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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第2章 旅立ち
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10:獣王ロッド

「お前、何者だ」


 突然現れた人語を話す大きな白いライオンに、警戒心を剥き出しにしたアレスが腰に差した剣の柄に手を置いた。何かあればいつでも剣を抜けるよう身構えたアレスとは反対に、暢気に前足で頭を掻いていたライオンがその緊迫した空気を感じ取ったのか急に背筋をぴんっと正した。


「俺、ロッドって言うんだ! よろしくな!」

「名前なんてどうでもいい!」


 的外れな答えに、アレスが思わず声を荒げた。怒号にも近い声にびくりと大きく体を震わせたライオンが、その風貌からは想像できないほど怯えた様子で背中を曲げながら後ずさりした。頭を掻いていた前足でそのまま口元を覆いながら、まるで恐ろしいものでも見ているかのようにアレスを見上げたその仕草はひどく人間くさい。


「おお、怖っ! 俺はただ、アレスっていう竜使いに会いに来ただけなのに」


 見知らぬライオンに自身の名を呼ばれ、アレスが更に眉間の皺を深くする。


「……お前」


 今にも剣を抜きそうになるアレスにぎょっとして、それまで様子を窺っていたガッシュが慌てて二人の間に割って入った。


「待て待て。このお方は、おそらく獣人界の王様じゃ。白いライオンに変身できるのは獣王だけじゃからの」

「そうそう! 俺がその王様! ここ、リュッカだろ? アレスっていう竜使いに頼みがあって来たんだけど……」


 一旦言葉を切ってアレスを見つめたライオンが、自信ありげににっと笑った。


「アレスって、お前の事だろ? そんなに立派な飛竜の乗り手は他にいないもんな。ここに来る途中に他の村で聞いたんだけど、お前飛竜と会話するように心を感じ取る事が出来るんだってな」

「……だったらどうした」

「俺でも乗れる飛竜を一頭、貸してほしいんだ」


 聖獣と言われるだけあって飛竜は元来あまり人には懐かない。飛竜の背に乗れるのは、彼らと心を通わせる事が出来る龍神界の民だけだと言うのは暗黙の了解だ。それなのに何の疑いもなく飛竜を貸してほしいと言った獣王を、アレスは一瞬面食らった表情で見つめ返した。


「そもそも獣王が飛竜に乗れると思うのか?」

「この姿を心配してるのなら、何の問題もないぞ」


 そう言って腰を上げたライオンが、ぶるっと一度大きく身震いした。水色の瞳を閉じて深く息を吸い込んだかと思うと、ライオンの体が薄い靄に包まれ始める。大きな前足はすらりと伸び、白い(たてがみ)は徐々にその色を金色へと変えていく。かすかに流れた風が靄を完全に吹き飛ばすと、そこには小麦色の肌をした逞しい体躯の青年が立っていた。

 襟足まで伸びた緩く波打つ金髪に、涼しげな水色の瞳。飛竜に衝突して痙攣し、アレスに怒鳴られて怯えていたライオンからは想像できないほど、人の姿に戻ったロッドは筋骨隆々とした美しい青年だった。


「ほらな」


 飛竜に乗れるのが龍神界の民だけだと言う事を知らない、ただの無知なのか。

 知っていて、どうにかなるだろうと考える、ただの楽観主義者なのか。

 あるいは何も考えていない、ただの馬鹿なのか。

 どうだと言わんばかりに腰に手を当てて得意げに胸を張るロッドを見ているだけなのに、アレスは何だかひどく疲れた気がした。


「人の姿に戻っても無理だ」

「龍神界の民以外は乗れないんだろ? だからお前に頼んでるんじゃないか。俺を乗せてくれるように飛竜に頼んでくれよ。な!」


 初対面とは思えないほどの馴れ馴れしさに若干辟易してきたアレスの中で、ロッドの位置付けが楽観主義の馬鹿に決まった。


「……飛竜を借りて何をする」

「魔法都市アーヴァンに行きたいんだ。俺の足じゃ何日かかるか分からない」

「アーヴァンに何の用だ?」


 行き先が同じ事に僅かな警戒心を抱いたアレスが、深緑色の瞳を細めて窺うようにロッドを見た。当の本人は警戒されている事にも気付かず、アレスの両肩をがしっと強く掴むと、そのまま縋るように距離を縮めてくる。思ってもみない行動に反応しきれず、アレスが数歩後退した。


