総出で新たな領主を迎えるために料理に酒、歌に踊り、やはり村長であった杖の老人のひ孫に当たる娘の献上と、アルダガ村に負けぬ歓待っぷりだ。

そしてカッコイイ挨拶を決めようとしてエグレンにその座を奪われ、脹れて領主らしからぬ発言をしようとしてデノンに蹴り飛ばされ、上演の続く辺境伯劇団の次なる演目は「ファヴァル、村の娘を娶る」である。


「娶りませんよ!ああいや、貴女に不満がある訳では無くて…ダメですってこんな形で!いや本当に魅力的なんですけど…だから無理ですってば!違いますお若いです4つ上なんて問題無いです…でもそれとこれとは!あーーーー!!」


歓待の宴という事で、ファヴァルの前には次々と村の名物が運ばれてきた、湯気の上がる森の幸のスープ、良い匂いを漂わせる燻製獣肉、そして頬を上気させる色白の娘…

領主に従属を誓う印として村長の血筋を引く娘を差し出すと言うのだ、しかも古い慣習に従ったもので娘も既にその気であるという。


「待ってください、話し合いましょう!というか叔父上が勝手に進めちゃうから僕の決意とか所信表明が出来てないままじゃないか!」

「おまえがいつまでも感動して放心してたのが悪い、途中から宴の準備の邪魔になってたぞ」

「え、嘘、そんなに!?どうして誰も言ってくれないのさ!」

「いや、いつも通りに言いたい放題言ったけどおまえの反応が無かったから最終的に蹴り飛ばして今に至る、なんだが?」

「デノンはもう少し手加減してくれてもいいと思うんだ…」


お尻をさすりながら情けない声を出すファヴァル、だがそれを見て遠慮なく笑う家臣たちとの関係を見れば、村長も村人も目の前の娘も、新たな領主に良い印象を抱いていた。

彼らの旧主ドノヴァーは一介の剣士から身を立てた英雄で、将軍となり王女を伴侶とした後も、民や兵との距離はとても近かった。

そんな旧主と直接話したこともある村長は、この若き領主にも似たような資質を見出し、余計にひ孫を連れて行って欲しいと思っていた、なにしろ相手は未婚で婚約者もいないと家臣たちが言っているのだ。


「領主様、私が言うのもなんですが、この娘はよくできた子で色々とわきまえております、嫁にとは申しませぬ、是非愛妾としていかがでしょうか、この子も喜びます」


そっと頬を両手で覆い、耳まで真っ赤になった顔を隠すように俯きながらも頷く娘、と慌てるファヴァル。


「待って…僕、私には今も心に浮かぶ想い人がいます、だから無理です、ダメです、マズイです!」

「ええ、ですからその方を娶られ、この子は愛妾に、歌姫や舞姫でも構いません、このような村で育ち学はございませんが、色々と技術を仕込んで…」

「ダメーーーーー!終了ーーーーー!この話終わりーーーーー!わーーーーー!!」


寂しげに親に支えられて下がっていく娘に心が痛むファヴァルと村長。

そんなファヴァルに「心に浮かぶ想い人ですか」と満面の笑みで話しかけるランバレア。

そして村長に「色々な技術とやらについて詳しく…」と満面の笑みで話しかけるエグレン。



倒れ伏す二人の介抱はデノンに任せ、ファヴァルは頼もしい味方ビューネと共に改めて挨拶を始めるのだった。


「ディオニ村の皆さん、私の名前はファヴァル・レギエン。エキル・レギエンの子で今年成人し、メイヤーナ女王マインサ様より、ここラグン地方の統治を任せられた辺境伯です」


村長が大きく頭上で拍手をし、村人たちもそれに続いた、そこに渋々や仕方なくといった顔は無く、力強く弾ける音がファヴァルを後押しする。


「私はここラグン地方を、山と森に覆われた辺境のこの地を、雪が降れば幸が埋もれ獲物が隠れてしまう不安定な生活を、開拓し、発展させ、交流を深め、笑顔が溢れる場所にしたいと思っています」


