宿
「ふーん。色を取り戻す、ねぇ……」
宿屋に黄色の女──ザニアと名乗っていたが、本名かどうかは定かではない──は、モーリャから話を聞き、頷いた。
「いいじゃないか。聖教会に吠え面かかせられるなら、あたしは喜んでついていくよ」
「では、決まりで。なるべく早く町を出たいのですが、準備にどれくらいかかりそうですか?」
「今日の夜までには終わるよ。それでいいかい?」
「ええ。街を出るのはなるべく、夜のほうがいいですから」
「じゃ、また来るよ」
「ええ、また夜に。お待ちしていますね」
ザニアは部屋を出ていった。予想していたよりかなりやすやすと事が進んだな。
「フリッツさん、ありがとうございます。これで次の町に行けます。」
「ああ。」
ここまで順調にいくと、次の問題は、モーリャと御者の素性だ。何故彼らは正体を隠したがる?何故、人目の少ない夜に町を出て行きたがる?
考えられる答えは一つ。彼らはおそらく、追われている。国家権力や、一般に正義と言われる何かに。
考えなくてもわかることではあるが、モーリャは城の警備隊長を引き連れ、聖典の原書を持ち出せるような身分である。そんな身分の人間が兵も引き連れずなるべく人目を避けて旅をするのだから、明らかに正式なものではない。
それなり以上に身分の高い──おそらく王族だろう──が聖典を持ち出して旅をしているのだ。追われないはずがない。最悪俺は警備隊長もろともお尋ね者だ。
が、彼らについていかなければ、この世界に色づいた未来などない。そしてこんな灰色の世界で犯罪者となったところで、たいした問題でもない。
国と事を構えるようになったとして、圧倒的な戦力に殺されれば今度こそ、俺は色のある世界に転生できるかもしれない。
要するに彼らについていくメリットは多いが、詮索するメリットは何一つない。
だからこそ、俺は彼女たちの旅の道連れに選ばれたのかもしれない。
「どうしましたか?少し物憂げな顔をしていましたが」
「いや、なんでもない。これで、色のある世界に一歩近づいたな」
「ええ。前途はまだまだ多難ですが、これで一安心です」
「そうだな。これからもこれくらい楽だと助かるんだがな」
俺の軽口に、モーリャは答えなかった。
「……ごめんなさい」
数分の沈黙のあと、彼女の口から出たのは謝罪の言葉だった。
「謝る必要はない。俺が好きで付き従ってるだけだ。お前が言いたくないことがあるにしろ、それが何かしら不都合を起こすとして、それでどうにかなるほど俺は弱くない。でなければ、お前も俺を選ばなかったろう」
「私は、聖典に従っているだけですから……でも、フリッツがいてくれて良かったです。聖典が指名したのがフリッツで……良かったです」
「そうか。そう言ってもらえると嬉しい。……まだ時間はあるな。少し出歩いてくる」
「はい。待ってますね」
「御者の……名前も聞いてなかったな。あんたは?」
「ランゴだ。私はひ……モーリャ様をお守りする。それが使命だ」
「そうか。律儀だな。飯でも買ってくるよ」
「恩に着る」
俺は部屋を出た。幸いにもこの辺には飲食店が多い。
宿の飯は夕食しかつかない。モーリャたちは夕食までどこにも出ずに凌ぐつもりだったのだろうか。これからは食料の買い出しも仕事だな、と俺は一人思った。