第四話 本当にあった怖い話
師匠視点で、夏らしい内容に。といっても全く怖くありませんので、ホラーが苦手な方もご安心を(笑)。
齢20になる弟子がいる。数年前に国の隅でたまたま見付けた小僧だ。
適性試験の時に出会い、なかなかに魔力と負けん気が強くて面白そうだと思って拾ったが、まさかこれ程手を焼かされるとはその当時思わなかった。
魔力の伸びは申し分ない。逸材と言って良い。商家の生まれで読み書きや計算も習得しており、術の覚えも思ったよりは悪くない。だが、制御力が幾つになっても追い付かないのである。
「ひょえっ」
「だ、大丈夫ですかっ?」
先日も、そろそろ良い頃だろうと呪術とその解呪法を教えたら、込める魔力の加減を間違えて自分自身がかかっていた。全身、蛇のような斑模様になって、それはもう大騒ぎだ。
もっとも、一緒に取り組んでいたココがすぐに治して事なきを得たのだが。
ふむ、伴侶選びは間違っておらなんだようじゃな。暫くは様子を見て遣るとするか。問題があれば、その時に対処すれば良かろう。
◇◇◇
「……今日はここまでとするかのう」
『ありがとうございましたッ』
講堂に若者たちの高い声が一斉に響く。
わしの主な仕事は、ここユニラテラ王都で新人や若手兵士の指導をすることだ。魔力や魔術の基礎をみっちりと教え込み、素人をそれなりに使えるようになるまで育て上げなければならない。
「オルティリト師匠、質問よろしいでしょうか。この部分が良く分からなくて」
「む? ここはじゃな……」
理論と技術はいわば馬車の両輪の如きものであり、どちらも過不足なく教えるのが重要である。
とは言っても、王都の魔導士は王立魔術学院上がりの者が圧倒的に多い。地方のように基礎の基礎から教える必要がほとんどないため、苦労の程度は雲泥の差だ。
……己で選んだ弟子だけは一から全て手解きしたいと思っておったから、スウェルでヤルンを拾えたのは僥倖だったがの。
その不肖の弟子も、最近はやっとわしの「もう一つの仕事」を手伝えるまでになってきたところだ。
それは、王城を始めとして国の広い範囲の城に設置された魔術陣を管理するお役目である。
まぁ、自分で設置したものも多いから、その後も面倒を見るのは当然かもしれない。しかし、全てをこの老体のみで行うのは骨が折れる。
だから幾らかは他の技師やかつての弟子に任せており、スネリウェルもその一人である。あれはわしの元からは去ったものの、古き魔導師としての役目を果たすつもりはあるらしい。
『ほれ、また依頼が来ておるぞ』
『またか! なんで俺が全部やらなきゃいけねぇんだよっ!』
『何度も同じことを言わせるでない。お主がわしの弟子だからじゃ』
『ムキー! ちったぁ自分でやれっつってんだ!』
『まぁまぁ、一緒に頑張りましょう?』
ヤルンはいまだに仕事を振ると怒りはするが、次の瞬間にはブツブツと文句を言いながら今後の予定について考えを巡らせている。
過去に反抗した時の経験から、わしに楯突いても無駄だと悟ったのか、或いは単に吠えるのが面倒くさいのかは分からない。ココが宥め、共に在るのも理由だろうか。
何年教えても、頭が良いのか悪いのか判断に困る奴じゃて。
◇◇◇
「む?」
そんな弟子は時折、あれやこれやと面倒ごとを起こす。傍に張り付くココやキーマが大抵は歯止めになるのだが、正しく機能しない場合もある。残念ながら、今回もそのパターンだった。
「……この感じは、『落ちた』か」
王城敷地内にある兵舎の自室の窓を開け放ち、懐から魔導書を出す。何百とある頁の後ろから白い一枚切り取り、さっと呪文を唱えた。
『我が一部、我が意を得て仮初めの容とならん』
紙は声を受けて動き、パタリパタリと折れて鳥の形を取る。追加で命令を告げればふわりと浮き上がり、薄い翼をばたつかせて町の方へと一直線に飛んでいった。
僕に命じたことは一つだ。ヤルンを見付け、わしの元まで導くこと。
――はたして、優秀な鳥はその命令を見事に遂行しきったのだった。
「なぁ師匠、俺、どこに居たんスか?」
さっぱりとした私服姿のヤルンは、わしの顔を見るなり呆けた顔で呆けたことを言った。
「街に買い物に出てたら、変なところに入り込んじまって……」
普通であれば意味が分からない発言だろう。良い年をした――もう酒を嗜むことも許される――男が、過ごし慣れた町で迷子になるわけがない。
