17cm/s
新しい世界だとか、そんな冗談でなくとも信じ難い話を流暢に、それも淡々と告げる彼女を横目にため息にも似た深呼吸を吐く。
信じ難いと言っても、きっとそれは事実なのだろう。
事実であり、彼女が他の猫と違うという真意はそこにあるのだろう。
しかし、説明するような彼女の饒舌が逆効果にも、胡散臭く思わせた。
だからと言って――信じ難いとか、胡散臭いとか、そんな不信感を持つことなど意味をなさない。
きっと、ではなく。
紛れもない事実で、信じるべき――許容すべき真実なのだ。
新しい世界というものが果たしてどんなものなのか、彼女の言葉は理解できるものの想像がつかない。
過去、現在、未来、全てを変える。
そんな新しい世界と彼女は言った。
千早が壊した過去、左目が壊した現在、楽座が壊した未来、それらを白紙へと戻す――いや、戻すのではなく、『変える』。
壊すのでもなく、『変える』。
それはつまり、俺たち四人の関係を白紙に変えるだけでなく、影響を受けた全ての人もそうなのだ。
千早の願いが及ぼした影響。
左目の願いが及ぼした影響。
楽座の願いが及ぼした影響。
それら全てを変えるということは――それはきっと望むべきことなのではないだろうか。
俺が願って、変えるべきなのではないだろうか。
いずれにせよ、いつまでも二十八日という今日を繰り返すことになるのだ。
明日が来ない以上、楽座が未来を壊してしまった以上、俺は彼女に願うべきなのだろう。
『未来』を変える、と。
しかし、どうだ。
確かに、彼女に願わざるを得ない状況だろうし、他に現状を打破する手立てがあるわけでもないけれど、容易な決断はいささか早計ではないだろうか。
あまりに、愚直ではないだろうか。
間違っても彼女の言葉を、存在を信じていないというわけではないが、三人が見誤って壊してしまったように、思いにそぐわない形で願いが叶ってしまう可能性を消しきれない以上、安直な考えで彼女に頼るのはよくない。
お手軽に願うわけにいかない、
よく考えて、吟味して、彼女を理解してから決断すべきだろう。
まぁ。
だからどうしよう、と悩むことになってしまう。
この場合の『どうしよう』は願うか否かではなく、他の手段を探すにはどうすればいいのか、というものだ。
当ては、ない。
あるはずがない。
明日が来ない――今日を繰り返すという絵空事のような現状を解決するには絵空事のような手段が必要なのかもしれない。
なぜなら荒唐無稽で、現実離れした現実なのだ。
日常ではない、非日常なのだ。
そう考えれば、やっぱり彼女に願う以外他にないのかもしれない。
思考すればするほど、益々、そう思えてくるが、そうなれば多方面に微に入り細に穿つことが必要になってくる。
彼女に願うことで、世界にどんな影響を与えるのか。
俺たちにどんな影響を及ぼすのか。
先の彼女の大雑把な説明だけでは不十分だ。
もっと――より、ざっくばらんに語ってもらうべきだ。
千早、左目、楽座の願いが与えた影響を鑑みて、慎重になるべきだと思う。
『私は未来そのものを変えよう』――彼女の言葉を反復する。
未来、か。
全てを変える、そう告げた上での言葉。
それは、つまり――そういうことなのだろう。
過去が変われば、現在も、未来も変わる。
現在が変われば、未来も変わる。
未来が変われば、全てが変わる。
全ては一本の線上である――以前に彼女はそう語った。
区切りなどない。
区別はできたとしても、間断なく続く時間なのだ。
だからこそ、言ってしまえば千早、左目、楽座の三人が壊した時間は区別したそれらではなく、同列の線上に位置した全てを壊したということだ。
手遅れで、取り返しのつかない破壊だ。
考えてみれば、『時間軸の破壊』そのものの意味について詳細を知るべき必要があるだろう。
知るべき、と言うか、認知すべきことだ。
勿論、彼女ら三人が壊したことによって与えた影響は認知しているけれど、それは至極曖昧なものだし、関係が破綻したとか、環境が崩壊したとか、明日が来ないとか、大雑把にも過ぎる影響しか知らない。
いや、そもそもが『それ』なのかもしれない。
