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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第3章 滅びの国
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01:山脈の北側

 リムストール大陸はルヴァカーン山脈を挟んで大きく南北に分かれている。

 山脈の北側には多くの街や村が独自の文化を発展させて栄えており、その北西には大規模な魔法都市アーヴァンがある。その他にも商業を発展させた街や農業を主とする素朴な村もあり、多種多様な職業の者たちが忙しく動き回る賑やかで都会的な場所だ。


 一方山脈の南側はそんな都会の喧噪からはほど遠く、その大部分が手付かずの自然に囲まれている。山脈の麓に近い平地一帯にアークドゥールが、その更に南に広がる巨大な森の奥には獣人界ガイゼルがあるが、山脈の北側から南側へ繋がる街道は開かれていない。

 大陸を分断するルヴァカーン山脈を歩いて越えるのは容易ではなく、北と南を往来するのはアークドゥールの竜使いたちがほとんどだ。それもあってかアークドゥールとガイゼルは、北側に住む者たちの憧憬の的でもあった。自分たちとは違う存在だと言う認識があり、その意味も込めて彼らの国を「界」付けで呼ぶ。



 ***



 龍神界アークドゥールを飛び立った二頭の飛竜は、見送るガッシュたちの表情が見えなくなるくらいまで上昇すると、そのまま進路を北に変えて大きく羽ばたいた。

 眼下に広がる焼け焦げたルファの花畑を通り過ぎ、ちかちかと陽光を反射する氷花の森を越えると、その後ろに聳えるルヴァカーン山脈に沿って更に上昇した。あっという間に小さくなっていく龍神界を見下ろしていたレティシアが、ふとその瞼を静かに閉じて数日過ごしたリュッカの村に思いを馳せる。


 優しく自分を迎え入れてくれたガッシュやメレシャ。明るい笑顔のロゼッタには元気を分けてもらった。穏やかで優しい場所。ここに戻る事はもうないのかもしれないと思うと、レティシアの胸がちくんと痛んだ。


「レティシア」


 唐突に名を呼ばれ、レティシアがはっと顔を上げてアレスを見上げた。


「お前は、その結晶石をどう思っている?」


 質問の意図を何となく感じ取って、レティシアが少し寂し気に揺れた瞳を眼下に落とした。

 初めて見る世界はレティシアにとってすべてが新鮮で、鬱蒼とした深い森も、ただの街道沿いにある小さな民家も、あの凍てついた氷花の森でさえ美しく映る。同じ青い空すら、天界にいた頃とは違って見えた。

 初めて目にした美しい世界を前に、レティシアの思いが更に強くなっていく。この世界を、そこに生きる人々を守らなくてはと、改めて強く思った。


「月の結晶石は、物心ついた時からずっと私と共にありました。石を守る事が私の使命だと教えられ、育てられてきたので、その事について疑問に思う事はありません。勿論小さい頃は自由に出歩けない環境に泣いたりもしましたが……私の為に尽くしてくれた人たちの為にも、しっかりと使命を果たさなくてはと思っています」

「自分を犠牲にしてもか?」

「残された私に出来る事は、もうそれしか方法がありませんから」


 風に揺れる銀髪を手で押さえながら、レティシアが静かに瞼を伏せる。その愁いを帯びた表情にかすかな諦めの色を見て、アレスは何か言おうとしていた口を閉じ暫くの間レティシアの横顔を見つめていた。


 信頼していた兄に裏切られ、親しい者たちを失ったレティシアの悲しみは計り知れない。レティシアにとって、世界は天界ラスティーンだけだった。それを失った今レティシアにあるのは、深い悲しみとたったひとり残された孤独だ。いくらアレスたち龍神界の民が敵ではないと言ったところで、レティシアがそれを本当の意味で受け入れなければアレスの声も届かない。

 胸の奥が鈍く疼いて、アレスはレティシアから目を逸らした。


「世界は、お前ひとりのものじゃない」

「……え?」


 言葉の意味を理解できずに首を傾げたレティシアを一瞥しただけで、アレスはすぐにその視線を前方へと戻した。


「誰かの命を盾にしなければ守れない世界なんて聞いた事がない」

「でも……」

「要するに、自分を大事にしろって事さ」


 唐突に会話に加わってきたロッドにぎょっとして、アレスが露骨に顔を歪めながら冷たい視線を投げかけた。


「お前、聞いてたのか?」

「耳に入ってきただけだぞ。断じて聞き耳なんて立ててないからな!」

「どこまで聞いた?」

「どこまでって言われてもなぁ……あんまり分からなかったけど、結晶石を意地でも守ろうとするレティシアをアレスが必死に心配してた事くらいかな」


 分かりやす過ぎるほど噛み砕いて発せられた言葉に、それまでロッドを冷たく睨んでいたアレスが思わず言葉を詰まらせて盛大に()せてしまった。居心地悪そうに顔を背けるアレスの前で、レティシアが少しだけ戸惑った視線をロッドに投げかける。その青い瞳が水色の瞳と重なり合うと、ロッドが屈託のない笑顔を浮かべた。


