2話『どうして』
「は?」
初対面で、しかも人見知りなのに出てしまう呆れ声。
そして自分の言い方が失礼だと思うと真島は視線を右下に移した。
「そのー。確かに初対面の人間にそう言われても信じられないのはわかるのですが――――」
彼女の声が止まると同時に耳を刺すような音がする。
その音の鋭さに真島は両耳を抑えた。
「――――今は逃げますよっ!」
そう言うと彼女は真島の手を引いて颯爽と走り出した。
柔らかな肌を何年ぶりに触っただろうか。
不純な気持ちが入り混じりながら走る男は混乱で参っていた。
一体何が起こっている。何をされるのか。
真っ先に出てきたのは〝援助交際〝。
そうじゃないにしても、こんな可愛い子が話しかけるのには何か裏がある。
裏ってなんだよ。そんでさっきの音は何だよ。
無限のように湧き出る疑問は次第に頭を熱くさせる。
考えても無駄なのに人間は考えてしまう。
こんなにも憎いことは無い。
真島は人間の仕組みを呪った。
そんな中、混乱をひどくさせる光景が前に映る。
黒髪を揺らした少女が〝妖刀〝を持ちながら前方の家に乗っていた。
詳しく言えば屋根の上に立っていた。
その危ない光景に真島の危険信号は赤だと言う。
――――これ以上近づいたらまずい。
そう思った真島は咄嗟に手を振りほどく。
か弱いテラフィーの手は簡単にして解けた。
振りほどかれたテラフィーは驚いた顔をして真島の顔を見つめ、口を開く。
「えっと…………マスター?」
不可解な言葉を聞き、一歩後退。
そして振り返って走り去ろうと思ったところ――――右頬に細いものが触れた。
そっと、何の痛みもなく触れた〝それは〝何だか知らないが、一つだけよく分かることがある。
右手でその部分を触れると見たくないものがそこにはあった。
――――血?
赤というよりも黒に近いそれは俺の意志を無視して滴れる。
そして傷を認識してから脳に〝ある刺激〝が。
「いでええええええええええええええええ!」
持っていた求人情報誌を落とし、必死に両手で傷口を抑えようとするが、それを無視するがごとく血は流れる。
地面にポタポタと落ち、小さな血だまりが。
真島は涙目になりながら、後ろを振り返る。
すぐそこには金髪少女のテラフィーと『鞘から刀を抜いた少女』がいた。
――――いつ、いつ降りた!?
その少女は刀を鞘にしまい、腰辺りまである髪の毛を一つ払ってから笑みを浮かべた。
薄気味悪いその笑みは真島に恐怖をもたらす。
「せ、千田さん! 落ち着いてください!」
テラフィーは目に正気を失いそうになった真島に近寄り、右頬を優しく撫でる。
すると不思議な光がその部分を覆い、暖かな温もりが頬に当たる。
「私にはこれしか出来ないけど……」
テラフィーは済まなそうにそう言っては、右頬から手をどける。
信じられないことだがこれは現実だ。
真島は右頬の傷が無くなっていることを確認する。
無くなった傷の周りにはびっしりと血がついている。
つまり、さっきまで血は流れていたことになる。
「どうして…………」
ボソッと言ってしまったその言葉はテラフィーに届いていたのか、すぐに返答が届いた。
「これは魔法です」
「……意味わかんねーよ」
「そう。なら意味も分からずに殺してあげるわ」
最後の言葉は冷徹な声で真島に当てられた。
「…………誰だよ」
真島の約4メートル前にはさっきの妖刀使いが。
その少女は鋭い目つきをして、真島の顔を睨んだ。
「私に慈悲という言葉は無い。だから教えるつもりもないし、何も知らないと言われても――――私には関係ないっ!」
言い終わると同時に左手に持っていた鞘から刀を抜き、真島に振った。
すると、薄く見える閃光は真島に一直線。
「っちょ」
ギリギリのところで交わすが、さらなる追撃が。
次はクロスの形をして振ってきた。
これは一歩で逃げられる距離じゃない。
やばい、次はよけられない。
さっきの切り傷を思い出す。
――――これくらったら、体が切れるんだろうか。
不意に思いついた光景は残酷なものだった。
真島は必死に左に飛ぶ。全力で。ここ数年で一番の全力。
だけど無理だった。自分が飛んだ時にはその光線が目の前にあった。
呆気ない死に方に真島は悔いた。
もっと――――もっと真面目に働きたかった。
ちゃんと自分の合った仕事で、全力で働きたかった。
我慢して人付き合いもしたかった。
よく分からないことに巻き込まれ死ぬのは『俺に生きる資格』が無いからなんだろう。
あはは、とうとう人間もクビか。
こうして考えるとつまんなかったな、俺の人生。
何の特徴もない学校生活。
人とは触れ合わなかった社会生活。
あれ、この出来事が一番の大事じゃないのか?
むしろ、こんな死に方の方が俺にあってんのかも。
ああ、そうだな。そう思わないとやってらんねーな。
そうに違いない。
死ぬ寸前に見る走馬灯。
真島も常人のようにして走馬灯らしきものを見た。
たった1秒が何十倍にして引き伸ばされた感覚。
その瞬間は永遠に思われる時間。
多分だが、それは死を受け入れる時間なんだろう。
真島はそう理解した上で死を受け入れた。
「だめっ! あなたは生きなきゃっ!!!!!」
跳ね上がった声はテラフィーだった。
彼女はそう言うと真島の前に出た。
光線は何の躊躇もなく彼女の体に入り込む。
ズサッ――――鈍い音は彼女の肉をえぐる音だった。
横に飛んだ真島が目を開くと、案の定全身から血を流したテラフィーが大の字で自分の前に立っている。
おぞましい光景に気分が悪くなる。
「マスター逃げて!」
「え?」
「いいから逃げてっ!!!!!」
最初にあった優しい声とは一転、甲高い声が真島の耳に突き刺さる。
真島はその時間の猶予の無さに気づき、すぐさま逃げた。
一回も振り返らず逃げていくさまは滑稽であり、ダメ人間の姿であった。