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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
32/56

9cm/s

普段は徒歩二十分足らずで到着する学校だが、自転車に(またが)ったおかげでおよそ半分、十分程度で目的地を目の前にする。

走行途中に気がついていたけれど、いざ到着してみて、さっきまで上がっていた黒煙が消えていた。

恐らく、消火したのだろうと思った。

校門付近まで薄っすらと焦げた臭いが漂っているが、どうやら大きな火災ではないようだった。

そこで一つ。

安堵する。


『入らないのかい?』

「いや、私服だし……」


 とは言っても、入らざるを得ない。

入って、確かめざるを得なかった。

 それは何故か。

左目のことである。

先ほどの(まれ)に見る彼女の声、そして、謎の火災。

不審火。

妙にざわついたものを感じたのだ。

それら二点が繋がっているような、そんな気がしてたまらなかった。

思い過ごしであって欲しいが。

思い過ごしであるなら幸いだが。

まさかとは思うが、学校に放火など、そんな馬鹿な真似をする奴はいないだろうと思う。

生徒、教員合わせて、多数大勢の人間が集合しているのだ。

大事故に繋がりかねない。

それに、仮に放火をしたとするならば、それは明らかに罪だ。

惑うことなき、犯罪だ。

 それこそより一層、不仲は加速し、軋轢(あつれき)をも生むだろう。

それは彼女からして見れば最悪の展開だ。

いや――最悪の展開と言えば、もうすでに経験済みかもしれない。

去年末に彼女の告白を断って、そして今回もまた彼女ではなく、千早を選択して。

二度も失恋した、と黒猫は表現したが、確かにそれは的を射ていた。

そんな左目に対して不思議とも思わず、自然に接していた自分が情けなくもなる。

女心を理解していない、と言うより、人として空気を読めていないのは紛れも無く自分だろう。

どうして振った相手と普段通りに関係を続けていたのか、という疑問を覚えなくもなかったが、しかしそれは飛んだ履き違えだった。

左目は普段通りではなかったのだ。

最低限、友人関係を続けれるように頑張って、あわよくば振り向いてくれるように努力して、そして周囲に嫉妬して――

そうなのだ。

そうだったのに、何一つ気づけなかったのだ。

全く、鈍感と馬鹿にされて腹だたしいとか、そんなこと感じている場合じゃないではないか。

まさにそれこそ、的を射ているではないか。

正鵠を射ているではないか。

全てを教えて貰った上で、やっと、こうして気づけるほどに鈍感ではないか。


『おぉ、私服登校か。よし、ならば私も堂々と、悠然と闊歩(かっぽ)しよう』

「……君の姿は誰にも見えない。それに私服登校じゃない、無断欠席してるんだよ、こっちは」

『それは、悩ましいことだな』

「他人事か」

『まさにそうだろう』

「先生に見つかる前に、取り合えずクラスの様子を確認しよう。環境の変化も確認できるし」

『それについては、大よそ見当ついてるだろう?予想通り、お前の環境――この場合、人間関係が主だが、もうすでに破綻しているよ』

「……そっか」

『崩壊している、と言えば正しいね。過去も現在も、崩れ去ってしまったのだから。もう、お前の知る過去も現在も無いのだから』

「それは、悩ましいことだな」

 黒猫は笑う。

事の根源に位置する黒猫が笑う。

他人事のように。

 教室に向かうまでの廊下、休み時間ではないはずなのに、たくさんの生徒がそこに集まっていた。

騒々しく、互いに何かを話しているようだった。

暗い面持ち座り込んでいる生徒もいれば、笑って会話する生徒もいる。

やはり、先の立ち上っていた黒煙は火災によるものだろう、校内は焦げた嫌な臭いが充満していた。

木が焼け焦げた臭い。

金属が焼け焦げた臭い。

それは徐々に。

徐々に徐々に強くなる。

より一層、酷くなる。



自分の教室に向かえば向かうほど――



「――!」

 多数の生徒の間を掻い潜って辿り着いた教室は白と黒の斑模様に覆われていた。

隅から隅まで、とはいかないものの、教室の中心部から後方にかけて、ものの見事に炭になっていた。

辺りには数本の消火器が置かれていて、恐らくつい先ほど鎮火したのだろう。

およそ三十ある机の半分、そして後方のロッカーと掃除用具入れが焼け焦げている。

 自分の教室からの出火。

自分のクラスからの出火。

自分の席が焼け炭になって。

楽座の席も焼け炭になって。

左目の席も焼け炭になって。

使い慣れたロッカーは焼け焦げて。

開けるのが億劫だった掃除用具入れも焼け焦げて。

