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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
5/56

4cm/s

「あの……えっと、良ければ、千早って下の名前で呼んでください」 

「…………」

「あっ、いや――下の名前で呼び辛かったら愛称でもいいんですけど……ちは、とか、ちはやん、とか」

「…………」

「で、で、でもいきなり名前で『呼び合う』なんて、いくらなんでも突然過ぎますよね……まだ会って間もないし」

「…………」

「僕こんな顔だし、女の子みたいだし、体も小さいし。友達って一人もいないんです。だ、だけど、千尋くんが友達になってくれて本当に嬉しいんです!」

「と、と、友達っていうか、ぼ、僕としてはそれ以上に、も、もう少し近づきたいとか、お、思ってるんですけど」

「嫌ですか?」

「そうですよね……突然家でお話がしたいとか言っちゃったし、こんな僕が誰かに好かれるとか有り得ないですよね」

「僕のことを好きになってくれない人は嫌い。でもそれ以上にそんなことを思ってる自分が嫌い。僕は僕が嫌い」

「僕も誰かに好きになってもらいたいんです……でもそんな人誰もいない。だ、だから、千尋くんがこうして僕を部屋に入れてくれたことが、本当に――本当に嬉しいんです」

「あ、あの……僕だけ喋ってるけど、い、嫌じゃないですか?」

「嫌だったら、喋るのやめ、ます――」



 そして、何故かこの状況である。

 ボーイズラブ的な展開である。

謎過ぎる。

一体全体どうしてこうなってしまったのだろうか。

いささか迂闊(うかつ)な行動を取ってしまったのかもしれない。

彼がこんな人種だと、誰が想像できただろうか。

男だからと言って、部屋に入れたのは早計だった……。

 勝手に下の名前で呼び合うことになってるし。

勝手に友達になっちゃってるし。

挙句の果てに友達以上の関係を望んでおられるようだ――やばい、これは非常にやばい。

危険を感じる。

何か失ってはいけないものを、失う気がする。

 


 いくら見た目が女の子だからと言って――。

だからと言って――。

か、可愛い。

落ち込む姿も可愛いかった。


 

 ともかく。

 閑話休題である。

 千早が暴行しそうなまでに剣呑な様だったので、左目がいなくとも間を割って仲裁する他選択肢はなかった。

先とは正反対の光景で、戸惑いと疑問を覚えつつ。

まぁ仲裁とは言っても、怒り狂う彼の背後から「おい」と声をかけただけで、別に『彼ら』の変わりにぶん殴られるようなことはしなかったけれど。

今度はどうしてか俺が彼を止める破目になり、そして自宅が近所だということを告げると、どうしてかお邪魔したいと言われ、結果、気まずい沈黙が続いている。

沈黙しているのは俺だけで、彼は遠慮がちに話すくせに、勢いだけは凄みがあった。

 目を左右に動かしながらも、時折緊張のせいか声を上ずらせながらも、息もつかず一方的に語りかけるのだった。

何か質問してきても、その返答を待つことはなく、自己解答してネガティブに結論を導いていく様は左目とは対照的な性格だと感じた。

人見知りなのだろうが。

特に内気ではないらしい。

むしろ、積極的だと思った。

しかしまぁ、普段人と会話をしないのか、いささか奇妙な積極的さ、だったが。

いや、どうだろうか。

もしかしたら彼は、他人の意見を聞くことが怖いのかもしれない。

沈黙が怖いのかもしれない。

 いつも虐められて、やり返して。

そんな日常を過ごしているのだろうか――

 