「レティシアって、あのレティシアだろ? 子供の頃、一度会ってるんだけど覚えてないかな?」

「え?」

「昔、天界で会議かなんかやってただろ? 一度親父に付いて行った事があるんだけど、そこで一緒に遊んだんだよ。懐かしいなぁ」


 ロッドが言っているのは国際会議の事だろう。けれども一緒に遊んだ記憶は一向に思い出せず、レティシアは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げるだけだった。


「あの……すみません。その、覚えてなくて」

「ああ、いいんだよ。そうだと思った。ライオンに変身した俺に驚いてたけど、兄貴の後ろから離れようとはしなかったもんな。そういや、あの兄貴は元気か?」


 不意に投げかけられた言葉に、レティシアの体がびくんと震えた。それを敏感に感じ取ったアレスが有無を言わさず手綱を引いて飛竜を遠ざけると、冷静さの戻った瞳でロッドを見る。


「お前には関係ない」

「俺はレティシアに聞いてるんだ! 相変わらず他人と距離を取りたがる奴だな」

「それも関係ない」


 話は終わりだと無愛想な表情で暗に告げ、アレスが飛竜の速度を更に上げる。その背後で、手綱ではなく口頭で指示を出すロッドの声が聞こえてしまい、思わず噴き出したアレスにつられてレティシアも堪えきれずに小さく笑った。



 ***



 龍神界アークドゥールを発ったのは昼を過ぎていて、あれほど気持ちよく晴れ渡っていた青空は西から徐々にオレンジ色に染まり始めている。目の前で風に揺れるレティシアの銀髪をぼんやりと見つめていたアレスは、やがて意を決したように顔を上げると、少し離れて飛んでいたガッシュの飛竜を呼んだ。


「降りるのか?」


 ゆるりと進路を変えた飛竜にアレスの意図を感じ取ったロッドが視線を落とすと、深い森に挟まれた街道の先に一つの町が見えた。夕闇に包まれ始めた町を照らすように、建物の幾つかは明かりを灯し始めている。


「今夜はルルクスに泊まる。ここからは歩いて行くぞ」


 そう言うなり飛竜を下降させたアレスに続いて、ロッドを乗せた飛竜も街道を離れて左右に広がる森の少し開けた場所に着地した。


「なあ、アレス。何でわざわざ歩いて行くんだ? 俺たちはまだいいとしても、レティシアにはちょっときついんじゃないか? このまま飛竜で町の近くまで行った方が……」

「ルルクスはバラックとイシュルを繋ぐ中継地点だ。規模もそれなりに大きいし人の往来も多い。そこへ飛竜と一緒に降りてみろ。あっという間に注目が集まる」


 その先は自分で考えろと言わんばかりに一瞥され、ロッドが難しい顔をして眉間に皺を寄せた。しかし考え込んだのは一瞬で、すぐに顔を上げると意外そうな表情を浮かべてアレスの横顔を見つめた。


「お前、意外とシャイなんだな」

「はあ?」


 予想もしていなかった答えに、アレスが思わず声を上げた。そんなアレスを満面の笑みで見つめたまま、ロッドが大きく頷きながら親指をぐっと立ててみせる。


「セリカも見かけによらず恥ずかしがり屋なんだ。だからお前も大丈夫だぞ!」


 何が大丈夫なのか分からないが自信満々で笑うロッドとは対照的に、ひどく疲れた様子で肩を落としたアレスが呆れたように重い溜息を零した。


「お前、ここがどこか分かってるのか?」


 問われたロッドは顔に薄い笑みを貼り付けたまま、「何が?」と言うように首を傾げる。その様子にアレスの疲れが倍増した。


「ここはもうルヴァカーン山脈を越えた北側だ。飛竜や獣人のお前を見たら、物珍しさで一気に人が集まる。それに……」


 ちらりと向けた視線の先で、レティシアが風に乱れた髪を整えている。アレスの視線を追ったロッドは暫くレティシアを見つめ、そして合点がいったようにぽんっと自身の手を叩いた。


「ああ、そうか! そうだよな。レティシアはラスティーンのお姫様だもんな。バレたら絶対大騒ぎになるもんな」

「そうだ。俺たちは出来る限り人目を避けてアーヴァンまで行きたい」

「それに結晶石持ってるレティシアが変な奴に狙われるかもしれないしな! 確か封印解けるんだろ?」


 あっけらかんとした口調のまま発せられた言葉に、アレスの体が無意識に身構える。レティシアもはっとした表情を浮かべて、自身の胸元を覆うように手を当てながら不安げにロッドを見つめている。そんな二人の様子に全く気付く気配のないロッドが、追い打ちをかけるように疑問を口にした。


