第五話
船出して二週間が経つかという頃。
船ではさらに深刻な事態を迎えていた。
「寝太郎さーん? いっくらなんでも食べ過ぎとちゃう~?」
「や、やからすまんって」
「すまん、で済んだらこの船旅もすんごく楽なんやけどねー」
「どうしました?」
清恒が水夫たちに詰め寄られているところに、船内を散歩していた舞人が通りかかる。
「どーしたもこーしたもないわー」
「あんたからも言ったってーや。飯はほどほどにって」
聞けば、寝太郎は食事の度におかわりするやらつまみ食いするやらで食糧が底をつきそうだという。
「それは困りましたね。清恒さん、そんなに大食らいでしたっけ?」
「お、おうよ。何せ、三年も寝とったから、腹減って仕方ないんよ!」
言い切るわりには、どこか自信無さげだ。その態度に舞人も首をかしげる。
「……そうなんですか?」
「でもそれじゃあ、足りない食糧はどーすんですかあ?」
「そりゃあ……のう…………」
「なんや頼りないなあ」
詰め寄られて、清恒は脱兎の如くその場を後にした。
「逃げたっ!」
「追えー!」
しかしそこまで広くない船では、清恒はあっという間に追い詰められた。
「さーあ、清恒さんには、食糧をとってきてもらわんとなー」
「とりあえず、魚のエサになってもらうかのー?」
「……まってくれ!」
声がしたのは、皆の後ろの方からだった。
聞きなれない声に皆が振り向くと、見慣れない青年がたっていた。
「…………誰?」
歳と背のほどは清恒と同じくらいだろう。
柄の入った、なかなかにいい生地を使っているが、裾がボロボロの着物。背中まで伸びたボサボサの髪を一つにまとめ、長い布を頭に巻いていた。手には布に巻かれた長い棒のようなものを持っている。
「か、かか海賊か!?」
「この船にゃあ金目のモンはねえぞ!」
へっぴり腰で構える水夫たちに、青年は少々困った顔になる。
「俺は、シンだ。海賊じゃねえ。あんたらやこの船にはなにもしねえから安心しろ。
それと、食糧の減りが早いのは、俺のせいだ。そいつが悪いわけじゃねえ」
言って、危害を加えない証だというように座り、両手の平を見せた。
それを見て慌てたのは清恒。
彼と水夫の間に立ち、彼をかばうように両手をひろげる。
「ちょ……ちょちょっとまて!まってくれ!これにはワケが――!」
皆が一斉に清恒を睨む。
「寝太郎さぁん? こりゃどーゆー事なん?」
「あーっと、な……実は、船を見つけてくれたんはこいつで~……それから草鞋を――」
「そういうことを聞いてるんやないですよ!」
「長い船旅は一人増えただけでも食糧やら積み荷やら大変なんです!乗せるなら最初に言ってくれないと!」
「お、おぅ……すまん……」
てっきり、袋叩きか船の舳先にでも吊るされるかと思った清恒は、間の抜けた返事をした。
「とにかく、食糧を何とかせにゃあ」
「どうすっぺ?」
「う~ん、どこか港に寄るにしても、あと数日はかかるやろうし」
水夫たちの困った声に、舞人が話しかけようとすると、シンが無言で立ち上がる。
「俺が何とかする」
「何とかって……? どうするんじゃ?」
「食糧があればいいんだろ? 来てくれればわかる」
言われて、シンのあとをぞろぞろとついていく。
甲板に出ると、シンはためらいもせず海へと飛び込んだ。
「みっ、身投げ!?」
「いや、逃げた!?」
「逃げてないっ!」
水夫たちの叫びに対して言ったのは清恒だ。シンの行動に、清恒もやや戸惑っているようだが、それが表情に出るのを堪えている。
「あいつは考えがあるって言ってたろ!ここは信じてまっててくれ!」
数分後、水面が泡立ったかとおもうと、激しい水飛沫をたてて巨大な魚が飛び上がってきた。
「!?」
飛沫に紛れて、シンが船縁に着地する。
「これでしばらくはもつか?」
呆気にとられる一同。
海をみればプカプカと浮かぶ、食糧という名の巨大魚。丸々として、船に乗っている全員で食べても何日、いや何週間もかかりそうだ。
