3cm/s
それはあまりにも唐突の出会いで、突拍子のない邂逅だった。
或いは、偶然な出会いと表現しても正しいだろうし、逆に必然的とも言えるのかも知れなかった。
必然的な出会いと言うと、何かお互いに共通した運命があると感じるけれど、実際そういうことではなく、極々在り来たりで当たり前の日常でのそれだった。
人との出会いを偶然で済ませるかどうかは、それぞれの価値観によって左右されるものだろう。
それに偶然か必然か――穿った目で見れば、人との出会いなんておよそ大半が偶然によるものだろう。
上位の『存在』に仕組まれたわけでもないのだから。
しかしこの場合、俺にとって彼との出会いは必然性を微かに感じたのだった。
結論から言えば、彼は虐められていた。
ひどく虐められていたのだ。
三人の男子生徒に囲まれて、グラウンドの隅で大声を上げて脅迫されているようだった。
なんて、ベタ過ぎるだろ。
殴る蹴ると言った暴力行為にまでは及んでいなかったみたいだけれど、がなり怒鳴られた彼は臆病に震えて、その場で蹲っていた。
虐められている彼と、虐めている彼らが同じ学年の生徒だということは、後々知ることになったのだが、しかしまぁ高校三年にもなって弱者を虐める光景を見るとは――。
虐めには被害者と加害者、両方に相応の理由があるとは言うけれど、それはきっと虐め問題の解決が難しい現実を認識している教員の当て付けにも似た言い訳にしか過ぎないと思う。
まるで虐めそのものの責任が被害者にも存在すると言いたいような。
責任転嫁もいいところだ。
自分の無力さを被害者である生徒に押し付けて、結局最終的に出す答えは『後は生徒同士の問題』という下種の発想だ。
まったく。
まぁ正直、誰が誰に虐められてようが、誰を虐めてようが自分には無関係なことだと思う。
非情かも知れないが、友人でもない誰かのことを気に掛けるなんて普通はしないだろう。
けれど、それは認知していないが故――こうしてそれを目の当たりにすれば、話はまた別、だ。
だからこそ、『偶然』下校中にその場面を見た――俺と左目がそれを仲裁したのは『必然』とも言えよう。
先に彼の元に駆け寄ったのは左目だったけれど。
◆
まるで女子だ、と思った。
いや、女子より女の子らしいと思った。
少なくとも、左目よりは女の子らしいと思った。
細い体の線や小さめの体躯、変声期を迎えていないような高く細い声。
楽座 怜那にも負けず劣らない長い睫――水々しい潤んだ薄い唇。
髪はおよそ左目と同等の長さで、癖のない真っ直ぐ下に降りた薄い黒だった。
光の反射によって灰色にも見えなくない。
絵の具で染めたというより、薄い水彩画のような髪色だ。
驚愕だった。
驚きのあまり、彼に声をかけるのを躊躇してしまうほどに。
左目もどうやら同じ心境らしく、目を見開いて彼を捉えていた。
黒猫が自室に突然現れた時と、同等の衝撃を受けたことは、俺が女の子耐性が無いという理由に起因することではない。
「あ、あの…ありがとうございました」
彼は少々土で汚した似合わないスラックスを軽く手で払ってから、深々と頭を下げる。
類を見ない彼の女の子らしさは、どうやら仕草や動作にまで表れているようだ。
指も細い、手も小さい。爪も綺麗に整えられている。
どうやら、珍獣でも見ているかのような錯覚に陥ってしまっているらしい。
彼の容姿、仕草、細部に渡って舐めるように眺めてしまう。
それほど異質だった。
ネクタイを締めた姿、スラックスを履いている姿。
そして、真っ白の大きな眼帯で左目を覆った姿。
そんな彼にどうしようもない違和感を覚えたのだ。
「えっと……」
と、彼は沈黙する俺と左目の顔色を上目遣いで伺う。
その仕草もまた、可愛いと思ってしまった。
だが、彼は男だ。
何で男なんだ。
「あぁ!うん、気にしないで。と言うか、大丈夫?」
左目が少し上ずった声で言う。
彼女もまた、彼に見蕩れていたのだろう。
「はい、いつものことですから」
「いつものこと――」
「あの、助けてもらっておいて何ですが、もう二度とこういうことはしないでくれませんか」
「…………」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。ありがとうございました」
と言って去って行く彼の瞳は微かに潤んでいたように見えた。
呆気に取られて、呆然とした左目は微動だにしない。
何だか妙に虚しくて――取り残された俺と左目はその後特に会話することもなく、お互い何かを感じながらグラウンドを後にしたのだった。
まるで、勝負に敗れた敗者の気分だ。
教員ですら見て見ぬ振りをする虐めを仲裁したという行為は正義で、慈善行為で、救済なのだろうが――『虐めは被害者にも相応の理由がある』という謳い文句のような文言は的確な風刺なのかもしれないと感じた。
別に善人を気取って、相応しい行動をした結果の見返りを求めているわけではないけれど、何か腑に落ちなかった。
『せっかく助けてあげたのに』と。
そんな恩着せがましい心情を僅かに自覚するできた。
しかし、慈善行為とは言ったが、少なくとも、俺と左目は彼を哀れんで助けたわけではなかった。
特に理由もなく、ただ単純に、眼前の悪を排除したに過ぎなかった。
勿論、先にも言った通り、見返りを求めての行動ではない。
そう言えば、偽善者だと罵られ非難されるかもしれないが、中立的な立場から見て――客観的に見て、それを悪だと判断して、被害者にも虐めを受ける責任があるという事実を含んだ上で取った行動なのだから。
まぁ別に気にすることではないだろう。
彼が一体どうして、あんなことを言い放ったのか。
そんな疑問は今となって考えるだけ無駄かもしれない。
そう思っていた――
そう思っていたけれど――
左目といつものT字路で左右に別れた後、彼をまた発見したのだった。
名前は、峰 千早と言う。
彼はさっきグラウンドで虐めていた名前の知らない『彼ら』の胸倉を掴み、罵声を浴びせていたのだった。
ここでようやく、彼がどうして『もう二度とこういうことはしないでくれませんか』と言ってみせた理由が明らかになる。