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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第12章 懐かしき邂逅
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07:懐かしき友の姿

 辺り一面、真っ白な霧に覆われていた。

 ジェダールが用意してくれた魔導球を手にしたところまでは覚えている。けれど次に目を開いた時、アレスの視界に映ったのはすべてを覆い隠す深い霧だけだった。

 一緒にいたはずのカイルたちの姿はどこにもなく、名を呼んでもアレスの声だけが虚しく響いていく。しばらく辺りを探ってみたが、白い空間にはアレス以外に誰も、そして何も存在していないようだった。


「参ったな」


 独りごちて、困ったように襟足を掻く。

 精霊界の魔導球に映ったメルドールの幻影は、獣人界の魔導球に魔界跡へ入るための鍵を託したと言っていた。けれどその魔導球は白い霧ばかりしか記憶しておらず、鍵らしきものも見当たらない。

 思わずため息をこぼしたアレスの脳裏に、少しだけ嫌な予感がした。


「まさかあいつ、記憶し忘れてるんじゃないだろうな」


 彼ならば、それもあり得ない話ではない。

 恨めしげに友の名を呼べば、不意にどこからともなくやさしい風が吹き抜けていった。霧が大きく波打って、アレスの髪を揺らしながら背後へ流れていく。ふわりと舞った緑の匂いに懐かしさを覚え、風を辿るように背後を振り返ると、そこはもう白いだけの世界ではなかった。


「ここは……」


 アレスは思わず息を呑んで立ち尽くした。

 目の前に、どこまでも続く若草色の草原が広がっていた。見上げた青空には白い雲が浮かんでおり、その大きな影を落とした草原を金色の光のさざなみが緩やかに遠くまで波打ってゆく。

 さわさわと、草の揺れるやわらかな音が聞こえた。聞き心地のよい風の音に紛れて、遠くから人の声らしきものがする。耳を澄ませれば、それは聞き覚えのある懐かしい声に違いなかった。


「おぉーい! アレス。アレース! おぉぉぉぉぅぅぃ!」


 びっくりして思わず振り返ったアレスの視界が、再び白一色に染まった。かと思うと物凄い勢いで何かに衝突され、防御する暇も与えられないままアレスは真後ろに押し倒されてしまった。

 ――ごいん、と鈍い音がした。


「……っ!」


 打ち付けた後頭部と背中も痛かったが、それよりも体にのし掛かってくる巨大な物体――白いライオンを押しのける方が先である。アレスの倍以上はある巨体のくせに子猫のように甘えてくるので、早くしないと押し潰されるのは時間の問題だ。白いふさふさのたてがみが生えた頭から必死に顔を避けて、アレスはやっとの思いで肺に空気を入れることに成功した。


「アレス! 久しぶりだなあ、アレス! 男同士でこんなこと言うのあれだけど、俺本当にお前に会いたかったんだ。あ、いや、別にそういう意味じゃないぞっ。俺、ちゃんと女の方が好きだし……アレスも好きだけど、好きの意味が違うって言うか」

「まずどけろ! 今すぐどけろっ!」


 自分の巨体がアレスを下敷きにしていることをようやく理解したのか、ライオン姿のロッドは慌てて体を起こすと即座に後方へと飛び退いた。


「ぁ、悪い。アレスの姿が見えたからうれしくて、つい……」


 アレスが体を起こそうとすると、目の前に逞しい腕が差し出される。逆光で影になった彼はもうライオンではなく、共に旅をした懐かしい姿でアレスを見おろしていた。

 その手を取って立ち上がり、服の乱れを軽く直す。ロッドはずっと気の抜けた笑みを浮かべていて、アレスの動作をひとつも取りこぼすまいとするかのように水色の瞳を爛々《らんらん》と輝かせていた。

 あまりに無邪気すぎる子供のような眼差しに、アレスの口から思わずため息がこぼれた。


「もしかして……怒ってるのか?」

「呆れているだけだ」

「それを怒ってるって言うんだぞ」

「捉え方次第だろ」

「くぅ~! アレスは相変わらずだな!」

「それを言うならお前の方だろう」


 息のあった会話のやりとりに、自然と口角が緩む。やがてどちらからともなく笑い出すと、思わぬ再会を心から喜んで互いの体をきつく抱きしめ合った。


「元気そうだな」

「それなりにな。お前はどうしてここにいるんだ? 魔導球は過去の姿を記憶するものだろう?」


 アレスの持つレティシアの姿を留めた魔導球と精霊界で見たメルドールの声を残した魔導球は、どちらも多少の違いはあるものの過去の映像を記憶したものだ。こんな風に会話することも、触れ合うこともできなかった。

 完全に過去の記憶への一方通行だった魔導球。この三つ目の魔導球を作り上げる過程で、メルドールが更なる機能を追加することに成功したのかもしれない。そう思う反面、アレスの胸には漠然とした不安がよぎる。