「……十分やわ」
食糧問題が解決した瞬間であった。
■ ■ ■
シンが捕った魚を水夫たちがさばいている間、甲板の隅で、それをじっと見ているシン。その隣に清恒が座した。
「無茶するなー、シン」
「すまん、清恒」
頭を下げなかったが、彼なりの謝罪だと清恒は知っていた。
「こっちこそ隠しきれずにすまん。俺が頼りないのは事実だし、いずれ食糧が足りなくなるのはわかってた問題だし」
そこへ舞人も加わった。
「先程の魚を捕るとき、船のなかで感じたのと同じ気配がしました。あれはあなただったんですね」
「ああ」
舞人は、シンの前にかしづく。
「さすが――さすがは大内氏の新介様です」
少し声音をしぼり言い淀みはしたが、はっきりとシンには聞こえたようだ。
シンは身構えた。
「お前、何者だ? 陶の手の者か?」
布にくるまれた長い棒が刀として姿を現す。
清恒が制止しようとしたのを舞人が止める。
「ご安心を。私はただの舞人です。昔、大内殿に舞を納めたこともございます」
舞人の身なりを見て、構えをとかずに、じろじろと訝しげに見た。
「シン、この人はこの船を修繕してくださった恩人じゃ」
「ああわかってる。この船には俺も乗ってたからな」
「それにしては、うまく隠れておいででした。藁のなかは窮屈ではありませんでしたか?」
「そこまでわかってたのか」
「ええ。しかし、それよりも気になっているのですが――」
舞人は二人を見る。
「お二人はいつお知り合いになられたのですか?」
「知りあったのは三年前だ。この船を見つけたのと同じ時期だな」
清恒は甲板を撫でながら言った。
「ん? 俺はお前のことは昔から知ってたぞ」
そう言ったのはシンだ。
「え?」
「城にいた頃、臣下で俺と同じくらいの子供を連れてきていたのは玄信殿くらいだったから、よく覚えている。いつぞや、清恒が退屈だからと謁見から抜けだそうとしたとき、手助けしたこともあったぞ」
「え? あ! ……あれ、シンやったんか……!?」
「結局、逃げたのがバレて清恒は玄信殿に怒鳴られていたろう? 城中に響いてたぞ」
「…………」
顔を真っ赤にする清恒。
「お二人は縁が深いのですね」
舞人はにこやかにその二人のやりとりをみていた。
「しかし、あの洞は奇妙な力で隠されていました。なぜなのでしょうか?」
「あ、それはオレだ。和尚から逃げるために札をいくつか拝借してきたんだ。そのうちの一枚を使って隠れてたんだ」
「なるほど。合点がいきました。」
舞人は、ようやく納得した顔になる。
「寝太郎さーん! シンさーん!舞人さーん!できたで~」
水夫たちが三人を呼ぶ。
水夫とは海でとても重要な人物であろう。少なくとも三人はそう思った。
豪勢に盛られた刺身だけでなく、鍋料理に丼に、様々な魚料理が食卓を埋め尽くした。
「これは……うまそうだな」
言葉の落ち着きとは裏腹にシンの目が輝く。
無理もない。この三年という月日、清恒からもらったご飯のほかは、海水程度しか口にしていない。海水も、蒸留すればいくらかは飲めるのだが、シンにはその知識も発想もなかった。洞に流れ込む海水は、潮の流れが悪く、魚は滅多にとれない。
だから、目の前のごちそうは本当に輝いて見えた。
「お前ら、凄いな!」
素直に驚いていたのは清恒だ。駆け寄り、手を伸ばすと水夫たちがご馳走をひょいと取り上げた。
「何すんだ!」
「これは、シンさんがとった魚だ。まずはシンさんからだ」
そう言って、水夫たちはシンの前にご馳走を並べた。
「あんたのお陰で航海を続けられる。ありがとうよ」
「いや、こちらこそ隠れたりしてて悪かった。あんたらの言うことは最もだからな」
「――幾松や」
「? おう?」
「孫の健作やが」
「おれは孫作だ」
「おれ、権兵衛」
「多左エ門っちゅうねん」
「シンさん、よろしゅうにな」
「――ああ、よろしく頼む!」
シンを迎える楽しそうな声が波間にのって、夜は更けていった。