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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第15章 世界救済へ
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12:ルファの花冠と

 冷たい風が吹いていた。

 死んだ大地を穿つ、幾つもの巨大な瓦礫。辺りに満ちる、入り乱れた濃い魔力。動くものは何ひとつなく、絶望の跡地を慰めるように吹き抜ける風が、か細い悲鳴を木霊させていくだけだ。


 干からびた地面をざくりと踏みしめて、終焉の地へ足を踏み入れる。眼前に広がる光景に希望など少しも残されていない。それでも、探すことをやめられなかった。


「今日はあっち側を探してみよう。……イルヴァール?」


 振り返ると、一緒に行動していた白い龍――イルヴァールが呆けたように硬直していた。


「イルヴァール? おい、どうしたんだ?」


 駆け寄って体に触れた瞬間、まるで夢から覚めたようにイルヴァールの目が鮮やかな色を取り戻した。その青い瞳と視線がかち合うと、イルヴァールはハッとしたように六枚の翼を意味もなく広げて安堵の息を漏らした。


「……ロッド」

「大丈夫か? 何かぼうっとしてたぞ?」

「ここは……。そうか……、無事戻ったか」

「なぁ。本当に大丈夫か?」

「問題ない。ロッド。背中に乗れ。アレスのところまで案内する」

「……っ! どこにいるのかわかるのか!?」

「わしの記憶があるうちに、移動する。急げ」


 イルヴァールの言動に疑問を感じることはあったが、今はそれよりも早くアレスの無事を確かめたい。逸る気持ちでイルヴァールに飛び乗ると、彼もまた何かに急かされているかのように六枚の翼を広げて魔界跡の上空へと駆け上がっていった。

 崩壊した天界ラスティーンの壮絶な姿を眼下に見ながら、イルヴァールは迷うことなく進んでいく。そうしてある一角へ確信を持って降り立つと、重なり合った瓦礫の空洞めがけて優しく息を吹きかけた。


 はらはらと。

 まるで目に見えない壁が剥がれ落ちていくかのように、薄青の花びらが舞い上がる。その向こうにいたのは――願ってやまない友の姿だった。


「……アレス……っ。レティシア……!」


 堪らずに駆け寄って抱きしめると、腕に確かな命の熱を感じた。

 生きている。

 生きていた。

 二人共が無事に、ここへ戻ってきてくれた。

 勢い余って強く抱きしめると、腕の中でアレスが苦情をこぼしながら笑っていた。そのやりとりがうれしくて、懐かしくて。

 アレスもレティシアも、そしてロッドも皆、もう笑っているのか泣いているのかわからなかった。



 ***



 龍神界アークドゥールのリュッカ村の外れには、今の時期ルファの花が満開に咲く場所がある。一年前の今頃、ロゼッタと共に花冠を作ったことを思い出しながら、レティシアは夕暮れに沈む龍神界の景色をぼんやりと眺めていた。

 草を踏む音に振り返ると、予想と違わずそこにはアレスが立っている。足音だけでアレスの気配がわかることにほのかな喜びを感じながら、レティシアは作ったばかりの花冠を手渡した。


「まだまだ修行が足りませんね」


 レティシアが作った花冠は相変わらず不格好で、お世辞にも上手いとは言い難い。ロゼッタと一緒に何度か作ってみたが、納得できる仕上がりになるにはもう少し時間が必要だ。


「これはこれで味があると思うが?」

「でも、さすがにこれを付けるわけにはいきません。明日は、その……ちゃんとした姿を、見てもらいたいので」


 明日、レティシアはアレスと結婚する。ロゼッタやガッシュたち夫婦、そしてアーヴァンからはメルドールも顔を出してくれるという。ロッドたち夫婦は既にリュッカ村に到着しており、今夜はアレスの家に泊まることになっている。そのロッドは、明日の式でアレスとレティシアを背中に乗せて登場するんだと駄々をこねていたが、妻であるセリカに怒られてさっきまで落ち込んでいた。


「明日の花冠はロゼッタが作ると言っていた」

「そ、そうですか。だったら安心ですね」

「俺は別に、この花冠でも問題ないと思うが。必要なのは飾りではなく、お前だからな」


 恥ずかしげもなくそう言って、アレスは手にした花冠をレティシアの頭に乗せた。交わる視線はやわらかく、まるで眩しいものでも見ているかのように深緑の瞳を細めている。それがうれしくもあり、同時に照れもして、レティシアはアレスから視線を逸らして話題を変えた。


「そういえば、あの本はメルドール様が預かることになったんですね」


 月の厄災後、レティシアは一冊の本を大事に抱きしめていた。見つけてくれたロッドが語るには、当時のレティシアはその本には真実が記されていると告げたそうだ。

 なぜそう言ったのか、どうしてその本が大事なのか、今のレティシアにはもうわからない。ただそこに記されている驚くべき内容は実際に起こったことなのだと、漠然とそう感じている。それはアレスも同じだった。


「真実を語る貴重な文献だからな。それにメルドールなら、記された内容を読み解いていい方向へ活かすことができるだろう」

「……いつか私たちも、彼らのことを思い出したいですね。本の中ではなく、私たちの中に刻まれているはずの未来の記憶を」

「そうだな」


 レティシアたちがいるこの世界と、時間魔法を操るリシュレナが存在する未来、そしてヴァレスが救われた過去の時代はそれぞれ独立し、今後三つの時間軸が交わることはない。

 それでも太陽は明るく大地を照らし、月は静かに微睡みの船を夜の空に浮かべるだろう。どの時代でも、それは変わらない自然の摂理だ。

 きっと他の皆も同じように空を見上げている。生きる時代は違えども、この広い空の下で確かに生きているのだと思えば、胸の奥にあたたかな愛おしさが込み上げた。


「少し冷えてきたな。そろそろ戻ろうか」

「そうですね」


 どちらからともなく手を繋いで歩き出す。足元でルファの黄色い花が揺れていた。まるでレティシアたちを祝福に導く光の道のようだ。


「アレス。明日はよろしくお願いします」


 そう言うとアレスは一瞬驚いたように目を瞠って――そして、はにかむように優しく笑った。


「こちらこそ、よろしく」


 繋いだ手を持ち上げられ、その指先にそっとくちづけられる。あまやかな痺れは指先から全身に広がって、「アレス」と名を呼ぶ声すらも掠れてしまう。深緑の瞳に熱が篭もったかと思うと、そのまま引き寄せられるように唇を重ねた。


 瞼を閉じる一瞬、アレスの肩越しに白い月が見えた。

 すべてを見つめる月の物言わぬ光に、どうか今だけは目を逸らして欲しいと願いながら――レティシアはアレスの熱に溺れていくしかできなかった。




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