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シュミットの肖像  作者: 乙村心
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シュミットの肖像 上

 『シュミットの肖像』と呼ばれている絵画がある。


 その絵画に描かれている女性の名前はエルフリーデ・シュミット。

 かつて存在したと言われているゲルハルト・シュミット伯爵の妻とされている伯爵夫人だ。


 十六世紀初頭に描かれた絵画とされており、正式名称は『エルフリーデ・シュミット伯爵夫人の肖像画』。別名『エルフリーデの肖像』。

 近年になってマニアの間で人気が急上昇している画家アーデルベルト・シュナイダーの遺作であると同時に、最高傑作とも言われている幻の名画である。


 特に彼が世に残した作品の中でも、この『シュミットの肖像』には特別な仕掛けが施されていると言われていて、その謎を解きたいマニアたちがこぞって欲しがっているのだ。

 そのため、この『シュミットの肖像』だけは、とりわけ彼の作品の中でも群を抜いて値段が高くなっている。

 ここ連日、テレビではこの話題でもちきりだった。


「——にしても、これまでまったく評価されていなかったような画家が、この時代になって急にこれほど注目をあびるようになるんだからな。なんて現金な世の中なんだ」


 俺は行きつけの喫茶店の隅っこの席で、意気消沈しながらコーヒーを飲んでいた。なぜなら今、その絵画『シュミットの肖像』を持っているのがこの俺だからである。

 数年前に、たまたまどこかの骨董品店に置いてあったのを見かけて、安かったから買ったものだ。


 別に、高価な代物に化けたことを喜んでいないわけではない。

 ただ、話題になった途端に一気に価値がついて、これまで見向きもしなかった金持ちどもが奪い合うという、わけのわからない価値観の図式にうんざりしていたのだ。


「それにしても、まさかあの絵がこんなに有名になるなんてな……」


 もうほとんど入っていない冷たくなったコーヒーを、俺がつまらない顔で啜っているのには、もうひとつ理由がある。

 昨日、西麻布にある高級マンションの一室で、とある人気アパレル会社の社長が変死体で見つかったのだが、その原因がどうやらアーデルベルト・シュナイダーの絵画らしいのだ。

 このアパレル会社の社長、数日前から知人にメールなどで「アーデルベルトの絵画を入手した」ということをしきりに自慢していたらしい。

 その絵画が彼の部屋から無くなっていたことから、警察は「犯人が窃盗目的で侵入して殺人に至った」という見解でいるらしいのだ。

 一応、警察が殺人と窃盗の容疑で捜査しているらしいが、アーデルベルトの絵画を狙った殺人鬼がこのあたりをうろうろしているというだけで気が滅入る。


「しばらくは、あまり派手に外を歩きまわるのはよそう……」

 俺は代金を支払って喫茶店を出てから、そのままどこにも寄らずに家に帰った。


 家に着くや否や、俺はグラスにウイスキーを注いでそれをひと口飲んだ。

 それから一息ついて、ウイスキーの入ったグラスをテーブルの上に置くと、ベッドの横の立てかけておいた『シュミットの肖像』にかぶせてあった布をとり、その絵を手にとってみた。


「一体この絵にどんな特別な仕掛けがあるっていうんだ?」


 俺は『シュミットの肖像』をいろいろな角度から眺めてみた。

 ひとしきり近くで眺めてから、ふたたび絵を壁に立てかけて、さっきテーブルの上においたグラスを手にとり、少し離れた位置まで離れる。

 その位置から、ウイスキーを飲みながら『シュミットの肖像』を眺めていた。


 エルフリーデ・シュミット……、夫のゲルハルト・シュミット……、そして画家のアーデルベルト・シュナイダー……。

 シュミットもシュナイダーも、ドイツで使われている姓だ。

 経年劣化の具合からみても、この絵が描かれたのは当時のドイツの地であることは間違いない、か?


 俺は、スマホで『シュミット』という単語を調べてみた。

 シュミット……。ドイツ語で鍛冶屋の意味。英語ではスミスにあたる名前——か。


「うーん……。わからん」


 ない知識をふり絞って考えてみたが、所詮は底が知れた考えしか浮かんでこない。

 かといって、自分の知識のキャパ以上の思索をすることは不可能なので、ひとまず絵画を隅々まで凝視してみることにした。


「——ん、なんだこれは?」


 俺は、絵画の右下の部分に小さく四桁の数字が薄っすらと記されていたのを発見した。

 ——2493? これは……何の数字だ?

 宝くじ?

 ……って、そんなわけないか。

 2493年とか?

 いやいや、いま2020年だろうが。アホか俺は。

 と、ひとりでボケツッコミをして遊んでいたところで、ちょっとした疑問が湧いてきた。


「——この絵って、十六世紀初頭に描かれた……って言われているんだった、よな?」


 ……ちょっと待て、俺。とらわれるな、よく考えるんだ!

 だいたい、このエルフリーデ・シュミットという女性は本当に存在していたのか?

 夫のゲルハルト・シュミットが、勝手に作り上げて描かせた空想上の人物ということはないのか⁉

 もし、そういう方向性で考えるならば、ゲルハルト・シュミットだって実在しない可能性だってある。

 アーデルベルト・シュナイダーとかいう画家だって、知られたのはごく最近の話だ。

 ——このアーデルベルト・シュナイダー自体、誰かが造りだした幻だということは……? 


 いちど疑いだしたら、すべてが怪しく思えてきた。


 そもそも、この絵……。本当にドイツで描かれたものなのか?

