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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
36/56

8cm/m

「左目さん、学校は?」

 意気消沈した左目さんを部屋に招いたあと、私は開口一番そう訊いた。

勿論、学校を抜けてきたことは見て容易に判断できるので、この場合の質問の意図は『どうして学校を早退してきたのか』ということにある。

 彼女のただならぬ様子を見て、他にするべき質問があるのだろうが、会話の流れを作る意味であえて、そんな質問を投げ掛けた。

「早退してきちゃった……」

 ため息混じりに。

衰弱したように。

憔悴したように。

左目さんは虚ろな目で言う。

 質問の意図がどうやら伝わっていないようだけれど、それにわざわざ突っ込むほど私も野暮ではないし、やぶさかでもあるまい。

「火が――教室に火がね――」

「……うん?」

「どうしよう、楽座さん――あたし、あたし――」

 左目さんの困惑した面持ちで、震えた声で話す。

 次の驚愕の一言によって、私も彼女を超えんばかりの困惑を抱くことになった。



「あたし、のせいで、教室に火が――燃えて――」



 その困惑というのは、左目さんの言葉を上手く理解してあげられないことからくるものだった。

彼女の恐怖に満ちた様から、語ろうとするそれを察してあげられなかった。

「わざとじゃなかった……。まさかこんなことになるとは思ってもいなかった――」

「左目さん、落ち着いて。教室に火って、どういう意味?」

 あたしが――

 あたしのせいで――

「……教室が燃えちゃった」

「…………」

 それこそ、左目さんからそんな事実が告げられることなんて思ってもいなかった。

晴天の霹靂である。

晴天の霹靂と告げられた事実に、私はどうしてか慌てもせず、落ち着いて彼女の前にお茶を出した。

 ふむ、と。

彼女の言葉を受け止めることは容易だった。

それは教室が燃えるという事態が如何せん、現実離れしているせいなのだろうか。

実感が沸かないせいなのか。

左目さんを責めようとも、慌てふためこうとも、さらには別段、特別な感情を抱くこともなく、相槌を打った。

 しかし。

だからと言って、何も問い掛けないわけにもいくまい。

左目さんの言葉を信じる信じない以前に、詳しく事情を聞くべきだろうと感じた。

友人の言葉の真偽を疑うことに少しばかりの抵抗を感じるが、信じるのはそれからでも遅くはないだろう。

「教室が燃えたのはどうして?自分のせいだって言ったけれど」

「……コンセントを差すところにシャー芯を入れた」

「ふむ、なるほど。それは燃えるね」

「ごめん、楽座さん、まさかこんなことになるとは――って、あれ嘘。心のどこかでちょっとは、こんな教室無くなったらいいのにって、思ってた」

 無くなったらいいのに――か。

 左目さんの憔悴し切った様子を見るに、その罪悪感だけではなく、まだそれ以上に悩ましい出来事があったのだろう。

 それは――

 『猫』――なのだろうか。

 或いは――

「あたしって、本当腹黒い……」

 なんて、左目さんは自虐するかのように、項垂れて言うのだった。

 こんな有様の彼女を責めるなんて、私にはできそうにない。

どうしてそんなことをしたか、と問いただすこともできない。

それと同様、左目さんの複雑な心境を理解してあげることもできない。

彼女が教室に火をつけるほどに抱えた悩みを解決する自信もない。

ましてや、その手助けすらできるとも思えない。

腹の内側を――真っ黒だと自虐した腹の中を探ろうとも思わない。

それはきっと、私が友達に手を差し伸べることすらしない冷徹な人間だからではなく、左目さんが内に秘めた――常軌を逸した思考回路を持つからなのだろう。

私は、教室に火をつけるまでに至った彼女の気持ちをこれっぽっちも理解することができなかった。

露ほど、理解したいとも思わなかった。

 だから、この後に左目さんが教室に火をつけるまでに至った経緯を聞いて、尚一層、理解することに苦しんだ。

いや、と言うより、理解したくなかったのだ。

 左目さんが語る、立屋 千尋のこと。

私と彼のこと。

彼と峰さんのこと。

 嫉妬して、嫉妬して、嫉妬して、嫉妬して――

 そして。

二度目の失恋を経験したこと。

彼が、左目さんではなく、峰さんを選択したこと。

まぁ、これについては主に私に責任があると言えよう。

そう考えれば、彼女が峰さんに対して嫉妬するのは単なる独りよがりなのだけれど、嫉妬することそのものがそれに近い感情だから、それは言い得て的を射ている。

 二度目の失恋を経験しても尚、左目さんは彼を心底愛しく想っていること。

