はじまり
夢を見ていた。 あの忌まわしい日から数日おきに見る、同様に忌まわしい夢。
空は青く、花は赤く、草木は微風に揺れる。極彩色の鳥が鳴く。オウムだろうか?手を伸ばすと、溶けるようにそれは消えて……
「はぁ……!クソッ、またあの夢だ……」
目を覚ました俺の世界に色はない。白と黒、そして灰色だけがこの世界にあるものの全てだ。
あの忌まわしい日。考えるのも嫌になるがたしか十年前だった。俺は突然思い出してしまった。自分が違う世界から転生してきたこと──そしてこの世界には、色が存在しないということを。
たしか前の人生では……この世界に無い車というものに轢かれ、死んだ。なんの皮肉か白と黒のタイルパターンの塗装だった。
そして気がついたら女神が目の前にいて──
「自殺じゃなくてよかったですねぇ。自殺だったら転生もできないところでしたよぉ」
だの何だの言って、俺の記憶はそこで途切れていた。
そしてこの世界に、地主の次男坊として生まれ──たいした不自由もなく生きていた……生きていたのに。十五の誕生日、思い出してしまった。
こんな世界に生きていたくないと思った。いっそ死んでしまおうと。
しかし女神の言ったことも同時に思い出していた。自殺だったら転生はできないと。
俺は家を飛び出した。こんな色の無い世界で、のうのうと生きてはいけぬと。
俺は死を近づけたかった。自殺ではなく、誰かに殺されるなら、色のある世界に生まれ変わることができるかもしれないと。
奇しくも隣国との関係が悪化し、国は戦争に向かっていた。
俺は志願兵になり──灰色の槍を握り、ほくそ笑んだ。ようやく死ねると。
初めての戦、俺にはその時の記憶がない。気がついたときには俺の全身は血で真っ黒に染まっていた。自らの血ではない、敵兵の返り血で。
作戦の開始前に話していた男が、呆然とする俺の肩を叩いた。笑いながら俺を大英雄と褒めそやす彼は、左腕を失っていた。
あれから俺は戦場を渡り歩き、祖国は勝利をおさめ──世界は平和になった。
歩み寄ったはずの死は、俺の前から去っていった。
訓練ばかりの日が2ヶ月続き、俺は軍をやめ、傭兵になった。 平和なこの世界でも、わずかばかりの死の匂いと俺の仕事はあった。
畑を荒らしたり人を襲うモンスターの駆除、商隊の護衛、違法な取引の見届け人──拠点としている酒場で俺はいくつもの依頼を受け、そのすべてをこなした。
だがそうするごとに、死の匂いは俺から遠ざかっていった。
「どうしたんだ、大英雄?今日はご機嫌斜めだけど。お前が不機嫌だと国が傾いて商売上がったりだ」
酒場の店主が俺を茶化しながら、酒をグラスにつぎ、俺に手渡した。
「ほら、俺の奢りにしとくから。どうした?」
「悪いな。少しばかり、昔の夢を見てた」
グラスに口をつけると、冷えた麦酒の味が口に広がった。
「美味い。麦酒はお前の店で飲むに限るな」
「そう言って貰えると嬉しいよ。なぁ、昔の夢ってなんだ?女か?」
「女じゃ無いさ。俺にそんな浮いた話も無かったろ。そうだな……例えばだが。見た目だけで野苺とオレンジのジュースを見分けられる世界があったとしたら、どう思う?」
「ラベルをつけるやつが減るだろうな。それが悩みか?野苺とオレンジのジュースの違いが飲むかラベルを見なきゃわからないことが?」
「まあ、そんなもんだ。お前と会う直前から、ずっとな」
「変わってるなぁ、お前。昔から変わってたけどな」
木製の義手になった左腕を撫でながら、店主は言った。
「ああ、そうだ。そんな変わったお前に、妙な依頼があるんだよなぁ」
「なんだ、妙な依頼って?」
「お前は絶対に受けるって、若い女の子が自信満々に言っててな。金は出せない、しかし長期の依頼で……なんて言ってたかな。空を……もっと鮮やかにするため、だったかな?」
空を鮮やかに……まさか、色のことを言っているのかもしれない。
「……その子はいつ来るんだ?」
「受けるのかい?稼ぎ頭が減るのは辛いが……お前にやりたいことが見つかったなら俺はお祝いに、もう一杯お前に奢るぜ」
「……まだわからないけどな」
「なんにせよ、お前が満足できるように祈るよ。その子は明日の昼来るってよ」
店主はなみなみと麦酒が注がれたグラスを、俺に差し出した。