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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第13章 魔界王復活
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04:水の賢者エヴァ

「アレス!」


 自分を呼ぶカイルの声に、アレスは幻の世界から目を覚ました。右手に持った魔導球は光を失っており、透明な水晶には戸惑うアレスの顔だけが映っている。


「アレス! 大変だ。こっちに来てくれ!」


 カイルの声は執務室の奥にあるもうひとつの扉の向こうから聞こえてきた。仮眠を取るための寝室だとアレスが推測していたように、部屋にはベッドとサイドテーブルが備え付けられている。カーテンを重く垂らした室内は、ランプの灯りもないのにほんのりと薄青い光に包まれていた。光の源は壁一面に張り巡らされた薄青の氷壁だ。寝室の壁すべてが温度のない氷で覆われており、その一段と分厚くなった場所、寝室の隅にカイルがアレスに背を向けて立っていた。

 カイルの目の前に聳え立つ氷塊。壁も天井も侵蝕して膨れ上がったその氷の中にいたのは、アレスたちが追っていた張本人――水の賢者エヴァだった。


「エヴァ!? 封じられているのか?」

「なぁ……、エヴァが黒幕だったんじゃないのか?」


 パルシスはエヴァに操られていたと言っていた。彼女の執務室には誰かと争った形跡が残されており、エヴァ本人は氷塊の中へ閉じ込められている。

 アレスたちがまだ知らないもう一人の敵がいるのだろうか。何らかの事情で仲間割れし、エヴァを封印したとも思える状況ではあるが、触れた氷塊から感じるのは経年劣化の綻びだ。この封印魔法は、エヴァを閉じ込めてから少なくとも数年が経っている。


「誰かがエヴァになりすましてた……?」

「おそらくはそうだろう。しかも軽く数年は経過している。……これは推測だが、リシュレナを育てていたのは偽物の方のエヴァだろうな。パルシスたちは月の結晶石を集めるよう指示されていたようだし、その命令を下していたのはエヴァだ。結晶石を復元させるために最も重要なのはリシュレナの時間魔法だからな」

「ちょっと待ってくれ。頭がこんがらがってきた」

「エヴァを解放すればわかる」


 エヴァを閉じ込めた氷塊の前に進み出て、アレスは剣を片手に目を閉じる。封印が施されてからかなりの年月が経っているからか、それともアレスの中に宿る神界人の力がそうさせるのかはわからない。けれど目を閉じていても、アレスには氷塊に走るいくつもの脆い綻びの箇所が手に取るようにわかった。

 頭の中に、さっき見た幻のエヴァの姿がよみがえる。あの涙に三百年の間ずっと求めていた答えがあると確信して、アレスは剣を勢いよく振り下ろした。


 鈍い音と共に、青白い氷塊を白く染め上げていくつもの亀裂が走る。やがてそれはエヴァの姿をも覆い隠して氷塊いっぱいに広がり、端からパラパラと崩れ始めた。

 暗い寝室にきらきらと舞う氷の粒。空気に触れ、即座に溶けて消える淡い光に包まれて、氷塊の中からエヴァの体が完全に解き放たれた。


 ぐらりと前に傾いで倒れ込んだエヴァの体を支え、体勢的につらくならないようアレスも一緒に床に跪いてやる。抱きとめたエヴァの体は少し冷えてはいるものの、体温自体は失われていない。その熱が腕に伝わると同時に、アレスはエヴァには「ない」ものも確かに感じてしまった。


「生きてる……のか?」

「あぁ」


 エヴァの首筋にそっと手をあてて、少し魔力を注ぎ込んでやる。封印自体はエヴァの命を奪うものではなく、彼女に成り代わるための拘束の意味が強かったのだろう。その証拠にアレスの魔力を呼び水としてわずかに力を取り戻したエヴァが、固く閉ざしていた瞼を震わせてゆっくりと目を覚ました。


「大丈夫か?」

「あなたたちは……?」


 アレスに声をかけられ、エヴァが一瞬だけ水色の瞳に警戒心を宿した。けれども体は思うように動かず、目眩がするのか額に手を当てて深呼吸を繰り返している。


「心配するな。俺たちは敵じゃない」

「私は一体……」

「お前は氷塊の中に閉じ込められていた」


 アレスの言葉に、エヴァの体が小さく震えた。思い当たる節があるのか、瞼を伏せて何かを考え込んでいるようだ。そのわずかな沈黙さえ待てないのか、そばで様子を窺っていたカイルが急かすように声を上げる。


「パルシスたちも操られてた。一体何があったんだ? 奴らはお前が月の結晶石を奪って逃げたとも言ってたぞ」

「月の結晶石を私が……!? それはどういうことですか? 皆はどこにいるのです?」

「隠された地下室で、月の結晶石を集めていた。今は術が切れて……」

「そんな、まさか!」


 驚きのあまり、エヴァがアレスの腕の中から飛び起きた。そのままの勢いで立ち上がったかと思えば、封印のせいで感覚の鈍ったエヴァの体が前のめりに倒れ込んだ。その体を今度はカイルが素早く支えてやる。


