第九話 お姫様の料理教室・前編
相変わらず我が道を行くお姫様と、振り回される主人公達のお話です。
「それじゃあよろしくね」
言って、セクティア姫は薄暗がりでにっこりと笑った。
いつも纏っているような裾が波打つ美しいドレス姿ではなく、乗馬でも出来そうな動きやすい服に身を包んでいる。
「ほんとにやるんスか?」
「もちろんよ」
一応最後の抵抗を試みてはみたが、返事は更なる笑顔と予想通りの一声だ。それから戸惑いの表情を浮かべる俺とココに艶やかな両手を差し伸べ、さらりと続けた。
「さ、貴方達のお家に連れていって頂戴?」
◇◇◇
発端は、いつものことながら姫の突拍子もない要求だった。
「料理を教えてくれない?」
「……はい?」
明るい中庭でのお茶会でティーカップを傾けていた俺とココは、耳に入った言葉にきょとんとした。
無理もあるまい。命じれば大抵の物――もちろん食事だって思うが儘に得られるだろう王族が「料理をしたい」などと言えば、こんな間抜け面にもなるというものだ。
「王宮の料理人に、食べたい料理を作るよう指示すれば良いのではありませんか?」
「それでは駄目なのよ」
ココが当然の提案をすると、姫はこともなげに首を振る。
瞳にはいつになく真剣さが宿っていて、その仕草から、どうやら自分の力で料理を作り上げたいらしいと判った。……また面倒なことになったみたいだということも。
だからって、なんで俺達に?
「それこそ、宮廷料理人に『教えなさい』って一言いえば済む話じゃないスか」
姫はこれ見よがしに溜め息を吐く。「分かってないわね」とでも言わんばかりに、びしりとこちらを指さして理由を述べた。
「お城の中でやろうとしたら、スヴェインやシンにすぐにバレて止められるに決まってるでしょ!」
「まずいって自覚はあるんスね」
ならば王族の貴婦人に相応しく「自制心」を発揮してやめて欲しいところなのだが、生憎このお姫様の辞書にその言葉は載っていないらしい。
彼女は故郷であるフリクティー王国から帰ってきてからも、性格も性質は一向に変わる気配はなく、相も変わらず「あれがしたい」「これがしたい」と言い出しては周りを振り回している有様だ。
結局、今回もなんのかんのと押し切られてしまった。「騎士以外の仕事で本業に穴を空けるのを容認してあげているでしょ」と言われてしまえば、分が悪いのは事実だから仕方がない。
俺達だって、別に遊んでるわけじゃねぇってのに!
◇◇◇
そんなこんなで、俺達が本来の仕事を終えたとある日の夜に計画は実行された。
手筈は至極簡単で、俺とココの二人で姫の分身を作ってからベッドに寝かせ、本人と一緒に転送術で城外に出る。これだけだ。
実は、この手段で時々外に遊びに連れていかされるため、今ではすっかり手慣れてしまっていた。
ちなみにわざわざココと二人で分身を作るのは、精密さを上げるためである。
万が一、誰かが部屋を訪れた時に姫の偽物だとバレないよう、分身をある程度の意思疎通が出来るレベルの物にしておく必要があるのだ。
込める魔力こそ俺の方が強いけれど、女性らしい言動をさせるのにはココによる魔力操作が不可欠だ。その彼女がぼそりと言う。
「まるで完全犯罪を目論む犯人みたいですね」
「王族を勝手に城外に連れ出した時点で完全アウトだろうがな」
公になれば、どう言い訳をしようと二人揃って誘拐犯にされてしまう恐れが大きい。だから、常に細心の注意を払っているのだった。
ま、側近のシンやら姫の旦那あたりには既にバレてる気もしなくもないけど。幾らなんでも、何度もやってれば……なぁ? はぁ。
「ま、どうせ止めたって、お姫様は自分一人でだって飛び出しちまうに決まってるからな」
「お目こぼしをして下さっていると?」
「多分な」
師匠じゃあるまいし、俺達の実力で他の魔導師達を欺き続けられるとは到底思えない。関係各所の皆さん、ごめんなさい。
というわけで、そんなやりとりをこそこそとしていると、張本人が「それじゃあよろしくね」と上品な笑みを浮かべたのだった。
