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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
51/56

21cm/s

 翌日。

 翌日もまた、二十八日。


 また『あの手』の夢を見ていたような気もするが――しかし、どうも曖昧で具体的に思い出すことができなかった。

夢を見ていたような気もするし、見ていなかったような気もする。

とは言っても、夢は本来そういうものなのだろう。

見ているようで見ていないし、見ていないようで見ている。

覚えているようで覚えてないし、覚えていないようで覚えている。

 なんて。

 まるで禅問答だ。


『朝から何を難しい顔をしている、お前は。夢でも見たのかい?』

 その言葉に鈍った頭が覚醒する。

 重さをほとんど感じないといっても、胸の上に乗られると妙な圧迫感に襲われて息がし辛い。

気持ちの問題なのだろうが、息苦しい。

「……おもっ」

『何を悠長なことを言ってる。学校に行く時間ではないか。遅刻して、お前の恥ずかしい反省文を全校生徒に晒されたいのか』

「あぁ……え?」

 遅刻かどうかはともかく、恥ずかしい文章というのは納得できなかった。

これでも学年一位と二位を独占しているのだけれど。

 まぁしかし、遅刻するのはよくない――無断欠席、仮病で早退を繰り返す俺が言えることではないが、しかし、いずれにせよ遅刻云々関係なく、登校する気は初めからなかった。

今日は仮病で早退するのではなく、無断欠席だ。

なぜなら、今日もまた二十八日なのだ。

こんな状況の中でそれこそ悠長に登校するわけにもいかないだろう。

『そんなこと言ったところで、学校をサボって悠長に駄弁るのがオチじゃないか』

「…………」

 彼女の手痛い言葉を黙殺して、身支度をする。

身支度と言っても、登校するためではなく、単に外出するためだ。

単なる外出。

単なる散歩。

単なるそぞろ歩き。

目的などない、気の向くままに歩こうという魂胆である。

 まぁ。

 最後の二十八日くらいゆっくりしてもいいだろう。

次の二十九日を迎えるために気ままに過ごしてもいいだろう。


 最後。

 最後の二十八日。

つまり、彼女に願うことによって、二十八日が終わりを迎えるということだ。

そして、二十九日を迎えるということでもある。

 頭脳明晰と謳われた自分が何一つそれ以外に現状を打破する解決策を思いつかなかったのだ、最善策かどうかは別として、結果的にそう決断したのだから仕方がない。

いや、仕方がないとは言っても、それは望むべきことなのだから正しい判断なのだと思う。

 悪影響を及ぼしたとしても。

明日を迎えることができるのだから。

全てが白紙に戻ったとしても。

未来が訪れるのだから。

 しかし、未来を変える――新しく世界が変貌することに恐怖を感じないわけではない。

どころか、不安に駆られる。

明日の来ない、今日を繰り返す現在とそれを両天秤にかければ当然間違っていない選択だろうし、間違ったとしても現在よりかは遥かにマシだろう。

 永遠と今日を繰り返すか、或いは、どんな結果が待っているのかわからない『未来』か。

二者択一だとすれば、選択するのは間違いなく後者だ。

もしかすれば、絶望に満ち満ちた現在より酷い世界に変貌するのかもしれないけれど、それでも、願おう。

 千早、左目、楽座の前に現れたそれぞれの猫と、俺の前に現れた『黒い彼女』が同じようで異なる存在だと聞かされたが、それはそもそも叶える願いが違うからに起因する。

破壊と創造。

そのさじ加減はそれぞれの猫にあるのだろうか。

だとするなら、『彼女』が悪い方向に願いを叶えるとは思えない。

かと言って、不安を払拭するには不十分だけれど、まぁ、その点は訊いておくべきことなのかもしれない。

わけのわからないまま、願うわけにもいかない。


『え、さじ加減?そんなのできるはずがないだろう』

 即答された。

返答によっては不安が払拭されるかと期待していたが、どうやらそれは淡い期待に終わったらしい。

むしろ、より一層不安が増したように感じる。

『お前が願うことだ、それを言うなら、結果を左右するのはお前自身だよ。どんな世界になるか、誰もが望む世界になるのか、それを決めるのは他ならないお前だろう』

「なんでそんな重大な責任を負わなくちゃいけないんだよ……」

『いいじゃないか、さながら神様みたいで。新世界を作る神様みたいで』

「…………」

 笑えない冗談だった。

『お前が願えば誰もが望む世界に変貌するだろうし、逆に言えば、誰もが望まない世界にもなるということだ。けれど、私と出会った最初の頃にも言った通り、物理的な――具体的な願いは受け付けないよ。例えば、お金持ちになりたいとか、高級マンションが欲しいとか、外車が欲しいとかね』

「例えが金についてばっかりだな」

『当然、総理大臣になったら――っていうのも無理』

「いや待て、いつ誰がそんなこと願うと言った」

『総理大臣になって、ミニスカを正装とするのも、無理』

「いや待て、いつ誰がそんな法律を制定すると言ったんだよ」

 まぁ。

 まぁ、と彼女は話を戻す。

『お前が望む未来――お前が望む明日を願えばいいよ』

 俺が望む未来、か。

 簡単にそう言うが、難しいことだった。

他人の未来だとか、将来や夢とか、そんなこと気に留めたことなどほとんどないのだ。

皆無と言って等しい。

彼女らが世界を壊してから、ようやくそれについて考え出したくらいだ。

 過去が壊れ、他人の過去を知り。

 現在が壊れ、他人の現在を知り。

 未来が壊れ、他人の未来を知り。

考えに至ったのはそれからだ。

そんな自分が、誰しもが望む未来など願えるのだろうか。

そもそも、自分が望む未来、なんて大雑把にもほどがある。

勿論、人間なら誰しも夢を描き希望を抱き、未来を夢見るはずで、皆等しく願いの一つや二つ持っているけれど、この場合の願いと言えば、『彼女』の言うように具体的なそれではいけないというのが難しい。

