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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
34/56

11cm/s


沈黙した。

 公園の脇に乱立する木々の風に煽られて立てる音がやけに大きく聞こえた。

先ほどまで周囲を行き交っていた仕事帰りであろうスーツ姿の人々は、もう数える程度しかいなかった。

そんな彼らと交代するように、男女のカップルが徐々に集まりつつある。

手を繋いで、仲睦まじく歩いて。

 ライトアップされた噴水を初めて見ても、この状況にとやかく感想を抱けるはずがなく、ただただ俺は沈黙するだけだった。

それは突然投げ掛けれた質問ということもあったし、答えに行き詰ったということでもあった。

どう答えればいいのか。

どう返事をすればいいのか。

一度目は去年末。

二度目は千早と左目を天秤にかけて。

そして――これが三度目だ。

ここでもし、彼女の期待に応えることのできない解答をすれば、それは三度の失恋を意味するのだろう。

三度目の正直とは言うが。

けれど、どうしたって、どんな嘘を吐いたって、「好きだよ」なんて言えるはずがないだろう。

嘘も方便と言うけれど、吐いていいものと、そうでないものの区別くらい高校生にでもなれば容易に判断がつく。

そう言えば、彼女の気は安らぐのだろうけれど。

彼女の期待に()える形になるのだろうけれど。

 それでも。

それでも――



「……嫌いじゃないよ」

「それは、好きじゃないってこと?」

「…………」

「あはは、また、振られちゃった……」

 左目はまた、自分を嘲笑うように、小さく声を漏らす。

一度となく二度までも、そして三度目までも。

同じ男に失恋して。

振られて。

拒絶されて。

 初めに左目を振った去年末は、正直大した感情を持たなかった。

彼女を拒絶する意味をあまり詳しく考えなかった。

次は、何かを感じる間もなく、いつの間にか、彼女を振った形になっていた。

そして今回は。

酷く心が痛んだ。

辛いのは左目本人だろうが、それでも、自分も同じくらい辛かった。

苦しくて、痛くて、切なかった。

それが左目に対する同情からくるものなのか、はたまた別の何かなのか、理解することができなかった。

ここでようやく、三度目にしてやっと、左目を拒絶したのかもしれなかった。

今まで、ほとんど間断なく続いていた曖昧な関係に終止符を打ったのかもしれなかった。

それがどういう意味を持つのか。

その結果、どういう結末が待っているのか、誰にもわからない。

「あたしの、何がダメなのかな……こんなに千尋のことが好きなのに、どうして報われないのかな……」

「左目が悪いわけじゃない。悪いのは――」

 そう。

悪いのは、全部。

俺だ。

俺自身だ。

左目がこうなってしまったのも、悪意に満ち満ちてしまったのも、教室に火を点けたのも。

全部。

全部――

「左目が俺なんかのことを、そんなに好意的に見てくれているのは嬉しいよ。本当にそう思う。けれど、どうしてもその気持ちに応えてあげることができない。左目のことを、恋愛対象として見ることができない。この先、それがどう変化するのかはわからないけれど、少なくとも『今』じゃない」

「じゃ、本当に、全部、無駄だったんだ……」

「無駄じゃないだろ。猫が周囲に及ぼした影響が大きいと言うのなら、左目が俺に及ぼした影響もかなり大きいんだから」

「それは、悪い意味で、でしょ」

「……両方、だね」

 左目は、そっか、と一言で沈黙する。

この話題はここで終わり、と言わんばかりに話を打ち切った。

「どうして、なんだ?ここまで想い続けても、叶わない恋愛をする左目を見ていて、正直痛々しい。当事者である俺が言う台詞じゃないけれど、失恋を引きずっても、最終的に切り替えて次に進むのが賢明だろう」

「……やっぱ、千尋は何もわかってないんだね」

 何もわかってない。

何にもわかっていない。

分からず屋。

と、左目は幾度とその言葉を繰り返した。

「はぁ――もう、いいや。もうどうなってもいいや。千尋にそんなこと言われると思ってもみなかった。そうまでしてあたしを拒絶するのなら、ここにいても意味ない。生きる価値なんて、もう無いに等しいよ」

 お、おい……。

いくら何でも、冗談が過ぎる。

けれど、今の左目なら何をしでかすか、わかったものじゃない。

「ごめんね、千尋。今までありがとう。もう連絡しないから。放火犯がのこのこと登校できるはずもないし、学校は辞めるから。もう千尋と会わないようにする」

「……お、おい。待て、左目。俺とお前の友人関係までもが消えたわけじゃないだろ」

「そんなもの、意味ないって言ってるでしょ!」

 怒声と共に、左目は握り締めていた携帯電話を地面に投げつけた。

思い切り。

携帯電話が大破するまではいかないものの、電池パックやそれのカバーが散る。

「…………」









「あたしってやっぱ馬鹿だ……間違っちゃったみたい」

「ごめんね、バイバイ」







 擦れ違う形で。

隣を歩き去っていく左目の後方で、赤い猫が薄っすらと、徐々に色褪せて次第に透明になり、消える。

跡形も無く。

何の痕跡も残さず。

完全に、消失した。

 呆然とした。

呆気に取られて、身動きが取れなかった。

左目が――

そんな風に去って行く姿を初めて見た。

あんなにも――

泣きじゃくった左目を初めて見た。

心が痛かった。

胸が苦しくて、呼吸が止まりそうだ。



 無残に、地面に散った携帯電話の本体を拾って、思い出す。

思い出して、また痛む。

忘却の彼方にあった、それは、ストラップだった。

左目からのプレゼントで貰ったはずの、ストラップ。

彼女の携帯電話には、それが二つ付いていた。

 思い出。

過去の記憶。

誰にも語られることのない、記憶。

けれど、確かに記録は存在したのだ。

こうして手の中に、確かに、ある。

記憶は風化する。

けれど少なくともそれは、『今』ではない。

 左目の携帯電話と辺りに散らばった部品を回収して、公園を後にした。

周囲で肩を寄せ合う男女に、無性に苛々した。

ここで少しだけ、左目を振ったことを後悔するけれど、まさか左目が本当に学校まで辞めるとは思えなかったので、次に会う時に、今度は俺の方から彼女に歩み寄ろうと、そう決意する。






        ◆






 しかし、その決意は無駄になる。

次の日、左目は学校に姿を現さず。

そして、また次の日も。

直接確認しようと、左目の家に行くと、丁度、公園で対峙したその日から行方がわからないらしかった。

両親の携帯電話の方に、安否を知らせる着信が本人からあったようなので、最悪の展開は(まぬが)れそうではあるけれど。

 彼女の別れは、本当に訪れたようだった。

それすら、その時に深く考えず、無理にでも制さなかった自分は、酷く鈍感で愚かだろう。

最早、言い訳する余地もなく。




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