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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
48/56

19cm/s

『お前は弟のことなんて何もわかっていない。わかっていないし、わかろうともしていない。弟だけのことじゃない、彼と同じ境遇に位置する人のことを何も、理解していない』

 楽座は沈黙していた。

沈黙しながらも、彼女の言葉に耳を傾けていた。

『弟は自分の命が残り僅かだということを知りながら、必死に生きていたんじゃないのか?明日を、生きていたんじゃないのか?』

 彼女は続ける。

 徐々に凄みを増しているというか、どこか怒っているようにも思えた。

 少女の細い声が、語る。

『圧倒的多数が、当然のように明日が来ると思って生きている。日が沈めば昇るように、自然の摂理と同じように、明日が来ると思っている。いつ最期が訪れるかわからない中で、誰も、明日まさか自分が死ぬなんて思ってもいないんだよ。けれど、お前の弟は違うだろう。違うから、明日を生きたいって心から願ってたんじゃないのか』


 彼女の言葉を聞いて、どうしてそんなことがわかるのか、なんて藪から棒な質問を投げ掛けるわけにもいかず、正直、どうしたらいいのか困惑した。

相槌の一つや二つでもするべきなのだろうが、それすらもままらない空気だった。

 反応を示す余地もないまま、沈黙して、目の前で虹を描く噴水をじっと見つめる。

当然、遊んでいる子供や家族はいない。

いつものように、(せわ)しなく公園を行き交う人々もいない。

まるで世界に二人だけ取り残されたような――二人と二匹が取り残されたような、そんな気分になる。

取り残されたと言えば、世界が壊れても尚、それ以前の記憶を保持しているのだから案外的を射ているのかもしれない。

『限られたとは言え、僅かな猶予の中で明日にくらい希望を抱いてもいいんじゃないかい?』

「…………」

『足掻いてもどうにもならないことはある。どうしようもないこともある。ただ最期を待つだけの身だとしても、私は明日くらい自分らしく生きたいと思うよ』

 珍しいと思った。

と同時に、意外だとも思った。

彼女の口からそんな言葉を聞くことができるとは思っていなかった。

けれど、意外性はあったものの、不釣合いではなかった。

どこかロマンチックで、くさい言い回しだったが、似合わないとは感じなかったし、むしろ、儚げな細い声も相乗して、胸の内に響くものだった。

生憎(あいにく)、姿は猫だけれど。

 私らしく生きたい、か。

 彼女の言葉を心中で反復して、ふと思う。

いやまぁ、言葉の綾なのだろうが、それを言うと彼女自身が楽座の弟と同じ境遇のように聞こえてしまう。

しかしまた生憎、その言葉とは裏腹に姿は猫なので、理解と認識に酷く差異が生じてしまう。

間隙(かんげき)というか。

懸隔というか。

 まぁ。

 しかし、楽座を探すことに意味はないと言っていたのは何だったのだろうか。

こうして楽座を目の当たりにして、言いたいことを言い放っているように見受けられるが。

 あぁ。

 それはつまり、そういうことか。

 彼女に願うことによって、全てが変化する、ということに繋がっているのか。

彼女に願えば、俺たちの関係は勿論、環境も含めた何もかもが変わる――楽座に何を言ったところで、現状を打破することはできないし、それこそ意味など皆無ということなのだろう。

もっと言えば、千早と左目のことも無意味だということだ。

千早の黒い本音を聞けたところで。

左目の狂った愛情を知ったところで。

彼女に願えば、失われる――白紙になる。

 ならば。

 それこそ、今まで『時間』が壊れた度に奔走(ほんそう)してきたことなど無意味で、徒労だったということになるのではないだろうか。

 何と言うか。

考えるだけで、どっと疲れが増すような気がする。

今までの行動は何だったのかと思わされる。

まぁ、無意味も甚だしいことだったと言われればそれまでかもしれないけれど、確かに得るものはあったのだ。

結果的に、軋轢(あつれき)を生んでしまった。

 やり直しが効くのなら。

活かそう。

いや、彼女の言葉で言えば、元に戻るのではないのだから、やり直しではないか。


 また新しく、創ろう。


『お前は優秀だよ、しっかり自覚しているのだから。弟のためではなく、自分自身のためだと。けれど、それは本当にお前自身のためになったのか?昨日と同じ苦しむ弟を見て、お前はそうまでして今日を繰り返したいのか?』

「…………」

『大切な弟とずっと一緒にいたい、その気持ちは理解できるよ。けれど、お前が本当に望むべきだったのは、弟と一緒に明日を生きたい、ということだったのではないか』

「怜也と――」

『お前は弟のためにも、未来を壊すなんて望むべきじゃなかったんだよ。望んじゃいけなかったんだよ。病が弟を殺すというのなら、その前にお前が弟を殺しているじゃないか。弟の希望を奪って、未来を奪って、殺しているじゃないか』