 願うべき明日。

 願うべき未来。

果たして、正解は一体何なのだろうか。


「行くよ」

 自室のベットの脇に置いた時計が午前七時半を示す。

『お、おぉ……どこに行くんだ』

「願いを叶えに、だよ」

『……ん?別にお前が願えば場所なんてどこでもいいのだけれど』

「どこでもいいんだったら、別にどこで願おうが構わないだろ」

『学年一位の頭脳はひねくれた性格に由来することだったんだね。いやぁ驚いた、私もお前を見習えば学校で有名になれるのか』

「今まで出会った人の中で君以上にひねくれたやつなんて見たことないけどな。それに、有名じゃない」

『なんだ、遅刻の常習犯で校内では名前の知らない者はいないのではないのか?』

「恥ずかしい反省文で誰が有名になるか!」

 家を出て、変わり果てた――閑散(かんさん)とした住宅街を抜ける。

 誰一人、人っ子一人として見当たらなかった。

住宅から漏れる生活音や走行車の騒音、行き交う人々の雑音、何一つ聞こえてこない無音の町並みだった。

何一つ聞こえてこないのだから、当然、道中には誰もいない。

周囲を見渡せど、自分と『彼女』だけである。

殺風景と言うには足りない――閑散と言うにも足りない。

 昨日の寂れた公園でも感想を抱いたけれど、こんな異常な光景を目の当たりにすれば、まるで本当に世界に自分だけが存在しているような感覚になってしまう。

自分だけが、取り残されたような錯覚に陥ってしまう。

『これも、未来が壊れた結果が及ぼした影響だね』

「…………」

 大通りに出ても、状況に変わりはなかった。

(せわ)しなく行き交う走行車も、活気に満ちた人々もいない。

そんな時間の止まったかのような中で、信号だけが定期的に点滅を繰り返すのを見て妙な違和感を覚える。

 赤。

 黄。

 青。

 赤。

 黄。

 青。

 点滅して、赤。

 青。

『どうした、無言になって。別に心配しなくとも、この町並みも、世界も、全部変わるんだ。色々と思うことはあるかもしれないが、それもすぐに終わることじゃないか』

「……だな」

 そう。

 もうすぐ終わるのだから、感傷的になることではないのだろう。

何もかも、変化してしまうのだから、センチメンタルになることではないのだろう。

 けれど。

 もうすぐ終わるからこそ、複雑な思いを抱いてしまう。

寂れた町並みも、活気のない人々も――壊された過去も現在も未来も、今まで生きてきた十七年間も、終わる。

終わって、始まる。

 どうしてこんなことになったんだろう、なんて、今更になって後悔してしまう。

 どうしてこんなことになったんだろう、なんて、今更になって(かえり)みたくなってしまう。

後悔しても、手遅れなのに。

悔やんでも、悔やみきれないのに。

 突然、四人の前に『猫』が現れて、それから何もかもが変わってしまった。

 狂ってしまった。

そう考えれば、こうなってしまったのも『猫』のせいなのだろう。

『猫』さえいなければ――出遭うことさえなければ、こんなことにならなかったのかもしれない。

