「俺のちっぽけな青春を賭けてな」
空に赤みが差し、部活動で残っていた生徒も引き上げ始める時間。
たった一人演劇の練習をする男子生徒と、一冊の女の子と過ごしていたこの不思議な時間も終わりを告げようとしていた。
「とりあえず今日はこれで終わりかな」
そう言うと三平は、鞄の中から汗拭き用のタオルを取りだし、額を拭った。
先ほどの問答から、二人の間に会話らしい会話は無かった。時おり本の方から「ふむふむ」とか「なるほど」とか呟く様な声が聞こえて来ただけだった。
あんなに騒がしかったのになと三平は不思議に思っていたが、今は貴重な部活動の時間である。彼はいつも通り黙々と練習していた。
しかし急に彼女から労いの言葉がかけられる。どうやらこちらが終わるタイミングを見計らっていたらしい。
「うむ、ご苦労であった。面白い物が見られて妾は満足である」
「なんだよその物言い。お前いくつだよ……本当にアメリアだったら、17歳なんじゃないの?」
「だからそう言っておる。このアメリア・ダイヤモンドが直々に労いの言葉を掛けてやっているのだから、泣いて喜び感謝せい!」
……ドヤ顔してそうだなぁと三平は思いながら、帰り支度を始める。
最終下校時刻は30分前。三平は毎日ここでこのくらいの時間まで練習を行い帰宅する。いつもの彼のライフスタイルである。
「……というかあれだ。なんか今日、結局俺の事ばっか話してる気がするんだけど」
支度をしながら三平は気になっていた事を口にする。追々自分の事は話すと言いながら、今日はほとんど彼女自身の話は聞けていない。三平は不満タラタラの表情で彼女を睨み付けた。
「そうじゃったかの? まあまあ良いではないか。妾はお主のぼっちぶりを見れて楽しかったそ。妾を楽しませたのだから誇るが良い」
そう言って彼女はとぼけた調子で答える。しかし特に含みあるわけでは無いと言うか、他意を三平は感じなかった。どうやら純粋に忘れていた様に思われる。
「はいはい、ありがたき幸せですよまったく」
おもわず毒気を抜かれてしまった三平は、とりあえず言葉の刃を鞘に納めた。まあ、こいつはこれから持って帰るのだから、あとで聞けば良いと思った。
「……ところで、また聞いてもいいかの?」
しおらしい声が聞こえてくる。先ほどの三平の俺ばっかりと言う言葉に配慮したのか、少し控えめに彼女は三平に声を掛けた。こんな声も出せるのかと、三平は目を丸くした。
「何を今さら……別に良いよ」
「すまぬな。妾の宿っているこの脚本について聞きたい事が二つあるのじゃ」
脚本の事か……やっぱりなと三平は思った。
「お主、せっかく妾と言う素晴らしい存在の物語を書いたのであれば、今日はこの脚本を何故使わんのじゃ?」
「んー、書ききったとは言えまだまだ修正の余地はあるからな。とりあえず今日一日寝かしておいて、明日もう一度読んでみんの。時間空けたら結構客観的に見れるからな」
脚本や小説でも書いてからすぐの状態では、書ききった達成感や興奮で客観的に見れなくなるものである。なので一日程間を空けてからから見ようとしており、三平は本当はわがままお嬢様の言葉が無ければ、元々今日は学校に脚本を持ってくる気は無かった。
……まあ予想外の出来事により、なんとなく脚本に手が出し辛くなってしまったと言うこともあるのはあるのだが、話がこじれそうなので彼は黙っておくことにした。
「良い心がけじゃ。お主、動機は邪なくせに、ほんと意外と真面目に取り組んでおるのー」
「……否定はできないな、くそ」
「まあ、人間の原動力何てそんなものじゃからな。この崇高なる妾でもそうじゃしな……さて。もう一つの方なんじゃが」
「はいよ……ちゃんと答えるから、後でお前も答えろよな」
最初は妾に興味深々じゃのとか言っておきながら、実際興味深々なのはどっちだよと、三平は心で悪態をつく。
