表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第14章 時間魔法
137/152

09:一夜明けて

「カイル」


 アレスが名を呼ぶと、振り返ったカイルはもう視線を逸らすことはなかった。


「お前がヴァレスの子であることに、後ろめたいことなど何もない。しかしお前が望まないのなら、この話はここにいる者たちの胸にしまっておくこともできるが……」

「いや……別にいい。どのみちいつかはバレるだろ」

「そうか。……なら、皆のところへ戻ろう。……お前から話すか?」

「悪いがアンタに任せる。そういうの、得意そうだからな」

「別に得意ではないんだが……」


 神殿内で待つパルシスたちの元へ戻ろうと、アレスはヴァレスの腕を引いて歩き出す。ヴァレスは相変わらず拍子抜けするほどに従順で、これが世界を脅かしていた魔界王なのかと目を疑うほどだ。月の厄災時、アレスの前で夢破れた時よりも憔悴しきっている。


「ヴァレスがこうなったのは、死んだはずの子供が生きていると知ったからだ。カイル。俺はお前の存在が、すべてを解決する鍵になるような気がする」


 理由はない。ただ漠然とそう感じるだけだ。けれど何をすれば未来を切り開けるのか、その確たる手段はまだ見出せずにいた。



 ***



 陽が昇る頃、カイルは神殿のバルコニーから朝日の射し込むアーヴァンの街を見おろしていた。

 カイルのことは、昨夜アレスが皆を集めて話をしてくれた。皆言葉を失って驚いてはいたが、カイルが思うほどに誰も忌避の目では見てこなかった。それに少しホッとしたのだから、やはり強がっていても心のどこかでは不安に思っていたのだろう。


 ヴァレスは未だ抜け殻のままだ。強固な結界を施された一室で拘束されており、ヴィンセントとカミュが交代で見張りに立っている。他の者は今のうちに休息することになり、特に疲労の色が濃いリシュレナとレティシアは皆よりも早く眠りについたようだった。


 いろんなことが起こりすぎた一日だった。

 魔界王ヴァレスが復活し、リシュレナを取り戻しに魔界跡へ行き、そして時間魔法で過去へ渡った。そこで自分の出生の秘密を知り、ヴァレスは自我を喪失してしまった。

 正直、自分がどうしたいのかよくわからない。アーヴァンの街を照らし出す朝日に、この心を覆う靄も吹き飛ばしてほしいくらいだ。

 けれどまぶしいくらいに目を突き刺す朝日でも、カイルの心を完全に照らすことはできなかった。


「眠れなかった?」


 こちらに近付く足音だけで、カイルはそれが誰なのかもうわかっていた。振り向けば予想と違わず、リシュレナの姿がそこにある。完全回復とは言えないまでも、昨夜よりかは顔色もいいように見えた。


「お前は?」

「だいぶ楽になったわ。エヴァ様がかけてくれた治癒魔法も効いたみたい」


 封印されていたエヴァは他の賢者に比べて魔力の残量に余力があったらしい。わずかだが、眠る前のリシュレナにも回復魔法をかけてやっているのをカイルも見た。

 そのエヴァは、今朝からアーヴァンの住民たちにかけられた呪眠の解除に向かっている。レティシアも一緒だ。ヴァレスの状態が今のまま続いていくのなら、今後は各地に残る呪眠の被害者救済にも動き始めるだろう。


「本当は私も呪眠解除の手伝いをしたかったんだけど……止められちゃった」


 朝日に照らされていくアーヴァンの街を見おろしながら、リシュレナがぽつりと呟く。その手に杖が握られているということは、エヴァたちに同行を断られ、部屋へ戻る途中だったのかもしれない。


「まぁ、そうだろうな。お前の時間魔法は、今後どう動くにしても要になる」

「でも……一緒に行って、何か会話のきっかけとか掴めたらいいなって……そう思ったんだけど」

「別に焦る必要はないと思うし、きっかけは向こうから作ってくるんじゃねぇのか? あいつらだって、お前とちゃんと話したいとは思ってるはずだ」

「そう、かな。……そうだといいな」


 育ての親だったレティシアと本物のエヴァに対して、リシュレナはまだどう接していけばいいのか戸惑っている様子ではあった。けれど歪んだ時間魔法を保つために、レティシアがリシュレナの魔力を調整し支えてくれたとも聞く。案外カイルが思うよりも早く、リシュレナたちの間にある溝は埋まっていくのかもしれない。