 そんな千早を見て黒猫はけらけらと可笑しそうに笑った。

どうやら彼女の姿や声は俺にしか認識できないらしい。

それもそうだろう。

いや、そうでなくては困る。

こんな常識外の存在が周知の事実にでもなれば、周囲からどんな目で見られるか。

いやまぁ、どんな視線を感じたところで、そんなことどうだって良いのだけれど、悪い噂が広まることは良しとしない。


『お前、美少女じゃなくて美少年が好きだったのか?あははは』

 うるせぇ!と、怒鳴りたい気持ちを辛うじて押さえ込んで、俺はようやく彼に対して口を開いた。

「で、俺にはよくわからないんだけど、復讐?」

 今まで彼が有無を言わさず語りかけてきたことは全て触れないでおこう、と思った。

まぁ名前で呼ぶくらいならしてもいいか、男同士だし。

なんて、そんな風に思ったところで。

「復讐と言えば格好つきますけど、そうじゃないんです……」

「ふぅん?」

 さっきまでの様子とは違い、妙に落ち着いている。

神妙な表情が伺えた。

「虐められた彼らに復讐したんじゃなくて、それは誰でも良かったのかもしれません――」

 これは意外な回答だった。

どうやら俺は彼に対する認識を少々誤っていたらしい。

いや、虐めを受ける被害者のことを誤解していた、と言った方が良いだろう。

幼少期からそんな経験がない自分にとって、加害者の心情や被害者のそれも想像でしか語ることはできなかったけれど、反撃できる被害者もいるんだなと思った。

被害者は加害者に憎悪を抱きはするものの、抵抗できずにその刃を自らに向けるものだと勘違いしていた。

実際、虐めの被害を受けた生徒が加害者を殺害するという例より、被害者が耐え切れなくなって自殺するというケースの方が圧倒的多数だ。

それを(かんが)みれば、彼の取った行動は少数派の異質なものなのだろう。

まぁ彼の場合、復讐とはまた違うのかも知れない。

恨み辛みを誰彼構わず発散しただけのようにも捉えられる。



「いつも虐められてるって言ってたけれど、それと同じようにいつもこんなことをしてるのか?それに、やり返しているんだったら虐め自体少なくなっていくと思うんだけれど」

「いつもではないです。けどたまに、我慢し切れなくなってしまうんです。な、なので普段は本当に虐められているだけなんです」

「ふぅん、でも対抗する力があるなら自己防衛も可能だろ?何でしないんだよ」

「暴力とか、虐めとか、好きじゃないんです……」

「自分が虐められても?」

「……はい」

 どうやらこれは非常に難しい問題のようだった。

虐めの存在を認識しているのにも関わらず、それを肯定している。

自己防衛手段を持っているのにも関わらず、それを良しとはしない。

唯一あるのが、我慢と溜まったフラストレーションの発散行為。

 虐めにおいて、『それ』を認識することが非常に重要らしい。

他から見て、明瞭(めいりょう)な虐め問題だとしても被害者がそれを認知しないと虐めではなくなる。

勿論、過度な虐めは場合よって、強制的に加害者を処罰することも可能なのだろうが、一般的な虐めは陰気で陰湿なものだ。

そんな事態は数少ない。

これは虐待問題とも似ていて、それも虐め同様、認識しなくては程度の低い場合問題にはならない。

そうなってしまえば、警察も動くことはできないし、そういった施設や団体も黙認しなくてはいけなくなるようだ。

まったく、なんて世界だ、と思う。

事実を黙認しなくてはいけないという社会は、いささか狂っているようにしか思えなかった。

 これが現実。

夢のような狂った現実だ。

「そもそも、どうしてお前は虐めを受けているんだよ。それを容認しているってことは理由もわかっているんじゃないか?被害者に責任があるって言うのは同意しかねるけど、理由はあるだろう」

