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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
47/56

18cm/s

「隣、いい?」

 突然にも過ぎる楽座の登場に度肝を抜かれつつ、彼女は返答を待たず、そう言いながら当然のようにベンチの隣に腰をかけた。


 楽座 怜那。

彼女が願った結果、『明日』は壊れ『今日』を繰り返すことになった。

今日という、二十八日。

明日という、二十八日。

 そう言えば、と当初の目的を完全に見失っていたので、彼女の登場は願ってもいないことだった。

まさか、タイヤキを買って、誰もいない公園で駄弁(だべ)るなんて自分自身思ってもいないことだったけれど。

 ともかく。

 兎に角。

 そんな僥倖(ぎょうこう)とも言える楽座の出現により、忘却の彼方にあった目的を想起する。

昨日、今日――同じ二十八日を、彼女を探すべく走り回ったのだ。

 『昨日』と全く同じ町並みを見ながら。

 『昨日』と全く同じ人並みを見ながら。

 『明日』も全く同じものを見ることになるのだろう。

けれど、その点で言えば、そんな中でも唯一変化していることはあった。

同じ二十八日でも、昨日は確かにここにあった公園で過ごす人々が今はないのだ。

それは『明日』を失った結果、ということらしいけれど、それならばこの先、二十八日が繰り返されれば今以上に活気を失った町に変化するということなのだろうか。

 それは考えたくもないことだった。

 そんな壊れた世界に変わってしまった原因が楽座にあるのと同時に、『彼女』にもある――そんな二人を責めようと思っている自分がいる。

それは、本当に考えたくもないことだった。


「自分で願っておいてこう言うのもおかしいけれど、どうしてこんなことになってしまったんだろう……」

 楽座は眉を曇らせたまま言う。

「こんなつもりじゃなかった、なんて今更そんな言い訳はしない。確かに、私は願ったんだと思う。猫に、『彼女』に――」

「それは弟のため、か?」

「…………」

 楽座は沈黙した。

 俺が弟の存在を知っていたことに少々の驚きは見せたものの、どこか納得したように口を閉ざす。

頭の良い彼女のことだ。

思考を巡らせれば、どうして俺がそのことを知っているのか、なんて疑問はすぐ解決するだろう。

「違う、かもしれない。いや、弟のため、なんかじゃない」


 全部――

 全部――


「――私自身のため」

 私のエゴ、と楽座は付け加えた。

「あんなに猫のことが憎かったのに、私はそれでも、願ってしまった……」

「自分自身のため、か」

 千早も、左目も、そして楽座もまた利己的に、身勝手に、自分自身のために願ったということか。

俺たちの関係を絶った憎い猫に(すが)るほど、追い詰められていたのだろうか。

 追い詰められて。

 追い詰められて。

 追い詰められた結果、願ってしまった。

「弟のためじゃなくて、楽座自身のためって一体どういうことなんだ?」

「弟は――怜也は助からない……。難病を発症して入院して、もう数年になる。治らないのよ、弟の病気は。後は短い余命を狭い病室で過ごして、死ぬのを待つだけ」

 楽座の直接的な物言いが余計に痛々しく思えた。

痛々しくて、返すべき言葉が見つからない。

 けれどそんな物言いは、楽座が長年に(わた)ってしてきた覚悟の表れでもあるのかもしれなかった。

覚悟。

弟の最期。

それを受け入れているからこそ、覚悟しているからこそ、残酷になれるのだろう。

 しかし、そんな残酷な未来を覚悟しているにも関わらず願ってしまったということは、つまり、どういうことなのだろうか。

「怜也が遅かれ早かれ死ぬ、そのことはもう随分昔から言われていたことだった。いつでも覚悟しておくように、なんて担当医から耳にたこができるくらいに言われた」

 けれど、と楽座は続ける。

「いざこうして、怜也の命が本当に危ないってなると、怖くなった……覚悟は、できていなかった。だから、これは私自身のため。私の、現実逃避――」

「……今日を繰り返せば、明日が来なければ、弟が死ぬことはないってことか。いつまでも一緒にいられる。未来が来なければ、いつまでも弟と一緒にいられる、か」






「明日なんて、一生来なければいいのに」





 と、楽座は風に煽られる木々の音に掻き消されそうなくらい小さく呟いた。

その言葉を聞いて、何も返すことができなかった。

 それもそうだ。

 繰り返される二十八日――明日を迎えない『今日』を望んでいる楽座に対して、今まさに明日を迎えるべく彼女に願おうとしている自分が果たして一体どんな言葉を返せるというのだ。