「あ、あぁ、そうだよな。やっぱ疑問に思うよな」

「当たり前だろう。過去を記憶する魔導球なのに、お前はこうして話し、触れることもできる。まるで……生きているみたいだ」

「順を追って話すからさ、ひとつ約束してくれないか?」

「約束?」

「あぁ。絶対に怒るなよ?」


 そう聞く時点で怒られるようなことをしたのだと答えているようなものだ。一瞬だけ顔を顰めてしまったが、ロッドが怯えたように眉を下げて後ずさったので、アレスは右手で顔を覆い隠して深く息を吸い込んだ。


「……わかった」

「本当だな? 言質取ったからな! 嘘ついたら鹿の角百本飲ませるぞ?」

「いいから早く話せ」


 このままでは埒があかないと、アレスはロッドを促すようにしてその場に腰をおろした。ややあってから隣に並んで座ったロッドが口を開くまで、アレスは黙って緑の草原をぼんやりと見つめていた。

 静かな時間に、風が草原を揺らす音だけが響いてゆく。


「メルドールが言ってた。魔界跡の奥で蠢く暗黒の影を見たって。それがたくさんある未来のひとつだったとしても、現にアレスはこうしてここにいる。それってつまり、世界はいまメルドールが見た未来を進んでいるってことだよな。違う未来では、俺とアレスは会わなかったのかもしれない。世界は平和で、闇に脅かされることもない。でも、アレスはここに来た。そして俺やメルドールは、今この時のためにこうして言葉を残してる。……メルドールは魔導球に何て残してた?」

「魔界跡へ進入するための鍵があると」


 アレスの返答にロッドが肯定の意を示して頷いた。


「メルドールの最期の魔宝だ。俺はどうしてもアレスに力を貸したくて、メルドールに願い出たんだ。……鍵の核になるって」

「おいっ!」


 核と聞いて、真っ先に思い出すのはレティシアの中にあった月の結晶石だ。性質は違えど、その言葉から連想されるものにいい思い出はまったくない。

 あからさまに不機嫌な顔をしたアレスに、ロッドは慌てて両手を横に振った。


「あ、違うぞ! お前が心配してるようなことは何もない。核っていっても何ていうか……ほら、メルドールの魔力を閉じ込める器みたいなものって言うのかな。とにかく核を差し出したからといって死ぬわけじゃないんだ」

「だが、メルドールの魔力だぞ? それ相応の代償があるはずだ。あれだけの魔力を封じる器に、魔力のないお前が適しているとは思えない」


 嫌味などではない。メルドールは世界最強の白魔道士とまで謳われた人物だ。その彼の強大な魔力を、ましてや魔界跡へ続く道を開くほどの力を、魔法とは縁のない獣人がどう制御し閉じ込めることができるというのか。


「さすがに鋭いな。メルドールにも同じこと言われた」

「それでお前はどうした」


 つい声が鋭く尖ってしまう。けれども往年の友は心配ないと告げるように、にっこりと笑い返してきた。


「牙にな、かけてもらった」

「牙?」

「獣王にとって命と同じくらい必要なものは、この牙だ。敵を噛み砕く鋭い牙。これを失えば獣王として成り立たない。魔力のない俺が捧げられるものといったらこれくらいだからな」


 人型の時はあまり目立たないのだろう。今もにこりと笑うその口元からは、メルドールに核として魔法をかけてもらったという八重歯がのぞいている。


「牙だったら、俺が死んだ後でも鍵として存在できるだろ。俺は核として牙を差し出したけど、だからといって牙を失ったわけじゃないんだ。メルドールは牙を折ることなく魔法をかけてくれたし、後は俺が死んでから牙を折って保管すればいい話だ。お前が心配することは何もない」


 そこまで聞いて、アレスがやっと肩の力を抜いて息を吐いた。


「そういうことか。……驚かせるな、ロッド。いくら俺でも、お前の命と引き換えの鍵なんか使えるか」

「あぁ……うん。アレスならそう言うと思ったよ」


 安堵したのも束の間、ここに来てロッドが不自然に言い淀んだ。アレスの視線から逃れるように、あからさまに顔を逸らして俯いている。


「ロッド。お前、まだ何か隠してるだろ」

「そんなことないぞっ!」

「そうか? ……なら、先を続けてくれ」

「先?」

「忘れたのか? なぜお前がここにいるのかってことだ」

「……あ」


 おかしいくらいに、ロッドが肩を震わせて動揺した。そんな彼を冷静に見つめているつもりだったが、アレスの心は静かに押し寄せてくる不安で落ち着かない。さっきから心拍数が上がり続けている。


「お前は幻影なんかじゃないよな。俺を突き飛ばしもしたし、こうして会話もできる。俺の持つ魔導球はレティシアの姿だけを映し、メルドールの魔導球は声はしたがこちらからの受け答えはできなかった。俺はお前がここで生きているとしか思えない。触れることもできる。呼吸も体温も感じられる。それが不思議でならない。……同時に、ひどく不安だ」

「……アレス」

「言ってくれ。なぜだ」

「……怒らないか?」

「それはさっきも聞いた」


 しばらくの間、お互いが口を噤んだままだった。先に言葉を発するのはロッドの方なのだろうと、互いもそれを感じていて。

 そして静かに、空気が動いた。


「俺の寿命は七十二歳だった。……――――でも実際に死んだのは、それよりも二十年早かった」




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