狂おしいほどに――愛しい。

 だから。

 諦めきれないから。

 待ち合わせを約束して、三度目の勝負を決断したこと。

それが、三度目の正直になるのか、それとも二度あることは三度ある、になってしまうのか、その答えは彼に委ねられたのだ。

もしも、結果が後者であったなら、もう二度と彼と顔を合わせることのないように――学校を去り、町からも出て行くと言う。

私なんかからすれば、たかが高校生の恋愛事情にしては行き過ぎだと思う。

しかし、恋愛に対する価値観が人それぞれ、ということもあり、私がとやかく否定するわけにもいかない。

彼女の場合。

左目さんの場合、そうまでしないと前を向くことができないのだろう。

逆に言えば、そうでもしない限り彼を諦めることができないのだろう。

その決意は。

決断は。

どれほどの勇気がいるのか、私には想像もつかなかった。

 かと言って、友人である私がその決断に感嘆するわけにもいかず、制するべきなのだろうが、左目さんの虚ろながらも強い視線は(かたく)なな意思を感じさせた。

曲がることのない決意の表れだ。

確固たる意思を印象付ける表情だ。

彼女の言葉は疑うまでもなく本音であり、信じることのできる本心なのだろう。

 


 だから私はこう言うしかない。

「頑張って、左目さんと彼が上手くいくように応援してる」

 私の言葉は、果たして本心から言えた本音だったのだろうか。





        ◆





 左目さんの行為が決して故意ではなかったとは理解している。

だから彼女の口からそれを聞いたところで、わざわざ学校に伝えるなどしない。

友人を守るため、と言えば聞こえはいいが、この『現在』において私と彼女の関係性は皆無に等しい。

そんな中で、私がその事実を伝えたとして、余計に事を面倒にする可能性があったのだ。

いや、そんなものは口実だ。

実際、私は左目さんを守ったのだ。

守ろうとして、守った。

先ほどの――峰さんらにいじめられていた女子生徒の場合とは違う。

しかし、その程度のことで守ったなどと、仰々(ぎょうぎょう)しく発信するのもどうかと思う。

 そんなことを考えながら、私はふらふらと歩いていた。

ふらふらと。

どこか行く当てもなく、行く先も見えず、ただただ道なりに歩みを進めていた。

 左目さんを自室に残したままだったけれど、まぁそれについては概ね仕方がないと言えよう。

いずれにせよ、彼との約束がある以上、遅かれ早かれ勝手に出て行くだろう。

 都合よく、両親はいないし。

 運良く、今日も両親はいないし。

 ともかく。

 行く当てがないのはまさにその通りではあるが、目的は存在する。

目標――峰さんを見つけること。

見慣れた町を彷徨(さまよ)いながら、私は首を左右に動かしたり、時折後ろを振り返り、峰さんを探していた。

 いじめ現場から彼女たちが走り去った方に向かっているのだけれど、どうにもこれは非効率だと思う。

大きくない町とは言っても、一人の対象を探し出すことは容易ではないだろう。

私も、左目さんのように峰さんの携帯番号を記憶していたらよかったが――残念ながら私は、発展した科学が蔓延するこのご時世で、機械に頼り切った人間の内の一人なので、単純な数字の羅列十一桁ならともかく、友人のそれに注視したことが今まで一度としてなかったのである。

つまり、私が言いたいことは、私の記憶力が低いせい――低脳が故に峰さんの携帯番号を覚えることができない、ということではなく。

と言うか、左目さんが異常なのだと思う。

 しかしまぁ。

非効率とは言え、他に適当な手段が思いつかない以上、こうして苦肉の策を弄するしかない。

策士、策に溺れる。

と言うには、当てはまらないけれど。



「楽座、さん――」

 だから、(そぞ)ろ歩きの最中に、こうして突然声を掛けられることは予想の範疇だ。

見知らぬ町というわけでない、見慣れた町中、白昼堂々と学生がサボタージュを起こしているのだ。

これもまた、苦肉の策が有する反作用なのだろう。

 その声が聞こえる方向。

つまりこの場合、それは前方でも後方でもなく。

上だった。

 中層ビルに設けられた錆びた非常階段。

本当の非常時に、それはきちんと役割を果たすことができるのかどうか疑わしくなるほどに、赤黒く変色したそれの丁度三階の高さ。

 そこから。

 峰 千早がこちらを見ていた。

黒い瞳。

私たちと同じ、『黒い瞳』を見開いて、驚愕していた。

 カツカツ、と金属と靴がぶつかる音を立てながら、彼女はそれ以上何も発さず、階段を上っていくのであった。

 私は追いかける。

 心境は穏やかでなかった。




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