 彼女の辛辣(しんらつ)な言葉に、つい息を呑んでしまう。

 ごくり、と。

生唾を飲み込んでしまう。

『弟は誰より、明日を望んでいる。それは、お前が一番理解してあげなければならないことだったんだよ。圧倒的多数がそう思わない中で、弟はお前に教えていたのかもね』

 彼女は言う。

声調が少し変わった、柔らかい優しい声で言う。










『明日を生きて欲しいって――』









 その言葉は胸を締め付けるように痛いものだったけれど、同時に、心にぐっと込み上げて来る熱いものを確かに感じることができた。

「ごめん、怜也――」

 と、小さく声を漏らした楽座は小さな雫を目尻から流すのだった。


 光が反射した噴水の吹き上げる水飛沫のように、彼女のそれは(まばゆ)い光を(まと)いながら握られた拳の上に落ちた。












        ◆












 楽座に連れられてやってきたのは公園からさほど遠くない病院である。

近隣の住民なら誰しもが一度利用したことのあるそれだ。

 そして、ここは千早が入院する場所である。

 過去が壊され、楽座が千早を追った後、不慮(ふりょ)の事故による転落により命に別状はないものの、全身打撲やら骨折やらで現在も入院中だった。

 そして。

 そして、楽座の弟が数年に亘って過ごしている病院でもあった。

 聞くところによると、弟の見舞いは最早惰性で、泊まることは勿論のこと、病院から登校することも珍しくないらしい。

下校後は当然、祝日もまた弟と過ごすと言う。

けれど、病室に泊まることはあっても、長い時間滞在することはないそうだ。

果たして、一体全体どうしてか。

日に日に弱っていく弟の病状が辛い、というわけではなく、そんな病態の中でも健気に未来や将来のことを楽しそうに語る姿を見て居た堪れないということの方が大きいらしい。


 最期を迎える覚悟はしていた。

 ――つもりだった、と言う。


 しかし、その病院にどうしてやって来たのか、それはわからない。

と言うのも、何も聞かされないまま、「ついて来て」だった。

何を訊いても、「ついて来ればわかるから」だけだった。

 まぁ、病院に近づくにつれ、弟のことだろうとは推測することはできたけれど、それが一体どうして赤の他人である自分が同伴なのかという疑問を解決するには至らなかった。

至らないもなにも。

かなり気が退ける。

まるで恋人の両親に挨拶をしに行くような気分だ。

いや、そんなことしたことないんだけれど。

 とにかく。

 言われるがまま病院に到着するや否や、楽座が開口一番に言う。


「あなたは別に何も話さなくていいから。黙って隣にいてくれたら、それでいいから――」

「……ふぅん?」

 適当に相槌を打ちながら、エレベーターに乗る。

 楽座の言葉の真意はわからなかった。

けれど、特にそれについて疑問を投げることはせず、黙々と楽座の後を追うように長い廊下を歩いた。

 歩いて。

 立ち止まって。

 一室の扉の前で、立ち止まる。

「ここが弟の病室か?」

 と、迂闊に質問を投げ掛けてしまったが、訊くまでもなく、病室表札には『楽座 怜也』と明確に記載されていた。

 弟が入院している病室が個室だということは言うまでもなく、それはきっと話に聞く通り重病を患っているからなのだろう。

楽座が病室に泊まるほどなのだから、尚更、当然、個室だ。

 個室の扉を楽座が開ける。

 ゆっくりと。

音もなく、滑らかに開かれた扉の先にはベッドに仰向けで横たわった弟――楽座 怜也が呼吸器を付け、体中からいくつかの管が伸び、安らかに目を閉じていた。

安らかに、と言ってしまえば、まるでそれは死後であるかのように聞こえてしまうけれど、そうではなく、しかし、一目でわかるほどに弱々しい体躯と顔色に、それはまるで本当に永遠の眠りについているかのように思わされた。


「怜也――」

 と楽座が掛けた小さな言葉に反応して、弟は目を覚ます。

「あぁ、お姉ちゃん、おかえり……」

 酷く、弱った声だった。

弱々しい体躯から発せられる、弱い声だった。

 そこで楽座から視線を外した彼がこちらを向く。

体は起こさず、首を曲げて視線を送る。

「……えっと、誰、ですか」

「あ、あぁ、俺は楽座の――」

「私の彼氏だよ」

 何も話さなくていいと言われていたけれど、さすがに質問には答えようとしたところで、楽座はそれを強引に遮って言った。

 彼氏、だと。

 私の彼氏、だと。

冗談が過ぎる発言だったが、俺は否定も肯定もせず、沈黙する。

「え、お姉ちゃん、彼氏いたの?」

「前に紹介するって言ったでしょう。あぁ、あの時は友達って誤魔化したけど。うん、そう、最近できた彼氏――」

「そっか、よかったじゃん……」

「怜也にもできるといいね。かっこいいんだから、きっと、できるよ」

「できないよ、もう……」

 未来を失った彼は――明日を失った彼は、希望を持たない。

それを目の当たりにして、ようやく、理解する。

「そう言わないでさ。怜也に彼女ができたら、四人でデートしようよ。きっと、楽しいから」

「楽しい……?それのどこが楽しいの?」

「えっと――」

「お姉ちゃん、もういいんだよ。無理してそんなこと言わなくても。自分でわかるんだ、そんなこと、もうできそうにない……」

 楽座が未来を壊す以前のことについては知らない。

 楽座が未来を壊す以前の弟については知らない。

だから、彼の諦めに満ちた表情と物言いが本来のそれなのか、それとも未来を壊した結果が与えた影響なのか、それは定かではなかったけれど、きっと後者なのだろう。

楽座と『彼女』の話を聞く限り、少なくともこんな絶望に満ちた――生きるのを諦めた雰囲気ではなかったのだと思う。

 そう思うから、辛い。

 楽座が自分のために未来を壊した結果、自分自身の首を絞めてしまったいることが辛かった。

それ以上に、『彼女』の言葉を借りて言うなら、弟を殺してしまっていることが何より辛かった。

 

 限られた僅かな時間の中で、明日を一生懸命生きようとした弟。

 遠くない最期が訪れるまで、希望を持ち続けた弟。

 快復を信じて、夢を描いた弟。

そんな弟を、楽座は殺した。


 『彼女』の辛辣な言葉は正しいとも言えるのかもしれない。




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