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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第2章 旅立ち
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01:竜使いの青年

 龍神界アークドゥールは、北にルヴァカーン山脈を望む平地に幾つもの集落が点在する小さな国だ。

 もとは天界人と祖先を同じにする彼らは、一万年前に神龍イルヴァールを崇め地に降り立った神界人の末裔である。翼をなくした代わりに飛竜に乗って空を駆け巡る彼らの姿は、天界人とは違った意味で憧憬の眼差しを向けられる事が多い。


 飛竜は神龍イルヴァールの系譜に属する聖獣だ。イルヴァールほどの力はないものの、今でも吐き出す炎は邪悪なものを一瞬にして浄化する。その力は魔物討伐において非常に重宝され、聖獣である飛竜をいとも簡単に操る者たちは敬意をこめて「竜使い」と呼ばれた。


 龍神界の一族は皆が、大なり小なり飛竜と心を通わせる事が出来る。中でもとりわけ強い力を持つ者が、リュッカの村にいた。


「アレス」


 名を呼ばれ、明るい茶色の髪をひとつに束ねた青年が振り返った。仕事から戻ってきたばかりだったのか、相棒の飛竜の体にはたくさんの荷物が括り付けられている。その中のひとつから青い小瓶を取り出して、アレスはそれをこちらへ歩いてくる老齢の男へと差し出した。


「今年はファレンの収穫が少なかったらしい。森の奥に行けばもう少し採れるだろうとは言っていたが……」

「これだけあれば十分じゃ。こんな年寄りの為に無理せずともよい。ただでさえノクスの村は戦いに慣れておらんからの」

「そう言っておいた。本当に必要なら俺が行く」


 簡潔に言って荷を解き始めるアレスの前では、飛竜が軽くなった体で伸びでもするように二枚の翼を大きく広げて見せた。その反動で解いた荷の幾つかが地面に転がり落ちる。


「疲れたのは分かるが、もう少し待ってくれ」


 転がった荷物を拾い集めるアレスに、飛竜が喉の奥でくぐもった小さな声を上げた。伸ばしていた首を下ろしてこちらを窺う様子はまるで叱られた子供のようで、広げた翼も閉じてすっかり萎縮してしまった飛竜の姿にアレスが声を出して笑った。


「そんなに落ち込むなよ。大丈夫だ。荷も壊れていない。……ほら、行っていいぞ」


 最後の荷物を下ろして、アレスが労うように飛竜の体を優しく撫でた。その手の心地よさに目を閉じかけた飛竜が、ぐるりと首を回してアレスに顔を近付ける。その鼻先も撫でてやると満足したように小さく鳴いて、今度は控えめに翼を広げて飛び立っていった。


「ノクスとカルネラの村は変わりなかったか?」

「ああ、特には。ただノクスの方では、最近になって魔物が森から出て来る事が多くなったそうだ。その姿が度々村の近くで目撃されている」

「ふむ……。もともと魔物は聖獣を嫌って、あまり近寄らないんじゃがな」

「帰りがけにルツィオの村の竜使いたちに、ノクスの警備を頼んできたが……」


 事後報告になった事を詫びるように様子を窺ってきたアレスに、老齢の男ガッシュが頭を軽く二回縦に振って頷いた。


「良い良い。お主は思うままに動けばよいのじゃ。この儂の後継……次期アークドゥールの族長として、村全体を把握し、適切な判断を下すのもいずれお主の役目となる。今は修業期間と思って、たくさん動き学ぶといい」

「……その話は拒否したはずだ」


 またかとうんざりした表情を浮かべたアレスに、少しも動じる様子のないガッシュがにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「お主の拒否も、却下したはずじゃ」


 これ以上ガッシュに何を言っても無駄だと悟ったアレスが、これ見よがしに大きな溜息をついてくるりと背を向けた。そのまま黙々と荷物の整理を始めたアレスの背中を暫く見つめていたガッシュだったが、こちらもやがて諦めたようにふっと息を吐くと踵を返して歩いて行った。


「まぁ、おいおい考えていくといい」


 去り際に残された言葉に返事をする事もなく、荷物を整理しながら視線だけをガッシュに向けたアレスの瞳が、かすかな哀愁の色に揺れていた。


 先程彼に渡した青い小瓶には、ファレンの実を細かく砕いて煎じた液体が入っている。それは体の痛みを和らげる薬で、去年転倒から腰の骨を骨折したガッシュの常備薬でもあった。骨折自体は治ったものの傷は今でも痛む事があり、すっかり腰の曲がったガッシュが飛竜に乗る事はなくなった。


 点在する幾つもの村にはそれぞれに纏め役の長がおり、その長の更に頂点に立つ者がこの(よわい)八十の族長ガッシュだ。

 長い間アークドゥールを纏めてきた彼も寄る年波には勝てず、時々こうして世代交代の話を零すようになってきた。しかし現実としてまだ二十二歳のアレスが族長になるには若すぎる。それにアレスの個人的な思いとしてガッシュには生涯現役でいて欲しかった。老体に鞭を打つようで心苦しくもあるが、隠居して元気をなくしていくガッシュの姿など見たくなかった。




 ノクスの村は近辺の森で採れる植物や果物を売って生計を立てている者が多い。採れたものから薬や菓子などを作る事に長けていて、村の中はちょっとした市場のようになっている。勿論飛竜も一緒に暮らしているが、ノクスの竜使いたちは魔物相手に戦うよりも村で作られた特産品を外へ売りに運ぶ運搬の仕事を中心としていた。