 よく考えたら、不自然じゃないか?

 最近になって、急に人気が急上昇したドイツの無名画家の描いた絵が、いったい日本国内にいくつ出回っている?


 当初から俺は、この絵の色や素材、材質、質感などから、これが『十六世紀初頭に描かれたモノ』だという噂を鵜呑みにして信じてこんでしまっていたが……。

 固定観念にとらわれすぎじゃないか?

 現代の技術を使えば、この程度の再現くらい……。

 この絵、もしかして……さいきん描かれたものだなんてことは——


「おっと!」


 俺は考えごとをしていて、つい手もとが狂ってグラスを地面に落としてしまった。

 地面に衝突した勢いでグラスが割れて、あたり一面にガラスの破片が散乱している。

 グラスの中に入っていた氷とウイスキーで地面がびしょびしょだ。


「……やっちまった。俺、疲れてるのかな?」


 俺は座りこんで、あちこちに散らばってしまったグラスの破片を片付けていた。

 グラスの破片を拾いながら、ふとその絵に目をやったとき——


 俺は一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思った。


 だが——



 ————これは……肖像画じゃない⁉

 ……風景画?

 いや……だまし絵か——⁉



 かなり巧妙に描かれている。

 ……というか、巧妙どころではない!

 確かに、だまし絵としての性質もあるが……それ以上にこれは——。


 おそらく、みる角度によって色が変わってみえる特殊な絵具を絶妙な分量で混ぜて使っているのだろう。

 ある一定の角度からみた場合にかぎってのみ、あきらかに色が違ってみえる。


「この角度からしか見えないのか——…」


 しかも、部分部分で色の変化の強いところと弱いところ、色の変化がないところなど、複雑な色の変化がみてとれる。

 これは、場所によって絵具の起伏や重ね塗りといった手法を、最大限に利用することで実現しているのだろう。

 その角度以外からでも若干の色の違いはあるようにみえるが、はっきりいって指摘されなければ色の変化など到底わからない。

 ある一定の角度のみ急激に色が変化してみえる仕組みになっていて、その角度以外からこの絵を『風景画』と気づくのは絶対に不可能だろう。

 恐らく、光の強さや反射角度、位置なども関係しているように思う。


 近すぎてもわからないし、遠すぎてもわからない。

 絶妙な決まった距離と角度からでなければ絶対にわからない。 

 ここまで精巧なだまし絵は——……見たことがない。


 俺は、色が極端に変わる角度を測ってみた。


「まん中から右に42度……。下に40……いや、39度か? 42、39? ……4239。——3942! 絵画の右下にあった数字だ! あれは、この角度のヒントだったのか!」


 『シュミットの肖像』の右下に薄っすらと記されていた数字『2493』。

 逆から二桁ずつに分ければ、俺がいま測った角度の数字と一致する。

 本来は、この謎を解くために用意されていた数字なのだろう。

 だが、俺はウイスキーの入ったグラスを地面に落としてしまったことで、偶然にこの絵の仕掛けを発見してしまったのだ。


 『シュミットの肖像』などという名前がつけられていたから、余計に気づかなかった。

 この『シュミットの肖像』の正体は、女性の絵でもなんでもない——風景画だったのだ。


 そして、この風景を俺は知っている。

 おそらく、これを描いた人間は日本人で、今も生きている。

 確定的ではないが、少なくともこの風景画の中に、十年ほど前に建設されたリゾート施設の建物が描かれている。

 逆説的にいえば、十年よりも前の時代に、この絵が描けるわけがないのだ。


 もちろん、この絵の地が日本の風景と言えども、描いた人物が確実に日本人という保証はない。

 それに、この十年の間に描いた人物が亡くなっている可能性だってある。

 だが、確実にこれが十年以内の日本国内で描かれたものであるということは、ほぼ間違いないのだ。


 そして俺はこの風景の中に、さらに紛れ込むようにして数字のようなものが描かれているのを発見した。


 これは——電話、番号……か?

 こっちにあるのはなんだ? ……どこかの番地? 


 少し躊躇したが、俺は自分のスマホを使って、絵画に記されていた電話番号らしき番号に電話をかけてみた。

 数回呼び出し音が鳴ったあと、留守電のような状態になったと思ったら、録音された女性の声が聞こえてきた。


『——ザザッ……ザ……よく発見したね、おめでと。〝すべてをあげる〟から、三日以内に私のところまで来て——』

 ここで音声は途切れて終わっていた。


 彼女がいるのは、おそらく『シュミットの肖像』に描かれていた風景の場所だ。

 シュミットの肖像画には、あの電話番号のほかに、ある住所の番地のような数字も刻まれていた。

 描かれていた風景は、多くの人が知っている観光地。

 そこの住所に、絵に記されていた番地を組み合わせれば——


 ——彼女の居場所はわかる。


「彼女は『すべてをあげる』と言ったが……どういうことだ?」


 彼女の意図はわからなかったが、世間で噂になっている絵画の謎を解いたその先に、いったい何があるのか? いつのまにか俺は興味が湧いていた。


 翌日、俺は『シュミットの肖像』から導きだした『彼女がいると思われる場所』に車で向かうことにした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 絵画の謎を解いていく過程が丁寧に描かれていてよかったです。 このあとの恋愛要素の展開も楽しみにしています。
[良い点] これはめっちゃ面白そうですね! 続きが楽しみです!
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