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「…………」
唖然として、呆然とした。
声にもならない驚き、それはこのことを言うのだと理解した。
日付が昨日と同じ――
それは永遠の『今日』を意味しているのだと、そう認識することができた。
登校の準備をし、家を出て学校に到着する。
到着して、楽座の姿を発見できず、早退する。
その一連の行動は、昨日と同じである。
全くもって、同様である。
それは当然だろう、そう自分で決定しているのだから。
けれど。
それと同じく、体調不良を訴えた際の担任の反応や、保健室の先生の対応、クラスのざわめき――もっと言えば、登下校中の人々の行動全てが、昨日と同じものだった。
等しく同じで。
完全に等しかった。
イコールである。
町を行き交う見ず知らずの人々の動作を逐一記憶しているはずがないので、気のせいかもしれなかったが、少なくとも教員の反応は同じだった。
少し驚いた表情で担任が言った「保健室に行っておいで」という言葉。
呆れたように保健室の先生が言った「仕方ないなぁ」という言葉。
言葉もそうだが、反応も――早退までの一連の流れそのものが昨日と等しかった。
昨日の日付――二十六日。
そして今日もまた、二十六日。
気のせいでも、勘違いでもない。
見間違いでも、記憶障害でもない。
『ははっ、まさか本当に未来が壊れてしまうなんて――』
「知ってたんじゃないのかよ……」
デジャブとはまた違うようだが、しかし同じような感覚に襲われながら、楽座の家に向かう途中である。
その感覚を簡単に言えば夢の追体験であったり、或いはその逆とも言えるのだろうが、この場合適しているのは、一連のストーリーが予め作られたシナリオを追って演じているような――台本に沿って演技をしているようなものだった。
自分でも、よくわからない。
今までに当然味わったことのないそれである。
彼女は快活に笑いながら言う。
『いやいや、さすがにこんな状況になるとは思わなかったよ。今日また寝て起きたら、同じ二十六日になるのかな、にゃははっ』
まぁ、確かに、冗談のような話だ。
笑いも込み上げてくるほどの。
「笑ってる場合じゃない。もしこのまま永遠に明日が来なかったとして、俺の寿命はどうなるんだよ」
『気にするのはそこなのか……小さい男だ』
「君はいいよ、明日なんか来なくても別に困りはしないだろうさ」
『…………』
意外にも。
冗談を返すと思ったが、ため息を一つ吐いて沈黙する。
「おいおい……」
『むっ、あぁもういいよ。こう目の前で堂々と喧嘩売られたら買わないわけにもいくまい。知らないよ、私を怒らせたらどうなるか。楽座 怜那のこととか、現状がどうなっているかとか、もう教えないから』
体と同じように、器も小さい猫だった。
そして、心も狭かった。
昨日と同じく、楽座の住まう豪邸に到着し、インターホンを押す。
聞きなれない甲高い音が鳴って――昨日と同じく反応が無いことを確認した。
さて、ここまでは予想通りと言うか、昨日通りだ。
昨日と同じ一日が繰り返されるのであれば、それはまた当然のことのように、この後の懸命な捜索も徒労に終わるのだろう。
楽座を発見することなく、空しく一日が終わる。
終わって、また一日が始まる。
明日、ではなく、今日がまた再開される。
二十六日という今日が繰り返される。
「ってことは、このまま昨日みたく走り回っても無意味ってことなのか?そもそも、本当に二十六日が繰り返されているのか?もうなんか、よくわからなくなってきたんだけど」
『…………』
「君だったら楽座がどこにいるか、知ってるとか?」
『…………』
「まだ半信半疑なんだよ。今日寝て、また明日起きて同じ二十六日なら確証を得られるんだけれど、まぁでも取り合えず、楽座は探さないと――」
『…………』
こいつ……。
根に持ってやがる。
本当、猫の額ほどの器だ――と言うのは少々表現に誤りがある、か。
「楽座のいる場所なんて、皆目見当もつかないし、タイヤキでも食べて冷静になってみるのもありかもな――」
『ら、ら、楽座 怜那は病院にいる……』
「……あ、ありがとう」
『…………』
「…………」
何と言うか。
素直な猫で良かった。
うん。
えっと――
ともかく。
そういうことなら、楽座のいるらしい病院へと急ごう。
全速力で急ごう。
向かう途中でタイヤキでも購入して、少し休息を取ってからでも遅くはないだろう。
彼女の機嫌も伺うべきだし。
病院と言えば、どうして楽座はそんなところにいるのだろうか。
病院――
病気――