「あれ? でも何でここにいるんだ? っていうか、そもそもアーヴァンに何しに行くんだ?」


 何かを探ろうと言うのではなく、ただ純粋に疑問をぶつけてくる。ロッドどは数時間前に初めて会ったばかりだったが、彼が駆け引きの類いをしないまっすぐな性格である事はアレスにも何となく分かっていた。けれど、事情をすべて話してもいいと思えるほどの判断材料が、アレスにはまだない。

 どう言おうか逡巡するアレスの頭の中に、ガッシュが提案した「レティシアが下界にいる理由」が思い出された。それはアレスのプライドを少しばかり傷付けもしたが、不穏な天界の状態と比べればそんなものは些末時に過ぎない。


「アークドゥールを訪問した際に怪我をした。アーヴァンに行くのは治療のためだ」

「えっ? レティシア、怪我してるのか?」


 確かによく見れば顔色があまり良くないし、腕にも包帯が巻かれている。レティシアが白い服を着ていることもあって、腕の包帯を長袖か手袋くらいにしか思っていなかったロッドが心配そうにレティシアをのぞき込んだ。


「そんなにたいした怪我ではないので……」


 大丈夫だと示すように微笑んだレティシアの手をやんわりと掴んで、ロッドが包帯の巻かれた細い腕を躊躇いもなくさすり始めた。ロッドにしてみれば痛みを和らげてやろうという親切心から来る行動なのだが、事情を知らない者が見ればただ男が女の腕を撫で回している光景でしかない。色眼鏡を付けると、そこにいやらしい男が……と付け加えられるかもしれない。


「おい」


 ロッドがそんな目でレティシアを見ていないことは分かっているものの、何となく見ていて気持ちのいいものではない。胸に燻り始めた正体不明の不快感に、アレスが少し苛立ったように低い声を落としてロッドを制した。


「あぁ、ごめんな! 凄く痛そうな怪我だったから」


 ぱっと離した手でそのまま自身の後頭部を掻きながら、ロッドが視線をアレスに移してかすかに首を傾げた。


「なぁ、でもさ……レティシアの傷、何か変な感じがしないか?」

「変?」

「上手く言えないんだけど、何て言うか……邪気とか、殺気……みたいな気持ち悪いもんが纏わり付いてる感じがする。何だろ……あんま魔獣とかにはない感じだ」


 レティシアを傷付けたのは、天界王クラウディスの放った攻撃魔法だ。命までは奪わないにしても傷付ける事に躊躇いもなく放たれた魔法に、邪悪な意思が全くなかったとは言い切れない。

 魔法には疎いが気配を察知する事に長けた獣人のロッドならば、未だレティシアに残る負の気配を敏感に感じ取った事にも納得が出来る。出来るが、天界の状況を話すかどうかは、今のアレスには決められない。沈黙が流れようとした空気を、またしてもロッドの明るい声が遮った。


「まぁ、俺には難しい事はわかんないけど、王族っていろいろ大変だよな!」


 ロッドがレティシアを見て、にかっと笑う。その笑顔に打算や疑惑などの類いは一切ない。


「レティシアは真面目そうだからいろんな事難しく抱え込んで疲れちゃうだろ? たまには肩の力抜いて息抜きした方がいいぞ! あ、でも俺みたいに力抜きすぎて怒られっぱなしってのも問題かもなぁ」


 そう言ってまた無邪気に笑うロッドに、アレスも毒気を完全に抜かれてしまう。必要以上に警戒していた体から力が抜け、逆に何とも言えない疲労感みたいなものが顔を出し始める。けれどそれは嫌な感じではなかった。

 ずっと張り詰めていた空気を簡単に和らげてしまうロッドの存在は、二人にとっても確かな安らぎへと変化していく。そしてその変化を、アレスは自分でも驚くほど心地良く受け止めていた。


「とりあえずルルクスへ急ぐぞ。日が沈む前に着きたい。少し歩くが、大丈夫か?」

「あ、だったら俺に乗っていいぞ!」


 返事も待たずにライオンの姿へ変身したロッドが、レティシアの前で乗りやすいように身を屈めた。


「えっ……でも」

「いいから乗せてもらえ」


 アレスの許可を得て、レティシアがまだ少し戸惑うようにロッドの白い鬣に触れた。思ったよりもふさふさで手触りの良い鬣の感触に、レティシアの顔が無意識にふわりと緩む。


「それじゃあ、お願いします」

「あ! でも俺、龍神界までずっと走りっぱなしだったから、汗臭いかも! 臭ったらごめんな!」


 その言葉には、さすがのアレスも堪えきれずに吹き出してしまった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界設定が詳しくなっている…。 そしてロッドがもっとアホの子になっている…。 [一言] >レティシアが白い服を着ている ヒロインですからね!
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