「これも簡単な疑問じゃ。……何故この脚本の主人公を妾とした? 確かに妾は魅力的ではあるが、お主は男であろう? お主の目的からは外れるのではないか?」
当然の疑問である。
三平の目的からすれば、この物語の主人公は男であるべきであり、【悲劇の女優】であるアメリアを主人公とするのはどこか違和感を感じてしかるべきである。
……その問いから、少し間が開く。
やっぱ聞いてくるよなと三平は心の中でため息をつく。何故ならそこにはどうしても、彼女だけには言い辛いもう一つの演劇をする理由があるからだ。
しかし、こちらの疑問を答えてもらう為にはフェアで行こうと三平は思った。
何より、もう彼には誰にどう思われても良いと言うある種の覚悟をすでに持っていたのである。
「多分一回しか言わないからな」
その言葉に、彼女は静かにうなずいた様な気がした。
「何か物語を創って、何かを演じる事に興味を持つ事のきっかけになった、俺の憧れた俳優なんだが……三年前に死んだんだよ。病気でな」
……その話は脚本の主人公にも、その名を語る彼女にも無関係では無い話だ。
「そいつは結局生涯で一回しか公の舞台に立てなくてさ。俺なんかと違って、本物の主役になれる筈の奴だったのにな。そんな奴が記録にも、記憶にも残らないんだ」
三平は強く拳を握りしめた。
「俺は悔しかった。当時どん底だった俺を救ってくれた、生まれて初めて親とは違った純粋な憧れを持った相手が死んだんだ。せっかく俺も、そいつもこれからって時に」
三平の心の奥から、当時彼女の死の報せを知ったときに感じた悔しさが、再び溢れだしてくるのを感じた。淡々と話すつもりだったのに、何故感情が溢れてくるかは本人にもわからない。
「……けど死んだ事実は変わらない」
目の前の彼女は何も言わなかった。ただ黙って聞いているだけだ。
「だからさ。せめて、俺の中だけでもそいつの事をちゃんと残したかったんだよ。……クソみたいな俺を、前向きに変えてくれたそいつをな。そいつを初めて見た、演劇って形で」
三平の方向が合っていたかはわからない。……正直普通の人の前向きよりは歪んでいる。しかし少なくともその俳優に自分は救われた。三平は心の底からそう思っていた。
「これも自己満足だな。俺はそいつみたいに輝きたい。……だから性別が違っても、そいつを主人公にした話を書いて、そいつを演じてみようと思った、……そいつの存在を証明したかったんだよ。俺のちっぽけな青春を賭けてな」
半日も前に、どっかで誰かが同じような台詞を言ってたことを思いだし、三平は苦笑いを浮かべた。……結局俺はこいつの願いを始めから叶えようとしていたんじゃないかと。
「これが俺がこの学校に入って演劇やってる理由全部。……改めて言ってみると、俺この演劇部じゃ無くても変人だな……」
自覚はしていたが改めて突きつけてみると、その事に多少のショックを覚える三平。……なんて悲しい青春を送っているのだろう。
しかし俺のこんな話を立て続けに聞かされて、彼女は何を思うのだろうか。三平にはそれは読めない。
人の評価なんて彼は気にしないし、嫌われてもしょうがないとは思うが、わざわざ嫌われる事を良しと思う性格でも無かった。
だがその時。
ーー妾にも、変えられた物があったのだな。
ふと、呟く声が聞こえた気がした。しかし三平には聞き取れない程か細く、繊細な音だった。
……そして静寂。
「あのー。何か反応無いの? 妾を演じるなど百年早いとか、気持ち悪いのーとか」
反応の無い彼女に戸惑い。三平は彼女に言われるだろうなと自分なりに考えたワードを羅列する。罵倒しか出てこないのが、三平の彼女への心証が若干現れている。
「おーい、聞いて……」
「おい」
彼女は急に口を開いた。思わず三平の体がピクッ跳ねる。
「お主、リンゴを持った事はあるか?」
「……は?」
彼女は淡々と、その言葉を三平に向けた。