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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
53/56

23cm/s

 家を出て、閑散とした町並みを眺めながら到着した寂れた公園の広場――昨日と同じ、そしていつか楽座とも座ったベンチでもあり、左目と別れた広場でもある場所で、噴水を前にしながら何だかんだと会話している内にすでに三十分以上経過していた。


 午前八時。


 それは本来、出勤するスーツ姿の群れや登校する学生の集団、主婦業に勤しむ者やそぞろ歩きする老夫婦が町中を行き交うはずの時刻。

けれど、今日もまた誰もいない公園である。

人っ子一人いない、まるで世界に自分だけが取り残されたような感覚に陥ってしまうほど閑散とした無音の世界。

聞こえてくるのは、目の前で水しぶきを上げる噴水だけだ。

 しかしそれも、もうすぐ終わる。

 終わり、始まる。


「君のために願う――」

 例え彼女のためでなくとも、誰かのために願うということ――誰かのために何かをするということは、確かに痛快なことなのだと思う。

『あくまで例え話であって、軽い冗談だよ。気が楽になるなら、ってことさ』

「気が楽になるって言うか、そう考えないと君に願うことすらままならないからな。誰もが望む未来とか、無茶振りにもほどがある」

 まぁ。

 誰かのために願うことと誰もが望む世界がイコールでないことは理解している。

ましてや、誰かが望むことによって逆に誰かが不幸になってしまうこともあることを知っている。

 誰かが『願う』反面、誰かが『望む』。

 だからこれは、気を楽にする苦し紛れの策であり、最善策とは程遠いように思える。

最善は、勿論、誰もが望む未来――世界。

『なんだかなぁ、本来の意図とは別の方向へ徐々に進んでる気がする。誰もが望む世界を、お前には願って欲しいんだけどね』

「なら、君が望むことは一体何か、という話の続きをしよう」

『……おい』

 なんとなく。

 冗談の一つや二つを言いたくなってしまう。

こんな状況なのに。

いや、こんな状況だからこそ――別れを惜しむ気持ちも、あった。

「さぁ、君の願いは何だ?」

『何だじゃないよ、どうしてその方向に話が進んでいる。それに、その台詞は願いを叶える側のものだろう。この場合その発言が許されるのは私だ』

「そうかもね。と言うか、誰もが望む世界、なんて、最初から全ての人が救われるなんて思ってもないんだよ。これなら、少なくとも君が望む世界にはなる――君が望む未来に変えられる。いや、変わる」

『そうかもしれないね』

「それに、誰もが幸せになるなんて、それこそ無理じゃないか?」

 誰もが望む世界、そんな漠然とした願いと同じくらい、曖昧で有耶無耶なのが幸せだ。

人の数だけ幸せがあって、それは多種多様なのだ。

 誰もが望む世界――誰もが幸せになれる世界。

 果てしないにもほどがある。

『ふむ、反論する余地がないわけではないけれど、まぁ確かに一理ある』



 それなら――と。



『笑える世界を願え』


 なんて、それと同じくらい漠然とした望みを言う彼女だった。

 笑えるって何だよ。

「えっと、いや、だから――」

『人間、生きていたら数々の絶望や壁を経験することになる。けれど、楽しいことがあるからこそ乗り越えられるだろう。それに、挫折や絶望があるからこそより、愉悦や解放感に浸ることができるというものだ』