けれど、どうだろうか。

果たして、本当にそうだろうか。

過去が壊れ、現在が壊れ、未来が壊れ、町並みも人並みも環境も関係も、何もかもが壊れしまったのは確かに『猫』のせいなのかもしれない。

しかし、四人が散り散りになってしまったのは、本当に――『猫』のせいなのだろうか。

軋轢(あつれき)を生み、関係が破綻してしまったのは、本当に――『猫』のせいなのだろうか。

『猫』がいなくとも、結果は同じような方向に向かって進んでいたのかもしれない。

勿論、そうでないのかもしれない。

 現れるべくして、現れた。

 と言うのなら、それは言い得ている。

『猫』が現れるべき場所に――現れるべき人の前に現れた。

確か以前、『彼女』はそんな風に語っていたような気がする。

『猫』が叶える願いは、彼女らの願いでもあったのかもしれない。

 まぁ。

 今となって、真相はわからないけれど。

 少なくとも、『猫』が現れる以前から、俺たちはどうしようもないほど、歪んでいたのだろう。


『お、おぉ、おおぉぉ!』

「…………」

 大通りを進むと、見えてくるのはタイヤキである。

大きなタイヤキの看板を掲げた、露店。

『おぉ、おぉ!』

「…………」

 タイヤキ屋を目の前にして。

 目の当たりにして。

 通り過ぎる。

 通って、過ぎる。

『おぉ……』

「…………」

『って、おい!』

 露店から三歩ほど通り過ぎたところで、彼女は珍しく声を荒げた。

「……なんだよ」

『なんだよじゃないだろ。タイヤキが目の前にあるんだから一つや二つ買おうという気にはならないのか』

「ならないし、一つや二つじゃ済まない」

『そこにタイヤキがあるんだぞ、買わずしてどうする!』

「なんでそんなにタイヤキに必死なんだよ……猫なんだから鯛の方がいいだろ」

『これはタイヤキじゃなくて、鯛焼きだ。そう思えば買う気になるさ』

「ならない。と言うか、ほら――」

 と、三歩後ずさりして、露店を覗く。

覗かなくとも、わかる。

周囲を漂うはずの甘い香りがしないのだ。

 見れば。

 露店だけが存在していて、いつもの主人がそこにはいない。

いつもの、気前の良い店主はいない。

『…………』

「これも、未来が壊れた結果が及ぼした影響、ってことか」

 暫くの間、その場に固まって動かなくなった彼女はまるでぬいぐるみのようで、仕方なく両の腕で抱えた。

 



そして。











『焼きたいーー!!』










 と、腕の中で叫んだのだった。

 「タイヤキ」、続けて連呼すると、「焼きたい」に聞こえる――面白くもなんともない叫び声だった。

 そうこう遊んでいる内に、徐々に、姿を現す。

 徐々に、現れる。


 全てが始まって、全てが終わった場所。


 公園。

 ――いつの日か、黒い猫を埋葬した、公園。


 全てを始める――公園。



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