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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第13章 魔界王復活
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10:囚われのリシュレナ

 気を失ったレティシアを抱えてアレスが戻った時、アンティルーネは裏庭に咲く白いルーフィアの花を摘んでいるところだった。


「アレス様。レティシア様は……?」

「心配ない。記憶の混乱で一時的に気を失っているだけだ」

「そうですか。……もう、すべてを思い出したのですか?」


 アンティルーネの問いに、アレスは難しい顔をして首を横に振った。それでもレティシアを腕に抱いているということは、一時的とはいえ魔界王ヴァレスから保護できたということだ。この好機にレティシアがすべてを思い出してくれればと、アンティルーネは一縷の望みをかけるようにレティシアの髪にルーフィアの花を飾った。


「この後はどうなさるおつもりですか?」

「一旦アーヴァンへ戻る。レティシアを操る魔物を押さえ込めないか、四賢者たちの知恵を借りるつもりだ」

「大丈夫ですよ、アレス様。たとえ魔界王でも、お二人の絆を引き裂くことはできません。レティシア様は、きっとアレス様のところへ戻ってきてくださいます」


 そう言って、アンティルーネがレティシアの髪に挿したルーフィアにそっと触れた。精霊界でしか咲けないルーフィアが少しでも長く保つように、アンティルーネの指先で瞬いたあたたかな光が白い花びらを包んでゆく。

 ルーフィア。希望の名を持つその花がレティシアをこちら側へ引き止めてくれることを願って、アレスは急ぎ魔法都市アーヴァンへと戻っていった。



 ***



 ゆっくりと瞼を開けても、リシュレナの視界は闇に包まれたままだった。一切の光さえない、深淵の闇。命の輝きすら奪われていくような、冷気を纏う暗闇だった。

 恐る恐る体を起こすと、砂がこぼれ落ちるかのように背中から闇がざぁっと流れていく。少しだけ呼吸が楽になった気がしたのは、こぼれ落ちた闇が体を圧迫していたからだろうか。それでも深呼吸するにはまだ息苦しく、リシュレナを包む暗闇は依然としてずしりと体にのし掛かっている。

 あまりに深い漆黒の世界。息苦しいのは重量を伴う闇のせいか、あるいはこの場に染みついた濃い死臭のせいか。まるで冥府へ落ちてしまったのかと思わせるほどに、リシュレナの周りは絶望と嘆きの色に染め上げられていた。


 床をさまよう手が、馴染みのある感触を見つけた。リシュレナの杖だ。手繰り寄せた杖に魔力を込めると、先端に付いた水晶がほのかに光る。淡い白色の光に照らされて見えるのは、散乱する小石の破片と薄汚れた布きれだ。引き裂かれた後のある布の一片を手に取ると、わずかな衝撃にも耐えきれずに、持ち上げたそばからぼろぼろと崩れ落ちていく。同時に一瞬だけ錆びた鉄のにおいがした気がして、リシュレナはぎくりとしてその場から立ち上がった。


 本能的に悟る。ここは魔界跡ヘルズゲートだ。たったひとりだけでどうしてこんなところにいるのか、よみがえる記憶を手繰り寄せた瞬間、リシュレナは焦ったように顔を上げた。


(そうだ。私……ヴァレスの繭の中に引きずり込まれて……)


 あの繭に眠っていたヴァレスの本体は、復活のために大量の生気を必要としていた。そのためにアーヴァンの住民やリシュレナから生命力を奪ったのなら、今リシュレナが無事でいる現状はヴァレスが復活を果たしたということだろう。


「……逃げなくちゃ」


 ヴァレスが必要としているのは、リシュレナだけが発動できる時間魔法だ。月の結晶石を元の形に戻すためにリシュレナが必要なのであって、用が済めばそのまま殺されてもおかしくはない。

 結晶石が元に戻るということは、リシュレナの中に埋め込まれた結晶石のかけらも失われる。体内に蓄積された結晶石の魔力はしばらく残るだろうが、それでもヴァレスに立ち向かえるだけの力はリシュレナにはないのだ。