拍手に加えて歓声も上がり、まだ宴はこれからだと言うのに最高潮かと思わせるような盛り上がりを見せる。


「ですが、道はまだ半ばで、やるべき事はとても多い、当面は地道な努力が求められるでしょう。それでも私はやります!私がやります!だから村の皆さん、兵士の皆も、僕に力を貸してください!!」


既に全力でファヴァルの言葉に応えていたつもりだった者たちが、簡単にその限界を超えた光景を見せる、酒を飲まずとも人の心を酔わせたファヴァルを取り囲み、その体は渦巻く大海原に放り出されたように揉みくちゃにされ人の手の波に乗って方々へ押し流された。

広場など無い簡素な家が身を寄せ合って自然を押し止めているばかりの小村は、開村以来初めての規模のお祭り騒ぎに一棟を崩壊させつつも、ファヴァルが夢見る花を咲かせた、大輪の笑顔の花を。


やがて疲れて座り込む人が出始め、落ち着きを取り戻した村は、零れた器に酒を注ぎなおし、新たに肉も切り分けられ、のんびりとした食事の場になった。

やはり諦めきれなかったのか、先ほどの娘がファヴァルの横に座り酒を注ぐが、お互い騒ぎ疲れたのか苦笑いをして何も言わず、村長も静かに見守ることにしたようだ。


「えーっと、それで私たちの行き先についてなんですが」

「現在スホータム砦を守るのは約200人、戦時には500人ほどの兵が立て籠もっておりましたが繰り返された攻撃によって徐々にその数を減らし、砦が燃えた頃には300人ほどまで減っていたようです、白い影も年月を経て少しずつ還ったようですが…残った200あまりの影は今はとても濃くそこに在るようです」


そう説明してくれたのは村長の孫であの娘の父親という、いかにも狩人といった体躯と格好の男だ。


「ええ?なんでスホータム砦に行くって知ってるんですか?それにそんなに詳しい情報…」

「ははは、この辺りには他に城だの砦だのは存在しませんからね、新たに造るにも開けた平地がありませんし、軍を連れて来たならきっとあの砦に向かわれるのだろうと、それにベリューク様たちの事はずっと気にしていたので毎季のように様子を見に行かせてたんですよ」

「すごい、デノンいらない!あびゃしゅ」


突如背後から蹴り飛ばされ胡坐をかいたまま地面に頬ずりするファヴァルだったが、今回は優しく起き上がらせ背中の足跡型の土を払ってくれる娘がいて、蹴ったデノンの方が不満そうである。


「っチ。それで砦のソウルキーパーたちに動きは無いのか?」

「(今チって言った、こいつチって言った!)」

「そうですね…うろうろと歩き回るようなことはありますが、目立った動きや遠く離れるようなことは無かったかと。あ、でも前回見に行った者が言うには慌ただしく走る様子や何人かが固まって移動していたとか」

「それは巡回や歩哨、伝令の動きと考えるとしっくりくるな、本当に軍としての規律を取り戻しているのか?そうなるとやはり統率者が…」

「あの、ここからスホータム砦まではどのくらいかかりますか?」

「道を知る我々が行く分には3日もあれば…ですが、領主様が軍を率いて行くとなると5日はかかるでしょう」

「うーん、森林兵の先導もあるし、村から道案内人を出してもらえれば4日ってとこだな」

「そういえば皆さんの行軍は予想よりも早かったですね、森を案内できる兵もご一緒なのですね」

「そう、それだ、そもそもどうして俺たちが来るって分かったんだ?」

「?どうしても何も、合図を下されたではないですか、あの角笛は過去にレギエンの将軍がいらっしゃった際にも先ぶれとして聞こえました」

「(デノン、詳しくは言わないでおこう)」

「(今回ばかりは賛成だ、あの疑いの無い目は俺には眩しいぜ…)」

「?それでは私が砦までの道案内を致しましょう、いつ出発されますか?」

「もう日も傾いてきてますし、明日の早朝出発にしようと思います、渡したい物もあるので…」


そう言うとファヴァルはランバレアの遺骸から剥ぎ取ったソルクスの鞄を見せる、吊られた馬の飾りがクルクルと回って村人や兵士たちを見回しているかのようだ。


「それは…シーサックの守り駒ですな、草原の民であった祖先たちの時代から続く、シーサックの伝統的なお守りの形で工芸品です。それに、レギエン様の旗印とも似ているでしょう?」

