11:哀願の果て
剣と剣のぶつかり合う激しい音が、闇すら震わせて響き割った。
黒いフードを被った人物とカイルの間に割って入ったアレスが、青銀色の剣を真横に薙いで剣の軌道を敵ごと弾き返した。カイルの頭をかち割ろうと飛びかかっていた敵は空中ゆえに踏ん張りが利かず、そのまま背後の壁へと勢いよく吹き飛ばされる。けれども瞬時に身を翻して壁を強く蹴ると、再び剣を振りかざしてアレスへと突進してきた。
暗い空間に響く剣戟の音。激しく機敏に動き回る敵はフードを目深に被っており、視界すらまともに確保できていないというのに、アレスの攻撃を難なく躱し続けている。フードのせいで顔は見えないが、全身からあふれる黒いオーラには強い殺意がありありと感じられた。
「リシュレナを狙い、魔界王の復活を目論んでいるのはお前か!」
「……邪魔立てするのならば殺す」
男とも女とも取れない奇妙な声で呟いた敵が、アレスから距離を取って後退する。空いた方の手に魔力を溜めたかと思うと、間髪入れずに白い光球を投げ飛ばしてきた。三つに分裂した光球は小さな光の鳥の姿を模り、石の床を鋭く抉りながらアレスをも引き千切ろうと襲いかかる。すべての鳥を叩っ切ったアレスだったが、その表情には困惑の色が滲み出ていた。
「なぜ白魔法を使う……!? ヴァレスの手先ではないのか」
光球から分裂した光の鳥。強い殺傷力を秘めてはいたものの、その根源に感じたのは白魔法の力だ。目の前に佇む黒いフードの人物。闇に通じているのは確かなのに、扱う力は闇とは真逆の白魔法。
アレスの脳裏に浮かぶのは、かつてヴァレスに体を乗っ取られ操られていた天界王クラウディスの姿だ。ヴァレスの肉体を蘇生している繭からも、そしてこの空間に新たに設置されていた水晶のランプからも、感じる魔力は白魔法に他ならない。これほど大がかりな白魔法を操ることができるのは、今の時代では魔法都市アーヴァンの四賢者くらいだ。
「お前は、アーヴァンの……」
「答える義理はない」
言うが早いか再度剣を振り上げて飛びかってきた敵が、剣を振り下ろすと同時に先ほどの光球を間髪入れずにアレスへと投げつけた。その光球をアレスは魔力を纏わせた剣で弾いて、意図的に自身の足元へと叩き落とす。轟音と共に、二人の間に粉塵が巻き上がる。一瞬視界を奪われた敵の隙を突いて、アレスの剣が空を裂いた。青銀の切っ先を難なく避け、後方に大きく弧を描いて一回転した敵が、床に着地するや否や休む暇なくアレスへ駆け出した。
「我が祈りを糧とし、ここに聖杖を授けたまえ。祈りがもたらす我が涙は願い。願いを叶え、暗黒なる闇を打ち滅ぼせ!」
リシュレナの凜とした声音が闇に響く。リシュレナの杖が聖なる光に輝き、邪悪なる者を排除しようと、杖の水晶がまばゆい光を炸裂させた。広い空間に澱んでいた闇が、一瞬だけ粉々に弾け飛ぶ。けれどもその強い光の攻撃は敵に触れる前に、その一歩手前で透明な結界によってあっけなく弾き飛ばされてしまった。
いたずらに巻き上がる風に、敵の黒いマントが音を立てて翻る。それでもフードだけは少しもずれずに、その奥に隠された闇がなお一層濃さを増した気がした。
「私に白魔法が効くと思うか?」
リシュレナの攻撃により、敵の動きが止まった。アレスに向けていた殺意がリシュレナの方に向き、敵がゆっくりを剣を構え直す。リシュレナを庇うように立ちはだかるカイルを見て、敵がフードの奥でかすかに嘲笑した。
「誰も彼も、力の差を見誤る痴れ者よ」
