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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
52/56

22cm/s

 (あやま)ちとは、『過ぎる』という字を書き、それは『過去』を意味する。

それならば、過去は全て過ちとも言えるのではないだろうか。

 過ちが過去なのか、或いは過去が過ちなのか。

 千早が過去を壊し、左目が現在を壊し、楽座が未来を壊し――彼女らの過ちは今となっては過去だ。

それなら言い得ているのかもしれない。

 妙なことに、『未来』にもそれと同じように、逆説的な――矛盾を(はら)んだことが言える。

否定的な意味を保有する『未』を当て、『未だ来ず』と書く。

 来ないものが未来なのか、未来だから来ないのか。

前者にしろ後者にしろ、考えれば考えるほど難題で矛盾を抱えた命題だ。

 ならば。

 だとすれば。

 果たして、『現在』とは一体どんな矛盾を孕んでいるのだろうか。

そもそも、現在とはどこを指し、どの時点を示すのだろうか。

『今』から観測して一秒後を未来と呼ぶのなら、『今』を生きているとは、つまり未来を生きているとも言えるのではないか。

間断なく、刻々と進む時間の中で『たった今』を生きるということ、それは一体どういうことなのだろう。

 前述を前提として鑑みれば、過去も未来も――人生とは存外ネガティブなものなのかもしれない。

 ネガティブで、後ろ向き。

 未来も、過去も。

 誰もが夢見て、希望を抱く未来は『未だ来ず』。

 誰もが過ぎてきた過去は『過ち』。


「…………」

 なんだろう。

 皆が望む未来を彼女に願うつもりだったけれど、少しばかり思考をひねり過ぎたせいか、どんどん気落ちしてしまう。

過去も未来もネガティブなものなら、余計に誰もが望むような世界を願うことは難しくなってくる。

 いや、まぁ。

 考えすぎなんだろうけれど。

『未来は未だ来ず、言い得て妙だな。こうしている間に、一秒後は訪れるというのに。まぁ、誰も一秒後を未来とは考えていないだろう。それに、人の夢と書いて儚いと言うじゃないか。それと似たようなことじゃないか』

「まぁ……そうなんだけどね」

『お前がやってるのはただの言葉遊びだよ。言葉遊びにもなってないけど』

 彼女の辛辣な突っ込みに痛みを覚えつつ、公園の敷地内に入った。

 広大で強大な公園だ。

敷地を囲うように、等間隔で植えられた樹を潜り、綺麗に舗装された幅の広い一本道を真っ直ぐ進めば噴水のある広場に着く。

 広場。

 噴水。

 各々が愉悦に浸る――はずの公園。

 その姿は、もう、ない。

 この光景を見るのは二度目だけれど、やはりこれだけは慣れそうにない。

今まで散々、世界の変わり様を目の当たりにしてきて、しかしそれでも順応することができた。

対応することができた。

まぁ、不本意であったし、無意識の内だったけれど。

でも、この異様な光景は――異様だ。

公園に到着するまでの道中で見た、目を背けたくなるような現実も、どれだけの時間が経過しようが慣れることはないだろうと思う。

 時間が解決する、とは言うが。

 けれど、確かにこれは解決できない、そう思う。

まぁ、それを言うなら――時間が解決する、というのなら、それもまた的を射ている。

彼女に願うという点では、確かにこれは時間が解決することなのだろう。

 時間の逆行ではなく、零からの進行。

 零からのスタート。

 リスタート。

 まるでゲームみたいだと思う。

ゲームオーバー、コンテニュー、リスタート。

人生はゲームではない――セーブもコンテニューもできないから人生なのだ、なんて言葉をどこかで聞いたような気がするけれど、しかしどうだろう、セーブもコンテニューもできないからこそ、よりゲーム的ではないだろうか。

やり直すことのできない一発勝負、それこそゲーム的なギャンブルのように思える。

 人生とはそんなものだろう。

ゲーム性に富んでいるかはともかく。

ゲームのように劇的であるかどうかはともかく。

ゲームのように楽しい娯楽であるかどうかはともかく。

 人生は確かにゲームではない。

けれど、ゲーム的な人生であるとは言えよう。

 