「だからそういうのじゃなくて……」

 否定も空しく、彼女は構わずに続ける。

『まるで逆説だね。休日や放課後が充実し、快活で愉快な青春を作り上げているのは毎日の辛い授業やテストというわけさ』

「いや、意味がわからない!」

 なんで高校生に合わせた逆説で例えてるんだよ。

 余計に何が言いたいのか理解し辛い。

『要するに、笑えばいいんだよ』

「何が要するに、だよ。何も要約してない、ただ反復してるだけだから」


『なら、こうしよう。私が笑える世界――』


「あぁ……うん、なるほど」

 まぁ。

 多少は具体的になったか。

けれど、それは一体どんな世界なんだ。

「要するに、猫が笑える世界、だな」

『何が要するに、だ。何も要約してないし、理解もしてないじゃないか』

「え、いや、だって――え?」

 自分で言っておいて、猫が笑う世界ってどうかと思う。

辺り一面に猫じゃらしでも落ちているのだろうか。


 ともかく。

 兎に角。


『まぁ、別にそれを願わなくても構わないよ。お前の好きにすればいいさ。結果はどうあれ、世界は動く――進捗する。こう言えば、世界の運命がお前に懸かっている、なんて気になるかもしれないけれど、そんなに気負う必要はない。大丈夫、これ以上、酷いことにはならないだろう』

「……そっか」

 それは、現状を超える有様がどんな地獄なのかを考えさせる言葉だった。

これ以上の地獄絵図、か。

想像もしたくない。

『言っただろう、壊すのではなく作るのだと。他の三匹はこうして世界を壊してしまったけれど、そうじゃない』

 私はそうじゃない――

 反復するように彼女は言う。

 破壊と創造。

それについては、昨日、彼女の口から聞いた。

聞いたから、ここでとやかく言うつもりはない。

 それなら、彼女の言う通り、少々気負い過ぎだったかもしれない。

考えすぎもよくないとは言うけれど、正にその通りだ。

悪い結果にならないのだとしたら――他の三匹のように、想いにそぐわないような形で願いが叶ってしまう恐れがないのだとしたら、俺は素直にそう願うだけでいいのだろう。

 後は、願って、終わりにするだけなのだ。

 願って、始めるだけなのだ。

 笑える世界、か。

ユーモアさの欠片もない、斜めにひねくれた自分がまさかそんなことを願おうとしているなんて、そう思うと、『誰もが望む世界』と同じくらいに願うの難しいことかもしれない。

 まぁ、わかり易いだけマシだ。


「願いも決まったし、さっさと始めよう。急ぐ必要はないだろうけど、このままじっとしてても意味がないしな」

『おいおい、願いが決まったって、本当にそれでいいのかい?』

「別に構わないだろ。目の前の猫一匹救えずして一体誰が救えるって言うんだよ」

『いや、まぁその台詞はかっこいいけど』

「君の未来は、俺のものだ」

『くさいね』

「…………」

 冷静な彼女の言葉が違う意味に聞こえて凹んだ。


「あぁ、そうだ、願うってつまり何をしたらいいだ?このまま君に念を送ればいいのか?」

『念を送られても困るが……相応しい場所がある』

 と、彼女の言葉と同時に視界が黒くなった。








        ◆






 真っ黒。

 真っ暗。

 急な暗転で思わず声を上げてしまったが、すぐに彼女の仕業なのだと理解した。

そう言えば、彼女が現れて一度体験した、『暗闇』だ。

何一つ視界に入らない暗闇は目を閉じているかのような錯覚に陥れる。

光は、ない。

混乱は、しなかった。

 どんな力を使ってこんな仕業ができるのか疑問に思うけれど、それを言ってしまえば、どうして願いを叶えるのか、どうして世界を壊すことができたのかという疑問にまで至るので、そこはあえて訊かない。

荒唐無稽な存在なのだ。

それこそ、相応しいと言えよう。

 猫神様。

 なんて、彼女が自分のことをそう言っていたことを思い出すと笑いが込み上げてくる。

『最後だからね、こういうのもありだろう』

「俺からすれば、最後なのに真っ暗だけどな。お先真っ暗だ」

『最後くらい私の顔が見たかったということかい?いやはや、そんなこと言われると余計にセンチメンタルになるね。大丈夫、私はお前の顔を見ている。ほっぺたの可愛らしいにきびまでくっきりと見える』