敵の意識がリシュレナたちに向いたわずかな隙を突いてアレスが動く。瞬きよりも早く懐に飛び込んだアレスは、そのまま黒衣の胸倉を掴んで剣の刃を敵の首筋にピタリと押し当てた。勢いに任せて敵を押しやり、壁に激突させることで相手の逃げ場を封じる。
「戦う相手を間違えるな」
未だ少しも乱れないフードを被った敵からは、恐ろしいまでの殺気があふれ続けている。そのあまりの強さに、近くにあった水晶のランプがパリンッと割れた。
「ヴァレスを復活させるわけにはいかない」
レティシアが命をかけて守ったこの世界を失うわけにはいかない。この世界はアレスにとってレティシアそのものだ。だからこそ世界を、レティシアを傷付ける者を見過ごすわけにはいかない。
「知っていることをすべて話してもらおう。抵抗すれば容赦はしない」
敵の首筋に強く押し当てた青銀色の剣。そのなめらかな刃に反射して、青い光が揺らめいた。
どこかなつかしさを覚える青は、敵の瞳の色だ。おぞましい殺気を纏うくせに、その瞳はまるで飛竜日和を思わせる澄んだ青空の色をしている。一瞬だけ混乱した意識が正常に戻るよりも先に、敵の胸倉を掴んだアレスの手に硬く冷たい何かが触れた。
眼前の敵が纏う、どこまでも深く重い漆黒。
堕ちた闇の隙間からのぞくのは――アレスの瞳と同じ深緑色。
『――アレス。私、ずっとそばにいます』
かすかに震えたアレスの手に絡みついたもの。それはあの日と同じ深緑の石に叶わなかった願いを抱いたまま、眼前の敵の胸元で静かに揺れていた。
心臓がどくんっと大きく脈打った。
右手に握った青銀色の剣はアレスの手から力なくするりと滑り落ち、乾いた金属音が地下の闇にどこまでも虚しく響いていく。けれどその音すらアレスには聞こえなかった。
見開いた瞳に、深緑色の石が揺れている。加工すらされていない歪な形の石に紐を付けただけの簡単な首飾り。特別目を引く輝きでもなければ、石だってどこにでもあるものだ。
なのに、アレスはその深緑の首飾りから目を離せなかった。
『どんな時もお前と一緒にいる。そう誓わせてくれ』
そう言って深緑の石の首飾りを渡したのは、アレスだ。
目の前の敵からは激しい殺意と闇しか感じられない。その中で唯一色を落とす深緑の石は、まるで闇に染まるまいと必死に抗い輝いているようにも見えた。
「……まさか……」
こぼれた声は掠れていた。剣を離した代わりにフードを掴んだその右手が、おかしいくらいに震えている。
ためらいはほんの一瞬だった。黒いフードの隙間からこぼれ落ちた銀色を見た瞬間、アレスは獣が喰らい付くような勢いで敵のフードをマントごと剥ぎ取った。
「……――っ!」
漆黒の闇を揺らして、星屑の如き銀のきらめきがアレスの視界にいっぱいに広がった。その中で輝くのはどこまでも澄んだ青空を思わせる、宝石のような青の双眸だ。少しだけ生気の薄い青白の肌。けれども薄桃色の紅を引く唇が血の通う体であることを証明していた。
「レティシア……っ」
かつてアレスと共に世界をめぐり、逃れられない運命にその身を犠牲にした天界最後の姫。銀髪の儚き佳人は、アレスと別れたあの日と同じ姿のままでそこにいた。
『私、ずっとそばにいます。この首飾りを持っている限り、私たちはきっとまた出会える。……そうでしょう?』
魔界跡の最深部。三百年の時を超え、再びアレスの目の前に姿を現したものは世界を終焉へ導く真紅の闇と――、そして哀願するほどに求めた美しき銀の宝石。
けれどもその宝石は輝きをなくし、銀色の堕天使の姿でアレスを冷たく見つめ返すだけだった。