「聞いてくれよ! セリカがアーヴァンに行ったきり戻って来ないんだ! 俺、もう心配で心配で……」

「セリカ?」

「俺の大事な妻だ。ちょっと前に魔物に襲われて、その時に受けた傷がどうやら少し呪いを含んでいたみたいで……。セリカは鷹に変身できるから、アーヴァンまで傷を治しに一人で飛んで行ったんだ。心配かけたくないって理由で誰にも言わず、置き手紙だけ残してた」


 言い終わると同時に、アレスの肩を掴んでいたロッドの手に力がこもる。言葉の最後にロッドの無念さを感じて、アレスの瞳が憐みに揺れた。


「何もないのが一番だけど、魔法都市に行ってセリカの行方を確かめたいんだ」


 必死さの伝わる瞳を真っ直ぐに向けられ、束の間逡巡したアレスの耳に懐かしいガッシュの指笛が届いた。驚いて顔を上げると、指笛に呼ばれて空を飛んできた一頭の飛竜がゆっくりとガッシュの後ろに降り立つ。

 アレスの飛竜に比べると少し老いた飛竜で、体つきも一回り小さい。けれども深淵を思わせる黒い瞳に生命力は健在で、こちらを見つめる視線には強い意志が感じられた。


「ロッドと言ったかの。儂の飛竜で良ければ貸してやろう。少し年は食っとるが、まだ十分に飛べる奴じゃ。最近は人を乗せて飛ぶ事が少なくなっておったから、此奴もお主を乗せて行くのは嬉しいはずじゃ」

「いいのか?! ありがとう!」

「何、アレスたちもアーヴァンへ行くところじゃ。目的地は同じじゃし、何かあったらよろしく頼む」


 アレスから手を放し飛竜の元へ駆け寄ったロッドが、喜びを抑えきれずに飛竜の周りをぐるぐると回り出す。その様子をどこか納得のいかない表情で見つめたまま、アレスがガッシュへと視線を移した。


「どういうつもりだ?」

「仲間は多い方がよかろう。ああ見えても獣王を名乗るだけの力量は持っておるようじゃ。……それにお主が連れて行くのは天界王に狙われたか弱き姫じゃ。天界王クラウディスの力を侮ってはならん」


 レティシアの為だと言われ渋々頷いたアレスが再び視線をロッドに向けると、既に飛竜に跨って子供のようにはしゃいでいる獣王の姿があった。


「おーい、アレス! こいつ、いい奴だな。意外とすんなり乗せてくれたぞ! やっぱり獣同士だからかな」


 えへへと無邪気に笑うロッドにがっくりと肩を落としたアレスだったが、やがて諦めたように深く息を吸い込むと自分の飛竜へと向き直った。目が合った瞬間に体を低くした飛竜の体を軽く叩いて、手綱を引きながらアレスがその背にひらりと飛び乗った。


「予定外の時間を食ったな。行くぞ」


 飛竜に乗ったまま、アレスがレティシアへと手を差し出した。


「羽は使うな」


 躊躇いがちに伸ばした手を引かれ、レティシアの視界がくんっと上がった。アレスの前に座らされ、どこに手を置こうか迷ったレティシアを、両側から包むようにして逞しい腕が伸びる。そのまま飛竜の手綱を掴んだアレスが、飛竜を動かす前に一度だけレティシアを見てぽつりと呟いた。


「しっかりつかまってろ。慣れないうちは振り落とされる」


 言った側から手綱を引き、飛竜が大きく翼を広げる。数回その場で羽ばたきを繰り返すと飛竜の背も大きく揺れ、慣れない振動にレティシアの体が不安定に揺れた。飛竜の体が少し浮き上がったのを感じたレティシアが、少しの恐怖から思わずアレスに強くしがみ付いた。それを合図にして、アレスが一気に飛竜を上昇させた。


「アレス! レティシア殿を頼んだぞ!」


 見上げた視界に上昇するアレスの飛竜と、それを追うようにして飛んでいくもう一頭の飛竜が映る。初めてにしてはなかなかの手綱さばきに、ガッシュがにやりと笑った。


「ほう。あの男もなかなかやりおるわ」


 青く晴れ渡った空を駆けあがって行く二頭の飛竜を見つめていたロゼッタが、徐々に小さくなる影に向かって大声で叫んだ。


「お兄ちゃん! 早く帰って来てね!」


 何か言いようのない不安を胸に抱えたまま、ロゼッタは飛竜の姿が見えなくなるまで、いつまでも空を見上げていた。


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