「それが俳優と言う生き物である!」
三平とアメリア・ダイヤモンドを名乗る少女(?)が邂逅を果たしてからの最初の朝。三平は学校へ向かっていた。
季節は五月の始め。彼の通う市立振槍高等学校も他の学校の例に漏れず、進級を終え各々クラスが落ち着いてくる頃である。
三平の通う振槍高校は彼の家から徒歩30分程の距離にあるが、体を鈍らせない為に彼は自転車を使わず、徒歩で登校している。
天気は快晴。まさに登校日和。こんな日は三平は普段ならウキウキに鼻唄でも歌いながら歩いて行くところだ。
ましては昨日(正確には今日の午前二時頃ではあるが)は、彼がコツコツと一年以上かけて手掛けていた脚本執筆が一段落し、今頃は大きな達成感に包まれている筈だった。
しかし三平の気分はどことなく晴れない。その原因は彼の鞄に入っている件の脚本にあった。
「おい、ここから出さんか! こんな狭いところに妾を閉じ込めるとはお主いい度胸じゃの!」
こんな感じで朝からギャーギャー騒いでいる一冊の本。彼女と出会ってからはずっとこんな感じで絡んでくる。
おかしいなぁ……なんでこんな事になったと、三平はやや大袈裟に頭を抱えた。
「あんまり騒ぐなよ。お前が外に連れ出せってうるさいからこうして運んでやってるのに」
「妾の声は妾の存在を感知しておる者にしか聞こえん。よってお主以外には聞こえてはおらぬから大丈夫じゃ。というか問題はそこでは無い。これでは景色も何も見えんではないか!」
「俺に対してはやかましくしても良いのかよ……。わかったわかった、ちょっと出してやるから待ってて」
そう言って三平は鞄から脚本を取り出した。とりあえず良く景色が見えそうな自分の額の前に本をかざし、少し左右を見渡す。だが正直、この本がどのような視界で見えているのかはわからないので、意味があるかは疑問だ。
しかし脚本からはおお、と感嘆の声が上がった。どうやらご満足頂けた様子である。
「これが彼の国、ジャパン。ニッポンなんじゃな。ほっほう! 本当に黒髪がいっぱいおるのう。しかもみんなお主みたいに地味じゃし、お主みたいにパッとしない動きをしておる」
「お前、日本の事興味あったのか。というか否定はできんけども、その言い方はどうなのよ」
彼女の物言いに、三平は口を尖らせる。彼はまだアメリア本人とは断定しておらず、疑いを持っている。話している限りではこの女性は少なくとも日本人ではなく、アジアの方の人物では無いような気がしていた。その言葉使いもあってか、一応西洋、ヨーロッパの方の人なのではないかと推測している。
しかしそんな三平の敵意を知ってか知らずか、彼女は平然と言ってのけた。
「何を言っておる。妾は誉めておるのじゃ。勤勉に、真面目に、時にはずる賢く生き、しかし他者に対する思いやりの溢れておる人々。妾はそんなニッポンの人々が大好きであるぞ」
その言葉を聞いた後、三平は少し彼女に目を向けた。本である彼女の表情は伺い知れない。しかし何故だか、とても大切な物を慈しむ様な優しい表情をしている様な気がした。
「妾は俳優じゃからな。こうして目に見え、耳に聴こえ、鼻で香り、舌で味わい、肌で感じる物全てを愛しておる。特に物事を捉える目は俳優の基本であり、最高の武器じゃ。どんな些細な事も、見て考え、感じ、愛し、舞台の上で表現する。それが俳優と言う生き物である! じゃからいつでも何時でも何かを見て感じる事、これが俳優にとっては重要な事なんじゃ」
「……」
三平は思わず聴き入ってしまっていた。その言葉の一つ一つに力が込められており、少なくとも適当に言った言葉ではない。そう感じさせる程の何かがあった。
「偽物の癖に、生意気な事を」
「な、なんじゃと!? お主この期に及んで信じとらんのか」
アメリア(仮)はうーっと唸りながら抗議の目線をこちらに向けた(様な気がした)。しかし三平は少しだけではあるが、彼女に対する心証が少しだけ変わっていっているのを感じていた。
「とりあえず、景色が見たかったのな……ごめん、悪かったよ」
「わかれば良い。許すぞ。まあ、あんな暗闇でも何かを感じ、己の糧にすることはできるがの。しかしせっかくじゃから生でニッポンを見たかったのじゃ」
「本当に日本が好きなんだな」
「うむ!映画やドラマ、特に漫画にアニメ。日本は上質なエンターテインメントの宝庫じゃったから、よく見ておった。生の音声が聞きたくて、日本語の習得もバッチリじゃからのー」
三平の中で彼女が何故日本語が達者なのか謎が解けた。まさかのオタクパワーである。そんな風に外国語を習得していったピアニストの漫画もあったなーと思いながら、どんな漫画に影響されたらこんな口調になるのかは疑問のままだった。
そんな風に彼女は時に感動の声をあげ、三平は時に罵倒されながら、二人は学校に到着。
市立振槍高等学校。今となっては何の変哲もない、どこにでもある普通の進学校である。
「これがお主の通っている学校か……おお! 生、生制服じゃ! 可愛いのう、ヒラヒラじゃ。……しかし本当に短いのう、ニッポンは恥らう文化ではなかったかの?」
「……それは、なんでだろうな。それより、とりあえず今は本鞄にしまって良い? ちょいと邪魔になるんだけど」
靴をはきかえたりするのに手は空けておきたかったのだが、「ダメじゃ! もう少しニッポンの学校を見せておくれ」と言われたので仕方なく手に持って下駄箱に向かう。
……三平にとっては本をしまいたかった理由はもう一つあったのだが、もう気にしない事にした。
靴を履き替え、教室に向かう。アメリア(仮)は、初めの方は学校の風景に感動していた様だったが、次第に口数が減っていっていた。何か気になっている雰囲気ではあったが、三平は大体察しがついている。なので自分からは聞かなかった。
しかし彼女はとうとう三平に、「むう、……のう、少し聞きたいんじゃが」と少し聞きにくそうなニュアンスで、前置きをオブラートに包み質問してきた。
「……お主、思いっきり避けられとらんか。嫌われとるのか?」
先に包んだオブラードを思いっきり突き破って言葉をぶつけるアメリア(仮)。しかしそんな彼女の言葉選びにも慣れてきたので、三平は特に気にせず質問に答えた。
気になるのも仕方無い。彼女の言葉通り、周りの生徒は三平を見るや否や、どことなく避け、たまにどこかクスクス笑う声さえ聴こえてきていたのだから。
「まあ、俺はこの学校一の変人だからな」
「変人とな?……お主まさか」
「そのお前の想像した事じゃ絶対に無いからな。……俺がこの学校唯一の演劇部員だからだよ」
「む?」
彼女は釈然としないと言わんばかりの声をあげる。それも仕方ないなと三平は思った。確かに演劇部だからとは質問の答えにはなっていない。しかし、その答がほぼ正解なのである。
「この学校で演劇部をやるのは、それなりの覚悟が必要って事。……とりあえず教室入るから一旦鞄にしまうぞ」
そう言って若干言葉を濁しながら、文句を垂れる脚本を無理矢理鞄に詰め込んだ。
教室に着きおはようと声を出し、三平は自分の席に座る。どことなくクラスメイトの視線を感じながら、三平は特にそれを気にする風でも無く、鞄から読みかけの小説を取りだし読み始めた。