二日前に学校で顔を合わせた時は普段通りだったというのに、まさか彼女の身に何かあったのだろうか。
そのせいで、未来を壊すに及んでしまったのだろうか。
未来を壊すほどの、重い病気とか、怪我とか、願わずにはいられなかった出来事が彼女の身を襲ったということなのだろうか。
しかし、よりによって楽座が利己的に猫に願うとは思えない。
そう思えないのも、彼女は猫を忌み嫌っているのだ――まさに、そんな願いなどごめん被ると言わんばかりに、拒絶していた。
『猫』という存在を否定していたのだ。
四人の関係を引き裂いた『彼女』に怨恨を抱いていた――
どうしようもなかったのかもしれない。
願わずにいられなかったのかもしれない。
それほどのことが、彼女の身に起きたのかもしれない。
断定こそできないものの、この推測は案外的を射ていることだろう。
それくらい、俺は彼女が単純な理由で願ったとは思えなかったのだ。
それはつまり、楽座に対して信頼を置いているとも捉えられるだろう。
信頼――か。
俺たち四人の間にあったそれも、たやすく『彼女』の存在によって崩れ去ってしまったのだから、意外と脆い。
脆弱だ。
実際、友人関係など、その程度で終わりを迎えるものなのかもしれない。
もっとも、一概には言えないだろう。
だから俺たちのその関係は、やっぱりその程度だった、ということなのだと思う。
思うが――
認めたくないことだった。
受け入れるには難しい。
今までの関係が上辺での付き合いだったとか、社交辞令を前提に振舞っていたとか、そんな風には思いたくないし、考えたくない。
俺たちの友情は永久に不滅だ、とかそんな格好いいとも思えない台詞を言いたいのではなく。
少なくとも、この程度で崩れ去るのはどうかと思う。
だからこそ、改めてそれを再確認したいし、関係を修復したい。
世界が変貌した今だからこそ――環境が全て変わった今だからこそ、それは良い機会なのだろうが、生憎、そうも言ってられない状況だ。
そして何より、すでに手遅れ――なのかもしれなかった。
手遅れかどうかはともかく、例えそうだったとしてもこのまま何もせずに、ただただ『今』を受け入れることができるほど俺は素直じゃないので、彼女が渋々言うように病院に向かった。
そもそも、現状を確認するためにも楽座を発見しなくてはいけないというのに、一体どうしてタイヤキという餌で釣りをしなくてはいけないのか――タイヤキ云々、それは目を瞑るとして、全てを知った彼女が出し渋る回答でもないだろう。
まぁ、しかし。
そこに特別な意味があるとは思えないし、意味は特別ないのだろうとも思う。
ないのだとしたら、単純に彼女の器が小さいということになるのだけれど。
人間が小さいとも言えるのだろうが、いくら人語を喋るとは言え姿が『猫』である以上、それは間違った表現だ。
いや――
そう言えば、とそこで思い返す。
彼女が放った言葉を思い出す。
『私が人間だったら、信じるか?』
果たして、それには一体どんな意味が込められているというのか。
いつもような、調子付いた勢い任せの虚言かもしれないし、確かな真実なのかもしれないけれど、それにしても唐突な彼女の告白は俺の理解が及ぶ許容範囲を遥かに飛び越えたものだった。
超越した存在の、ぶっ飛んだ告白である。
直後は、硬直して頭の中が真っ白になったことを覚えている。
いくら学年一位の頭脳を保有しているからといって、そんな滅茶苦茶で無茶苦茶な理解し難い言葉を真っ直ぐ受け止められるはずがない。
人語を使用するけれど――彼女のその言葉は俺には人語には聞こえなかった。
理解できないのだから。
理解したいという積極性も失い、諦めてしまうほどに理解できないのだから。
彼女のその唐突な告白が嘘か真か、いずれにせよ、これについては早い内に言及した方がよさそうである。
野暮な詮索も、無粋な干渉も、愚問も、全てを承知の上で彼女に問うべきなのだと思う。
真意を――真偽を。
だからと言って、『あれはどういう意味だったんだ』と素直な質問を投げ掛けたところで、返ってくる反応は大体想像つく。
はぐらかされるのか、或いは曖昧にされるのか――それとも、お得意の肯定と否定を入り混ぜた難解な返答をするのか、そしてこれもまたお得意である、いつの間にか主題を摩り替える話術を披露してくれるのか。
核心を避け、露骨に回避し、あからさまに距離を取る。
そんな彼女が容易に質問に答えてくれるとは思えない。
それに、素直とは言えない性格も合間見合って、尚更、期待はできないだろう。
けれど、まぁ。