『なんだ、不満そうな顔をしているな』

 心境を察したのか、彼女が言う。

「……どうだろうね。ただ、考えてみれば――と言うか、考えるまでもなく、君に願うことはつまり、リスタートすることなんだなって思っただけだよ」

『リスタート?』

「全てを白紙にして、戻して、新しくやり直すってこと」

『リスタートではない。それを言うなら、ニューゲームだろう。いや、まぁそれも当てはまらないのかもしれないが。それとも、強くてニューゲーム、かな』

「俺からすれば、どっちも同じだけどな。全てを一からやり直すってことも、新しく一から始めるってことも」

『やり直すということは元に戻るということじゃないか。全然違う、端から違う、最初から全然違う。停滞と進捗(しんちょく)くらい違う』

「真逆じゃないかよ」

 まぁ。

 確かにそれくらいの絶対的な差異があるのかもしれない。

一見同じようで、埋まらない隙間があって、間隙(かんげき)が存在して、空間が空いているのだろう。

『未来が壊れてから、日に日に町全体の――世界全体の活気が無くなって、人々がいなくなって、となるとそれは衰退と言えるのだろうね。いや、後退か』

 未来を失った人々。

 未来を失った世界、か。

 千早と左目が壊した過去と現在、それらに比べてこうも顕著に影響が出るなんて考えてもいなかった。

それを言うと、しかしどうして二人の場合、見てわかるほどの影響を及ぼさなかったのだろうか――いや、それは見えていないだけなのだろう。

 過去というのは、誰にも見えない。

語られることで、記憶という物体のないデータで証明することのできるものなのだ。

それならばやはり、見えないところで、見えていないところで――そして、誰にも気付かれぬまま、誰も気付かないまま、多大な影響があったのだろう。

 現在が壊れたことによって、周囲の環境が変化し、関係が崩壊した。

過去とは違い、それは目に見える甚大な影響だった。

そしてやはり、これもまた誰にも気付かれぬまま、誰も気付かないまま、あたかも当然のように世界は進んでいる。

いや、彼女の言葉を借りれば、世界は後退している、とした方がいいだろう。

 知っているのは、自分を含めた四人だけで。

 四匹だけだ。


 そして。

 これまでのことを知っているのは自分だけで。

 俺だけだ。


『まぁ短くない期間を共にしてきたんだ。最後くらい感傷的になってもいいかもしれないね。それとも、今の内に、と言った方がいいかな』

 平坦に彼女は言う。

 言葉とは裏腹な口調だった。

「そう言えば――」

 願いを叶えた後、彼女はどうなってしまうのだろうか。

 他の三匹の猫と同じように消えてしまうのだろうか。

そんな疑問が頭を過ぎった。

 それを言うと。

『私の他の三匹が消えたように、私もまたそうなる。消える、と言うより元の場所に帰るってことさ。いや、戻るかな。或いは、変える、かもしれないね』

 そう言って、煙に巻いた。

 全く、最後まで人を煙に巻いて、曖昧にして、有耶無耶にして――そんな彼女の口から核心的な何かを聞いたのは果たしてどれくらいだろうか。

少なくとも両手で余裕に数えれるほどだ。

 ふぅん、と適当に相槌を打った。

「そもそも、消えるってどういうことなんだ?本分を果たしたからとか、目的を達成したから、ってことなのか?」

『その通り、だと思う』

「……思う?」

『前に言っただろう。彼女らは私であって私でない。私の分身とも言えるが、私の干渉を一切受け付けない自律した私だと』

 ふむ。

 確かにそんなこと言ってたような。

『まぁ、それを言えば、願いを叶えた結果消えたのだから私もまたそうなのだろうさ』

「そっか」

 そう言われれば、確かに少しは感傷的になってしまいそうだ。

 センチメンタルになってしまいそうだ。

『なんだ、寂しいのか?私が消えると知って、寂しいのか?』

「そうだろうなとは思ってたけどな。まぁ、寂しくないってのは嘘になるけど。君の言う通り、長すぎると言ってもいいほど一緒にいたんだ、多少感情的になるのは違いない」

『……そっか』

「……お?何だよ、君が一番感傷的になってるようだけど」

『そういうのじゃないんだけどね。まぁほとんどお前と似たような気持ちだよ。寂しいというか、悲しいというか、けれどその中にも嬉しいとか、喜ばしいとも思う』

「嬉しい?」

『新たに世界が進むんだ、停滞していた世界がまた動き出す。狂った壊れた世界が生まれ変わる、それはとても喜ばしいことじゃないか』

「そんなこと言われてもわかるか……」

 けれど、確かに彼女の言うように、そうなのだろう。

 停滞していた世界が動き出す――その表現は的確なものだ。

『こんな世界になってしまのも、お前の周囲を破壊してしまったのも、人々の生活が崩壊したのも、私が原因でもあるからね。少しばかりの罪悪感はあるさ。まぁそれでも、責任感はないけれど』

 そこで彼女は小さく笑った。


 俺は笑わなかった。









        ◆







 思えば、あの時――()かれた黒猫を左目と一緒に埋葬して、およそ二週間にも(わた)る墓参りを経て、何を契機に、どんな経緯があってかわからないけれど、突然自室に彼女は現れた。