「そうですね、どちらも躍動感溢れるこのいかにも風を切って駆け抜けてるって感じがカッコイイですよね!」


自分で言って自分の旗印を改めてカッコイイじゃんと思ってにんまりとするファヴァル、とそれを見てキラキラと目を輝かす隣の娘、まるで自分のひ孫を見るように相好を崩す村の長老たち。

こいつ懐に入るのはえぇなぁと改めて実感するデノンは、適当に腰を下ろしいつも通りの光景を肴にちびちびと始めるのだった、この後のお手並み拝見と言わんばかりに。


「それでですね、その、このお守りなんですけど、たぶんこの村の方が作った物なんです…」

「ほう、そういったお守りはシーサックではありふれた物ですが、なぜディオニの者の手によるものだと?」

「これは、この鞄は、ここに来る前に僕たちが戦ったとあるソウルキーパーの遺品なんです」

「なんと、既に砦で一戦交えて来たのですか?」

「いえ、いいえ、ここよりも北にメルヴ地方という場所があるのですが、その森で出会ったソウルキーパーで、その戦うより他なかったのですが…」

「それが、わしらの縁者であったと申されますかな?」

「…はい。この鞄に日記が入ってました、たぶんこの村の出身か、もしくはこの村の人と結婚していた、ソルクスという人です」

「…ソルクス、ああソルクス、砦には見当たらなかった故、とっくにこの村の空へ還って来ているものと思っとりましたが」

「おい!おい!【トゥリス】!トゥリスはどこだ?誰かトゥリスを呼んでくれ!」


次々とトゥリスという名が伝播し、やがて宴を楽しむ村人や兵士たちの隙間を縫うようにして一人の女がやって来た、ばっさりと短く切り毛先の跳ね上がった髪は鬣のようで、その身軽さは森の獣のようだ。

そんな野性味溢れる女はファヴァルや長老たちが口を開くよりも早く、「父さん」と呟きその場に崩れ落ちた。


地面に手をつき涙を流すその女の肩に手を置き、夫だと名乗った男が代わりに話してくれた。

ソルクスはディオニ村で生まれ育った男で特に弓の扱いが巧みであったという。

その技を活かして村をもっと豊かにしようと王都に行き衛兵となり、そこで腕を認められて王国第四軍に編入され故郷に近いスホータム砦に配備された。

その頃にディオニ村の幼馴染と結婚し、トゥリスが生まれ、ドノヴァーの“命令”によって村と砦を行き来し周辺を偵察する任務を続けた。

戦争が始まると村に姿を現す頻度は減り、ある日久しぶりに帰って来たソルクスが村の者とたくさん喋りたくさん買い物をし、そしてたくさんの愛を妻と娘に注いで、その後二度と姿を見ることは無かった。

やがて角笛と共に駆ける馬の印のメイヤーナの将軍がやって来て、二度目に訪れた際に砦の陥落と帰国が伝えられたのだ。

そして自らの目で燃え陥ちた砦を確認した当時の村長により、ベリューク家の敗北と、ソルクスは村の空に還って来ているだろう事が告げられた数日後、優秀な狩人であったソルクスの妻は足を滑らせ谷へと消えた。