『猫』という荒唐無稽な存在を根底に起きてしまった『時間軸の改変』については、もはや最終局面までやって来ているし、彼女の目的と言えることも少々語られたのだから、ここらで真実の正体について明かしてくれるのかもしれない。
手遅れにはなってしまったけれど、概ね『猫』の叶える望みは理解できたし、四匹の『猫』全てが『彼女自身』であり、コピーなのだと認識したし――そういうことなら、いっそのこと真の姿についても語ってくれないだろうか。
と言うか、まずコピーってなんだよ、ではあるけれど。
コピーとか言い出したら、そもそも人間じゃないだろ、と思うけれど。
なんて、そんなことをつらつらと思考しつつ。
公園に到着である。
幸いにも、と言うか、珍しく辺りに人がいなかったので、ここぞとばかりに道中で購入したタイヤキを隣に小さく座った彼女に渡した。
タイヤキを与えるという行為ですら人目を忍ぶのも、彼女の姿が一般に視認されないことから、タイヤキが隣で勝手に食い消されるという理由によるものであり――それは他から見れば怪奇現象と捉えられるからである。
そんな奇妙な現象を公然で堂々と見せ付けるなんてできるはずがない。
まぁ、それを言えば、彼女の存在そのものが怪奇現象のようなものなのだろうが。
しかし。
いくら平日の午前中とは言え、こうも公園に人がいないとは不思議だ。
以前、楽座に連れられて来たときも同じ平日の午前中だったけれど、それと比較するまでもなく人っ子一人としていなかった。
まるで広大な公園の中に自分一人だけいるような。
それを言えば、世界に自分一人だけが取り残されたような。
そんな気分になった。
だからと言って、そんなはずはないのだろうけれど、少なくともこれほどの広大な公園に自分以外の人間を見つけることができなかった。
そんな気分にさせるほど、辺りは閑散としていた。
噴水で水遊びをする子供も、ベンチで仲睦まじく語らうカップルも、散歩する老人も、汗を流す青年も――いつもの風景がそこにない。
偶然だと言われればそうなのかもしれない。
けれど。
これもまた未来の壊れた結果なのだとしたら、と考えるとぞっとしなくもなかった。
同じ一日――二十六日が繰り返されるだけでなく、日常をも奪ってしまうことなのだとしたら――
いや。
考えすぎだろうか。
考えすぎにしても、その不安は払拭されないし、懸念を抱かざるを得なかった。
そんな心境を察したように、彼女は言う。
『今日という一日が繰り返されるのはともかく、この公園から人が消えるというのは言葉にし辛い気分になるね。と言うことはつまり、昨日もここはこんな寂れた公園だったということなのかい?』
「…………」
それもそうだ。
二十六日が繰り返されているのであれば、それは昨日と同じ光景であるのが自然だろう。
それは早退を告げた教員の反応や、町を行き交う人を見て、自分でそう思ったじゃないか。
それに――昨日走り回って楽座を捜索した時に、この公園にも訪れたじゃないか。
その時。
果たして、こんな状態だっただろうか――
それならば、すぐに今みたく違和感を覚えるはずだけれど――
「どういうことなんだ?昨日と同じ、二十六日じゃないってことなのか?」
『いや、それはないよ。今日は昨日と同じ――二十六日だよ』
彼女は続けた。
冷静に、状況を説明するような口調は当然、こうなることも知っていたと思わせるものだった。
全てを把握した上で、説明する。
『前にも言っただろう、未来の本当の定義とは一体何かと。一秒後なのか、明日なのか、或いは十年後なのか――結果、楽座 怜那の願った未来の崩壊は『永遠の今日』を意味した。しかし、それだけだと思うかい?つまり、言葉通り未来の崩壊ってことも本来の意味に含まれるのじゃないのかい?』
永遠の今日。
未来の崩壊。
『明日は来ない、それもまた未来が潰えたことを意味するだろう。そして、未来のなくなってしまった――壊れてしまった人々はどんな行為に及ぶのだろうか』
「未来の崩壊が、繰り返される二十六日の中で影響を与えているということか……」
『ご名答。けれど、その影響がどんなものなのかまでは私にもわからない。わからないと言うか、わかりたくないね。何もせず、ただ植物のように過ごしている者もいるだろうし、使命を背負ったように毎日同じ行動を取り続ける者もいるだろう――或いは、自殺する者もいるかもしれない』
いくら繰り返される一日だからと言って人はそれぞれ違うからね、と彼女は付け加えた。
「それなら、尚更、早く楽座を見つけないと」
『探してどうする――』
「……え?」
『楽座 怜那を探して、それからどうするんだ?』
そんなことに一体何の意味があるのだ、と彼女は鋭く言った。