7cm/m
さてさて、どうしたものか、と私は携帯電話を閉じて考えた。
左目さんの場合、本人に直接的な変化を感じることはなかったけれど、こうして峰くん――『峰さん』を目の前にして、一体全体どんな言葉を掛けるべきなのか悩む。
ここでいつものように、私たちが保持する以前の記憶のように、自然体で接することも可能だけれど、それは如何せん、できそうにもなかった。
何故なら状況が状況だからである。
いじめ。
虐め。
こうも露骨ないじめの現場に遭遇すること自体初めてだ。
真昼間、白昼堂々と。
それならば、まずは仲裁だ。
峰さんに一体どんな変化があったのか、それは一先ず置いて、いじめを止めるべきだろう。
私に正義感なんてものは、これっぽっちもないのだけれど。
普段なら見てみぬ振りでもしそうだけれど。
しかし、友人である峰さんが行為に及んでいると言うのなら、話は別である。
別ではあるが――
どうしたらいいものか。
「…………」
取り合えず、およそ数十メートル離れて観測していた地点から、いじめを行う数人のグループの背後まで寄ってみる。
声は掛けず。
無言で。
無表情に。
他から見れば、私も加害者の内の一人として数えられそうな、そんな状況。
もし通報でも受ければ、私は何もやってない、見ていただけ、と言い訳しようと考えた矢先、いじめを行っていた女子生徒の一人が私の存在に気づき、咄嗟に走り去る。
それを見た他の生徒も真似るように、凄まじい勢いで走り去ったのだった。
その中には当然、峰さんも含まれていた。
「…………」
これはこれで、仲裁できたようで、結果オーライだけれど、何か腑に落ちないと言うか。
人の顔を見て逃走とは、嫌な気分になる。
別に怖い顔などしていないはずだったのに。
「あ、ありがとうございます……」
「……いえ」
何もしていないけれど。
被害者の彼女も、私が何かしたわけじゃないと知っているが、そこには触れなかった。
まぁ、結果オーライなのだから、仲裁したのも同義だろう。
彼女からして見れば、どっちだって同じことだ。
「――さっきの生徒は?」
「クラスメートです……中には見たことのない子もいましたけど」
汚れた制服を手で払って、ゆっくりと彼女は言う。
酷く皺の寄ったブレザーは見るに耐えない様になっていた。
「そう、じゃあ、峰くんってクラスの子?」
「……峰くん?」
「あぁ、いや、峰さん。峰 千早さん」
「はい……そうですけど」
敬称を間違えたことで不審に思われたのか、少し怪訝そうに私の方を見る。
それでも。
クラスメートと言うのなら、彼女には少しでも情報を提供してもらう義務を果たしてもらおう。
いや、義務なんてないけれど。
そもそも、さっきまでいじめを受けていた女子に対して、まさしくいじめを行っていた女子のことを質問するなんて失礼も甚だしかったが、背に腹は変えられないというものだ。
やむを得ない。
「峰さん、ですか。クラスの中じゃすごい悪いって評判です。それに、私をいじめるグループの主犯格と言ってもいいかもしれません……」
なるほど、『現在』ではそういう風に改変されているのか。
私の知る峰さんは被害者の側だったけれど、間逆の立場に変化したというわけだ。
「いつもこんな目に?」
「いえ――いつもというわけじゃないんですけど、たまに」
「と言うことは、彼女らはまた別に誰かをいじめているわけね」
あの峰さんが、いじめを――
そう言えば、前に一度、峰さんがいじめを受けた生徒に復讐した話を聞いたことがあったか。
復讐と言う名の、ストレス発散法。
以前との因果関係があるとするなら、それかもしれない。
被害者であり、加害者でもある。
言うなら、いじめの被害者だって加害者でもあるのかもしれなかった。
それ相応の理由もあるのかもしれなかった。
けれど。
それ以上に謎めいているのは、あの変わり様の方だろう。
罵声を浴びせる様、と言うより、性別の変化である。
男から、女へ変貌した姿の方だ。
一体どんな過去を変えれば、或いは、壊せば、性転換するまでに至るというのか。
性別の変化、ということは。
出生の変化、ということでもあるのではないだろうか。
そう考えてみれば、簡単なことなのかもしれない。
答えを導き出すには、単純明瞭なのかもしれない。
峰さんが抱える過去――トラウマには少しばかり触れたことがあるだけで、それ以上の詮索は野暮ということもあり、深い話をしなかったけれど――峰さんの『左目』、青い瞳が関係していることはおよそ、間違いない。
何故なら。
何故なら――
峰さんはいつもの、真っ白の眼帯で左目を覆っていなかったのである。
むしろ、あの綺麗で透き通ったビー玉のような青い瞳は、私たちと同じ黒く変化していたのだから。
つまり。
つまり、である。
そこが性別の変化の謎を紐解くキーだとするならば、過去のトラウマを変えるということが、彼女の叶えた改変ということなのだろう。
そう思った。
青い瞳を、皆と同じ黒に戻したかったのか。