残された幼いトゥリスは隣家で育てられ、親の血か悔しさからか、めきめきと狩りの腕を上げ今では村でも一目置かれる狩人だと言う。


「その鞄は父の鞄です、そのお守りは母が削り出し、幼かった私が仕上げた物です…少し尻尾が欠けているでしょう?」


躍動感溢れる馬の風になびく尻尾は、なるほど毛先が少し欠けていた。


「良かったなトゥリス、おまえのお守りはちゃんとソルクスさんを乗せて帰って来たな」


再び涙が溢れだしたトゥリスに鞄を渡し、大事そうに抱きかかえる妻をしっかりと支え、夫は一礼をして家へと戻って行った。

村人の誰かが「ソルクスに!」と叫び、他の村人たちも次々に同じ声を上げ、そして祈りのソルクスを知る兵士たちもまたそれに続いた。

夫婦の家からはトゥリスの泣き叫ぶ声が聞こえたが、それをかき消すように皆は声を上げ続けた、弔い、そして悲しみを吹き消すように、一層大きく、一層陽気に。


「長老方、先ほどのお守りがソルクスを乗せて帰って来た、と言っていた点についてですが」

「ああ騎士様それはですな…騎士様、先にこちらを」


涙と鼻水でぐずぐずになった顔をランバレアは布切れで拭い、果実を絞った水を一気に呷る。


「シーサック王国の民は、古くは草原で生活していた草原の民、それ故わしらにとって馬は特別な存在で、家族であり友であったのじゃ。

守り駒とはまだ人が草原の支配者では無かった時代に、命を落とした友の亡骸を馬がその背に乗せたまま長駆し故郷へ戻った言い伝えから生まれた物でしてな、本来は旅立つ者がたとえ命を落とそうともその魂は馬の背に乗り故郷へ帰るとして贈られた物でしたが、それがやがて旅の安全を祈るお守りとして広まったんじゃ」

「それではソルクスは…彼の魂は…古い言い伝えの通りにその馬の背に乗って、今日この村へと帰って来たのでしょうか」

「うむ、きっとこの空でわしらを見ておろう、トゥリスを見守っておろう、まったくおぬしはトゥリスより泣いているのではないか?」

「なああんた、ソルクスのためにそんなに泣いてくれてありがとうよ、もう俺たちもその名を忘れかけていたんだ」

「しかし、私たちはこの手で…私の命令でソルクスを…」

「それは違いますぞ騎士様、ソルクスはあの戦いの時代に死んだのでしょう?ならばあなた方が戦ったのはソルクスの無念の形、あなた方が救ったのはソルクスの忘郷の想いでしょう」


長老の手を取り額を押し付けて泣き続けるランバレアの背中を、そっと横に座ったビューネが優しく撫でる、大柄で力持ちで、でも詩情豊かで涙脆い、放っておけない夫の背中を。

その背中を見つめながら、料理を囲む他の者たちは無言で杯を掲げ再び飲み干した、溢れそうになる涙はその酒と共に飲み込み明日を生きるのだ、辺境の民の力強い姿がそこにあった。


まだ若く、本格的な遠出は今回が初めてであったファヴァルとデノンは、本当の意味での忘郷の想いやその強さを知らない。

今でも王都や生まれ育った街を思い出せば物悲しくなるが、果たして明日最期を迎えたとして、自分は忘郷の想いや無念さでソウルキーパーとなるほど強い感情があるかと言われれば無いだろう。

デノンにとっては未だソウルキーパーというのは人知を超えた存在であり、その想いの強さは計りかねるものだ。

だがファヴァルは少しだけ違う感情を芽生えさせていた、それはソルクスが見せた忘郷の強さの根幹にあった家族への想いだ。

まだまだ未熟で人生を語れるほど生きてもいないが、自分が死んで会えなくなると思うと心が苦しくなる人、自分の死が伝わることで悲しませたくない人、すぐに二人の顔が思い浮かんだ。

母親の顔を知らないファヴァルにとって唯一の親である父エキル、母親のように成長を見守り大事にしてくれた女王マインサ。

この二人を悲しませたくない、期待を裏切りたくない、よくやったと褒めてもらいたい。

今までもそう思っていたはずだが、その想いの強さ、深さ、意味、そして切実さを改めて感じ、握りしめた拳は打ち震え、燃え上がった心も奮えた。



帰還、それは懐かしい顔との再会、心の中の顔との別離。

喜び泣こう友の帰りを、喜び祝おう友の笑顔を、弔い泣こう友の還りを、弔い祈ろう友の笑顔を。



「ねえ、砦までの道案内が必要なんでしょう?私にやらせてよ、父さんが何度も通った道だからさ」



◎続く◎


辺境伯軍一行は目的地であるラグン地方で住民との初めての出会い。

険悪、敵対、と思っていた悪い予想はことごとく外れて住民たちは味方になりました。

何年経っても偉大(?)な父親が残した足跡は確かに心に刻まれていたようです。

ソルクスは長い月日を経て故郷の空へと還り、その血を継ぐ者がスホータム砦への道を先導します。

果たして砦で待ち受けるのは…

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