「そんな体でどこに行くんだよ」

「彼らを救わねばなりません」

「救うったって、お前だって魔力切れ起こしてるんだぞ?」

「あなたの言葉が本当だとするなら、一刻も早く皆を回復して事情を聞かなければ。彼らが集めたという月の結晶石の在処も探し出さなくては」


 カイルの目の前にいるエヴァは氷塊に封じ込まれていた「本物」の方で、結晶石を奪ってリシュレナと共に行方をくらましたエヴァが「偽物」だ。けれどカイルはどうしても、エヴァの体から手を離すことができなかった。

 本物だと思っていたはずのエヴァを信じて、その結果リシュレナを攫われた。目の前のエヴァが本物だと頭ではわかっているのに、彼女を自由にしてしまったら、また最悪な事態に陥ってしまうのではないかと疑心暗鬼になってしまう。

 リシュレナを早く取り戻したいのに、何を信じればいいのかわからない。逸る気持ちが、カイルから更に冷静さを奪ってゆく。


「エヴァ」


 カイルの焦りを鎮めるように、アレスの静かな声が鼓膜を震わせた。それはエヴァも同じだったようで、はっとしたように二人共がそろってアレスの方を振り返る。


「お前に魔力が戻れば、パルシスたちを回復させることができるか?」

「私は水の賢者です。治癒術なら誰よりも長けています」

「なら、これを使え」


 アレスの背中から二枚の白い翼が現れた。ふわりと羽ばたく翼にエヴァが呆然としている間に、アレスは自身の翼から一枚の羽根を抜き取ったかと思うと、それを彼女の手のひらに握らせた。

長く封印されていたエヴァにとって、アレスたちは未だ正体のわからない二人組だ。けれどアレスの翼は、その疑問を一気に解消する答えとなる。

 白い翼を持つ者は、この時代にはもう滅亡した一族だ。


「天界人……!? いえ、違う……あなたは」


 桁違いの強い魔力。背中で羽ばたく白い翼。額から右頬にかけて走る傷跡。それらから導かれる人物は、この世界においてあまりにも有名だ。


「英雄……アレス、様!?」


 エヴァの手のひらの上で、アレスの羽根が水に溶けるように輪郭を崩した。かと思えば羽根はそのままエヴァの手の中に吸い込まれてゆく。

 エヴァに渡したのはアレスの……神界人の魔力の源だ。その一部だけでも体内に取り込めば、失った魔力はたちまちにでも復活するだろう。そう算段を付けて渡した羽根はアレスの想像通りエヴァを回復に導いたようで、青白かった彼女の頬にもわずかに赤みが差したのがわかった。


「本当に……アレス様なのですね。ありがとうございます」


 自身の足でしっかりと立つまでに一瞬で回復したエヴァが、アレスとカイルを交互に見てからゆっくりと頭を下げた。気持ちは少し落ち着いたらしく、さっきのように焦って部屋を飛び出すことはなさそうだ。自分でも現状を把握しようと周囲を注意深く見回している。その水色の瞳が再びアレスと重なり合った瞬間、エヴァが覚悟を決めたように唇をキュッと噛み締めるのがわかった。


「アレス様。あなたにお伝えしなくてはならないことが……」

「俺もお前にひとつ、聞きたいことがある」


 エヴァの言葉を遮る形で、アレスが口を挟んだ。神妙な顔つきからエヴァが話そうとしていることの重大さは手に取るようにわかったが、敢えて会話の主導権を握ることでアレスは心の奥のざわめきを鎮めようとした。


 おそらくエヴァが伝えたいことと、アレスが聞きたいことは同じだ。

 氷塊から出てきたエヴァを抱きとめた時、アレスにはわかってしまった。彼女にはなくて、初めて会った時のエヴァにはあったわずかな違和感。貧血を起こして倒れたエヴァを抱きとめたあの瞬間、アレスは体中の血がざわめくような感じがした。あの時の感覚の意味が、今ならはっきりと理解できる。それがアレスの翼に融けた、レティシアの片翼の共鳴なら――。


「お前を封じたのは、誰だ?」


 エヴァがはっと息を呑むのがわかった。


「アーヴァン四賢者ともあろうお前が、こうも容易く術にかかるとは考えにくい。よほど油断していたんじゃないのか? 自分に術をかける相手ではないと、無条件で信じられるほどの……」


 アレスの言葉の意味をカイルも理解したようだ。隻眼を大きく見開いてアレスの方を凝視している。その隣ではエヴァが心苦しそうに瞼を伏せて小さく頷いた。


「そう……、そうです。アレス様の想像通り、私は油断していました。彼女は突然私の前に現れ、そして私と成り代わったのです。その後は、あなた方の話を聞く限り、他の賢者を操って月の結晶石を集めてしまった」

「おい、アレス。……まさか」


 カイルの言葉の続きを引き取って、アレスが頷くことでその先を肯定する。


「私の前に現れたのは、銀色の髪をした美しい女性でした」


 銀髪は天界の王族の証。それだけで彼女の存在を示すもの。レティシアの顔を知らないエヴァでも、銀髪を持つ者と天界の姫を結び付けるのは容易だ。


「月の姫。あれは間違いなく、天界最後の姫、レティシア様でした」


 アレスの中で、欠けていたパーツがぴったりと嵌まった。




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