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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
31/56

8cm/s

 変わり果てた姿の千早に驚愕して。

そして、見覚えのある電話番号からの着信を受け取った後、また驚かされて。


 それから千早には声を掛けず、(きびす)を真っ直ぐ岐路に向けて返し、自室の勉強机に座って考える。

 先の黒猫の言葉を。

何がどうなっているのか、皆目見当つかず、ということではなく。

事の原因は把握しているし、千早と左目がどうして猫に願ったかという理由も理解した。

けれど実際、突然過去が変わったとか、現在が変わったとか言われても、頭の中はクエスチョンマークで一杯だ。

それでも、改変された現状を目の当たりにしている以上、それが現実であり、これまでの彼女らとの交友関係は誰にも語られることのない偽者の過去になったのだろう。

 記憶を保持していようが。

記録が消失しているのだから。

思い出は心の中にしまう、なんて言葉があるけれど、それは事実、自分を含めた四人に当てはまることなのだと思った。

そして同時に、そんな言葉、全然ロマンチックじゃない、とも思ったのだった。


『ふぅ、少し語りが過ぎたかもしれないね』

「……頭を抱えた背後で、よくもまぁ、語ったな」

『反応が薄いからつまらなかったよ』

「反応なんて、最初からさせる気なかっただろう」


 一度、岐路に着いたことの理由として最も適当な答えは、先の左目からの着信にあった。

彼女からの着信。

お互いのアドレス帳に記載されているはずのない電話番号。

どうして左目はそれを知っていたか、なんて疑問は黒猫の語りで概ね解決した。

それは、きっと。

記憶していたのだろう。

それを言うなら、記録が消失してもなお、記憶を保持しているということだ。

 電話の内容は、呼び出し、だった。

五時半に公園で待ってる、とだけ伝えられた電話だった。

上機嫌が常の彼女だけれど、電話越しに伝わるやけに神妙で、暗い声はいつもの左目を連想させず、むしろ一瞬誰だか判らなかったほどだった。

きっと、着信画面に彼女の名前が表示されなかったこともあるのだろう。

人は、目で認識する動物だ。

 午後五時と言えば、授業が終わり下校する時間帯だから、左目は学校にいるのだろうか。

現在を『壊して』、登校したのか。

 けれど、どうしてだろうか。

確かに左目からの着信や、黒猫の先の語りを聞いたおかげで、彼女が千早と同様に猫に願う決断をしたということが明るみになった。

しかし、一体全体どうして、何を思って左目は連絡を寄越したのだろう。

改変直後の今朝――楽座と現状の確認をした時点では、俺も楽座も、左目までもが現在改変を行っていたということに気がつかなかったはずだろう。

千早の『夢』を見て。

それに感づいた楽座。


 あぁ、そうか。

彼女なら、もう一つの可能性――左目の現在改変にも感づいていたのかもしれない。


 そういうことなら、俺が彼女の部屋を飛び出した後、その可能性の真偽を確かめるために、左目を追ったのだろう。

俺が千早という選択肢しかなかったのだから、『彼女』を追うのも当然だ。

黒猫が言うように、千早と左目を天秤にかけて、どちらを選択するか、なんて真似は最初から不可能だったのだから。

左目のことは、後になって気づいたことだ。

まぁ、こんなこと言えば、また鈍感なだけだ、と揶揄(やゆ)されるのだろうけれど。


『しかし、どうして峰 千早を目の前にして、その場を去った?』

「……あぁ、えっと」

『別に時間に余裕がないわけではなかっただろう。あそこで声を掛けてれば、また一つ現状の再確認ができたかもしれない』

「君も見ただろう?千早がどうなっていたか」

『あぁ、女子になっていたね。顔立ちはあまり変わってないようだったが、まぁ元々見間違えるような美少年だからね』

「そういうことじゃないよ」

『……と言うと?』

「千早が女子になっていたのは、多分そうなんだろう。見た目があまり変わっていないからと言って、スカートを履いて外を歩くなんて真似、普通じゃできないだろう。俺が言ってるのは――」