信憑性の低い仮説を並べてみたり、現状の把握をするべく思考を巡らせたり、多大な影響を分析するのはある意味、意味を持たないのかもしれない。
無意味で。
無駄だ。
いくら自分で自分なりに唸りながら考察したところで、他に何かできることがあるわけでも、すべきことがあるわけでもないのだ――それを言ってしまえば、結局、彼女に願う以外に解決策がないということになってしまう。
結論、信じ難い冗談のような絵空事は相応の対応が必要だということだ。
「君に、願う、か――」
彼女の言葉を反芻して、呟いた。
しかし、やはり気が進まないのもまた事実である。
それ以外の方法を見出せない以上、今すぐにでも彼女に願うべきなのだろうが、しかしその結果が一体どんな影響を及ぼすのか。
想像を絶するほどの悪影響を与えるのかもしれないし、そうでなかったとしても、彼女の言葉を聞くに良い方向に向くとも思えなかった。
何度考えても。
何度考え直しても。
それが最善だとは考え難かった。
『別に迷う必要などあるまい。迷いは自分を殺すことになると、どこぞの誰かが言っていただろう』
「…………」
どこぞの誰か、それをここで明らかにするつもりはないが、確かに彼女の言う通りだ。
このまま二十八日を繰り返すか、それとも彼女に願って『明日』を迎えるか――他に手段を見出せない以上、現在のところ二者択一なのだろう。
けれど。
けれど。
『こんな壊れた世界を元に戻す方法はなくとも、変えることならできる――壊れてしまった世界を白紙にすることならできる』
「それはつまり、今までのことをなかったことにする、という意味なのか?」
『そうとも言えるね。けれど、それは元に戻す、とは違う。言えば、真っ黒のキャンパスに真っ白のペンキをぶっ掛けるようなものさ』
そう言って、彼女は快活に笑って見せた。
こんな状況になってまで笑えるなんて、神経が太いというか、図太いというか。
逆に言えば、空気の読めない不敬なやつ、ということになるけれど。
もっと言えば、他人事のような笑みだ。
「――そうなったら、どうなるんだ?」
彼女に問う。
『先にも言っただろう、全て変わると』
「それは、壊す、とは違うのか?環境や関係が崩壊した現在とそれは一体どう違うんだよ」
その言葉に彼女は少し唸った。
唸って、暫く沈黙する。
『……ふむ。そう言われると確かに変わらないのかもしれない。壊すことも変えることも、言ってしまえば同義だね。だって考えてみれば、壊れることで変わることもあるし、変わったことで壊れることもあるんだから』
「二十八日から抜け出す――明日を迎えるには君に願うべきなんだろうけれど、その後の世界は結局今まで壊してきたことと同じなんじゃないか?それなら、迷いもするさ」
『だね、お前の言う通りだ。そもそも、破壊と変化は酷似しているからね。後か先か、ただそれだけの違いなのかもしれない』
けれど。
けれど。
と、彼女は続ける。
『創造するには破壊も一つの手だよ。白紙から作り直す方が何でもやり易いということさ。それを言うなら、私が叶える願いは変化、ではなく創造、ということになるのかもしれないね。未来を創造するのが、私だよ――』
「創造、か」
『しかしまぁ、それも言ってしまえば、変化と創造にも大した差異はないのかもしれない』
創造。
変化。
破壊。
それらは全て同義とも言える、か。
そこには後か先か、順番があるだけで、意味は等しい。
まるで、時間のようだと思った。
過去。
現在。
未来。
それもまた、区別はできても区切りのない間断なく続くもの。
意味は等しくなくとも、そこには後か先か、順番がある。
『――未来を『創造』したくはないか?』
「…………」
その彼女の言葉を聞いて、夢に出てきた彼女を思い出した。
最初に、一番初めに、彼女と出会った夢を思い出した。
思い出して――
俺は――
「てっきり、誰かを探すために走り回っていると思っていたけれど、案外そうじゃないんだね」
それと――
「――ごめんなさい」
背後から聞こえたその声に振り返れば、眉を曇らせた楽座がそこにいた。
頭に白猫を乗せたスタイルを一貫して、長い睫毛の大きな目をゆっくり閉じた。