 反対にノクスの隣に位置するルツィオの村は戦士が多く、彼らの仕事は魔物討伐や護衛と言ったものがほとんどだ。


 村によってさまざまな特色がある中、ガッシュの治めるリュッカは飛竜を育成する事を主とし、数ある村の中でも規模は一番大きかった。

 普段はアレスも飛竜たちの世話で忙しいのだが、今回はガッシュの薬の事もあって自ら使いを申し出たのである。他の住民たちの使いも纏めて引き受けた為に時間は少々かかったが、あとは解いた荷物を依頼主の所へ持っていくだけだ。ふうっと一息ついてから、アレスは仕事の残りを片付けようと動き出した。



 ***



「お兄ちゃん!」


 仕事を終えて家に帰ると、妹のロゼッタが満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。ぶつかる勢いで腰に抱き着いたロゼッタを難なく受け止めて、アレスがその顔にひどく優しい笑みを浮かべる。


「おかえりなさい!」

「ただいま、ロゼッタ」


 そう言って軽く頭を撫でてやると、ロゼッタが気持ちよさそうに顔を摺り寄せてくる。その様子がさっきの飛竜と似ていて、アレスは思わず吹き出しそうになるのを咳払いで誤魔化した。


「ひとりでも平気だったか?」

「うん。ガッシュの家に泊まってたから大丈夫。さっきも来てね、夜ご飯食べにおいでって言ってたよ」

「そうか。……いつも悪いな」


 アレスが窓の向こうへ目をやると、ちょうどガッシュの妻メレシャが食料を詰めた袋を抱えながら隣の家に入っていくのが見えた。


 アレスとロゼッタは九つ、歳の離れた兄妹だ。今年十三になるロゼッタは年の割には外見も中身も幼いが、それは幼少期に両親からの愛情を受けられなかった事に起因しているらしい。

 ロゼッタが一歳になる頃、二人の両親は亡くなっている。魔界跡ヘルズゲートへ調査に向かった二人は、そのまま二度とアレスたちの元へ戻る事はなかった。


 まだ幼いロゼッタを抱いて、途方に暮れていたアレスを支えてくれたのはガッシュだ。家が隣同士と言うこともあって、それ以降ガッシュは二人の親代わりとしてアレスたちを育ててくれた。

 両親の記憶がないロゼッタにとってはガッシュが親であり、アレスと同じように肉親に対する深い愛情を持って懐いていた。


「そうだ、ロゼッタ。ほら」


 ノクスで土産を買っていた事を思い出したアレスが、手提げの中から小さな包みを取り出した。


「お前の好きなラースの菓子だ」

「うわぁ! お兄ちゃん、ありがとう!」


 受け取った包みを開くと、中にはオレンジ色の小さな珠がたくさん詰められていた。

 ラースの果汁を絞って、そこに薬草の一種でもあるティプラの葉を煎じた液体を垂らすと、入れた分だけオレンジ色の果汁が固まっていく。そうやって出来た不揃いな形の果汁の珠は、子供たちに人気の甘いお菓子としてノクス土産の定番だ。


 早速ひとつ口に放り込んで、ロゼッタが幸せそうに顔を綻ばせた。見た目ほどに硬くない珠は、噛むと中から固まり切れなかった果汁がとろりと溶け出してくる。久しぶりの甘いおやつにもうひとつ手が伸びそうになったロゼッタだったが、ふと何かを思い出したように大きな目を見開いてアレスの方を見上げた。


「そうだ! 言い忘れてた!」


 唐突に叫ばれて、アレスが面食らった様子で目を瞬かせた。


「お兄ちゃん。あのね、祝福の谷にいる飛竜が一頭、昨日の夜からいないみたいなの」

「祝福の? まだ飛べる奴がいたのか」


 祝福の谷はリュッカの外れにある、飛竜たちにとっては最期の時を迎える為の安息の地だ。生まれながらに病弱なものや、老衰により現役を引退した飛竜たちが、リュッカの竜使いたちの世話を受けながら静かに暮らしている。

 緩やかに死を待つ飛竜たちの中には死期を悟って姿を消す者もいるが、その場合は大抵谷の北側に位置する氷花の森にいる事がほとんどだ。しかしいま谷にいる飛竜の中で空を飛べるだけの力を残している者はいなかったはずだと、アレスは思案するように眉間に皺を寄せて窓の外へと視線を映した。

 夕刻に近付いているものの空はまだ明るく、氷花の森へ行って戻って来るだけの時間はありそうだ。


「少し様子を見に行ってくる。遅くなりそうだったら、先にガッシュの家に行っててくれ」

「うん、わかった。行ってらっしゃい、お兄ちゃん」


 祝福の谷の飛竜が姿を消すと氷花の森へ向かったのだろうと竜使いたちは悟り、彼らの穏やかな死に対して静かに祈るのが普通だ。けれど今回ばかりは、なぜか腑に落ちない。


 アレスは竜使いたちの中でも、特に強く飛竜の心の声を感じ取る。それゆえに死の間際の飛竜を見分ける事も出来たし、森へ行こうとしている飛竜がいるのかどうかも分かる。そのアレスが今回の飛竜に関しては、まったくと言っていいほどその兆候を感じ取る事がなかった。


 太陽が西に傾き始めた空に、アレスの指笛がどこまでも響く。その指笛に反応して、村の端にある小高い丘の上から一頭の飛竜がアレスの前に降り立った。


「帰ってきたばかりで悪いな」


 そう言ってひらりと背中に飛び乗ったアレスが首の付け根を撫でてやると、飛竜が返事でもするように小さく鳴いて二枚の翼を大きく広げた。その場で二、三度羽ばたいた後、飛竜はアレスを乗せて氷花の森へと飛び立っていった。



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