 監視の目もなく体も自由に動く今は、逃げ出すのに絶好のチャンスだ。息を潜め杖の明かりを頼りに周囲を調べてみると、ここは土壁をくり抜いて作られた狭い空間であることがわかった。元は部屋として使われていたのだろう。壁の一角には出入り口だったと思われる穴が開いており、今は扉の代わりに細長い蛇に似た魔物が絡み合って入口を格子状に閉鎖していた。

 試しに足元の石を投げつけてみると細長い体は一瞬にして膨張し、入口全体を黒い瘴気の膜で覆い尽くしてしまった。飲み込まれた石が、鈍く砕ける音がする。やはりというか当たり前というか、この入口から外に出ることは難しそうだ。

 小石を飲み込んだ瘴気の壁が再び細長い格子状の形に戻った時、入口の向こう側には鮮血を頭から浴びたような真紅の人影が立っていた。


「逃げだそうと思わぬ方が身のためだ。その部屋より外は常に魔物が徘徊している。背後から襲われ、皮膚を溶かされるだけでは済まんぞ」

「……ヴァレス」


 初めて目にした魔界王の姿は想像していたよりも美しく、けれど鮮血に染まった髪と双眸には未だ衰えることのない怒りと絶望が沸々と煮えたぎっているようだった。

 ヴァレスの言葉を示すように、彼の黒いマントを揺らしてどこからか魔物が這い寄ってくる。それを煩わしげに引き掴んで握り潰すと、ヴァレスはその魔物の残骸をリシュレナの方へ無造作に投げ放った。けれど、その死骸がリシュレナの方へ届くことはない。入口を塞ぐ蛇のような魔物がまた膨張して、投げられた同族の死骸を捕食する音だけが、しばらくのあいだ闇を揺らして響き渡った。


「もっとも、運良く逃げ出せたところで、お前にはもう帰る場所などないはずだ。リシュレナ、お前を育てたのは誰だ? 誰がお前に、その力を与えた?」


 ヴァレスが言わんとすることの意味を悟り、リシュレナの肩がびくりと震える。あえて考えないようにしていた事実を揺り動かされ、リシュレナの脳裏に銀色の影がちらついた。


(――そうだ。戻ったところで、私はもう……レティシアじゃ、ない)


 レティシアとしての記憶も感情も、すべてはリシュレナの中に埋め込まれた月の結晶石がもたらしたものだ。努力して手に入れたと思っていた時間魔法でさえ、その種となる強大な魔力は最初からリシュレナの中に用意されていた。

 リシュレナはレティシアでもなければ、()()()()()()()()()()()のだ。

 エヴァに引き取られて以降、リシュレナが自ら道を選んで歩いた軌跡はどこにもない。すべては作られた道の上を、知らずと歩かされていただけだ。

 残酷な事実に心がずしりと重くなる。リシュレナは何者でもなかった。そう思うと、いま握りしめている魔道士の杖でさえ自分には過ぎた武器だと感じてしまう。今まで一度も重さを感じたことがなかったのに、リシュレナはもう杖を持ち上げることができなくなってしまった。

 手から滑り落ちた杖が、乾いた音を立てながら部屋の隅に転がっていった。先端に付いた水晶の明かりが、いたずらに土壁をちらちらと照らしながら消えていく。部屋が闇に侵蝕されていく様は、まるでリシュレナの心を表しているかのようだった。


「今はレティシアの気配が掴めないが、アレも俺の操り人形だ。呼べばいつでも現れるよう、体に魔物を棲み着かせている。レティシアが戻り次第、儀式を始める。お前はそれまでに魔力を最大限まで高めていろ」


 暗闇の中、ヴァレスの足音だけが遠ざかっていく。やがて何も聞こえなくなった魔界跡の闇の中、リシュレナは明かりも点けず、ただ茫然と膝を抱えて座り込むだけだった。



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