 平坦な口調で彼女は言う。

 やはり、センチメンタルな風には聞こえなかった。

「俺の顔を見るな。と言うか、前にも言ったと思うけど、話し辛いからせめて足の上にでも乗ってくれ」

『えらく積極的じゃないか。どういった風の吹き回しだい?』

「いや、こうして話してる間に、君が寝転がってくつろいでると思うと気になるだろ」

『……相変わらず、ひねくれてるね』

 そう言いながらも、彼女はゆっくりと太ももの上に乗る。

 少しの。

 ほんの少しだけの重みを感じた。

その体重に、安堵する。

安心感が生まれる。

どうしてかはわからなかった。

「君が笑う世界――本当に、それでいいんだな?」

『お前は本当に、それでいいのかい?』

 質問に質問で返す彼女。





「構わない」

『構わないよ』





 ならば、願おう。

 願って、終わらそう。

 終わらせて、始めよう。

 新しく、始めよう。


 今までのことが全て台無しになったのかもしれない、全て徒労だったのかもしれない。

彼女に願い、新しい世界へと進むことによって、自分だけが語られることのない『過去』の記憶を保持することになる。

けれど、『過去』とは案外、そういうものだと思う。

思い出話に花を咲かせることができるのは、過去を共有した者同士なのだから。

そういった点で言えば、この世界の出来事――今までの出来事は、多分教室の隅で独り言のように呟く程度の物語だったのだろう。

語るほどでもない、と言えばそれは違うけれど、語られないのなら独り言のように呟くまでだ。

 彼女ら三人との関係も終わるだろう。

けれど、それは崩壊ではなく、戻るだけだ。

零に戻って、新しくなるだけだ。

 

 虐めから救い、親密になったこと、彼女はそれを忘れ去るだろう。

 歪んだ愛情を注ぎ、振り向かそうと躍起になったこと、彼女はそれを忘れ去るだろう。

 対抗意識を燃やし、暗い未来の中に希望を知ったこと、彼女はそれを忘れ去るだろう。

 

 中には、忘れてはいけない痛みや想いもある。

それを跡形もなく忘却してしまう彼女らは、加害者であるのと同時に一番の被害者でもあるのかもしれない。

 また同じ道を進むかもしれない。

世界が変貌し、白紙に戻ったところで――どんな影響が及んだところで、彼女らはまた間違うのかもしれない。

けれど、それなら、救えるじゃないか。

唯一、記憶の継続する自分が彼女らを救うことができるだろう。

救う、なんて大言壮語だけれど。

大言も甚だしい。

 彼女らが望む世界になるかはわからない。

 何より、影響を与えてしまった人――誰もが望む世界になるかはわからない。

『未だ来ず』なのだから、わからないのも当然だ。

けれど、確かな足取りで着々と向かっている。

未来とは勝ち取るものだ、そんな言葉をどこかで聞いた覚えがあるが、その通りだと思う。

待っていても来ないから『未だ来ず』なのだとしたら、勝ち取ることで得られるものこそ『未来』と言えるのかもしれない。


「そうだ、最後に君の名前――」

『私の名前?そんなの知ってどうするんだい?』

「別にどうもしないけど。一番最後の思い出として、記念に」

『私の名前を記念にされてもな――』

 彼女は小さく笑う。

苦笑いなのかもしれなかった。

「そう言えば、君が消えて、どうなるんだ?元に戻って、記憶はどうなるんだ?」

『さぁ――どうだろうね』

「適当だな」

『曖昧なんだよ。有耶無耶、かな』

 そう言って、また人を煙に巻く彼女。

 まぁ、いいか。

彼女とのこうした会話は慣れきったものだ。





「じゃぁ、終わらそうか」

『そうだね、始めよう』












 笑える世界。

 私が笑える世界――

 君が笑える世界――

 それは、誰もが望む世界なのだろうか。














『私の名前は――』













 彼女の言葉を聞いて、俺はそっと目を閉じて彼女の頭を撫でた。

柔らく、見えなくとも艶やかだと分かる毛並み。


 僅かに感じられた体重が、消える。


「最後に君の名前が聞けてよかった――」

 その言葉は果たして、彼女に届いていただろうか。

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