 彼女に願うということは、つまり、楽座の願う『今日』が終わるということ。

 彼女に願うということは、つまり、楽座の願わない『明日』が始まるということ。

 楽座を責め立てるつもりや、(なじ)るつもりは毛頭ないけれど、それ以上に、同意するつもりも更々なかった。

どころか、楽座の懇願にも似たその言葉を心の中できっぱりと否定している自分がいる。

否定して、反論しようとしている自分がいる。

 楽座のことだ、未来を壊したことで与えた甚大な影響は聞くまでもなく理解しているだろう。

 それでも。

それでも、弟と共にいたいという想いが強いのだろう。

 楽座の気持ちが理解できないというわけではない。

むしろ、十分に理解できる。

嫌なほど、わかる。

けれど、ここで楽座の気持ちに同意するわけにはいかない。

 だからこそ、俺はここで反論しよう。

例え、楽座の同意が得られなくとも、例え、敵対したとしても、だ。

 



 けれど、その決意は(むな)しく、彼女の言葉によって遮られた。



 彼女。

 


 『彼女』。





『明日が来なくていいなんて、よくもまぁそんなことが簡単に言えるね』

 間に俺を挟んで、彼女は言う。

その言葉は勿論、楽座に対してのものだ。

『明日が失われた結果、未来が崩壊した結果――この公園を見て何も感じないというわけではあるまい。公園に辿り着くまでの人並み、町並み、全てが昨日と同じだ。けれど、同じようで実際は違うよ。未来を失った人々が最終的にどうなるかは見たことないが、そんな地獄みたいな世界、それこそ誰も見たくないだろう』

「…………」

 俺にとっても楽座にとっても、彼女の反論は意外で、目を見開いた。

『繰り返される二十八日で、お前はすでに重大な欠陥に気付いているんじゃないか?お前の願いの最大の落とし穴に』

「落とし穴……」

 楽座は彼女の言葉を反復する。

『学校をサボって弟のいる病室で過ごしているんだろうが、どうだ。未来を壊してしまった後の弟の反応は。明日が来ない――永遠の今日を生きる弟の反応は』

「…………」

 沈黙。

楽座は肩を大きく上げて、下げる。

 そうだ。

 そうなのだ。

明日の来ない現在(いま)、疑いながら何度も目にしてきたじゃないか。

同じ風景を。

同じ町並みを。

同じ人並みを。


全く同じ、人を。


 勿論、行き交う人々全ての行動を逐一記憶しているというわけではないけれど、少なくとも学校の教員の対応、クラスメートのざわつき、全てが昨日と同じだったではないか。

昨日も、一昨日も、一致していたではないか。

それは二十八日が繰り返されていることを意味しているのだろうが、それなら彼女が言うように、楽座の弟は一体どうなのだろうか。

いや、疑問に思うほどではない。

 そうなのだ。

 楽座は、繰り返される二十八日の中で、繰り返される弟の姿を視認しているはずなのだ。

昨日と同じ弟。

一昨日と同じ弟。

そして、明日もまた同じ弟。

 同じでなかったとしても、それなら考えられるもう一方は、絶望した弟。

未来を失った弟。

明日を失った弟。

明日が来ない弟。

 そういうことになるのではないだろうか。


「そうですね……あなたの言う通り、昨日も今日も、怜也は同じでした。呼吸器をつけて、苦しみながらも健気に話しかけてくる――」



 それでも。






 それでも。





「――構わない。痛々しい怜也を見るのは辛いけど、それでも――」

『弟は――』

 彼女は楽座の言葉を途中で遮って言う。

 暫しの間を空けて、言葉に強みを加えるように、言う。

『弟は、何か話しているのかい?』

「……何か?」

 彼女はさらに間を十分取る。










『弟は、楽しそうに、未来のことを語るかい?』










 その言葉は、楽座を沈黙させた。


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