天井の一部も薄っすらと焼け焦げて。

 普段の目にする当たり前の光景が、こうも変貌してしまうと、夢なんじゃないかと思ってしまう。

夢であって、夢であって欲しいと思ってしまう。

本当にこの教室は自分のクラスなのか、と疑ってしまう。

 けれど。

けれど。

紛れもなく自分のクラスであり。

淀みもなく自分の教室であり。

歪みもなく現実で。

惑うことなき現実なのだ。

 自然と手に汗を握る。

握ってしまう。

 大きな火災ではないようだった、ということが唯一の救いだったのかもしれない。

まさか本当に――懸念していた通り、予想通り、自分の教室から出火したとは思わなかったけれど、それでも学校全体を巻き込むような、大規模な火事ではないようだった。

いや、しかし、まだ安心はできない。

小さな火だったとしても、被害を受けたクラスメートがいるかもしれない。

 私服姿ということも忘れ。

無断欠席したということも忘れ。

職員室に向かうために階段を下りた。

例えそうでなかったとしても、そんなこと四の五の言っていられる場合ではなかったけれど。

とあるクラスからの出火ということもあり、どのクラスも一時授業を中断しているようで、そのせいか道中、多数の生徒を掻い潜って職員室に向かう羽目になってしまった。

階段にも生徒が集り、かなり不便である。

それでも。

それでも足早に進む。

黒猫が言う、闊歩なんて、そうそうできそうにもなかった。

結局、頭の上に乗って(くつろ)いでいる姿を見るに、最初からそんな気あったわけではなさそうだ。

調子の良いことばかり言う奴だ、と思った。

 職員室の扉を開けると、数人の教員が輪になって何やら神妙に話をしていた。

その中に運良く、都合良く担任の教師がいる。

通称、ハナハナ先生である。

本名、柚原(ゆはら) 花。

こう言っては何だけれど、語呂の悪すぎる名前のおかげで、校内では結構人気者だ。

 ともかく。

そんなことより。

まずは、現状の確認。

何はともあれ、現状の確認。

「……あの」

「あぁ!立屋くん!何してるのよ、こんなところで!」

 こんなところって言われても、ここは俺の通う学校なんだけれど。

とは言えず。

言えるはずもなく。

「すいません、ちょっと体調が悪くて――」

「無断欠席は駄目でしょう」

「……あ、あれ?母親から連絡が来てるはずなんですけど」

 嘘八百。

嘘も方便である。

「え?来てないけれど……まぁいいわ。それより、私服で何してるの、って訊いてるんだけど!」

「丁度、さっき起きたですけど、窓から学校の方で煙が上がってるのを見たので」

「あぁ、そうだったの。もう火は消えたから心配無用。教室焼けちゃったけどね。まぁ明日からは臨時の教室使うことになると思うから、お楽しみに」

「…………」

 何を楽しみにするのか理解できないが――

それにしてもこの人、自分のクラスから出火したのにも関わらず、何と言うか暢気だ。

マイペース。

まぁそれが、彼女が生徒に人気だという理由の一つとも言えるのだろう。

「出火の原因は?」

「あぁ、えっと……コンセントがショートして、そこに付着してた(ほこり)からカーテンに燃え移っちゃったみたいなのよね」

「被害者は?」

「それは無し。運良く移動教室で、室内は空っぽだったのよ。まぁ、物は燃えちゃったけどね。生徒の鞄とか、燃えちゃった」

「左目は?」

「――左目さん?」

「左目がどこに行ったかわかりますか?」

「……あぁ、左目さんならさっき早退したわよ。えらく憔悴'(しょうすい)してるようだったけど、そりゃ自分の教室が燃えたら気が滅入るよね」

 左目が早退。

これはどう考えるべきだろうか。

出火元は、火災や小火(ぼや)にしては普通だが――

いや、考えすぎか。

さすがに左目がやったとは思い難い。

 しかし。

しかし、だ。

今日の今日で色々起きすぎだろう。

過去改変、現在改変。

千早の変貌、左目の変心。

教室から火災。

これもまた、環境が変化したせいなのだろうか。

変化し、変貌した結果なのだろうか。

起こりうるはずのなかった未来の一つとでも言うのだろうか。

まぁそれについては、誰にも予知できないことだけれど。



 どうやら左目との邂逅は放課後を待ちそうだ。

彼女の早退、そして火災。

一体何の因果関係があるのだろう。



全く、悩ましい。

と、考えに(ふけ)りながら、ハナハナ先生に別れを告げ、学校を後にした。

環境がいかに変化したか、という確認をすることなんて、すでに忘却していた。


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