 それはあまりにも突然で、唐突な邂逅(かいこう)だった。

しかし、偶然なのかと言われれば、今考えればそれは必然的な出会いだったように思えなくもない。

 夢を見たのだ。

 彼女の夢。

 黒猫の、夢。

それは彼女が現れる前触れであり、世界が壊れる予兆でもあった。

同じくして、千早も左目も楽座も、夢を見て『猫』と出遭い行き遭ってしまった。

そして、願った。

 現れるべきところに現れた――そんな『彼女』の言葉はその通りの意味なのだろう、彼女らは辛い過去を抱え、黒い腹を抱え、暗い未来を抱えていた。

トラウマを忘却するため、現状を打破するため、現実から逃避するため、彼女らは願い、壊した。

荒唐無稽な存在に願うほど、頼ってしまうほどに追い詰められ、思い詰めていた。

 ならば、俺の場合はどうなのだろうか。

 それを言えば、この場合、俺の前に現れた理由は何なのだろうか。

彼女らが壊す世界を修復するため――なんて、そうなのだとしたら全く単純な話だ。

そんな役回り、別に自分でなくとも、誰でもこなすことができるだろう。


 けれど。

けれど確かに、誰にでも(まっと)うできそうな役割ではあるし、単純な役回りなのかもしれないが、それに関して言えば、俺には難しいことだった。

難儀である。

そのことを考えるだけで、苛まされる。

 誰もが望む未来を願う――今まで他人の未来など微塵も興味のなかった自分がそんなことを願おうとしているのだ。

願おうにも、どうすればいいのかわからなくなる。

 学校という小さな閉鎖的空間の中で、一つの集合体である『生徒』一人一人の未来など、自分だけでなく、本来は誰も興味を示さないのかもしれない。

町を行き交う『大衆』個人の未来など、それこそ誰が興味を抱くのか。

確かにそう考えれば、別に自分だけが特殊な思考をしているわけではないだろうし、むしろ正常であり一般的な思考なのだろう。

 しかし、だとしてもそれでは辻褄が合わない。

 尚更、矛盾しているのだ。

 『現れるべきところに現れた』、その言葉の真意は計り知れないけれど、少なくとも、現れるべきところは俺の前ではないと思う。

誰もが望む未来を願うことのできない自分の前に現れるべきではないのだ。

 しかし。

 それはつまり、他に現れた要因があるということを意味しているのかもしれなかった。


「考えてると、余計にそんなこと願えないよなぁ……」

『ほぅ?』

「誰もが望む未来だとか、そんなこと願える立場じゃないってこと。いや、立場って言うか、キャラって言うか」

『誰もが望む未来を願え、まぁ過言だったかもしれないね。そこまで悩むとは思わなかった、もっと軽く考えて』

「遅ぇよ!既に責任がどうとか、委ねられているんだけど!」

 世界がどう変貌するかどうか、そんな一大事に軽く考えるのもおかしいだろ。

 それはともかく。

「現れるべきところに現れた――それって確かに言い得ているよな。過去現在未来、それぞれに何かを抱えた三人の前に現れたんだから」

『それは私とお前でも同じことが言えるんじゃないのか?』

「誰もが望む未来を願う、そんなこと俺ができると思うのか?」

 その問い掛けに彼女は少し沈黙して、間を空けた。

『……ふむ、できそうにないな』

「…………」

 自虐的に同意して笑い話にでもしようかと思ったが、それはそれで傷つきそうだったのでやめる。

 いやまぁ、自覚はしているけれど。

『なら、誰かのために願えばいいんじゃないのか?それならお前も少しは気楽になるかもしれない』

「誰かのため……ねぇ」

『自分のためとか、三人のためとか』

 ふむ。

 そう考えるだけで、多少は気楽になるかもしれない。

『この場合、自分のために願うというのが最善かもしれないね。一番わかり易いだろうし、簡単だろう』

「自分のためか。まぁ……うん、そうかもしれないけど――」

『なんだ、歯切れが悪いぞ』

「自分のために願って、千早も左目も楽座も、結果悪い方向に進んでしまったからな。気が引けるって言うか、何と言うか。それにこんな世界になってしまったのに、三人を差し置いて自分だけが救われるみたいだし」

『どうせその後の記憶を持つのはお前だけなんだしいいじゃないか』

 どうせ。

 なんて投げやりな言葉なんだ、と突っ込みを入れようとしたところで、彼女は続けた。

出そうになった言葉を寸前で飲み込む。


『それか、私のために願う――とか』


 彼女の瞳が一層の輝きを増したように見えた。


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