或いは、出世に関わる過去を変えたかったのか。
それは片方が当てはまれば、両方間違いではないだろう。
もっと単純に、純粋に、女子に成りたかったという可能性も無きにしも非ず、ではあるけれど。
元々、女子のような顔立ち、小さな体躯だったのだ。
内面までもそう変化して、男子を好きになってもおかしくはない――とは言えないか。
全く、我ながらよくわからない思考である。
いや、この場合、嗜好か。
以前に、ボーイズラブな展開を多少期待していたが、それは確かに実現されつつあるのかもしれなかった。
しかし、今度の場合。
それは異性同士、ということになりそうだけれど。
男女間の恋愛ならば、誰がとやかく言う必要もあるまい。
まぁそれを言うなら、他人の恋愛を誰かにとやかく干渉される筋合いなんて、まるで皆無だろう。
恋愛は自由だ。
日本では同姓婚は認められていないが。
ともかく。
峰さんがどうして過去を改変するに至ったのか。
それを知るためにはまず、やはり直接彼女に接近して確かめる必要がある。
それを知ったところで、何かできるはずはないけれど。
それを知ってしまったところで、最早すでに手遅れ感は否めないけれど。
それでも友人の一人が何かを抱えているのだ。
私にはそれを探る義務がある。
いや、義務はない、が。
権利ならばあるだろう。
それに――彼に、ああも堂々と峰さんのことは任せておいて、と言い張ったのだ。
大言壮語してしまったのだ。
事の解決を図る術は、今のところまるで無いに等しいけれど、そう言ってしまった以上、何としても『何か』をしなくてはいけない。
大言を吐いたとしても、それが大げさな出鱈目ではダメだろう。
それを言えば、これは意地、だ。
彼に勝利するため。
いや、勝ち負けではなく、彼に対抗するため、として方が正しい。
学力考査でもそうだが、負けっぱなしは何が何でも避けたい。
私が、彼に負ける度にどれほど勉強時間を増やしているのか、そんな彼は知ったことじゃないだろうけれど。
それでも私は静かな闘争心を燃やさざるを得なかった。
それは一種の恋愛感情にも似たものだ。
だから、これは。
やっぱり、勝ち負けのある戦い、ということにしておこう。
そう感じた。
◆
峰さんの後を追うにも、行方知れずだったし、行く先の見当もまるでつかなかったので、取り合えず周辺を散策する。
まだまだ一日が終わるには時間があるし、何より、こんな快晴の日に学校サボって、街中を闊歩できるということに清々しい気分を味わえた。
なるほど、学校をサボる不良たちの気持ちも今では理解できなくもない。
罪悪感に苛まれなくもないが、そんなこと忘れてしまえるほど、気持ちのいい天候だ。
いっその事、峰さんのことは二の次にして、散歩でもしようか。
幸い、手持ちは多めにあるし、どこかテラスのあるカフェにでも行って、優雅にお茶でもしようか。
それとも、ショッピングでもいい。
なんて。
そんなことをいたって真剣に考えていたところで。
目の前に角を折れる、左目さんを発見したのだった。
左目 翁である。
後ろ姿だけで、確信は得られなかったけれど、私の通う学校の指定されたブレザーを着用し、茶色の頭髪をした生徒はおよそ左目さんくらいだ。
それを見て追いかけて。
追いかけて。
角を同じように曲がる。
左目さんがそれに気づいたように、私の方を見て立ち止まっていた。
「……楽座さん」
と、力なく呟いた彼女は酷く憔悴した様に、青ざめた顔でその場に座り込んだのだった。
私はそれを見て、何かあったのだと、そう確信した。
その確信もまた、的を射ていたので、どうやら私の直感は当たるらしかった。
生憎、朝の血液型占いでは、最下位だったけれど。
『O型さんは、欲張りに注意!』
そんな結果が、当たるかどうか定かではないが、信じるならそれこそ、今は私の直感を信じよう。
そうすることにしよう。
左目さんを一先ず、私の自室に向かい入れて、紅茶を淹れた。
気持ちを落ち着かせるには、香りの良い紅茶は効果抜群だろうという考えによるものだったけれど、それはどうやら無駄だったようで。
彼女は紅茶に手をつけず、ただただ項垂れるだけだった。
その様子を見て、私は彼女からの言葉を待つ。
ここで無理に彼女の口を割ろうものなら、もっと厄介なことになってしまうのではないかと懸念した。
不安定だ。
不安定な彼女だ。
背の低いテーブルを間に、私は左目さんと向き合う。
と、そこで。
左目さんは重たい口を開いた。
「……どうしよう、どうしよう」
「何かあったの?」
「こんなことになるなんて思わなかった……。どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
「……どうしたの?学校で何かあったの?」
その後、数度同じような言葉を繰り返した後、思いもよらない一言を私は聞くことになる。
「……教室が燃えちゃった」
私のせいで、と彼女は言った。