 少し間を空けて。

間を断って。

「千早がいじめをする側にいたってことだよ。あそこで仲裁に入れば、きっと千早は逃げ出すだろうさ」

 あぁなるほど、と黒猫はそこで相槌(あいづち)を打った。

それは最初からわかっていたようなものだった。

 千早の過去を知る黒猫が、あの酷く違和感を覚える光景を見て何も気づかないはずがないだろう。

いじめの仕返し、という現場を彼女と出会ってすぐ、目の当たりにしたことがあったけれど、それとは比べ物にならないほど、異様な光景だったのだ。

隅にしゃがみ込む対象を恫喝(どうかつ)して、罵声を浴びせて。

怒声を聞くのはそれで二度目だったけれど、何と言うか、初めて千早に恐怖感に似た感情を抱いた。

驚き、より、怖さだった。

 左目の声も同じく。

驚き、より怖さを感じた。

彼女からの呼び出しが、楽座によるものだとするなら、これはきっと、そういうことなのだろう。

いつどこで猫に行き遭ったのかは知らないけれど、彼女もまた同様の境遇だったのだ。

そして。

願った。


 左目との待ち合わせである、五時半まで、およそ数時間。

昼食を取っていなかったので、カップラーメンでも食べようと、母親のいる一階に下ようとした時だった。

 携帯が鳴る。

机の上で、耳障りな音を立てて振動する。

身内の連絡先以外、ほとんど空白のアドレス帳の上に、改変された現在である以上、親しい間柄からの連絡は皆無なのだが――。

と思って、身が固まった。

硬直する。

画面を恐る恐る覗いて、やはりそれは名前表示のない番号からの着信だった。

見覚えは――なかった。

左目の携帯番号に薄っすらと見覚えがあったのは、頻繁に彼女から連絡を受けていたということもあってだが、大抵はそうではない。

それもそうだろう。

どれだけ親しい仲の友人だとしても、数桁の数字の羅列を記憶するほど、意識して視認しないのだから。

それを言えば、左目は異常なのもしれなかった。

 振動する携帯電話を少し眺めて、通話ボタンを押した。

ごくり、と生唾を飲んだ。

「……はい」

「あぁ、私、楽座です」

 と、それは意外にも、楽座 怜那からの着信だった。

前に連絡先を交換した覚えがあるのだが、こうして電話することは初めてだった。

勿論、メールのやり取りも一度もしたことがなかった。

「どうだった?恋人からの電話は」

「……やっぱり楽座の仕業だったのか」

 予想的中。

見当的中。

「仕業、なんて言い方が悪いよ。真摯(しんし)になって私は現状打破に貢献したのだから」

「打破はまだしていないけどね。どうして俺の番号を知ってるんだ?」

「左目さんに聞いた。彼女、あなたの番号記憶してたから――まったく、脱帽よ」

 白旗よ、と楽座はそこでため息を吐いた。

「深い愛情も、加減が過ぎれば不快だね」

「…………」

 表現が駄洒落なのは、ともかく。

「狂おしいほど愛しい、なんて言葉あるけれど、それってあなたのことだったんだ、と思った」

「楽座、一体何の目的で電話してきたんだよ……」

「で、左目さん、何か言ってた?」

「えっと、五時半に公園で、って言われただけだったよ」

「そう――なら、あなたはそのお誘いに乗るといいよ。レディーのお誘いを断るなんて無粋な真似はしないでね」

「いや、まぁちゃんと行くけど――」

「なら、私も私なりにやることがあるから、さようなら」

「お、おいおい、やることって?」

 唐突に電話をしてきて。

唐突に別れを告げようとする楽座を制する。

本当、何の目的で電話を寄越したのだろうか。

「あぁ、今、数人で女子生徒を囲んでるいじめ現場を目の当たりにしているんだけど、その内の一人に峰くんが――峰さんがいるから、柄にもなく仲裁するつもり」

 いじめている方に峰さんがいる、と楽座は付け加えた。

あれから数十分は経過しているだろうが、まだ続いていたのか。

それはきっと、俺が目撃した現場と同じものなのだろう。

次は楽座にも発見されたということか。

まぁ、真昼間から道中、堂々といじめを行っているのだから容易く発見されても仕方がない。

いじめって、もっと陰湿で姑息なものだと思っていたけれど、案外そうではないのかもしれなかった。

 いや、それより。

楽座が仲裁するだって?

大丈夫なのか。

今の千早が何するか予測できないし、女子同士とは言え、危険だろう。

「あぁ――別に来なくていいよ。左目さんと話してわかったけれど、どうやら猫のおかげでお互いに過去の記憶はあるようだし、無茶なことはしないはず」

「……そうなんだろうけど」

「大丈夫、まかせておいて――と言いたいところだけど、一体全体何をすればいいのか、自分でもわからない」

 それもそうだ。

改変され、しかもお互いに以前の記憶がある中で、一体何ができると言うのだ。

過ぎてしまったこと、起きてしまったことをやり直すことなんて、それこそ荒唐無稽だろう。

何と語りかけるべきなのか。

何を話すべきなのか。

 それでも。

見過ごすわけにはいかない。

「わかったよ、なら俺は左目を担当するとしよう」

「さてさて、どっちが優秀なのか」

「…………」

「次の考査では負けないから」

 と、楽座は強引に電話を切ったのだった。

そんな雰囲気は今まで一度も醸し出していなかったが、案外負けず嫌いらしい。

学年一位、二位が共闘するようなシチュエーション、意外に燃える。

しかし、この場合。

燃えたのは自分の心情ではなく。

自室の窓から遠くのほうで小さく見える、ある場所から黒い煙が高々と上がっていた。

そこは、どうやら俺たちが普段通う、学校のある方角だった。



『あーぁ、どうやらお前の通う学校から火災が発生したらしい』



 と、黒猫は欠伸(あくび)をして言った。

家を飛び出して、学校に向かう。

空腹感に(さいな)まれながら、靴を履いた。


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