「ねぇ……」


 二人してアーヴァンの街を眺めていると、不意にリシュレナが静寂を破った。何を言われるのかはもうわかっていたし、カイルも正直なところリシュレナと話すことで自分の気持ちを整理したい気持ちもあった。


「びっくりしてる、よね?」

「……そりゃそうだろ。いきなり父親がいるって知らされて、しかもそれが魔界王だぞ? びっくりを通り越して、もう笑うしかないよな」

「私はパルシス様がカイルの指輪を食い入るように見てたのがおもしろかったな。ヴァレスの子供っていうより、アーヴァン創立者の血縁であることに興味があったみたいだし」

「賢者のトップに対して笑えるとは、お前もずいぶん神経が図太くなってきたな」

「もう! そう言うことを言いたいんじゃなくて……っ」

「わかってるよ。……ありがとう」


 ヴァレスの子としてでなく、賢者たちはリゼフィーネの血縁であることの方に重きを置いていたと、そうリシュレナは言いたいのだろう。遠巻きに励まそうとしてくれているのが、少しだけこそばゆかった。


「前にカイルが、私は私だって言ってくれたの、すごくうれしかった。だから私も、ちゃんと伝えたいと思ったの。カイルはカイルだって。今まで生きていたカイルの時間にヴァレスの影なんてひとつもないし、私も全然感じなかった。私の中では、初対面で剣を突き付けてきた、相棒の竜を何より大事にしていたひとりの竜使いよ」

「んだよ……まだ根に持ってるのか?」

「ふふ。だってカイルを怖いと思ったのはそれくらいだもの」


 小さく声を漏らしてリシュレナが笑う。その笑顔に、カイルは心の奥にあった不安が雪解けみたいに溶けていくのを感じた。

 ――あぁ、そうかと腑に落ちる。カイルはリシュレナに恐れられるのが、嫌われるのが怖かったのだ。

 リシュレナだけではない。賢者たちも、アレスもレティシアも、誰もカイルとヴァレスを同一視しない。今まで散々ひどい目に遭わされたというのに、その罪をカイルに背負わせようとは微塵も思っていないのだ。それが素直にうれしくもあり、同時に誰にも救いの手を差し伸べられなかったヴァレスを心の底から憐れに思った。そう感じるのは、あのおぞましい惨劇の後を見たからかもしれない。

 壊れたのはヴァレスだ。

 けれど壊れざるを得なかった状況を目の当たりにしてから、カイルの胸はずっと鈍い痛みに軋んでいる。


「あいつを……父親だとは思えない。俺はずっとロアと一緒に生きてきたし、俺にとっての家族はロアだけだ」


 眼裏に浮かんだヴァレスは、未だエルティナの血だまりに囚われたまま、生きる屍と化している。一体何がそこまで魔界王たる男の心を壊してしまったのか。その答えがカイルの想像通りであるならば、やっぱり見て見ぬふりはできないと思った。


「……ただ、エルティナと子供を失ったことであいつが魔界王になってしまったのなら、運良く生きてる俺ができることは何だろうって……ガラにもなく考えちまった」

「カイル……」

「あの惨劇の夜の光景は、まさに地獄だった。あんなものを体験しちまったら、そりゃあいつだって壊れるしかないだろうって……そう思ったんだ」


 ヴァレスのやってきたことを看過することはできない。抜け殻になった今でも、完全に警戒を解けるほど心も許していないのだ。けれどその人生に、彼の過去に同情の思いが強くあるのも事実だ。

 憎むべきはヴァレスではなく、それはきっとこの悲劇の元凶を生み出した、いにしえの狂王バルザックだ。


「カイル。会いに行ってみよう」

「は? 会いにって……ヴァレスにか?」

「そう。カイルを見て、もしかしたらヴァレスも正気に戻るかもしれないし」

「数万年、歪みに歪みまくった男だぞ? たった数分会うだけで元に戻るとは思えない」

「戻る戻らないは二の次よ。ただのカイルとヴァレスで向き合ってみたらどうかなって思ったの。せっかくこうして奇跡的に巡り逢ったんだもの。少し会話するくらいの時間はあってもいいと思うわ」


 両親を亡くし、二度と会えないリシュレナの言葉には妙な説得力があった。それに本音を言えば、カイルもヴァレスとは少し話をしてみたいと思っていたのだ。けれどあと一歩を踏み出せなかったカイルの背中を、リシュレナはいとも簡単に押してくれる。

 少し前までは泣いてばかりだったリシュレナに、今度はカイルが助けられている。立場の逆転を少し恥ずかしいと思いつつも、大事な時に手を差し伸べられる関係性はカイルにとっても居心地がよかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