「…………」

 と、千早は『お前』と呼ばれたことに少し驚いた顔を見せて黙秘した。

まぁ、今日会ったばかりのやつに詳細を簡単に教えるほど、距離が近いはずもないか。

それもそうだろう。

自分の秘密を他人に明かすという行為はリスクがあるだろう。

そういうことは全て、信頼とか信用とか、その上で成り立つのだから。

 けれど、ならどうして彼は俺に対してこうも積極的なのだろう、という疑問が浮かぶ。

虐めを仲裁したから、という理由が大きいのかも知れないが、それはどうやらあまり意味のない行為だったようだし。

結果的にこうして、彼は虐めた『彼ら』に復讐することになったのだから。

俺と左目が介入したことは無意味だったのだろう。

そう考えれば他に思い当たる理由がまるでない。

皆無だ。

俺の覚えていないところで、恩義を売ったという可能性があるわけでもなさそうだ。

彼がほぼほぼ初対面である俺に対して友達と言った意味も。

よく理解できなかった。

友達が一人もいない、と明かした理由も。

「あぁ、いいよ、言いたくなかったら。プライベートとか秘密とか、もっと言えば未来とか過去とか、そういうのって自分だけのものしといた方が良いと思うから」

「あ、いや、言えなくはないんですけど……」

 千早は再び瞳を左右に素早く動かして続ける。

「で、でも……理由を話せって千尋くんが、そう、言うのなら――」

 あぁ、と思った。

 そういうことか、とも思った。

納得して、合致した。

 千早は別に俺のことを友達とは思っていない。

恐らく彼は、加害者の一人だと認識している。

友達という言葉や、名前で呼び合うとか、友達以上の関係になりたいとか、それらはきっと――いや、それらもきっと防衛手段の内の一つに違いない。

虐められないための防衛手段。

復讐しないための防衛手段。

息も吐かず、有無を言わさない言動は相手に本心を悟られたくないから。

軽々しく初対面の相手を友達を言って見せたことは虐められたくないから。

嫌いな暴力で反撃したくないから。

挙動不審な仕草は人見知りや緊張に起因しているわけではなく、虐められるのが怖いから。

虐められた時、嫌いな暴力で反撃してしまうのが怖いから。

耐え切れなく、暴力に走る自分が嫌いだから。

自室に招き入れてくれて嬉しいと言ったのは本音ではなく、そう言わないと虐められる可能性があるから。

自分から話がしたいと誘ったのも、先とは対照的な現場を目撃されて、虐めの危険性を恐れたから。

 そんな――。

そんな風に察した。

察してしまって、同情した。

学校内で彼が虐められていて、それを仲裁した時、少なくともその瞬間は哀れみを感じて助けたわけじゃないと、そう断言できるけれど。

今はそうじゃない。

彼に同情して、哀れみを感じて、怒りを覚えるほどに悲しかった。

それは彼の言動が全て偽物だったという理由ではなく、他人を信用できない姿や自己嫌悪に陥る様を見て、切なくなったと言った方が正しいだろう。

手遅れで、異常だ。

思考回路が最初から常人のそれとは違うのかもしれない。

 けれど、彼の嘘っぱちな言葉の中にも本音は混じっている。

気持ち悪いくらいにネガティブで、マイナス思考だけれど、少なくとも友達が一人もいないということは事実だろう。

そして、他人から好かれたいという願望もまた――。

好意を持って欲しいと、抱いて欲しいと。

それが彼の唯一の積極的な一面なのかもしれない。

 だから。

だからこそ、それを正そう。

加害者ではないという訂正は信頼を得られていない今、意味を成さないだろうが、それとは違う。

素直に虐めたりなんかしない、なんて言って見せたところで、誰が信じるというのだ。

虐められることに慣れきっていて、被害者であることが常で、周囲の人間が皆等しく加害者に見えてしまう彼に対して訂正を入れるなら一つ。

たった一つだけだけれど、教えてあげることにした。

生憎、友達が少ないのは俺も同様だったけれど。



「誰かに好かれたいっていう気持ちは確かに正しいと思うよ。けれど、誰かを好きなるってことの方がもっと正しいんじゃないか?」

 千早は突然の言葉に目を大きく開いた。

「でも他人を信用しないお前が、誰かに好かれることはない」

 と、力強く、きっぱり言ったところで、千早は右目の長い睫に涙を浮かべた。

 言い過ぎても大丈夫だろう、と思った。

最初から他人のことを加害者としてしか捉えていない彼にとって、俺もまたそうなのだから。

強い言葉を放っても。

痛烈な言葉を口にしても。

こちらとしては、失うものなど何もない。

「それはつまり、万が一にも百歩譲ってお前が誰かを好きなった時が来ても、お前は誰かからも好かれないってことだよ」



『お前、美少年が好きじゃないのか?言い過ぎだろう』

 と、猫の不安そうな声が聞こえたが構わず続ける。



「虐めに慣れてるんだったら、信用した人に裏切られて、それで虐められても同じだろ」

 自分で言っておきながら、これは虐めを受けている被害者に言うべき台詞ではないな、と思った。

けれど。

火傷するほど熱いお灸を据えるのも必要だろう。

熱が入ってきたせいか、途中からは怒りに任せて意気地なしを叱咤(しった)する感覚になっていたけれど。

「お前の秘密は別に知らなくても平気だし、虐められている理由もどうだっていいけれど――俺は友達と思っていない奴を部屋に入れたりはしない」

 と言ったところで。

千早は小さな雫を左目を覆った眼帯の向こうから流したのだった。

頬を伝って。

正座する彼が握った手の上にぽつり、と落ちた。

「偶然にも、俺の部屋に入った友達はお前が初めてだよ、千早」

 と、我ながら恥ずかしい台詞を吐きつつ嘆息して、隣に座る黒猫を見つめた。

どうやら『にゃぉん』と鳴く声はどうやら彼女のものらしい。

甘えた声を出す彼女の頭を撫でてから、俺は千早の手を掴んで立ち上がらせた。

 涙は止まったらしい。

けれど、可愛い顔が見るに耐えないほど、鼻から粘着性のある液体を垂れ流していた。

最早、このおびただしい量は鼻水の域を超えているが。

それは見て見ぬ降りをして。




「左目を呼んでタイヤキを食べに行こう。尻尾は口直しらしいから、最後に食べろよ」

『タイヤキ!私も行こう』

「甘いものは好きじゃないんですけど…」

「それ言うと千早に虐められるぞ」




 被害者と加害者の関係は一歩前に進んだようだった。

きっと友達想いの左目も彼のことを受け入れてくれるだろう。

 結局、ボーイズラブにはそぐわない展開になってしまったけれど、それはまぁ僥倖(ぎょうこう)と言っていいかもしれない。

後々の不安が胸を駆るが、未来のことなんて誰にもわからないのだから。

素直に、新しい友人が一人増えたことを喜ぶとしよう。




『今後のボーイズラブに期待だな』



 なんて。

そんな風に。

この時は誰もがそう思っていた。

いたけれど――。

 

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