俺達の自宅は王城の目と鼻の先だ。これくらいの距離、二人でなら姫を連れてでも転送術でひとっ飛びである。
玄関すら通らずキッチンに直行した俺、ココ、そしてセクティア姫は、とりあえず周囲の空間をぐるりと観察した。
中央には調理台があり、周囲には調理道具や食器を収めた棚、オーブンなども並んでいる。そこへ、後ろから「おかえりなさーい」と呑気な声がかかった。
「まぁ、今日は貴方も手伝ってくれるのね?」
「よろしくお願いします」
誰と問うまでもなくキーマだ。すでに水色のエプロンまでバッチリ装備済みである。丁度早番だから混ぜてくれと言うので、直前の掃除を頼んで置いたのだ。コイツも姫と同じで、断ったって無駄だろうからな。
断じて常日頃から入り浸らせているわけじゃないから勘違いしないように。
「それにしても結構広いのね」
姫が言うストレートな感想の通り、家庭用にしては広いキッチンだ。台所というより、厨房に近いかもしれない。
ここは本来、貴族が使う屋敷であるため、専属の料理人が数人がかりで調理しても大丈夫な広さと作りになっているのだろう。
「二人は良く料理をするの?」
「いえ、お仕事や訓練がある日はお城の騎士寮で食事を頂いています」
「寮の食堂の料理は美味いっスからね」
「なるほどね」
今日みたいな日こそ理由を説明して無しにしてもらっているものの、普段は夜に師匠の特訓も入ってくる。
毎日帰宅する頃にはクタクタで、料理なんてしている時間も労力もあるはずがない。休日に作る程度だった。
「せっかく立派なキッチンがあるのに、宝の持ち腐れだねぇ」
「まぁな。……つっても、それは台所に限らないんだけどさ」
「ですね」
住む前から予想していたことだが、二人きりで暮らすにはデカ過ぎて屋敷全体がそんな感じなのだ。
なお、引っ越した時に魔術対策としてあちこち強化はして貰っていた。でないと、絶対に破壊しそうだし。
「じゃあ、まずは手を洗って下さい」
やる気十分の姫を水がめの前まで連れて行き、全員で手を清める。それから調理場の脇にある食材置き場に移動した。
予め作りたい料理を聞いて置いて、空いた時間を使って一通りの食材を揃えておいたのである。
「色々あるのね。面白いわ」
それはそうだろう。王族が食糧庫に入る機会なんてまずないだろうからな。ただ、どんな危険があるか分かったものではない。一応、あまり触らないよう念を押しておいた。
「えぇと、小麦粉にミルクに卵にナッツだろ、あとはバターと……これだけあれば足りるか」
「ドライフルーツも要るよね?」
「はい、ありがとうございます。では、私はお茶の用意をしておきますね」
ポンポンと材料を出し、再び台所に戻ってくる。キーマがピカピカに磨いた調理台の上に紙袋を載せ、必要な調理器具を出せば準備は万端だ。ココも提案通りに茶葉を用意し、鍋で湯を沸かし始めている。
「では早速始めましょう。よろしくお願いするわね、料理の先生達? 何から取り掛かったらいいかしら」
手近にあっためん棒を掴み、ヒュンヒュンと軽快に振り回しながら姫が言うので、「とりあえず怖いのでやめて下さい」とお願いした。
妙に慣れた手付きに見えたのは乗馬経験があるからか? あれで殴られたら……うん、考えるのは止そう。
それはさておき、これから作ろうとしている料理……もとい、お菓子はクッキーである。
姫はもっと凄いお菓子が作りたいと訴えてきたけれど、包丁を握ったこともなさそうな料理の超・初心者にはハードルが高過ぎるため、簡単なものから順番にレクチャーすることにしたのだ。
その点、クッキーなら危険も少ない。材料を混ぜて、捏ねて、成型して焼けば完成だし、色々とアレンジも出来る。多少不器用だったとしても、なんとかなるだろう。
とにかく、怪我や火傷にだけは気を配らないとな……とココとも話していたのだが。
てっきり、付きっ切りで手取り足取り教えなければと思っていた俺達の予想は大きく外れるのである。