中には度が過ぎた方向音痴も存在するかもしれないが、ヤルンは違う。それに、多少道に迷ったところで転送術を使いさえすれば、一瞬で問題は解決だ。
「それはじゃな――」
「ヤルンさん!」
わしが説明する前に近くで淡い光が弾け、中からココが現れた。先日、正式に夫としたばかりのヤルンを見付け、感極まった様子で抱き着いている。
普段は貴族出身の女性らしく慎み深くしているのに、こやつのこととなると抑えが効かなくなるようだ。あらゆる意味に於いて彼女の生命線であるのだから、無理からぬことかもしれないが。
最初はココに近付かれることを恐れていたヤルンも、夫婦となった今はかなり慣れて見える。他人の魔力に馴染むことも魔導師には必須の技能だから、彼女の「特訓」は良い経験になったようだ。
さすがのわしもその詳細を訊ねる野暮はしない。……今のところは。
「く、苦しいって、ココ」
「だって、ヤルンさんの魔力が急に消えて……本当に心配したんですよ」
「消えた? 別に前みたいに封じられたり、使い切ったりもしてないんだけどな」
しきりに首を捻っている。ココは一度体を放し、自らの胸の辺りに手を触れた。
そこには腕から移した刻印があるのだろう。魔力を生み出す「核」の近くに刻み直し、今まで以上に互いを強く感じられるようになったはずだ。
「刻印では存在を感じられたのでホッとしたんですけど、居場所がどうしても分からなくて。とにかく変な感じでした。一体、何処に居たんですか?」
「どこって言われてもな……」
ヤルンは紫のツンツン頭をかきながら、状況を説明して聞かせた。買い物をしようと思ったらあまり時間がないことに気付き、一気に目的の店まで転移しようとしたのだと。
大通りで急に消えては騒ぎになる。路地裏で他者の気配がないことを確認し、飛ぼうとして――おかしなところに迷い込んだらしい。
「転移したはずなのに、なんでだか元と同じ場所に立っててさ。最初は俺も失敗したかと思ったぜ? でも違うってすぐに分かった。音が消えたからな」
「音……?」
ヤルンは「あぁ」と返して続けた。つい先ほどまで聞こえていた音という音が、耳に一切届かなくなっていたのだと。
裏路地で人気がないとはいえ、一つか二つ隣の道に入ったくらいだ。一国家の華たる王都の雑踏は、その程度でかき消えるものではない。
人々の話し声や舗装された地面を踏みしめる足音、馬車の行き交う激しい振動が全く聞こえないのは、明らかに異常だ。
「耳が変になったのかと思ったけど、声を出したらちゃんと聞こえたしな」
「それは確かに『おかしなところ』ですね……」
話すのを止めて考え込む二人に、わしはようやく「隙間に落ちたのじゃ」と諭した。
「すきま? 俺は溝になんて落ちてませんよ」
「溝か。あながち遠くもないな。隙間とは、世界と世界の溝のようなものじゃからのう」
勤勉で知識の豊富なココもすぐには飲み込めないのか、ぽかんとしている。反対に直感が鋭いヤルンは何かを思い付いた顔付きになり、直後、サーッと青ざめた。
「ま、まさか、あの世とか言わないっスよね?」
「厳密には違うが、それも遠からずじゃな。良いか、この世は一枚の絵ではない。幾つもの世界が重なって出来ておるのじゃ。『隣人』の住まう世界がの」
魔術という現象も、魔力と魔導書によってそこ――異界から引っ張ってくることで起こしているのだ。
となれば、理解も出来るだろう。たまにうっかりとそこへ落ち込んでしまう者が居ても、なんら不思議ではないことが。
「異界……それって」
滔々とこの世の仕組みの一端を講義してやると、ココまでがヤルンと同じ顔色へと一気に変化した。
「じゃ、じゃあ師匠が迎えの鳥を寄越してくれなかったら……? い、いや良い! 聞きたくない!!」
「わっ、私しばらく転送術使うのやめます……!」
これしきのことで恐れ戦くとは、成長したかと思えば拍子抜けだ。まだまだ世の理については教えねばならないことが山とあると言うのに。
はぁ、全く。詰まらぬつまらぬ。
思い付くまでは時間がかかりましたが、書き始めてみたらスルスルと出来たお話でした。
人を怖がらせておいて「詰まらない」とは、相変わらず師匠は鬼です(笑)。
本編の改稿作業は後日談のⅠに入りました。
そちらを優先したいと思いますので、こちらはのんびりお待ち頂けると嬉しいです。